第854話「己との闘い」
瓶が割れる。ガラスの破片が飛散し、光の粒となって消えていく。濃緑の栄養液と、植物の種子が合流する。種子は栄養液を貪欲に吸収する。硬い殻を破り、柔らかな芽が顔を出す。
「『強制萌芽』“
植物の成長速度が加速する。蔦が伸び、互いに絡まり、形を作る。それはタイプ-ヒューマノイド調査開拓用機械人形と同程度の体格にまで成長し、おもむろに両手を地面に沈めた。
「『連鎖栽培』“龍牙竹”、“小刀茸”」
別の植物が成長する。それは真っ直ぐに伸びて鋭く尖った竹と、小振りな短刀のような形をした茸だ。その二つを持ったところで彼らは〈風牙流〉を使えないが、こちらの方が扱いやすい。
「レッジ、そろそろ限界だよ!」
「任せろ。こっちもちょうど準備が終わったところだ」
植物戎衣を備えた植物の兵士たちが立ち上がる。その数は1ダースをひとまとまりとして10個、総勢120人とちょっとした軍勢だ。直立させるだけで、脳神経が火花を散らすのを感じる。俺は深呼吸を繰り返し、彼らの動きを最適化していく。
「ラクト、俺本体は無防備になるからな」
「了解。レッジの事は何が何でも守ってあげるよ」
ラクトが俺を厚い氷で包み込む。広がる冷気が頭を冷やしてくれる気がした。
「あばばばばっ!」
「さあ、勝負だレティ!」
暴走したレティが黒いハンマーを掲げて飛び込んでくる。緑の人が潰されるが、すかさず別の者がレティに襲い掛かる。ついに暴走した機械人形との戦闘も始まった。
「あばらっ!」
「ぐっ!」
レティがハンマーを一薙ぎするだけで、緑の人々が面白いように飛んでいく。元々が植物である以上、その耐久力はお察しだ。しかし、彼らの持ち味は集団としての力と、脅威的な再生能力である。千切れた者も、大地の栄養を吸い取って蘇る。
「ふんばらっ!」
レティは我武者羅に武器を振るっている。彼女本来の戦闘勘は皆無で、その点で言えば戦いやすい。俺は彼女に1ダースの戦力を割いて、その体を包み込むように拘束していく。
「うばああああっ!」
「くっ。流石のばか——怪力だな!」
暴走レティの脅威は、その剛腕だ。ブルーブラッドを腕力に極振りし、装備も戦闘力の強化に偏重させた彼女から繰り出される破壊力は圧巻の一言だ。ハンマーを地面に叩きつけるだけでクレーターが発生し、少なくない数の緑の人々が吹き飛ばされる。
それなのに、俺が相手しなければならない敵は彼女だけではないのだ。
「はははははっ!」
瞬時に6体以上の緑の人々が両断される。藁束を切るような軽快さで武装した彼らを切り落としたのは、暴走状態のトーカである。
「はあっ!」
彼女も普段戦闘の中心に据えている抜刀系テクニックこそ使ってこないが、その鋭利な大太刀をブンブンと振り回している。緑の人々との相性で言えば、レティよりもトーカの方が脅威かもしれない。
「——『貫く堅氷の矢』!」
「ぐわーーーっ!?」
しかし、不利な敵は彼女が対処してくれる。
俺を包む氷壁の上に陣取ったラクトは、短弓に矢を番えて次々と放つ。トーカは胸に矢が突き刺さり、じたばたともがきながら地面に倒れた。
それだけではない。ラクトはテントを中心に背の高い氷の城壁を作り上げ、群がるグレムリンと暴走した調査開拓員たちの侵攻を阻む。当然、俺と彼女も依然として操作権を奪取しようとする電子攻撃も受けている最中だ。彼女は難解な問題を瞬時に解きつつ、アーツを複数展開していた。
「俺が言うのも何だが、ラクトも大概だな」
「レッジも自覚が出てきたね」
第五回〈特殊開拓指令;古術の繙読〉の評価はあまり良くないだろう。ここまでのフェーズはお祭りのようで楽しめていたが、ここにきて並列思考が求められるとは。ラクトが運営に召集され、その能力の解析を受けたのは、このイベントの布石だったのかもしれない。
「ららららっ!」
緑の人々の包囲を吹き飛ばして、レティがこちらへ向かってくる。俺は即座に動ける緑の人々を彼女に向かわせる。
「らりるっ! れろっ!」
「なにっ!?」
瞬間、彼女の振り下ろしたハンマーが地面を割る。亀裂が入り、そこに緑の人々が落ちていく。
「〈咬砕流〉!? テクニックが使えるようになったのか!」
どうやら、時間が進むと機体に忍び込んだ病魔も深刻化していくようだ。
「あははっ!」
胸に矢が刺さったまま、トーカが起き上がる。彼女は刀を上段に構え、切先を真っ直ぐにこちらへ向けてきた。
「あはははははっ!」
凸。
一点に集約された突撃が、氷の城壁を貫く。
「うっそでしょ!? 何十GBだと思ってるの!」
その衝撃にラクトも同様を隠せない。彼女の思考がわずかに揺らぐ。
氷の牙城が砕け、溶けていく。無数のグレムリンと正気を失った機械人形たちが、武器を掲げて飛び込んでくる。緑の人々の再生も追いつかない。
いよいよ終わりを覚悟したその時だった。
『アンチウィルスプログラムのプロトタイプが完成したのじゃ!』
福音のような声が響く。T-1が両手を上げていた。
「ばら撒け!」
『全調査開拓員に強制インストール! 強制シャットダウン後、即座にリブート! ウィルスキラープログラム実行なのじゃ!』
勢いよく迫っていた調査開拓員たちが一斉に崩れ落ちる。完成のまま地面に転がり、目を閉じる。
「T-1、レティたちはいつ頃起きるんだ?」
『ぬぅ。ウィルスプログラムを仮想敵モジュールに変換して、攻性防壁システム内部で消滅させる処理をしておるのじゃが……。端的に言えば自分と全く同じ姿性能をしておる敵に勝てれば目が覚めるのじゃ』
「それはどれくらいかかるんだ!」
『個々の強さによるのじゃぁ』
プロトタイプ故、T-1にも分からないらしい。
つまり、俺とラクトはレティたちが起きるまでまだ暫く二人で耐え続ける必要が——。
†
「——おや?」
目を覚ますと、そこは限りない水平線の広がる場所だった。足元では水のように波紋が広がるけれど、しっかりとした地面の感触もある。太陽もないのに明るく、何もない空中で時折ノイズが走っている。
覚えているのは、言うことを聞かない体。レッジさんに似た植物人間と戦っていたこと。
『正規主幹プログラム発見。破壊』
「どわっ!?」
突然、自分に似た声がした。直後、黒い影が頭上から降ってきて、見慣れたハンマーが飛沫をあげた。
「わ、レティ!?」
『破壊』
それはレティだった。赤い髪も、赤い瞳も、黒いハンマーも、全て今のレティと全く同じものだ。彼女はそれを振るい、こちらを殺そうとしてくる。
「なるほど、そういうことですか」
つまり、自分との戦いというわけだ。
これに勝てれば、レッジさんの元へ戻ることができる。そうであれば、ここで立ち止まっている暇はない。
「ただの
猛然と走り寄ってくる偽者に、ハンマーを向ける。
緊迫した状況ながら、さほど緊張も心配もしていない。彼女はこちらとおなじ能力、同じ力を持っている。けれど、同じ技は持っていない。
「レティのような攻撃力偏重の相手に速攻を仕掛けるのはまあ良いでしょう。ですが、真正面から来るのは愚策です。タイプ-ライカンスロープの機動力を活かして相手の視界から外れ、死角から不意を突くのが正道です。何故なら——」
ハンマーを引く。腰を溜め、力を集める。腕の人工筋繊維が膨張し、軋む。
「動けば、ぶれます」
だん、と重く鈍い音。
レティ程度の装甲であれば、ただの打撃だけで十分。攻撃力極振りの弊害で、レティの防御力は紙のように心もとなく、その機動力は咄嗟の回避に役立つほどのものではない。
自分と戦うというのは、昨今のゲームではよくある展開と言われているけれど、自分のことは自分がよく分かっている。自分を倒すことが、この世で一番簡単だ。
「待っててください、レッジさん!」
†
「お待たせしました、レッジさん!」
「はやっ!? まだ3秒も経ってないぞ!?」
覚悟を決めた直後、レティがぴょこんと立ち上がる。あまりの速度に、俺もラクトもT-1でさえも目を丸くしている。そんな周囲の反応にも関わらず、レティは早速ハンマーを振り回してグレムリンを吹き飛ばした。
「レッジさんを待たせてるのに、レティが寝坊するわけにはいきませんからね!」
彼女は満面の笑みを浮かべて、軽快なステップでハンマーを旋回させた。
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Tips
◇アンチウィルスプログラム
第五回〈特殊開拓指令;古術の繙読〉において、突如調査開拓員に侵蝕した詳細不明の異常プログラムに対応するため、応急的に作られたプログラム。通信監視衛星群ツクヨミを通じて、全調査開拓員に強制インストールされた。
侵蝕する異常プログラムを仮想敵モジュールとして拘束し、実体を与える。同時に正規主幹プログラムにも仮想モジュールを展開し、プログラム的演算空間内部に特殊サンドボックス領域を作成、そこで異常プログラムの除去を行う。問題として、仮想敵モジュールは大部分が正規主幹プログラムのコピー体となっているため、異常プログラム除去には調査開拓員自身の技量が必要となる。
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