第869話「彼を目指して」
突如として現れた見上げるほど巨大な狐に、現場は騒然としていた。そこにいたのは第二拠点から神核実体を運んできた輸送班の面々だったが、戦えるものはほとんど砂浜のレッジ戦に参加しているため、非戦闘員がほとんどを占めている。彼らは突然のボスに驚き、転がるようにして逃げていく。
「なんなんだあの狐は!」
「白神獣なのか?」
「いや、黒も混じってるし……」
逃げ惑う調査開拓員の中に勇気を出してその姿を確認する者もいた。彼らは戦えないなりに調査や鑑定のスペシャリストである。各々の方法でその巨大狐を観測していく。
「白神獣じゃない。むしろ黒神獣に近いのか……?」
「しかし、襲ってこないぞ」
狐はその場に留まり、何かを探すように周囲を見渡していた。
白黒の毛並みを揺らし、二本の尻尾をアンテナのように立てて、特に攻撃の意志を見せる様子もない。
『こちらT-1なのじゃ! 現場の状況は分かるかの?』
「うおっ!? T-1ちゃん!?」
〈鑑定〉スキルで狐の正体を調べていたプレイヤーに、突然T-1からTELが飛んでくる。予期せぬ指揮官からの問いかけに驚きつつも、彼は今現在判明していることを伝える。
「見たところ敵性存在には違いないみたいだ。たぶん、攻撃したら傷は付けられる。けど、物理耐性が高い——というより物理的な要素が薄い? 霊体とおんなじようなステータスになってる」
「高密度のエネルギー……、レイライン系に似たエネルギーの集合体っぽいな」
「多分ノンアクティブ。今のところ動く様子も——」
「うわああっ!?」
調査系のスキルを持つ開拓員たちが次々と情報を上げていく最中、突如として狐が立ち上がる。彼女は一点の方角を見つめ、ぶわりと尻尾を膨らませた。
「狐が動き出した!」
「全員距離を取れ!」
調査開拓員たちが一目散に逃走を始める。蜘蛛の子を散らすように駆けだした彼らに目もくれず、狐は猛然と走り出す。その口角が僅かに上がり、鋭利な牙が覗く。
『見つけた! おじちゃん!』
大地を深く抉り、狐は四本の脚を滑らかに動かして駆ける。その口から漏れた言葉は、周囲の人々の耳にしっかりと届いた。
「しゃ、喋ったぁぁぁああっ!?」
「ていうかさっきの声、〈白鹿庵〉んトコの子じゃなかったか?」
「また〈白鹿庵〉かよ!」
「てことは、おじちゃんって——」
彼らは即座に理解する。
その狐が何を見つけ、何を目指して走り出したのか。
「T-1ちゃん! たぶん狐はおっさん、ええと、レッジのトコに向かってる!」
「何やるかは分からんけど、気をつけてくれ」
『ぬおおおおっ!?』
狐は〈老骨の遺跡島〉を軽快に飛び出し、穏やかな海の水面に脚を付ける。そして、まるで固い大地を踏み締めるかのように、海の上を走り続けていた。
『こちらHS-06“コメット”、正体不明の敵性存在を目視。攻撃するか?』
「何もかもが不明だ! ひとまず追尾してくれ」
『了解。しかしエンジンがオーバーヒートして操縦が効かない。このままでは敵性存在に突っ込む』
「何を了解してんだああああっ!」
沖合にあった〈ダマスカス組合〉の洋上プラントからスクランブル発進した高速飛行機が黒煙の尾を引きながら巨大狐の眉間に衝突する。管制官の絶叫をBGMに、爆炎が広がった。
『うわああっ!? 何これ? ぺっぺっ』
頭部を煙幕に包まれた狐は耳を倒し、ぶんぶんと頭を振る。そうして、傷も無い様子で再び走り出す。そこへ、高速で飛んできたヘリコプターがカメラを向ける。
「こんにちは! いつも貴方の側に這い寄り中継、〈ネクストワイルドホース〉の特別リポートです。突如現れた狐さんにインタビューしてみたいと思います!」
ヘリのドアがスライドし、中からヘルメットを装着しマイクを握ったタイプ-ゴーレムの女性が現れる。ヘリの操縦手が狐の眼前ギリギリまで接近させ、リポーターが大きな声を張り上げる。
「こんにちはーー!! 〈ネクストワイルドホース〉のペンペン草と申します! インタビューは可能でしょうか!?」
『はええっ!? わ、わたしですか?』
「ですですっ! 走りながらで結構ですので! お名前と目的地をば!」
狐は突然の声掛けに驚き、耳を立てる。リポーターたち取材陣は、ひとまず言葉が通じる事に安堵して、彼女の回答を待つ。
『ええと、わたしはシフォンです。今はおじ——レッジさんのところに向かってます!』
「なんと!? やはり〈白鹿庵〉のシフォンさんでしたか!」
『すみません、結構余裕なくて。あんまり説明できないんですけど』
「大丈夫です! 騒動が落ち着いたら色々聞いても良いですか?」
『あ、えっと、その、お手柔らかに?』
「よっし! 独占取材の言質取れた!」
『はえええ……』
狐は走りながら照れた様子で目を細める。その間も猛烈な勢いで走り続けているため、リポーターたちは暴風に耐えながらそれを追いかける。
「現在、すでに混乱が広がってしまっているのですが、どうしてレッジさんを目指しているのですか?」
『ええっと、ええっと……』
「落ち着いて、ゆっくりでいいですよ!」
詳細は後々ゆっくりしっぽり聞くとして、今すぐ欲しい情報もある。すでにシフォン狐の周囲には〈ネクストワイルドホース〉のライバルである情報系バンドの取材班が各々の飛行手段でやってきているし、海上には高速艇もあった。彼らを出し抜くためにも、情報は少しでも沢山集めたい。
『色々あってウィルスと話し合って、今は融合してるんだけど、その安定化のためには術式の解析が必要で、レッジさんならできると思って』
「なるほど!」
全然分からん。この狐っ子は何を言っているんだ? そんな疑問を胸の底に押し込みながら、リポーターは努めて笑顔で相槌を打つ。シフォンは〈白鹿庵〉メンバーの中で最も新参で、つまり最も常識人だったはずだが、すっかり〈白鹿庵〉に染まってしまったらしい。リポーターは少し悲しくなった。
ともあれ、リポーターの仕事は情報を集めることだ。その解析やら整理やらは事務方とレッジ対策本部あたりがやってくれる。彼女は笑みを浮かべたまま、再び口を開く。
「シフォンさんは、レッジさんが今、ウィルスプログラムに乗っ取られてボスになっているのはご存じですか?」
『はええっ!? そ、そうなの!?』
リポーターのもたらした情報は、彼女にとって初耳だったらしい。驚き、歩速を緩める狐に、情報系バンドの航空機やドローンが殺到する。
「ええい、うざったい蚊共ですね。シフォンさん、もっと急ぎましょう。我々のヘリコプターは追いつけますから!」
『は、はえええ……』
シフォンが再び速度をあげる。並の航空機では彼女の速度には追いつけないし、彼女の周囲で渦巻く乱気流に耐えられない。この日のために高性能なヘリコプターを買ったのだ、と取材陣は意気揚々と追随する。
『おじちゃん、大丈夫かな……』
「レッジさんは普通にバリバリ戦ってるみたいです! 内部で自分のコピー体を倒せば復活できるという話でしたが」
『そっか。おじ——レッジさんもそっちに居るんだよね。逆に好都合かも!』
リポーターから受け取った情報をもとに、シフォンは何やら考える。にわかに勢いを上げた彼女に、リポーターがマイクを向けるが明確な答えは返ってこない。ふと見れば、白の方が割合の多かったシフォンの体が、ジワジワと黒の面積を増していた。
「シフォンさん、大丈夫ですか?」
『大丈夫。ちょっとした副作用みたいなものらしいから……。ええと、レッジさんのところが一番濃度が高いから、近づくほどに術式が強くなって……』
「なるほど! 頑張ってください!」
シフォンは苦しげに呻きながら答える。意識もあまり明瞭ではないようで、時折ふらりと体を揺らし、水面を蹴っていた脚先が沈むこともあった。
「しかし、シフォンさん。どうしてこんなに大きくなっちゃったんでしょうか」
『はええっ? わ、分かんない……』
リポーターが思わずこぼした独り言にも、シフォンが律儀に答える。そんな健気な様子にリポーターも胸を打たれ、彼女を応援する。
「頑張ってください、シフォンさん! レッジさんは今、でっかい城塞になってるので、そろそろ見えてくるはずです」
『はえええっ!? ど、どういうことなの?』
「それは我々が一番知りたいところですねぇ」
シフォンが〈剣魚の碧海〉を駆け抜ける。無数の航空機が彼女を追いかけ、高速ヘリが彼女を目的地まで先導する。その一団は一直線に、激戦が繰り広げられている砂浜へと向かっていた。
「見えました! アレですよ、シフォンさん!」
リポーターが水平線の向こうに影を見つける。巨大な台型のそれは、至る所から黒煙を立ち上らせながら、無数の調査開拓員たちによって侵攻されていた。その内部にも侵入されているらしく、時折内側から猛烈な火柱などが噴き出す。そのたびに緑の蔦が傷を縫うように現れ、瓦礫を掻き集めていた。
「アレがレッジさんです!」
リポーターが真っ直ぐに指を伸ばして言う。
シフォン狐は目を丸くして、眉間に深い皺を寄せてそれを凝視する。
『はええ……』
そして、口から困惑の声を漏らした。
『おじちゃん、どうしてそうなるの……』
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Tips
◇HS-06“コメット”
〈ダマスカス組合〉によって開発された極超音速飛行機六号機。とりあえず飛ばない事には意味がないだろう、という意見を元に、離陸し飛行することを第一目標に据えて開発が進められた実験機。設計部の尽力により、無事に第一目標の要件を満たすことができた。
なお、着陸については考慮されていない。
“とりあえず、飛行時のデータ取りには使えるからヨシ!”——設計部部長
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