第872話「壁を越えて」

 無数の瓦礫が集合し、巨大な拳を形成する。それは高く立ちはだかる城塞の腹から突き出し、一直線に飛び込んでくるレティを迎え撃つ。動きは緩慢だが、何よりも大きかった。高速で飛翔するレティは、それを避ける手段を持っていない。彼女自身の速度が仇となっていた。


「やば——っ!」


 威勢よく飛び立った瞬間にコレだ。今まで簒奪した都市防衛設備を使ってはいたものの、城塞自体が動くことはなかった。だから油断していた。レッジとは、いくつも隠し玉を備えてほくそ笑んでいるような人物だと、他ならぬレティが一番知っていたはずなのに。

 いくつもの後悔が泡沫のように浮かんでは消えていく。それが走馬灯だと気づいたのは、瓦礫の拳が視界を埋め尽くした時のことだった。


「全く、世話が焼けますね」


 瓦礫が崩れる。


「えっ」


 一瞬のうちに、鋭い斬撃が拳の手首を断ち切った。


「彩花流、玖之型、『狂い彩花』」


 更に斬撃が続く。それは拳を細かく切り刻み、ただの土塊に変える。轟音と共に落ちていく。瓦礫の向こうに、長髪のサムライがいた。


「トーカ!」

「行きなさい!」


 吹き飛ぶ瓦礫の間を、レティは駆け抜ける。トーカが開いた活路を突き進む。

 しかし瓦礫の城塞もただでは止まらない。再びその腹から大きく太い腕を伸ばす。今度は同時に四本の腕が、レティへと迫る。


「——『死に絶えるサイレント・厳寒の永久凍土パーマフロスト』」


 しかし、それは瞬間的に凍結する。分厚い堅氷が城壁を覆い、その動きを止める。

 地上で青髪の少女が笑っていた。


「『全て消える滅火ロスト』」


 凍った城壁が、今度は燃え上がる。鋼鉄すら溶かし、全ては灰燼と化す。巨大な城塞を火に包んだのは、炎髪の機術師を筆頭とする機術師集団の大規模輪唱機術によるものだった。

 レティの射出と同時に、一斉攻勢が始まっていた。機術師、弓師、銃士による爆撃が、城塞を動かしている主の処理能力を削いでいる。戦士たちは炊き出しのバーサークアンプルを飲み干し、捨て身の突撃を敢行している。実戦に適さないと倉庫に死蔵されていた実験用高速戦闘機が、大量の特大型超高濃度圧縮BBバッテリーを積み込んで特攻している。


「ワダツミちゃんばんざーーーいっ!」

「デルウォンちゃんを返せえええええっ!」

「わっしょーーーーいっ!」


 彼らは思い思いの言葉を叫びながら、次々と後先考えない狂気と共に突っ込む。単純だが、最も効果的な妨害だった。城塞はあらゆる方面からやってくる攻撃に対応するため、レティに意識が割けない。たった一人の調査開拓員よりも、理性を失った大勢の調査開拓員たちの方が脅威的だと、機械的に判断せざるを得なかった。


「レティ! そのまま突っ込みなさい!」


 エイミーが叫んだ。

 レティはもはや、言葉を返す余裕もなかった。だから、行動で示すことにした。


「うぉおおおおおおおおっ!」


 遠くに見えていた城塞が、間近に迫っていた。レティは厚い空気の壁を貫きながら、ハンマーを振り上げる。ネヴァが直前まで調整を続けてくれた、特別なハンマーだ。記憶領域には、アストラの思いも託されている。それだけではない。今地上で命懸けの攻勢をかけている全ての人々の期待を背負っているのだ。


「レッジさんを! 返せっ——ぇぇえええええええっ!」


 衝突。

 黄金の翼を広げた赤い兎が黒鉄の城塞に触れる。

 轟音と暴風、そして崩壊の音。


「うぉらああああああっ!」


 彼女の勢いは衰えなかった。

 鉄壁の城塞に阻まれてなお、背中のジェットパックの出力を上げる。すでに最大値を超えていたが、リミッターを解除する。過剰なエネルギーを受けたエンジンが爆発し、瞬間的に数倍のエネルギーを噴き出す。


「壊せ!」


 誰かが叫んだ。


「壊せ!」


 拳を突き上げ、彼女を鼓舞した。


「壊せ! 壊せ! 壊せ!」


 声援が旋律に乗って届けられる。レティはみなぎる力の全てをハンマーに注ぎ込み、腕の人工筋繊維がブチブチと断裂するのにも構わず、ハンマーを押し込み続ける。


「壊せ! 壊せ! 壊せ!」


 スキンが破ける。金属フレームが露出する。莫大なエネルギーが彼女の周囲で渦巻き、機器に障害が発生する。ノイズの走る視界で、レティはただ前を睨む。


「こわ、れろ——ッ!」


 城壁が崩れる。薄皮が一枚剥がれた。その奥に、都市防壁を流用した第二城壁が立ちはだかっていた。


「関係ないっ!」

「壊せ! 壊せ! 壊せ!」


 そんなものは、何の障害にもなり得なかった。

 レティは豆腐でも潰すかのように第二城壁を貫通する。第三城壁は障子紙のようだった。第四城壁は機術特化で、物理的な力の前で呆気なく破れた。第五城壁“白壁”は潜入していた〈百足衆〉によって食い荒らされていた。第六城壁“驟雨”は〈黒長靴猫BBC〉が爪研ぎに使っていた。第七城壁“散華”は〈ヨロズ仙薬堂〉の腐食液に侵蝕されていた。第八城壁“羽切”は〈スーパーホワイトハッカーズ〉のDoS攻撃によって制御権を奪われロックが解除されていた。第九城壁“極光”は〈我らの祈る大いなる白き神の恵み教会〉と〈不浄なる邪神を滅する黒髪の乙女の同胞団〉の抗争じみた共同作戦によって破壊されていた。第十城壁“鉄守”は三術連合の浸透作戦によって瓦解していた。第十一城壁“紫血”は〈ゴーレム婦人会〉が内側からオブジェクトそのものを歪ませ破壊していた。


「壊せっ!」


 第十二城壁。黒色の小さな箱。レッジの持つ八つのテントで構築される大規模多層式防御陣地“八雲”の最終関門。その名もまさしく“黒箱”。レティたちは、そこに手をかけた。


「『時空間波状歪曲式破壊技法』」


 レティが最後まで残しておいた切り札を使う。彼女の周囲の空間がぐにゃりと歪み、物理法則が書き変わる。絶対に壊れないものが壊れる不条理に満ちた世界が現れる。

 無数の障害をくぐり抜け、いくつもの致命傷を避け、数え切れない危険を貫いてたどり着いた。ならば、後に残るのはただ一つ。とても単純で、もっとも冴えた、一度だけのノック。


「起きてください、レッジさん」


 ハンマーが振り下ろされる。

 単純な、重力に従った落下に近い振り下ろし。ただそれだけ。

 それだけで十分だった。

 黒箱がぶるんと震える。柔らかなゼリーのように、ハンマーヘッドに押し潰される。飛び散る破片の奥に、光り輝く水晶玉があった。それを抱えて眠る、男の姿があった。


「——助かった、レティ」


 男が目を開ける。彼の変わらない笑みに、レティは思わず耳を揺らした。


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Tips

◇ “黒箱”

 大規模多層式防御陣地“八雲”、第八層構成テント。完全な防御能力を有する箱型テント。


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