第855話「食卓を囲んで」

 気がつくと、どこまでも広がる水面の上に立っていた。


「ふむ……?」


 よく分からないけれど、何かが起こる。妖冥華の柄に手を当て、いつでも引き抜けるよう腰を落とす。瞳を閉じて、神経を尖らせる。前方10メートルに、何かの気配。


「『迅雷切破』ッ!」

『きゃああっ!?』


 反射的に斬る。返ってきた悲鳴が私自身に似ていた気がするけれど、切ってしまったものは仕方がない。全身に技の反動である痺れを感じながら瞼を上げると、私と全く同じ姿形をしたものが体を真っ二つに切られて倒れていた。

 彼女が無念そうに事切れた瞬間、私の意識も混濁する。


「——復活!」


 そうして、私は再び意識を取り戻した。



「は、はええ……」

『はえええ……』


 突然見知らぬ綺麗な場所で目が覚めたかと思えば、目の前にわたしと瓜二つの女の子が立っていた。お互いに呆然として突っ立っている。


「ええと、綺麗な場所ですね?」


 状況が分からないなりに、彼女に話しかけてみる。偽シフォンとでも言うべきその女の子は、白い狐耳をピコンと動かしふさふさの尻尾を揺らして頷いた。

 どこまでも広がる果てのない青色の世界だ。足元には薄く水が張っているのか、歩くと波紋が広がる。どこかで見たような気もするけれど、何かのアニメのオープニングとかだろうか。


「何をどうしたらいいんでしょうか?」

『ええと、多分、どちらかが片方を倒せば、勝った方が現実に戻れると思います』

「はええ……」


 つまり目の前に立つ彼女は敵ということだ。わたしの機体を乗っ取っていた人だろうか? それにしては、随分とおとなしい気もする。

 戦った方がいいのかな。でも相手も戦意はなさそうだしな。と困惑していると、向こうのお腹が可愛らしい声を上げた。


「えっと、稲荷寿司食べます?」


 わたしはインベントリが開けることを確認して、常備している稲荷寿司を取り出した。彼女はそれを見て目をキラキラと輝かせる。見た目はまったく一緒だけれど、インベントリを開いてアイテムを取り出すことはできないらしい。

 恐る恐る近づいて、稲荷寿司の入った小さな寿司桶を差し出す。彼女も恐る恐る手を伸ばして、黄金色の稲荷寿司を一つ手に取った。


『はむっ。……おいしい!』

「そうでしょう? おじちゃ、レッジさんが作ってくれたんだよ」


 モデル-ヨーコの厄介なデバフ“消魂”を相殺するためには稲荷寿司を定期的に食べないといけない。本来はもっとカルマ値の高い稲荷寿司もたくさんあるんだけど、ちょっと我儘を言っておじちゃんに作ってもらっていた。わたし好みの味付けをわざわざ調整してくれた、特別な稲荷寿司だ。彼女の舌にも合ったようで、四つあったのがすぐになくなってしまう。


『ごめんなさい。全部食べちゃって』

「いいよいいよ。まだいくつか持ってきてるし——あれ?」


 しょんぼりとする彼女に笑って首を振る。そうして残りを確認しようとインベントリを開いて、驚いた。


『どうしたの?』

「稲荷寿司の数が減ってないの」

『ええっ!?』


 確かにインベントリから1セット取り出したはずなのに、稲荷寿司の数が変わっていない。試しにもう一個取り出してみるけれど、また減らなかった。

 これは一体……。この不思議な世界と関係があるのだろうか。


「よく分かんないけど、稲荷寿司が食べ放題みたいだよ。よかったらもっと食べる?」

『いいの!?』


 彼女も四つだけだと足りなかったらしい。わたしは思わず笑いながら、稲荷寿司を取り出す。


「他にもお弁当は持ってきてるんだ。こっちは焼きそばだよ。おじちゃん特製のシンプル焼きそば」


 なんでこんな適当な料理がいいんだ、とおじちゃんは困惑するけれど、わたしはフィールドに出る時はこの焼きそばも一緒に持っていっている。稲荷寿司は“消魂”を抑えるための薬みたいなイメージだし、腹ごしらえには焼きそばのほうがよかった。このキャベツと豚肉と青のりと紅しょうがだけ、隠し味に少し七味が振りかけられている焼きそばが大好きなのだ。


『わぁい焼きそば! 焼きそば大好き!』

「やっぱりわたしと一緒なんだねぇ。よく分かんないけど、食べよっか」


 本来、彼女は敵らしいけれど。何となく戦う気になれなくて一緒にごはんを食べる。誰かと一緒にごはんを食べるのは、とても楽しい。しかも、今日はいくら食べてもなくならないのだ。


「あ、焼きそば稲荷もあるよ。こっちも美味しいんだ」

『わぁい!』


 おじちゃんが作ってくれた、ごはんの代わりに焼きそばが詰まった稲荷寿司も出す。少し変わった味だけど、これはこれで結構美味しいのだ。


「あなたはどういう人なの? グレムリンと何か関係はある?」

『ええと、あまり詳しいことは分からないんだけど……』


 焼きそばを食べながら、ついでに少しお話しもしてみる。彼女のことはまだ何も知らないから。けれど、彼女も自身のことがよく分かっていないみたいで、戸惑いながら少しずつ言葉を出していく。


『元々は、[Giiii]汚染術式で——』

「ま、待って! なんて言ったの? 汚染術式の前が聞き取れなかったよ」

『[Giiii]汚染術式だよ』


 彼女が繰り返してくれるけれど、何だかノイズが酷くかかっていて聞き取れない。とりあえず、汚染術式ということは分かった。それは、第零期先行調査開拓団の有機外装を襲ったものだ。それに侵蝕された調査開拓員は黒神獣に変化する。


「つまり、あなたは汚染術式?」


 彼女は頷く。


『元々はね。それが、多分グレムリンによって加工されたんだよ』

「はええ……」


 つまり、わたしは今、黒神獣に変貌してしまうような危険な術式に侵されているということだろうか。とても、目の前に座る彼女がそんな危険な存在とは思えないけれど。


『元々有機外装向けの術式を、機械人形のためにフォーマットし直してるから、本来のものほどの毒性はない——と思う』

「そうなの?」

『わたしもログを読んでるだけだから、よく分かんないけど……』


 彼女はそう言って申し訳なさそうに眉を寄せる。


『元々は個体の区別もなかった術式だったけど、この世界で構築される時にあなたの自我をそのままコピーしたみたい』

「なるほど。だから外見が一緒なんだね」


 事情を聞いていくうちに、向こうのことも少し分かってきた。


「黒神獣を生み出すのはそのナントカ汚染術式なんだよね。それで、ええと、〈白き光を放つ者ホーリーレイ〉と第零期先行調査開拓団は黒神獣に滅ぼされてて——。つまり、グレムリンが元凶?」

『うーん。わたしもわたしになる前の事はほとんど分からないんだ。でも、違うと思う。グレムリンは術式を加工することはできても、術式そのものを作ることはできないと思うし』

「そっか。じゃあ、なんなんだろ。——そもそも、グレムリンとドワーフの関係もよく分かってないんだよね」


 イベントの大部分はおじちゃんたちトッププレイヤーの皆さんが主軸となって進めていた。わたしはそれに着いていくのに精一杯だったけれど、おじちゃんたちの側で情報は色々と知ることができた。

 その中で、一つ大きな謎があった。ネセカさんたちドワーフの存在だ。彼らはコシュア=エグデルウォンに仕える者と言っていたけれど、コシュア=エグデルウォンは彼らを認めていなかった。


『ドワーフはグレムリンだよ?』


 むんむんと唸っていると、彼女がきょとんとした顔でこちらを向く。


「えっ?」


 ぽろりと呆気なく明かされた新事実に唖然としていると、彼女はさらに続ける。


『あの地下で何百年も暮らしているうちに、コシュア=エグデルウォン側についたのがドワーフだよ。グレムリンは元々[Giiii]側だったけど』

「はええっ!?」


 どこのwikiにも掲示板にも書かれていないような情報だ。相変わらずノイズ部分は聞き取れないけれど、十分すぎるほどだ。まさか、こんなところでわたしが攻略組みたいな成果を上げてしまうなんて。


『ごはん美味しかったから、教えてあげる。ありがとうね』

「はえっ!? いや、わたしこそ感謝したいくらいで……」


 彼女が立ち上がる。何をするのかと疑問に思っていると、彼女は徐に攻性機術を発動し、氷の短剣を手に握った。


「はえっ!?」

『大丈夫。あなたは殺さないよ。そもそも、殺せないよ』


 そう言って彼女は笑う。その表情に悲しいものを感じて、わたしは咄嗟に手を伸ばす。


「だめっ!」


 氷の刃が、彼女の喉元に触れる。青い血が一筋流れていた。わたしは彼女の手首を掴んで、刃がそれ以上食い込まないように抑える。


『わたしが死なないと、あなたは現実に戻れないよ』

「そんなわけない! 何か方法があるはず——。きっと——」


 諦めた目をこちらに向ける。彼女の力んだ腕を阻みながら、必死に考える。考えて、考えて、思いつく。


「あなた、術式なんだよね?」

『——そうだけど』


 それがどうした、と彼女が首を傾げる。彼女の腕の力が抜けていた。


「頑張れば、一緒に助かるかもしれないよ!」


 困惑する彼女に向けて、わたしは言った。現実に戻るのは、まだ少し後のことだ。


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Tips

◇焼きそば稲荷

 寿司飯の代わりにシンプルなソース焼きそばを詰め込んだ変わり種の稲荷寿司。食べやすいように具材が細かく切られていたり、味付けがお揚げと合うように調整されていたり、芸が細かい。

 食べると元気が出る。

 推定カルマ値+600

 “じゅんわりと味の染みたおあげにソース味の焼きそばという異色の組み合わせじゃが、これがなかなかマッチしておる。シャキシャキしたキャベツやブタ肉の食感も良いアクセントになっておるのう。紅生姜は見た目にも彩りを与えてくれる、よい名脇役となっておるのじゃ!”——T-1


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