第858話「ボスの登場」
『皆様こんにちは! いつも貴方の側に這い寄り中継〈ネクストワイルドホース〉実況リポーターのトラにゃんです! 現在〈鎧魚の瀑布〉南西部にある石塔に来ております。ここには今回の特殊開拓指令における第一重要情報記録封印拠点の作戦支部が置かれています!』
白いスタジオの大画面ディスプレイにスーツを着た猫型ライカンスロープの少女が映る。彼女はマイクを片手に、木々を伐採して開かれた広場を示す。中央に立つ古びた石塔を中心に、その周囲にはテントが並び、情報系のスキルを持った調査開拓員たちが慌ただしく動いている。
作戦支部の様子をひとしきり映した後、カメラは再びトラにゃんへとフォーカスする。
『この作戦支部から少し離れた場所に、神核実体輸送作戦の本体が到達しているのですっが、そこで何やら動きがあったようです。現地リポーターからの通信が途絶えたので、バックアップとして待機していた我々が向かいたいと思います!』
カメラが揺れ、トラにゃんが猛然と木々の枝を飛び越えて進む様子を捉える。彼女の三毛柄の尻尾が大きく揺れるが、小柄な身体は安定していた。
「相変わらず凄まじく滑らかな身のこなしですねえ」
スタジオで司会としてテーブルについている男性のタイプ-ヒューマノイドがリポーターの機敏な動きに感心する。
「トラにゃんさんはああ見えて軽装戦士としても一線級の実力の持ち主ですからね。この程度のフィールドは障害にもならないでしょう」
妙に自慢げに答えるのは、顔の6倍はあろうかというアフロヘアを揺らす女性のタイプ-ゴーレムだ。機体そのものの体格もあり、司会の男性がまるでタイプ-フェアリーのように見えてしまう。
「さすが情報系バンド大手〈ラプラスの箱〉のボヘミア☆ボアボアさんですねぇ。私どものリポーターについてもよくご存知です」
「ふふふ。お褒めいただき光栄です」
スタジオ内で一時穏やかな笑いが起こる。
『ちょっ、ストップストップ! なんか異常があるよ。これ以上近づいたら変なポップアップが出てくる。うん、カメラ望遠にできる? よしよし——』
枝葉を掻き分けて進んでいたトラにゃんが突然後続のクルーたちを制止する。彼女は即座にカメラマンへ指示を送り、数秒間映像が途絶する。
「何かあったのでしょうか?」
「現場で待機していたリポーターも通信が途絶していましたからね。何もないと考える方が愚策でしょう」
「なるほど、流石はボヘミア☆ボアボアさん」
スタジオが会話で間を繋いでいる間に、映像が復活する。画角の変わった映像の中で、トラにゃんが緊張した面持ちでマイクを握っていた。
『えー、スタジオの皆さん聞こえているでしょうか、映像は届いているでしょうか』
「こちらスタジオのボムファイアー、通信状態良好です」
『はいっ! えー、我々は神核実体輸送作戦の本体が地上へ出てくる予定の石塔へ向かっておりました。しかし、石塔の100メートルほど手前で謎の計算問題が突然現れました。異常事態と判断してその地点より後方に留まっております』
「おっと、それは大変ですね。現場の様子は見えますか?」
『望遠透視レンズに切り替えましたので、オートキャリブレーションが終了し次第、現場を確認してみましょう』
画面のピントがボヤけたり定まったりを繰り返す。映る光景がしばらく変遷した後、再び鮮明な映像が現れた。
『オートキャリブレーション完了しましたぁ』
『了解です。——えー、スタジオのボムファイアーさん、映像見えていますでしょうか?』
「はい、くっきりと見えております」
『では、これより透視機能を発動しながらズームして現場の様子を見てみます』
トラにゃんの合図でカメラがズームを始める。木の幹が画面を覆い尽くすが、数秒かけてそれが溶けるように消えていき、後ろにある風景を写す。そこには森を開いて整備された長い滑走路、そこで黒煙を上げる先鋭形の飛行機、そして死屍累々の調査開拓員たちとグレムリンの群れがあった。
『おおっとこれはぁ!? どうやら現場ではグレムリンとの戦闘が発生していたようです! あそこで煙を上げているのは神核実体を輸送するはずだった“シューティングスター”でしょうか? ジェットエンジンが破損しているようです! その近くにあるのは、おそらく〈白鹿庵〉のレッジさんのテントでしょう! よく見たら“
状況を確認するなりトラにゃんが怒涛の勢いで捲し立てる。状況を認めて、スタジオ内も騒然となっていた。
「思ったより緊急事態だ! 各所に報告、情報を送れる!」
「特派員の準備を! 戦闘装備は最大限に!」
「うぉっしゃおっさんんん! おっさん情報対策室に連絡取れ!」
特に、画面の中にレッジの姿を認めたボヘミア☆ボアボアは様子が豹変していた。彼女は椅子を蹴って立ち上がると、スタジオの奥に待機していたバンドメンバーに指示を送る。すぐさまいくつもの機材を抱えた人員がスタジオを占拠し、情報の解析を始める。
「緑の人々の数が多いな。おっさんも結構本気出してるってことか」
「機術師もかなり盛大にやってるな。他のメンバーは何やってるんだ?」
「テントは多分“鱗雲”だ。くそっ、また改造してやがるな」
「外見から性能概算出せ。データベースと照合して、あとネヴァの最近の動向も確認しろ」
〈ラプラスの箱〉レッジ情報対策室の人員は迅速に解析を始める。その結果、弾き出されたのは現場の状況の危機レベルである。
「これはキッツいぞ。おっさんレベル4だ!」
「レベル4!? くそ、レイドボスが徒党を組んで来てるってのかよ」
白いシンプルなスタジオが物々しい機材が埋め尽くし、切迫した声が飛び交う。それに呼応するように、配信サイトでカウントされる視聴者数とコメントも勢いよく上昇していく。
◇俺はリスナー
おっさんレベル4って久しぶりじゃないか?
◇俺はリスナー
前に出たのはコシュア=エタグノイの時か
◇俺はリスナー
個人の動きが全体の危険度指数になるのいまだによく分からんなぁ
◇俺はリスナー
グレムリンが地上で暴走してるって感じか
◇俺はリスナー
無策で突っ込んだら終わりっぽいな。とりあえず算数ドリル解いとくか
コメント欄が盛り上がり始める中、現場でも状況が動く。レティやトーカが現れ、グレムリンと戦い始めたのだ。更に、しばらくしてスタジオに急報が入る。
「おっさんから組合に何かしらの受注が入ったようです!」
「品目確認急げ!」
「〈スサノオ〉飛行場から“メテオシューター”がスクランブル発進! 積載物は不明ですが、方角はおっさんです!」
「追え追え追え!」
〈ネクストワイルドホース〉が各所に張り巡らせた情報の網に注目すべきものが掛かった。ディレクターの指示を受け、各所が慌ただしく動き出す。
直後、画面で巨大な爆発音が響いた。
「なんだ!?」
『ほっぎゃ!? えわ、えわ、どうやら何かが上空で爆発したようです! おっと、レッジさんが動きました。何やら森の方に——。おっと、何かコンテナが落ちています。あのマークは〈ダマスカス組合〉のものですね!』
カメラが木々を透視し、その向こうに落ちているコンテナを捉える。レッジとレティがそれを開き、中から銀色の金属板を取り出した様子もしっかりと映っていた。
「反射構造壁だ! おっさん何かやらかすぞ!」
「情報集めてアップロードして!」
「何が起こっても不思議じゃない!」
スタジオはもはや、穏やかな情報番組の体をなしていなかった。本来はカメラに映ってはいけないはずの後方人員も慌ただしく駆け回り、奔走する。
◇俺はリスナー
おもしろくなってきたな
◇俺はリスナー
盛 り 上 が っ て ま い り ま し た
◇俺はリスナー
おっさんが爆撃要請したのかと思ったぞ
◇俺はリスナー
おっさんなら要請しなくても爆撃できるだろ
◇俺はリスナー
反射構造壁is何
◇俺はリスナー
見てればわかる
◇俺はリスナー
インチキ物理法則の塊だよ
コメント欄も盛況である。
現地のカメラマンはレッジの一挙手一投足を逃すまいと捉え続け、彼の動きをスタジオに送る。それをもとに〈ラプラスの箱〉の面々が情報の分析と予測を行っていた。
「一体何をやるってんだ……」
「イベントの行く末が決まるぞ……」
全員が固唾を飲んで見守るなか、銀色の鉄板が地面に置かれる。その上にレティが乗り、奇妙な動きを始めた。どうやらレッジの指示を受けての行動のようだ、という点はスタジオの面々も理解したが、その行動の意味するところは分からない。
ぽかんと間の抜けた沈黙の中、レティの動きは続く。その後、レッジがおもむろに神核実体の収められたケースを抱え、スタジオは再び蜂の巣を突いたような騒ぎになる。
「重要アイテム取りました!」
「あの動きの意味を調べろ! 〈解読〉スキルカンストの奴いるか!?」
「分かりました! あれ、オブジェクト干渉バグの動きです!」
「はあああっ!?」
画面の中、レティがブルブルと震え始める。徐々に加速していくその動きは、とても自然な挙動とは思えない。追加の人員がスタジオに駆けつけ、動きを確認する。
「間違いない、あれはオブジェクト干渉バグだ。移動モーションの強制力を使って、足元のオブジェクトに食い込んでる」
「何が起こるんだ?」
「分からんが、おそらくあの反射構造壁が肝だぞ」
さあ、次は何をするのだ。全員がレッジたちを見る。数万の視聴者が注視しているとは露も知れず、レッジは神核実体の入ったケースを抱えて背中を曲げる。そして、彼をレティがハンマーで打ち出した。
『と、飛んだぁぁああああっ!?』
『カメラ急げ捉えろ画面から逃すな!』
映像がブレながらも高速で地面スレスレを飛ぶレッジを追いかける。彼の動きに誰もが驚愕する最中、突如彼の軌道が直角に変わる。
「打ち上がった!」
「誰だ!? エイミーだ!」
「鏡威流のリスト!」
情報が更新される。しかし、それすら追いつかない。
「鏡威流、三の面、『反射鏡』」
読唇術が可能なスタッフがエイミーの言葉を追いかける。
「そんなもんリストに載ってないぞ!」
「ここに来て新技覚醒かよ!?」
悲鳴にも似た声がスタジオを埋める中、レッジとエイミーは互いに反発し、それぞれの方向へ吹き飛ぶ。輝く軌跡はまるで彗星のようで、彼らは唖然としてそれを見守るしかなかった。
音速に迫る速度で飛ぶレッジを見て、ディレクターがいち早く復帰する。
「潜水部隊に付いてるリポーター出せ!」
「準備できました。映像変わります!」
ディスプレイの映像が切り替わる。横方向からカメラが追っていたレッジが、新な画面ではカメラの真正面に迫ってくる。
『総員退避! 退避ーーー!』
『おっさんが降ってくるぞ!』
現場は既に混沌としていた。突然空の一角でキラリと何かが輝いたかと思えば、身を丸めたおっさんが高速で飛来するのだ。
砂浜に展開された部隊は、崖上から降ってくるおっさんの被害を避けようと緊急避難を始める。
『——ぅぅぅぅぅうううらあああああっ!』
号砲のような轟音。水柱は天高く立ち上がり、白い砂が舞い上げられる。
潜水部隊が呆然と立ち尽くす。そこへ、全身濡れそぼったレッジが、神核実体のケースを抱えて海中から現れた。
『おっさん?』
『おっさんだ……』
『親方、空からおっさんが……』
『晴れ時々おっさん?』
『なんでおっさん?』
現場は困惑しきっていた。
当然である。
しかし、状況はそれだけで終わらない。レッジは彼らを見渡した後、申し訳なさそうに片手で手刀を切る。
『申し訳ない。俺、乗っ取られました』
『————は?』
次の瞬間、レッジの機体は糸が切れたように崩れ落ちる。そして、再び起き上がった時、彼の柔和な表情は消えていた。
「あらゆる手段で情報を広げろ! おっさんがボスだ!」
「〈奇竜の霧森〉沿岸部でレイドボス発生! おっさんが暴走するぞ!」
「知る限り全ての戦闘人員を引っ張ってこい!」
「下手すりゃ町がいくつか壊滅するぞおおおおおっ!」
その日、調査開拓員たちは絶望した。
第5回〈特殊開拓指令;古術の判読〉の最終盤にて、ボスが現れた。
その名は調査開拓員レッジである。
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Tips
◇望遠透視レンズ
撮影機材製作専門バンド〈百景堂〉によって製作された特殊機術レンズ。使用に〈支援機術〉スキルと〈操縦〉スキルを要するが、物体を透過して撮影することができる。
“我々は新たな撮影の境地へ至るため、このレンズを開発した。決して、少しも、微塵も、邪な気持ちはない。なので、ハラスメント通報だけはやめてくださいお願いします。”——〈百景堂〉精密レンズ開発部部長
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