第841話「小蛇の滝の流れ」
レティとトーカが黒蛇を押さえている間に、俺は俺で忙しく手を動かす。ネヴァから受け取ったいくつかの瓶をテーブルの上に並べ、それぞれを規定の量で混合していく。時折、瓶の内部でポコンと爆発が起きたり、鼻の曲がるような異臭やフローラルな花の香りが漂ったりするが、安全性に問題はない。
「おっさん、何やってるんだ?」
「怪しい実験みたいだが、〈調剤〉スキル持ってるなんて話は聞いてねぇぞ」
〈闇鴉〉のメンバーがチラチラとこちらに注意を向けてくる。彼らも技術屋として、こういう光景には興味があるらしい。
「決まった種類の薬剤を、決まった量だけ順番に混ぜるだけだからな。もちろんスキルがあれば効果も高まるが、別になくても大丈夫だ」
肝となる薬品自体はネヴァがしっかりと作ってくれている。ここで混合しているのは、完成品が長時間は安定して存在できないからだ。
「あとは、適当に毒液を入れて……」
濃い紫色のドロリとした液体のなかに、農園で集めてきた植物毒を混ぜ込む。ガラス瓶を振って混ぜると、中の液体はさらりとした透明な水のように変化した。
「変化が急すぎて逆に恐ろしいな」
「どこからどう見ても水だが、絶対に水じゃないだろあれ」
〈闇鴉〉のモヒカンたちが戦々恐々とした表情で、すすすと距離を取る。そんなに怯えなくても、扱い方さえ間違えなければそんなに怖いものでもないのに。これくらいなら、カミルでも扱える程度のものだ。
「ジョン助、王水って知ってるか?」
「えっ? ああ、ええと、濃塩酸と濃硝酸を混ぜた液体だよな。金も溶かすっていう」
俺からの突然な問いにも関わらずジョン助はスラスラと答える。あまり答えは期待していなかったのだが、そちら方面の造詣も深いらしい。
「まさか——」
何かを察したようで、ジョン助が目を剥く。俺は首を振り、その予想を否定した。
「これは王水じゃないよ」
「いや、まあそれは分かるよ。けど、直前に混ぜて作らないといけない程度には危険なモンだろ」
「それは……そうかな……」
「お願いだからオレたちには掛けないでくれよ」
「流石にやらないよ」
突飛なことを言うジョン助に苦笑する。俺はそんな暴挙に出るようなヤバい奴に見えるのだろうか。
「分類上は〈罠〉スキルの管轄にある。ちょっとした毒沼生成アイテムだな」
「毒沼?」
いまいち理解できていない様子のジョン助たちに、実演してみせる。瓶の中の液体を、天井に開いた大穴の真下に振り撒く。そうすると、即座に床がグジュグジュと溶け、ドス黒い沼地のように変化した。
「ひえっ」
「あんまり触らない方がいい。地形ダメージ扱いだから、スキンくらいは剥がれるぞ」
「なんかPKの抜け道を知ってしまった気がするんだが……」
「流石にそこまでのダメージは……」
「入らないんだよな? なあ、答えろよ!」
とにかく、これで準備は整った。上層で戦っているレティたちに向けて声を張り上げる。
「準備できたぞ! 戻ってきてくれ! 穴の真下にある沼には触れないように!」
「何やってるんですか!?」
俺の声は無事に届いたようで、レティたちが穴から飛び降りてくる。二人とも軽やかな身のこなしで、真下に広がる毒沼を避けてテントの側に立つ。
「うおっ!? 全員、気張れ!」
慌ててジョン助が火炎放射機を構える。身を翻して逃走したレティたちを追い、天井の穴から再び小蛇が勢いよく降り落ちてくる。
しかし、今度は炎の出番はない。
『ギュアアアッ!?』
『ジュヴァッ!?』
『Piiiiiii‼︎‼︎』
穴から落ちてきた蛇たちは、重力に引き寄せられるまま真下の沼地に沈んでいく。浅い水溜のようなものだが、そこに落ちた蛇は即座に全身が溶け、消えてなくなる。
「エグ……」
「人の所業じゃねぇ」
「ていうか質量どこに消えてんだ」
ろくに動くこともできず落ちては消えていく蛇を見て、〈闇鴉〉の方からも賞賛の声が上がる。ネヴァと一緒に連日連夜試行錯誤した甲斐があるというものだ。
「気持ち悪いほどよく溶けますね。何がどうなってるんですか?」
「元々は都市防壁とかに穴開けられないかと思ってな」
「とりあえず、ウェイドさんたちに怒られてください」
この毒沼開発の理由を告げると、レティがむすっとして耳を立たせる。未遂なのだから勘弁してほしい。そもそもの発端としては、ネヴァが原始原生生物の密輸ルートを開拓したいと言ったのが最初で、俺はただ材料とアイディアを提供しただけにすぎない。
「アミノ酸を強制的に分解して同種の毒液に変換する感じのやつでな。金属類はともかく、生物や木材に関しては半永久的に効果を発揮するし、なんなら溶かせば溶かすほど増殖する」
「ヤバいやつじゃないですか!」
有機外装というくらいだから期待していたが、予想通りこの生体分解毒液が効果覿面だった。蛇は次々と投身自殺をして溶けていくし、溶けた分だけ沼は広がっていく。やはりネヴァは天才だな。
とりあえず、天井から絶え間なく蛇が降ってきては沼に沈んで溶けていく様子は、落ち着いて見てみるとなかなか風流だ。俺はテントを山小屋タイプに変えて、ついでにテーブルセットも引っ張り出す。
「……レッジさん、何やってるんですか?」
レティが不審そうな目をこちらに向けてくる。
「いや、ほら、ゆっくり腰を落ち着けてコーヒーでも」
「緊張感ないですねぇ」
ぺたんとウサ耳を垂れさせながら、レティは脱力する。
「レッジさん、畳と座布団も出してもらっていいですか?」
「もちろん。緑茶も〈幽庵堂〉のを買ってきたぞ」
「わぁ! ありがとうございます」
「トーカは馴染みすぎですよ……」
畳を出し、座布団を敷き、ちゃぶ台とお茶請けも揃える。今日はカステラだ。
「ジョン助たちもどうだ? ご馳走するぞ」
「えっ」
「こ、この状況で?」
「遠慮するなって。さっきも助けてもらったしな」
申し訳なさそうにしているジョン助の手をひき、強引にテーブルにつかせる。いかつい強面の男たちだが、それ以外はとても気持ちのいい青年だ。
ドドドド、と飛沫を上げながら落ちていく蛇の滝を見ながら、カステラを食べる。
「レッジさーん、レティのぶんは……」
そんな俺たちの様子に我慢し切れなくなったのか、レティもやってくる。俺は思わず笑みを浮かべ、用意しておいたカステラをテーブルにおいた。
「プレーン、抹茶、チョコ、いろいろあるぞ」
「わーい! レッジさん大好きです!」
「はっはっは」
早速50センチほどもあるカステラを抱えてモソモソと頬張るレティ。彼女の食べっぷりに〈闇鴉〉の面々も驚いているようだ。
「兎の胃は無尽蔵って噂は本当だったんだなぁ」
「見てるだけで胃がもたれてくらぁ」
「俺もう二切れくらいで満足できる身体になっちまったってのに……」
聞こえてくるのはなかなかこちらにも刺さる言葉である。30超えてくるとね、けっこうね。
胃を抑えて少し気持ちが沈むのを堪えていると、後方から慌ただしく大勢の足音が近づいてきた。驚いて振り返ると、重武装の戦士たちが鬼の形相を浮かべている。
「うわぁ、なんだ!?」
「いたぞ! レッジさん、加勢に来まし……た……?」
威勢の良い声を張り上げていた一団は、俺たちを見て尻窄みになっていく。最終的には呆然として立ち止まり、天井から流れ落ちてくる蛇の滝と、それが吸い込まれるように消えていく沼を交互に見る。
「あの、えっと……これは……?」
「なにって、蛇を食い止めてるんだが」
「その割には、余裕そうですが」
「まあ、ここまで来たらあとは殆どすることもないからなあ」
実際、面倒なのは薬品を調合する段階で、それが終われば楽なもんだ。カステラを差し出すと、奇妙な顔で拒否された。カミルが作ったやつで、美味しいのだが。
「あー、えっと。それじゃあ、本部に連絡しますね」
「ああ。すまん、忘れてたよ」
「いえ。ありがとうございました?」
始終困惑した様子で、駆けつけてくれた応援部隊は本部に連絡を取る。
「いや、ホントなんですって。おっさんがええと、沼? を作って蛇を溶かしてて。ええ、加勢は必要なさそうで。お茶とかカステラとか、いや、冗談じゃなくて。幻覚とかでもないです。とりあえず、二十階層に上って様子を、はい。じゃあ」
作戦本部と連絡をとった後、彼らはまたぞろぞろと移動を始める。
「そっちは頼んだよ。よろしく」
「ええ。ま、任せてください」
装備などから察するに、彼らもなかなかの手練れなのだろう。俺は彼らに頼ることにして、その背中を見送る。そして、一団の中に紛れていた彼女たちの存在に気がついた。
「汗だくになって駆けつけたってのに、随分優雅じゃない」
「わたしたちの心配はなんだったのかなぁ、まったく」
「はええ。カステラなんか食べてるし!」
「あっ。えっと、これはだな……」
そこに居たのは、笑顔で青筋を浮かべたラクトたちだった。レティはカステラで喉を詰まらせているし、トーカは開き直って澄まし顔で湯呑みを傾けている。〈闇鴉〉のメンバーはそそそ、と足音を殺して離れていった。
「色々聞かせてもらおうか、レッジ」
「ええと、その……はい」
俺は観念して両手を上げる。彼女たちの背後に立っていたミカゲが、深いため息をついていた。
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Tips
◇手作りカステラ
メイドロイド、カミルが作ったシンプルなカステラ。ふんわりとした生地に甘い香り。素朴な味わいがどこか懐かしい。
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