第839話「跳んでっ!」

 二頭に分裂した黒蛇が迫る。俺とミカゲは素早く身を翻し、逃走に専念する。背中をジリジリと炙るような黒炎の気配に怯えながら、懸命に足を動かす。ミカゲは蜘蛛糸を巧みに操り、映画のヒーローのような挙動で華麗に避けていた。


「ちょっとは勘弁してくれよ!」


 走りながら罠を仕掛ける。蛇の巨体が円盤状のそれを踏み潰し、爆炎に身を包む。ちょっとした地雷である。


「うわっ!?」


 爆風を背中に受け、前方へ吹き飛ばされる。黒蛇と距離が取れたのは幸いだ。


「レッジさん!」


 前方で白い尻尾が揺れている。シフォンが曲がり角から半身を覗かせ、こちらに手招きしていた。


「ミカゲ、先に。3秒後に耳を塞げ」

「……分かった。よろしく」


 ミカゲを先に向かわせ、最後の仕事に取り掛かる。と言っても、ほとんど苦し紛れの暴挙だ。口から炎を漏らしながら、互いに絡まるようにして押し合いへし合いやって来る二頭の蛇を睨む。


「『罠設置』“獅子威”ッ!」


 青竹のような円筒を投げる。それが蛇の鼻先に当たり、内部機構が動き出す。

 耳を劈く大音量。狭い通路に反響し、増幅する。俺自身の聴覚センサーもビリビリと大きく揺れているのを感じる。

 黒蛇二頭もまた、悲鳴をあげてのたうち、壁に天井に身を打ち付ける。


「へへっ。本物はもっとすごいからな」


 聴覚が麻痺して自分の声もよく聞こえない。平衡感覚も危ういが、蛇より先に走り出す。

 獅子威はアイの歌唱戦闘をモデルに、ネヴァと共同で開発したものだ。球腹魚ボールフィッシュの皮の弾力と靱性の高さに目をつけ、塵嵐のアルドベストの風袋と組み合わせた。あの小さな円筒の中には、ちょっとした嵐が高密度で詰まっているような物なのだ。


「は、はええ……」

「すまんなシフォン。驚かせた」

「大丈夫だよ。それより、こっち!」


 シフォンの導きで入り組んだ道を駆け抜ける。壁には塗料で青や赤のパステルカラーが塗りたくられており、だんだんと方向感覚が失われていく。


「これも風水か?」

「そんなところ。わたし以外にもモデル-ヨーコになった風水師が多いから、こういうのも作れたんだよ」


 右に左に曲がりながら、シフォンが言う。

 このカラフルな迷宮は彼女たち風水師の手によって作り上げられたものだ。色や形状によって、本来整えられている拠点内の風水的な力の流れを乱し、本能的に気持ちの悪いものにする。

 気がつけば、黒蛇たちの気配も消えていた。


「レッジさん!」

「大丈夫だった?」


 シフォンに連れられるまま進むと、レティたちが待っていた。第三十三階層の大部分は風水師による迷宮となっているため、彼女達も下手に動けば永久に出られなくなる。

 俺とミカゲが無事に戻ってきたのを見て、彼女達はほっと胸を撫で下ろした。


「第三十三階層で迷宮に誘い込みました。しばらくは大丈夫だと思います」

『連絡要員からも確認しました。見つからないように行動をお願いします』


 シフォンが作戦本部に状況を報告する。黒蛇が俺たちを追いかけて来てしまうとせっかくの迷宮も意味をなさないが、どうやら順調に迷ってくれているようだ。黒蛇の様子は、迷宮各地に潜む隠密特化ビルドの連絡要員たちがウォッチしている。


「シフォンもすごいの作りましたよね。構造は変わってないはずなのに、全然分からなくなりましたよ」


 ようやく一息つけた段階で、レティが周囲を見渡しながら言う。第三十三階層は最初こそほとんど床をぶち抜いてスルーしていたが、掃討任務の中で何度も足を運び、その構造にも熟知していたはずだ。それでも、風水がいじられただけで何も分からなくなってしまうというのは、不思議なものだ。


「えへへ。わたしだけの力じゃないけどね。アリエスさんたちも手伝ってくれたし」


 迷宮の主軸となっているのは〈占術〉スキルの一分野である風水だが、他分野の占術師たちも迷宮構築に協力していたらしい。たしかに、地中だというのに天井に星が描かれていたり、タロット的な紋様が描かれていたり、風水以外の要素も散見される。


「とはいえ、あんまり落ち着いてられないわね。御神輿はそろそろ三十階層を抜けるみたいよ」


 状況を確認していたエイミーが顔を上げる。神核実体を運んでいる本隊の方は順調に進んでいるらしい。

 黒蛇もこの三十三階層で数分単位の足止めをする予定だが、その間にやらねばならない事は山積みだ。


「階段はこっちだよ」


 シフォンのガイドで迷宮を抜ける。螺旋状に伸びる階段を駆け上り、第三十二階層へ。そこで配置についている迎撃隊に挨拶して、更に上層へ登る。


「迎撃隊は第二十五階層まで配置完了ですって」

「余裕ですね。このまま順調に事が進めばいいのですが」

「ちょっとトーカ、そういうのをフラグって言うんですよ」


 カンカンと鳴り響く階段を登る。


「フラグなんて一刀両断ですよ。見ててください」

「そういうのじゃないんじゃ……?」


 三十一階層を通り抜け、三十階層へ。


『きっ、緊急事態発生! 黒蛇複数体が第一拠点第二十階層に現れました!』

「はっ!?」


 そこへ飛び込んできた急報。レティが耳をピンと張る。誰もが驚いていた。


「嘘でしょ。先回りされたの!?」

「いったい何処から!」


 作戦本部も混乱が広がっているようだ。各地の連絡要員から情報を収集しながら、分かっていることから順に公表していく。


『第二十階層に突如穴が開き、極小の黒蛇が大量の群れとなって出現。無防備な調査開拓員を襲撃しながら、急激に数を増大させています』

『侵入経路予測出ました。ど、どうやらグレムリンの掘った隠し通路を——』

『第二十一階層以下に待機中の全調査開拓員は至急上層へ! 緊急対処を!』


 悲鳴のような声があがる。まさに阿鼻叫喚だった。

 俺たちは階段を三段飛ばしで駆け上る。ラクトはエイミーの背中にしがみついていた。


「た、大変です、大変です!」

「だからフラグは立てるなって!」

「まさかこんな事になるなんて思わないじゃないですか!」


 トーカも何故か責任を感じているようで、冷や汗を額に滲ませている。

 そもそも、黒蛇が体を細分化できるなど予想もされていなかったのだ。ほとんど事故のようなものだろう。なんとも最悪な事態だが。


「ええい、埒が開きません。一気に最短経路で行きましょう!」


 先頭を走っていたレティが不意に立ち止まる。彼女が何を考えているのか瞬時に察して、俺たちは慌てて彼女から離れる。


「『時空間波状歪曲式破壊技法』——」


 彼女はハンマーを持ち替える。それは、改造機たちが持っていた、黒鉄の巨大な鎚だった。本来ならば調査開拓員が扱えないはずのものを、彼女は握りしめている。

 そして、直上——天井を睨む。


「『脚力増強』『直上跳躍』『崩壊の衝迫』——。咬砕流、二の技、『骨砕ク顎』ッ!」


 発声と同時に、彼女は直上へと飛び上がる。強化に強化を重ねた脚力により、弾丸のような勢いで天井を砕く。


「うわわっ!?」


 ラクトが悲鳴を上げる。

 レティの勢いは衰えず、更に二十九階層の天井も、二十八階層、二十七階層も破壊する。


「みなさんこちらへ!」

「無茶なことするな……」


 はるか上方の穴の縁から顔を覗かせるレティに呆れながら、瓦礫を登って二十九階層へと登る。しかし、そこから先は難しい。


「物理干渉跳躍できる人」

「さらっとバグ技使うの前提にしないでよ」


 床に靴底をめり込ませて強引に高く跳べばいけそうだが、全員が全員それを使えるわけではない。というより、この中では俺しかできない。

 俺が連れて行くにしても、一度に一人が限界だ。


「レッジ、トーカと一緒にレティを追いかけて。わたしたちは階段で追いかけるから」


 悩んでいると、ラクトが口を開く。


「レティとトーカなら天井を壊しながらいけるでしょ。わたしたちはそういうのできないから」

「……分かった。トーカもいいか?」

「よろしくお願いします」


 ラクトの一声で決まる。

 俺はトーカを背負い、物理干渉跳躍でレティのもとへと跳んで行く。


「頑張ってね!」

「任せてください!」


 下の方からラクトが叫ぶ。トーカが威勢よくそれに応じた。


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Tips

◇『直上跳躍』

 〈跳躍〉スキルレベル40のテクニック。脚部の人工筋繊維のLP供給配分を増加させ、一時的に通常よりも強い跳躍力を獲得する。特定の人工筋繊維に集中的にリソースを配分するため、跳躍は直上方向のみに限られる。

 スキルレベルと習熟度に応じて跳躍力が増加する。

 JUMP! JUMP! JUMP!


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