第870話「現場の混乱」

『ほぎゃあああっ!? ひぎゃっふぎゃっ!? ぴえっ!』


 ウィルスプログラムに対抗するプログラムを開発する。そのためには奴を抑えている手を少しだけ緩める必要があった。六人の俺で偽レッジを抑えつつ、もう一人の俺でプログラムを作っていく。最初の土台部分は順調に組み立てられていたが、やがて大きな壁にぶち当たってしまった。


『ほわっぴゅわっきゅあっ!?』


 どうにも、ウィルスプログラムそのものに接続する方法が分からないのだ。そのソースコードを丸々見ることができればすぐにアクセスできるのだろうが、奴は硬い殻の中に引きこもってしまっている。腹を裂こうにも、通常の攻撃ではそんなこともできない。


『来ないで来ないで来ないで! きゃーっ!』


 一応、カメラを使った『写真鑑定』なども使ってみたのだが、やはり難しい。奴の詳細なステータスは分かっても、その組成が分からないのでは意味がない。どこかにソースコードが落ちてないものか、腕を組んで唸る。


「うーむ……」

『ぼけっとしてないで助けてくれませんか!?』

「ごはっ!?」


 思索を深めていると、コシュア=エグデルウォンに殴られる。彼女は緊迫した表情で黒い蛇から逃げていた。


「すまんすまん。ちょっと集中すると“緑の人々グリーンメン”の操作が覚束なくなるな」


 俺はすぐに彼女の要請に応え、“緑の人々”で黒蛇を撃退する。コシュア=エグデルウォンはぜえぜえと肩で息をしながら、恨みのこもった目をこちらに向ける。


『言っておきますけど、私が死んでも終わりなんですからね?』

「分かってるって。だからちゃんと守ってるだろ」


 ぽんと胸を叩きつつ、種瓶を投げて爆発を起こす。黒蛇たちが燃え上がるのを横目に、エグデルウォンを勇気付けた。しかし、彼女からの疑念はなかなか晴れない。


「エグデルウォンならあのプログラム解読できないか?」

『無茶言わないでください。私にはスキルシステムも搭載されてませんよ』


 コシュア=エグデルウォンは演算能力に特化した調査開拓員だ。だから彼女の力を頼ろうと思ったのだが、こう言う場面ではあまり役に立たないらしい。まあ、彼女は今もウィルスプログラムの侵攻に対抗してくれているのだが。


「どっかからソースコード降ってこないかね」

『そんな虫のいい話はないですよ。素直に偽者を倒しましょう』


 ほら早く、とエグデルウォンが俺の腕をひく。その時だった。


「うおっ!?」

『ぷぎゃっ!?』


 突然足元が大きく揺れる。いや、世界そのものが揺れているのか。

 咄嗟にエグデルウォンに覆いかぶさり、彼女を守る。敵の攻撃かと思ったが、向こうも慌てた様子で、まともに攻撃もできていない。どうやら、何か別のものに襲われているらしい。

 揺れは更に激しくなっていき、立っていられないほどになる。エグデルウォンが俺をひしと掴み、目をぎゅっと閉じている。


「なにっ!?」


 その時、空が割れた。

 澄んだ蒼穹に亀裂が入り、ガラス片のような結晶が落ちてくる。コシュア=エグデルウォンを抱えてその場から飛び退いた直後、大きな結晶が水面に突き刺さった。


『ほわああっ!?』

「落ち着け。俺にしがみ付いてろ」


 パニックを起こすエグデルウォンを宥めながら結晶から逃げる。見れば、偽者たちも一緒になって回避に専念していた。

 いったい何が起こっているのか、その真意を確かめるため空へ目を向ける。すると、亀裂の向こうからひょっこりと白黒の狐耳が現れた。


「は?」

『あっ、レッジさん! やっと見つけたよ!』


 光り輝く狐が顔を覗かせ、俺を見て目を大きく開く。響く声は、聞き慣れたシフォンのものだ。


「シフォン!? いったい何を——ていうか、なんでそんな——」

「色々あるけど後で! ウィルスプログラムのソースコード持ってきた!」

「よく分からんが助かる!」


 狐が吠える。バラバラと落ちてきたのは、記号の羅列されたメモ用紙だ。


「それ使える?」

「ちょうど欲しかった所だ」


 なぜ狐になっているのか、どうしてそんなに大きくなったのか、そもそもソースコードはどこで手に入れたのか。疑問は尽きないが今はそれどころではない。揺れが収まったことで、偽者たちが再び動き出す。


「じゃあ、レッジさんの代わりに戦うね!」

「うん? おお、頼んだ!」


 よく分からないまま、シフォンらしき狐に後を任せる。彼女はヒゲを震わせると、亀裂から頭を引っ込めた。


「何だったんだ?」

『分かるわけないでしょう。しかし——』


 シフォンが来た後から、敵の様子が如実に変わっていた。あからさまに動きが鈍くなっていた。まるで、現実の方にリソースを割かれているかのようだ。

 苦しげに暴れる俺を一瞥し、俺はシフォンが持ってきてくれたソースコードを読む。


「これだけあれば十分だ。あとは、ウィルスプログラムの隙ができればできるほど——」


 世界が大きく揺れる。偽レッジが苦悶の表情を浮かべて叫ぶ。リアルの方で、大攻勢が始まったらしい。



『うおおおおっ!』


 狐が城塞にのし掛かる。瓦礫を蹴散らし、その堅牢な壁を破壊する。


「おわわ、おわわっ!?」

「何がどうなってるんだ、全く!」


 城塞の中に攻め込んでいた調査開拓員たちは、グラグラと揺れる足元に混乱しっぱなしだった。突如として始まった城塞と巨大狐の戦闘は、彼らにはあまりにもダイナミックすぎた。

 狐が尻尾を振り、城塞にぶつける。フワフワ柔らかな尻尾だが、その巨大さから繰り出される衝撃は破壊的だ。


「なんで突然怪獣大戦争が始まってるんですか?」


 砂浜の後方、作戦本部。〈ワダツミ〉に死に戻り、急いで戦線へ駆けてきたレティは、変わり果てた現場を見て当然の疑問を呈する。それを受けて困り顔になるのは、指揮官のアイである。


「私にもよく分からないんですが、あの狐はどうやらシフォンさんらしいですよ」

「ええ……。あんな子知らないんですが」

「でも、味方らしいですね。敵性存在の反応もありますが」

「滅茶苦茶じゃないですか」

「貴方の所のメンバーですよ」


 アイの目からの逃れるように、レティは城塞と狐の戦いに意識を戻す。狐は海の上に立って盛大に暴れ回っているし、城塞もそれに負けじと無事な都市防衛設備を総動員してバカスカと撃ち込んでいる。両者の足元で、調査開拓員たちが右往左往している状況だ。

 いくらなんでもカオスすぎる。運営は何を考えているのか。レティは思わずそんな事を考えてしまう。


「うーわ、やっべ。何がどうなってんの、これ……」


 レティたちの背後で、突然そんな声がした。それまで気配のなかった所から女の声がして、レティとアイは半ば反射的に臨戦態勢で振り向く。そこに立っていた見慣れぬ全身真紅の女性は、ぎゃっと声をあげ慌てて両腕を上げた。


「タンマタンマ! 私、怪しいもんじゃありません。ほら、コレコレ」


 唯一白い謎めいた仮面をブンブンと振り、彼女は頭上に表示されたビルボードを見せる。そこにはGMという文字がデカデカと記されていた。


「GM!?」

「運営さん!?」


 彼女の正体に気づいた二人は驚きを隠せない。

 世界観的に言えば、〈イザナミ計画実行委員会〉直属の強力な権限を持つ特殊な調査開拓員。ゲーム的に言えば、運営サイドの職員である。しかも、彼女はその中でも赤GMとも呼ばれるアカウント削除権限すら有した高位のGMだった。

 普段は緊急の通報などがなければ滅多に現れない存在が、何故かこうして現れている。しかも、何やら切迫した様子である。


「あの、赤GMさんがどうして……」

「私のことはイチジクとお呼びください。——休憩してたらアラートがビービー鳴ったとか、監視対象の脳活動が異常値出してたとか、まあ色々理由はありますけど……。とりあえず、イベントが順調に進んでいない様子だったので」


 イチジクは軽い調子で名乗り、小さな声でこそこそと呟いた後、来訪の理由を告げた。


「イベントが順調に進んでいない?」


 その言葉をレティが繰り返す。イチジクは頷き、疲労感たっぷりの鈍い動きで城塞の方へ目を向けた。


「世界観無視なので、あんまり話ちゃいけないんですけど」


 そう前置きして、少し声を顰めながらイチジクが語る。


「FPOのイベント類はほとんどが自動的に設計されて実施されます。今回の特殊開拓指令もそうなんです。で、本来は地下ダンジョンの謎を解きつつ最奥に到着、コシュア=エグデルウォンの神核実体を発見し、〈白き深淵の神殿〉へ持っていく、という流れです」

「はぁ。大体その通りに進んでいますね」

「そうなんですよ。なのに、途中途中であのおっさ——レッジさんが状況を掻き乱しましてねぇ。普通、個人プレイヤーが乗っ取られた程度でここまで泥沼になるはずがないんですよ」


 忌々しげに城塞を睨み、イチジクが言う。彼女の言葉の端々から、レッジに対する親密度の高さを感じて、レティは僅かに眉を寄せた。


「それでまあ、担当監視官として対処しろとか言われて、出てきたわけです。どいつもこいつも厄介ごと押し付けやがって……」

「なんか、ストレス溜まってます?」

「あっ、すいません!」


 イチジクはGMとしてあるまじき発言をした事に気づき、慌てて謝罪する。レティとアイは困った顔で違いに目をむけ、まあまあと諌めた。

 幸い、ここにはアイとレティの二人しかいない。イチジクの面目は保たれているはずだ。


「しかし、見たところどうしようもなく滅茶苦茶になってる訳でもなさそうなんですよね」


 作戦本部のテントから海上の激戦を眺めつつ、イチジクは言う。

 相変わらず怪獣大戦争が勃発しているが、現場の調査開拓員たちもしつこくそれに食らいついている。


「強制ロールバックからの詫び石案件かと思ったけど、レティさんとアイさんがいらっしゃればなんとかなりますよ」

「レティたちですか?」


 突然話の矛先を向けられ、二人は困惑する。イチジクは仮面越しでも分かる笑みで、二人の肩に手を置いた。


「あの馬鹿みたいな城塞をぶち壊して下さい。そしたら皆、幸せになります」



「対象の脳活動安定してます」

「安定してるって、常人の8倍動かしながらだろ。それは安定と呼んじゃダメだよ」

「モニターアラーム切って! うるっさい!」

「マジで人外なんだよなこの人。脳科学者が泣くぞ」

「大丈夫、もう泣いてる。てか涙は涸れた」

「サーバーの状況は?」

「とりあえず安定してますね。黒神獣関係の所がちょっと活性化してますけど」

「そこ動かすのまだまだ先の予定だったのになぁ」

「イチジクさんもう行った?」

「キレながら緊急出動してましたよ」

「シナリオ整合性調整プロトコルの稼働率が80%に低下」

「低下って呼ばないんよ、それは」

「番狂わせが狂わせすぎなんすよ。なんでログイン許可してるんです?」

「おっさんがログインしたがったから」

「くぅ……っ!」

「お上の許可も形式上取ってるだけだからなぁ。その気になれば勝手にインできるでしょこの人」

「イチジクさんから報告来ました。ロールバックは見送り、現場の進行に任せるそうです」

「マジで言ってんの!?」

「これ以上任せたら破綻するぞ!」

「とりあえずおっさんのコード引っこ抜かない?」

「おい馬鹿やめろ」

「ええと、“暴れ兎ちゃんがダンスを踊ってくれる”との事です」

「何もかんも分からん」

「ああもう、どうしてこうなった!」


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Tips

◇レッドカラーGM

 ゲームマスターの中でも特に強い権限を持つ上位のGMです。重大な規約違反などが発生した際に出動し、状況を鑑み、独断即時のアカウント消去などを行うことも可能です。

 レッドカラーGMの指示は、グリーン、ブルー、アミューズ各GMの指示よりも常に優先されます。

 このGMは赤い専用装備を身につけています。GMの指示には極力従うようお願いいたします。


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