第873話「思慮深き少女」

 レティが“黒箱”を破壊した。シフォンがウィルスのソースコードを持ってきてくれた。多くの調査開拓員たちが、俺の処理能力を超える一斉攻撃を続けてくれた。多くの仲間達の尽力で、俺は復活した。


「レッジさん!」

「まあ落ち着けレティ。まだ最後の仕上げが残ってる」


 ハンマーを放り出してこちらへ駆け寄ってくるレティを制止する。キョトンとする彼女の目の前で、俺は“黒箱”の中に入っていたコシュア=エグデルウォンの神核実体を持ち上げる。


「シフォンは?」

「すぐ外に居ますけど……」

「急いで海底神殿に向かうぞ。エグデルウォンをそこに連れていかないと」

「そ、そう言えばそうでしたね!」


 俺を救出することに集中していたレティは、そのことを失念していたらしい。彼女は慌てて、背後の穴から飛び出す。しかし、このテントの十二層もある装甲をぶち抜くとは、なかなか恐ろしいな。


「レッジさん、潜水部隊は準備できてるそうです!」

「了解!」


 穴の向こうからレティが叫ぶ。俺は神核実体を抱えて、崩れ始める“崩壊した瓦礫の城主スクラップアンドビルド”から脱出する。俺がやったわけではないとはいえ、よくもまあこんなデカい代物を作ったもんだ。


「おじさん、こっちだ!」


 浜辺に降り立つと、そこに水上バイクに跨った一団がずらりと並んでいる。そばには騎士団の保有する戦艦や機術蒼氷船、そして直接神殿へ向かうための潜水艦もスタンバイしていた。


『お、おじちゃ——レッジさん!』

「シフォン! でっかくなったなぁ」

『今はそういうこと言ってる場合じゃないよね!?』


 シフォンは相変わらず、現実でも巨大な狐の姿をしていた。二本の尻尾をブンブンと振り、丸い前脚で抗議してくる。


「そっちの神核実体にも影響があったか」

『うん。突然苦しみ出して……』

「海底神殿に行くぞ。そこでエグデルウォンを助けられる」


 シフォンはそのままの姿で海に潜るらしい。俺は潜水艦の中に入り、艦長に挨拶する。彼は騎士団ではなく、〈セイレーン〉という海洋戦闘特化バンドのリーダーらしい。


「おっさんと神核実体を運べるとは、光栄だな」

「色々迷惑をかけてすみませんね。早速出てもらっていいですか」


 一分一秒が惜しい。俺が急かすと、彼は力強く頷いた。伝声管に向かって勇ましく叫ぶと、機関部の艦員がエンジンを始動させる。すぐにスクリューが猛烈な回転を始め、潜水艦は滑るように進み出した。


「レッジさん、急いでいる理由というのは?」


 〈セイレーン〉の船団の後方では、他のプレイヤーたちが急いで乗り込んだ船が次々と追いかけてくる。それを見ながら、レティが訪ねてきた。


「神核実体の中にウィルスプログラムを封入してる。無限展開プログラムの中に格納してるが、奴がそれに気づいたらすぐに出てくるだろう。だから、その前に神核実体とウィルスを分離しなくちゃならん」

「なるほど。急げばいいんですね」

「ああ、うん。そうだな」


 本当に理解してくれたのかは疑問が残るが、レティの結論は間違っていない。

 潜水艦は波を割りながら洋上を進み、それを囲む騎士団の船が海洋原生生物を退けていく。少なくとも、海底神殿の直上まではスムーズに進めそうだ。


「シフォンもすごいことになってるな」

『レッジさんに言われたくないけど……。でも、コシュア=エグデルウォンはどうして神核実体が二つもあるの?』


 シフォンは不思議な力でも纏っているのか、海上を軽やかに駆けている。彼女が目をこちらに向けて尋ねてきたのは、当然の疑問だった。


「コシュア=エグデルウォンは二人で一個の調査開拓員らしい。もともと、他の零期メンバーの調査開拓活動で発見したいろんな情報を纏めることを任務にしていた。そのために、演算能力に特化したわけだな」

「だから重要情報記録封印拠点も二つあったんですね」

「重要な情報ほどバックアップも必要だからな。そういう意味もあったらしい」


 とにかく、コシュア=エグデルウォンの神核実体は二つあった。今回の運搬作戦も、実はどちらか一個が神殿に辿り着けば成功だったのだ。


「とはいえ、それぞれの神核実体が相互に影響しあってるのも事実だ。二つ同時に持っていくのが最良ってことには変わりない。それに今は二つの神核実体を使った相互複製方式の入れ子構造を作ってるから——」

「レッジ、そろそろポイントだ!」


 ウィルスの動きを抑えている仕組みについて解説しようと思った矢先、〈セイレーン〉の艦長が叫ぶ。潜水艦は随分と速く、もう神殿直上のポイントに着いてしまったらしい。


「ここからは急速潜航だ。ハッチを閉じてロックするぞ」

「了解です」


 艦員が手慣れた様子で潜水艦各所の扉を閉める。完全に密閉されたことが確認され、艦長が潜航を宣言する。ギギギ、と艦体が軋む不穏な音と共に、床が傾く。


「おわわおわわ」

「レティ、掴まってろ」

「うへへ。ありがとうございます」


 最終的に、潜水艦はほぼ垂直になって海底を目指す。バカみたいな機動力だが、FPOならなんでもありだ。

 廊下の突き当たりまで落ちていきそうになったレティに、壁に取り付けられた取手を指し示すと、彼女は俺の腰に腕を回してきた。


「シフォンは大丈夫か?」

『なんか大丈夫みたい! 冷たくて気持ちいいね』


 窓の外を見ると、シフォンが二本の尻尾をスクリューのように動かして、犬かきで潜水艦についてきている。相変わらずよく分からないが、深海の水圧もものともしていない。


「艦長、どれくらいで到着する予定ですか?」

「そうだな……。3分もあれば」

「長いな」


 艦長は全速力で進む潜水艦と海底神殿の距離を勘案して答える。しかし、その到着予定時間はあまり余裕のあるものではなかった。

 腕の中に収まる神核実体の表面に、じわりと小さな黒いシミが現れている。無限展開プログラムが破られつつあるようだ。


「しかし、これ以上の速度は出せんぞ」


 最悪、潜水艦が壊れて、俺たちもろとも海の藻屑となってしまう。それは避けたい。俺は少し考え、レティに問う。


「レティ、海底神殿の位置と構造は分かってるか?」

「ええっ? そうですね、大体なら……」

「今から復習しといてくれ」

「何をするんですか?」


 怪訝な顔をしながら、レティは海底神殿のマップを開く。

 潜水艦の周囲では、シュノーケルと耐水圧装備で身を固めた水上バイクの一団が、殺到するサメの群れを蹴散らしている。水上バイクだと思っていたら、水中までカバーできるらしい。


「なに、ちょっとした玉突きだよ」


 そう言うと、レティは嫌な予感でも覚えたかのような顔をする。


「艦長、海底神殿の入り口が見えたら停止、ハッチを開けてくれ」

「はあ!?」


 無茶な要望だとは分かっているが、それしか方法がない。目を見開く艦長に頼み込み、なんとか了承してもらう。潜水艦は内部が隔壁で仕切られているから、航行不能に陥ることはないはずだ。


「本当にうまくいくんだろうな?」

「やってみせるよ。レティがいれば大丈夫だ」

「うへへ……。ま、任せてくださいよ!」


 訝しむ艦長に、俺とレティで胸を張る。実際、一度やったことの繰り返しだから、できないわけもない。まあ、その時とはまた少し条件は異なるか。


「そろそろだ。レティ、準備は?」

「できてますよ!」


 赤い首飾りを装備したレティが頷く。艦長が隔壁の向こうへ退避し、ハッチのロックを解除する。


「それじゃあ、行くか」

「はいっ! ——『岩砕き』ッ!」


 レティが徐に、ハッチをハンマーで突き上げる。強い水圧で押し付けられていた鋼鉄の装甲に穴が開く。


「ぐっ」

「ぼぼぼぼっ!?」


 途端に大量の海水が流れ落ちてくる。瞬く間に艦内は水没し、俺たちの機体も軋みを上げる。それでも、すぐに活動不能となるわけではない。俺はレティにアイコンタクトを送り、海中に泳ぎ出た。


「れっびばばっ!」


 レティがハンマーを構える。狙うは、俺だ。


「ごぼっごぼぼぼっ!」


 今回は反射壁も、バグ技も使わない。エイミーもいないが、大丈夫だ。神殿に辿り着ければ、それでいい。


——風牙流、四の技。『疾風牙』


 “型”も“発声”も十分ではないが、それでもいい。槍が海水を掴み、突き込まれる。鋭い螺旋が放たれ、前方に真空の穴が現れる。

 水中バイクの軍団が、強力なライトで神殿の入り口の方向を照らしてくれる。レティはそれを頼りに、ハンマーを振った。


「——!」


 神核実体を抱き抱え、背中で受ける。調査開拓員規則によって、調査開拓員は調査開拓員に危害を加えられない。かわりに、攻撃すればそのダメージに応じたノックバックが発生する。


「がはっ!」


 レティに背中を押され、『疾風牙』で作ったレールを進む。勢いよく、神殿の中へ飛び込む。

 彼女の狙いは完璧だった。俺は白い石の床で跳ね、壁に当たり、柱にぶつかり、神殿の奥にある扉に激突して止まる。


「あっ」


 そこではたと気がつく。


「白月忘れてきたな……」


 神核実体を浄化するための部屋には、白神獣が居なければ入れない。以前は白月が開けてくれたのだが、今回は彼を連れてくるのを忘れてしまっていた。この期に及んで、こんなところでつまづくとは。

 珍しくやらかしてしまい、心臓が縮む。その時、突然神核実体が輝きを増した。


『Zizi……。JUんREい者の存在WO』


 歪んだノイズ混じりの声。


『KAMI——』


 神核実体が光る。


「まさか、エグデルウォン……」


 神核実体の状態でウィルスを抑えながらハッキングしているのか。


『旧管理者思念術式〈コシュア=エグデルウォン〉の存在を確認』

『旧管理者思念術式〈コシュア=エグデルウォン〉の暴走状態を確認』

『旧管理者思念術式の直接浄化の実行要請を確認』

『浄化装置を起動します』

『旧管理者思念術式汚染除去プロトコル〈ヨミガエリ〉を実行します』


 流れるようなアナウンスと共に扉が光り輝き、左右に開く。俺は驚きながらも這うようにして中に入り、中央の台座に神核実体を置く。


『神核実体の挿入を確認しました』


 宝玉が取り込まれる。


『おじちゃん!』


 少し遅れて、シフォンが到着する。彼女の体が溶けるように消えて、瓜二つな二人のシフォン——調査開拓員の姿の彼女——が現れた。


『わたしも!』


 そのうちの一人が、神核実体を抱えていた。彼女が台座の前に立ち、そこに収まる神核実体に手をかざす。


「シフォン!?」


 シフォンが自分の名を——いや、自分と同じ姿の存在に向かって叫ぶ。偽者のシフォンは薄く笑って頷く。


『二つの神核実体を、ウィルスのわたしが繋いでる。わたしも一緒にいかないと、ウィルスが抑えきれない』

「でも——」

『大丈夫。あなたはわたしを覚えてるでしょう』


 シフォンが笑う。シフォンが涙を零す。


『神核実体の精密スキャンを行います』

『356,847箇所の汚染を確認』

『情報再修正術式を適用します』

『調査開拓用有機外装の喪失を確認』

『調査開拓用有機外装の接続を遮断します』

『神核実体内部に安定した特異的汚染術式の存在を確認』

『パージプロトコルを策定中』

『新たな調査開拓用有機外装への置換を行います』

『新たな調査開拓用有機外装が見つかりません』


 二つの神核実体が色鮮やかに光り輝く。その間を取り持つシフォンが苦悶の表情を浮かべる。


『新たな調査開拓用有機外装が見つかりません』

『緊急特例措置を実行し、調査開拓用機械人形へのコンバートを実行します』


 台座が床に沈む。それと同時に、偽シフォンも取り込まれる。

 そして、白い石柱が迫り出した。


「さあ、復活だ」


 表示されたプログレスバーが青く染まるまで、あと少し。その間に、レティや艦長たちが部屋の前まで駆けつけてきた。彼らに見守られながら、彼女が復活する。


『〈ヨミガエリ〉プロトコルが完了しました』


 石柱が開く。冷気が漏れ出し、薄氷を睫毛につけた少女が現れる。

 白い磁器のような肌を、白いワンピースに包んでいる。閉じていた瞼をゆっくりと開き、おもむろに口を手で覆う。


『うえっぷ』


 青い顔をした少女に、そういえばそうだったと思い出す。俺はインベントリから適当な外套——隠密効果のあるフィールド探索用コート——を取り出し、それで彼女を覆い隠す。衆人環視の中でこれは、NPCでも可哀想だろう。


『おげえええっ!』


 赤と青、左右で色の違う目を大きく開き、エグデルウォンが体内に溜まっていた沈殿物を吐き出す。どす黒く粘着質な泥のようなその中に、黒い掌サイズの結晶体が一つ混ざっていた。


「これは——」

『術式封印用記録媒体です。うぇっぷ』


 気持ち悪そうにえづきながら、彼女が言う。この中に、厄介なウィルスプログラムが封じられているらしい。


『旧管理者思念術式〈コシュア=エグデルウォン〉の新規調査開拓員機体の老朽化、および内蔵ブルーブラッドの劣化を確認』

『ブルーブラッドの強制排出を実行します』

『新たなブルーブラッドの補給を行います』

『貯蓄されているブルーブラッド全ての劣化を確認』


 アナウンスが続く。ここも前回と同じだ。エグデルウォンはその後も何度も体の中身を吐き出す。


「艦長!」

「用意できてるぞ」


 すぐに艦長がブルーブラッドの輸血パックを持ってきてくれる。二度目と言うことで、わざわざ俺たちの機体から輸血する必要はないのだ。すぐに壁からアームが現れ、輸血パックを受け取る。

 コシュア=エグデルウォンの新たな機体に、新鮮な血液が供給される。


「落ち着いたか、コシュア=エグデルウォン」

『はい……。しかし、もうその名は変えなければなりませんね』


 青い血液が十分に注入され、少女がよろよろと立ち上がる。彼女は俺を見て、背後に立つレティたちを見る。そして薄く笑みを浮かべ、恭しく一礼した。


『皆さま、はじめまして。そして、多大なる助力に限りない感謝を』


 赤と青、両の瞳が輝く。


『私は第零期先行調査開拓団、深部重要情報記録機関DWARF責任者。新たな名を、オモイカネと申します』


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Tips

◇術式封印用記録媒体

 暴走状態に陥った危険性の高い術式を封印する際に使用する特殊な記録媒体。外部への影響を抑えるため、特殊な情報密閉コーティング処理が行われている。硬質だが、強い衝撃を受けると砕ける。また、万一の場合は緊急的に焼却できるよう、可燃性も付加されている。


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