第859話「彼を討つ」

 幸いだったのは、レッジがウィルスプログラムに汚染されたという事実が全調査開拓員に周知するだけの時間的猶予があったことだ。汀に直立するレッジは表情をなくしているが、しばらくはそこに立ったままだった。しかし、行動を起こさないうちに神格実体を回収しようと試みたものは、総じて海面に組み伏せられた。


「おそらくおっさんはまだ戦ってるんだ。俺たちの準備が整うまで」

「総力を結しろ。あらゆるリソースは無制限に使用できる」

「T-1、T-2、T-3が作戦本部に揃いました」


 第二拠点の爆発にも関わらず、T-3と“金翼の玉籠”は無事健在だった。しかし、こちらもレッジを抑えないことには目的地である〈白き深淵の神殿〉には辿り着けない。

 指揮官、管理者が総動員され、対レッジ戦の準備が着々と進められていた。


「むぅぅぅう!」


 浜辺に築かれた堅牢な砦の上に立ち、レティがぷっくりと頬を膨らませている。〈白鹿庵〉の他の面々も、レッジが乗っ取られたという報告を受けた直後に現場へ来ていた。

 レティは黒いハンマーをブンブンと振って、鬱憤を晴らす。


「全く、レッジさんたら全く! ここぞというタイミングで乗っ取られるなんて!」

「仕方ないよ。序盤からずっとあの問題を解き続けてたし、同時に何体も“緑の人々グリーンメン”を操作してたし。わたしは多分、レッジが乗っ取られたタイミングでウィルスの攻撃が止まったから助かったけど」


 耳を揺らすレティに対し、ラクトが触媒と矢を確認しながら答える。レッジが陥落したのと時を同じくして、他の調査開拓員たちに対する攻撃は止まった。通信監視衛星群ツクヨミや調査系スキルを有した調査開拓員たちを使い、T-1が調べた結果では、レッジの攻略にウィルスが全ての力を注いでいるという見方が立てられた。


「ウィルスってそういうものなんですか?」

「普通は違うけどね。でも、この場合は集合的な何かなんじゃないかな?」


 トーカは妖冥華の刃紋を確認しながら首を傾げる。ハンマーを振るレティ、術式を整理するラクトと同様に、彼女もまたレッジを殺すために総力を出し切る腹積りだった。


「みんな殺気立ってるわねぇ」


 そこへリラックスした様子のエイミーがやってくる。


「商売っ気の強い人たちも来てるけど。はい、サンドウィッチ売ってたわよ」


 彼女がインベントリから取り出して配ったのは、急造された砦の近くにこれもまた瞬く間に現れた露店街の売り物である。矢弾や触媒、応急修理マルチマテリアル、各種アンプルといった戦闘用物資だけでなく、フルーツサンドや稲荷寿司、レッジ人形焼きなどが販売されていた。


「戦備も急速に整ってますね。ヴァーリテイン初戦よりもやる気出してるんじゃないですか?」


 場所もよかった。視界の開けた広大な砂浜は、大規模な迎撃設備を整えるだけの余裕を持っている。次々と機獣牽引車や航空機が現れ、次々と大量の物資を持ってくると、〈ダマスカス組合〉のクロウリが直々に指揮を執り、大規模な半弧形の砦が造られ始めた。

 さらには指揮官の許可が降りたことにより、特例的に都市防衛設備も配置されている。砦上部にはレールが敷かれ、その上に固定式BB極光線砲を乗せた台車が並んでいる。実弾式近接防御システムは壁面にずらりと並び、機術式狙撃砲は30TB級の大型機術封入弾を次々装填されている。


『皆さんこちらにおられましたか』


 レティたちがレッジを見下ろしながらサンドウィッチを食べていると、背後から声が掛けられる。振り返ると、表情を固くしたウェイドが立っていた。


「ウェイドさん!」


 予期せぬ人物に、レティたちは驚く。管理者がフィールドに出てくるだけで珍しい事態だが、ここは近いうちに激戦が予想されているエリアだ。危険度は桁違いである。


「いいの? 管理者さんがこんな所に来ちゃって」


 エイミーの問いにウェイドは仕方なさそうに肩をすくめる。


『状況が状況ですから、仕方ありません。レッジ対策担当管理者という事で、実地での監視を押し付けられました』

「あなたも大変ねぇ」


 労うエイミーに対してウェイドはやれやれと首を振る。彼女も因果な生まれで、流れるままレッジ関連のあれやこれやに対処する際の担当窓口となってしまっている。彼女が管理する都市シード02-スサノオの意見箱には、直接都市には関係のないレッジに関連する意見陳情も珍しくないのだ。


『まあ、あのレッジですからね。ウィルスプログラムもそう簡単に攻略はできないでしょう』

「はーん。ウェイドさん、妙にレッジさんに信頼寄せてますねぇ」

『ひっ!? そ、そう言うわけでは……』


 レティに鋭い眼光を向けられて、ウェイドがぶるりと震える。彼女は視線をレッジの方へと向けて、早口で喋り出す。


『とにかく、プログラムが完全にレッジを汚染しきるには最低でもあと1時間程はかかると思われます。これは私一人の結論ではなく、他〈クサナギ〉および〈タカマガハラ〉によるレッジ関数の共同演算の結果、算出されたものです』

「どうして中枢演算装置がレッジ関数なんてものがあるのかは、まあ聞かないわ」

「1時間もあるならかなり余裕ですねぇ」

『それがそうでもないのですよ』


 表情を和らげるレティたちに、ウェイドは沈んだ面持ちで答える。


『レッジが抱えている神格実体。あれが本物であった場合、かなり厳しいことになります』

「というと?」

『コノハナサクヤの証言や情報記録を精査したところ、コシュア=エグデルウォンは情報演算能力に特化した調査開拓員であることが判明しているのです』

「まあ、でっかい図書館二つも運営してたわけだしねぇ」


 ウェイドの言っている事はレティたちにも理解しやすいものだ。コシュア=エグデルウォンは〈白き光を放つ者ホーリーレイ〉の記録を後世に伝えるためDWARFを設立し、第一第二両情報記録封印拠点を建設していた。その点からも、コシュア=エグデルウォンが情報の扱いに長けていることは分かる。


『レッジが完全に陥落した場合、それは彼が所持している神格実体も彼に融合している恐れがあります。その場合、彼の強みである並列思考がさらに強化される可能性も』

「へ、並列思考がですか……」

『それだけではありません。インベントリへのアクセス権、テクニックの使用権といったものまで奪取されたら』

「地獄ですねぇ」


 ウェイドが露わにした未来をレティが端的に言い表す。

 だからこそ、全調査開拓員が奮い立っているのだ。


「それに、大半の調査開拓員は回復したのに、シフォンだけはまだ目覚めてないんだよね」


 ラクトは現在も眠り続けている仲間の身を憂う。多くのプレイヤーはウィルスプラグラムの侵攻から脱したが、シフォンだけがいまだに支援機術師たちの元で保護されている。彼女が何をしているのか、それは管理者たちにも分からない。


「戦闘職も続々集まってきてるみたいね。ほら、〈七人の賢者セブンスセージ〉と〈紅楓楼〉が来てるわよ」

「本当だ。〈大鷲の騎士団〉も来てますけど、やっぱりアストラさんの姿はないですね」


 砦の前には戦場が整備され、そこに戦闘職や戦闘系バンドのプレイヤーが集結している。誰も彼もが“あのレッジと戦える”というただそれだけでここに来ている。“レッジを倒した”という事実はつまるところそれだけの名声を得られるのだ。


「レティたちも負けてられませんね。なんてったって、レッジさんを倒すのはレティですから!」


 レティたちがやる気を漲らせる。


「レッジに動きあり! インベントリから何か取り出しました!」

「なんだあれは——あれは、種瓶か!?」

「インベントリ接続してるぞ!?」

「予想より動き出すのが早い! 総員、交戦準備!」


 その時、ふいにレッジが動き出す。彼がインベントリからボロボロと小瓶を海に落とす。それは瞬く間に膨れ上がる。海の水を全て飲み干すように緑が溢れ出す。


『げぇっ!? あれは“蟒蛇蕺”!?』


 それを見たウェイドが目を剥く。その悲鳴が開戦の合図だった。


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Tips

◇実弾式近接防御システム

 都市防壁上に設置される小型機銃。6砲身ガトリング砲により、都市に接近する脅威を瞬間的に排除する。有効射程は狭いものの、最終防衛ラインの要として重視される。


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