第851話「緩慢な世界で」

 第二重要情報記録封印拠点。第十二階層。


『さあ、愛です! 大いなる愛で、溢れんばかりの愛で全てを包み込むのです!』


 “金翼の玉籠”の上に立ち、黒い着物を装った少女が両手を大きく広げている。彼女の前髪から覗く瞳は怪しく光り、白い頬は熱を帯びていた。彼女は神輿を担ぐ調査開拓員たちに檄を飛ばす。


『ラブ! アンド——ほぎゃあ——!!!』


 その直後、通路の奥から迫った強烈な青の光が集団を包みこむ。爆風と爆音が渦巻き、固い壁の中で縦横無尽に駆け巡る。


「聖儀流、三の剣、真髄、『神識』」


 その爆風が及ぶ寸前、彼は咄嗟に時間を引き伸ばした。流麗な“発声”と完璧かつ最小限の“型”は、その爆発が発生するよりも早く行われた。彼は異常と言うべき天性の直感によって、思考というプロセスを経ずに最適な行動を起こしていた。


「さて、大変なことになったな」


 彼の周囲では、仲間たちが徐々に驚愕の表情へと変わり始めている。知覚できる時間分解能を数百倍にまで拡張することで、彼は疑似的な時間遅滞能力を得ていた。緩慢に遷移する世界の中、彼だけが自由に歩くことができる。

 彼の目の前では、青い爆風に目を丸くして大きく口を開けている少女が見える。彼女と、彼女が乗っている神輿の中身が第一の保護対象である。まずはそれを安全な領域まで運ぶ必要があるが、それほどの猶予はない。


「こう言う時、レッジさんならどうする?」


 彼は自問自答する。自身の脳内に生み出した、彼の敬愛する人物に問いかける。


『爆風でも壊れない、頑丈な場所に避難させる。そんな場所がない? いくらでもあるだろ』


 はっはっは、と男が笑う。その陽気な声を想像して、彼もまた口元を緩めた。


「ああ、いくらでもある。方法なんて」


 彼は背負っていた剣を引き抜く。“楔断つ銀の光ホーリーレイ”は幾度もの強化を重ね、彼のバンドが保有する総資産に匹敵するほどの費用をつぎ込んだ、間違いなくこの星で一番の業物だ。その耐久力は不壊と言っても過言ではない。


「聖儀流、四の剣、真髄、『神暴』、重ね、五の剣、真髄、『神滅』」


 彼は流れるように技を重ねる。

 数秒間、彼は無限に等しいLPを得る。数秒間、、彼は数十倍の力を得る。それは、死後新たな機体へと乗り移っても続く強烈な代償と引き換えだ。


「『時空間線状断裂式切断技法』」


 彼は剣に時空を纏わせる。

 空間が歪み、光が湾曲する。その銀に輝く切先で壁を切る。どんな方法でも破壊できないはずの堅固な構造壁が、まるでチーズケーキのようになめらかに切り取られる。壁の向こう側にあるのは、この拠点を管理する者が使用する秘匿通路だ。その狭い空間に、彼は未だ驚愕の表情を浮かべ続けている指揮官を放り込む。


「流石に神輿を丸ごとは無理だな」


 空間は小さく、玉籠は大きい。彼は剣を握りなおすと、長い担ぎ棒を切り落とし。コンパクトにする。金に輝く翼のようなビキニアーマーは、その状態でも効果を維持していた。

 神輿を壁の穴に押し込み、彫像のように固まったままの調査開拓員たちも順次放り投げていく。

 彼の体感で2分ほど。彼以外の時間で、1秒にも満たない刹那の出来事だ。

 彼は丁寧に切り取った壁を再び穴に嵌める。わずかな隙間はできてしまうが、その程度なら問題はないはずだ。


「さて、後は……」


 これで守るべきものは守ることができた。しかし、状況は依然として悪い。この状況では、数十秒後には第一拠点の方へ有機外装が向かうだろう。あそこには〈白鹿庵〉が居るとはいえ、相性が悪い。そもそも閉所での戦闘というものが難しいのだ。彼らでは、敵を完全に仕留めることはできないだろう。


「となると助太刀しないと。けど、具体的にどこにいるかは分からない。うーん」


 困ったなぁ、と青年は眉を寄せる。考えているうちに、時間は刻一刻と迫っている。

 彼はずらりと並んだ自慢の仲間たちを眺める。誰も彼も真剣な顔で、今もゆっくりと迫る爆風に対して素早い反応を見せている。本当に、素晴らしい反応速度だ。とはいえ、それも爆発が起こる前から反応できなければ遅いのだが。

 彼はしばらく迷った末に、一人を選ぶ。ローズゴールドの髪色をした少女。彼の妹。


「『完全感覚共有フルデータリンク』」


 〈指揮〉スキルレベル90のテクニック。未だ、彼以外に習得者は発見されておらず、またその特性から耐え得る者が片手で足りるほどの、非常に扱いが難しい技だ。彼は妹の肩に手を置き、テクニックを使用する。


「——ぅいん防御姿勢っ!」


 次の瞬間、彼女の時間が青年と同期する。機敏に指揮を下していた彼女は、周囲の様子に違和感を覚えて困惑する。そうして、目の前に青年が立っているのを見て色々なことを察したようだ。


「何やってんの、兄貴」

「色々間に合わなさそうだったから奥の手を使った。T-3と神核実体は壁の中に入れたから多分問題ないよ。後はレッジさんのところまで道をつなげて、ついでに有機外装を完全破壊したい」


 兄の色々と重要なところは省いた説明に、少女は肩をすくめる。彼の常識はずれな行動は今に始まった事ではない。なぜ時間が停止しているのかという問題は、色々片付いた後にでも聞けばいい。悪い意味で、彼女は慣れてしまっていた。


「私は何をすればいいの?」


 単刀直入に尋ねる。青年は嬉しそうに爽やかな笑みを浮かべ、口を開く。


「エコーロケーション」

「バカ兄貴! 私は人間なんだけど!」

「俺だって人間なんだけどなぁ」


 即座に言葉のナイフを投げる妹に、青年は心外そうに言う。


「アイは大声で叫んでくれるだけでいい。でも、統合管理室を通って第一拠点のレッジさんの所まで届くくらいで」

「バカじゃないの? バカでしょ。バカよ」

「3回も言わなくたっていいじゃないか。できるだろ?」

「鼓膜破れても知らないから」


 時間はもう迫っていた。

 少女は色々と込み上げる文句を押し込んで、喉を動かす。


「なんて言えばいいの?」

「なんでもいいよ。レッジさん大好きーとか」

「バカ兄貴!」

「なんなら“愛を込めてDear——」

「今すぐ死ね! ていうか忘れろって言ったよね!」


 少女は腰のレイピアを引き抜き、青年の喉元に突き付ける。彼はくつくつと笑って謝罪する。


「できるだけ高い声がいいかな。それ以外はなんでもいい」

「分かった……。届く保証はないからね」

「きっと届くさ。アイが願えば」

「歯の浮くようなセリフばっか」


 少女はふんと鼻を鳴らし、胸を大きく膨らませる。空気を吸い込み、そして吐き出す。少しずつ、溜め込む空気を増やしていく。


「『不屈の精神』でLP枯渇後10秒は生き残るから。その間に叫んでくれ。後は流れでなんとかする」

「はいはい。死体は拾わないからね」


 その短い会話を最後に、停滞していた時間が動き出す。


『——あああっ!?』


 壁の向こうから指揮官の悲鳴が聞こえる。爆風が迫る。爆音が耳を貫く。“銀翼の団”の面々は身を捩り行動を起こす。彼らの目が青年を捉え、わずかに揺れる。青い光が膨らむ。少女の胸が膨らむ。彼女の喉が締まる。その唇が震える。

 空気が震える。


「——ァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」


 音だった。

 意味はなく、思いはなく、ただ空気を揺らすだけの波。調査開拓用機械人形の可聴域ギリギリの甲高い音だ。金属を擦り合わせたような澄んだ音だ。

 それを発する少女の喉が裂ける。青い血が噴き出し、音が少し濁る。それでも発声は途切れない。


「——」


 彼女の隣に、無音の青年がいた。

 彼は身を屈め、剣の柄に手を添えていた。目を閉じ、耳を澄ませ、全神経を鋭敏に尖らせていた。音は入り組んだ迷宮の壁に当たって複雑に反響する。音速で広大な構造の中を駆け巡り、反射する。

 彼は脳内に完璧な構造図を持っている。寸分の狂いもないものだが、有機外装の暴走によって少なくない箇所が実際のそれと異なっている。彼はそれを瞬時に修正しながら、音を追う。


「そこか」


 そして、見つけた。


「聖儀流、抜刀奥義」


 鞘走る剣。

 銀光がほとばしる。

 なめらかな水のような筋を描き、刃が滑り出す。


「——『霹靂神ハタタガミ』」


 音を裂く。

 光を越える。

 神速を凌駕する、究極の一刀。

 それは斬るものではない。ただその軌跡に沿って、“斬った”という事実のみを跡に残す。強引な世界そのものの修正により、それは因果律のエラーとして眩い光としてのみ知覚される。

 その直線は前方だけではなく、彼の後方にも際限なく延びる。大地を穿ち、星を貫き、その向こうの空に浮かぶものすら砕く。

 まさに神の如き力の発揮だった。

 故にその代償は大きい。彼の身は融ける。次元を越え、根源的存在意義そのものに大きな傷がつく。それは強力な修正力の働きにより、スキルレベルの強制的減少という形で辻褄が合わされる。


「貴方に届きましたか」


 ノイズの混じる視界。開いた穴の先に“彼”の存在を感じて、青年は薄く笑う。


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Tips

◇『霹靂神ハタタガミ

 聖儀流、抜刀奥義。神速を凌駕する究極の一刀。太刀筋はなく、故に限りもない。自身と刀身のみを連結した無際限の直線に“切断”の現象のみを発生させる。

 自身の根源的存在意義にまでその影響は及び、一太刀振るえば己の力すら大きく削がれる。

 “被造物の身で神に挑もうとする愚者は、飽くなき研鑽の果て遂に神に至った”


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