第814話「愛求めて」

 高々と稲荷寿司の入ったパックを掲げるT-1。彼女を見て、俺たちは揃って目を丸くしていた。


「稲荷寿司?」

『うむ。妾のおいなりさんじゃ』


 聞き間違えかと思って確認するも、彼女はしっかりと首を振って頷く。どうやら、本当に稲荷寿司をシフォンの口に突っ込んだらしい。


「どうして稲荷寿司で“消魂”の効果が止まるんですか?」


 レティがおずおずと手を挙げ、至極真っ当な問いを投げかける。


『妾にもよく分かっておらぬ。一応、米という陽気をおあげで包んだ、御利益のある食べ物であるから、という仮説は立てておるがの』

「どういうことだ?」

『おいなりさんの高い善性によって、消魂の効果を相殺しておるのじゃよ』


 T-1の説明を聞いても、脳内にはクエスチョンマークが溢れ出てくる。T-1自身も確固たる自信はないらしい。それでも、現に稲荷寿司を食べたシフォンはLPの減少を停止させている。


『そもそもじゃな……』


 T-1が腕を組み、眉間に皺を寄せ唇を尖らせる。全身で不満を表しながら、彼女は口を開いた。


『その原因を究明するための研究計画が、“五穀豊穣”だったのじゃぞ』

「そうだったの!?」


 今明らかになる衝撃の事実だった。

 シフォンが目を丸くする。


『そもそも増設モジュールは妾が開発担当だったのじゃ。その時にモデル-ヨーコの不具合は発覚しておったからの。その打開策としておいなりさんの不思議な効用も知っておった。しかし、おいなりさんの摂食は“消魂”を除去するものではないからの。色々と調べておったのじゃ』

「そういうことだったんですか。てっきり、T-1が浴びるほど稲荷寿司を食べたかっただけだと思ってましたよ」


 見直しました、とレティが目を輝かせる。そんな彼女の視線に、T-1は少し居心地悪そうに身を捩った。


『ま、まあ……。趣味と実益を兼ねて……』

「やっぱり食べたかったんじゃないか」


 ともあれ、T-1の行っていた稲荷寿司開発計画“五穀豊穣”は、意味のある事業だった。それが停止された上で欠陥のあるモデル-ヨーコやモデル-オニの実戦投入が強行されたというのは、なかなかの大問題だろう。


「T-3にもそれを説明すれば良かったんじゃないのか?」

『あやつが聞く耳を持たなかったのじゃ!』


 妾は悪くない、とT-1は自己弁護する。彼女もT-3も根本の所では一緒だから、何かあると耳を塞いでしまうところまで似ているらしい。


「はええっ!? またLPが減ってきたよ!」


 微妙な空気が漂う中、シフォンが悲鳴を上げる。見れば、彼女のLPがまた漸減を始めていた。


『はやくおいなりさんを食べるのじゃ!』

「もががっ」


 すかさずT-1が稲荷寿司を彼女の口に突っ込む。もぐもぐと口を動かし、それを飲み下すと、すぐにLPの減少は収まった。しかし、シフォンはぐったりとした表情だ。


「もしかして、わたしこれから定期的に稲荷寿司を食べ続けないと死ぬの?」

『今のところは、そういうことじゃな。羨ましいのう』


 シフォンの感情を知ってか知らずか、T-1はうっとりとした表情で言う。まあ、彼女からしたら天国のような環境だろうがね……。


「稲荷寿司ならなんでもいいのか?」

『そうじゃなぁ。そのあたりの検証も“五穀豊穣”で行っておったのじゃが。今のところ、穀類をおあげさんで包んだ料理であれば大体のところは大丈夫らしいの。ただ、より基本に忠実なおいなりさんの方が相殺効果の持続時間は長い傾向にあるがのう』

「なるほど。今T-1が持ってる稲荷寿司がシンプルな普通のものだから、それの効果時間を基本にすればいいかな」

『そうじゃな。だいたい10分に1個食べれば良いくらいか』


 1時間で6個、1日に144個。そう考えると凄まじい数である。シフォンもそのことを想像したのか、げんなりとしている。


『前に主様が連れて行ってくれた〈銀鱗〉のヨーコ寿司。あれならだいたい1時間くらい保つのじゃ』

「品質にも依るんだな」

「1時間に1つならまだ何とかいけるかも……」


 シフォンが希望を見出した様子でこちらを見るが、〈銀鱗〉の特製ヨーコ寿司は3個セットで2,000ビットの高級品だ。3時間で2,000ビット消えると考えると、なかなか重い負担である。


『ともかく、此度の件は妾ら指揮官の不手際なのじゃ。何はともあれ、T-3から事情聴取する必要はあるのう』


 T-1は物憂げな面持ちで空を煽ぐ。“アヤカシモデル”の欠陥を放置したまま実戦投入したのは、どう考えてもT-3のミスだ。そこを問い質さないわけにもいかない。

 T-1は指揮官の専用回線を通じて、渦中の人物にコンタクトを取る。すぐに応答はあったようで、人の密度が増していくアップデートセンターに、二人の少女が入ってきた。


『この度は本当に、申し訳ありませんでした……』

『謝罪。私も相互監視が十分ではなかった』


 やってきたのは、T-3とT-2。調査開拓団の実質的トップが一堂に会したとあって、オーディエンスも盛り上がる。

 そんななかで、管理者三人が対峙した。


『本当にのう。お主ら、妾のことをただのおいなりさん中毒者ジャンキーだと思っておったのではないか?』

「えっ。違うんですか?」


 腕を組んでうんざりとした顔で言うT-1。その言葉にレティが思わずと言った様子で声を漏らす。


『そんなわけなかろう! そもそも、妾は勇進のT-1じゃぞ? 妾の行う事はすべて、領域拡張プロトコルの推進を目的にしておるのじゃ』

「そういえば、そんな設定もあったな」

『設定とか言うでない!』


 忘れがちだが、T-1は領域拡張プロトコルの進行を強く牽引する“勇進”、T-2は開拓活動の記録から判断材料を提供する“勧進”、T-3は調査開拓員の豊かさと快適性を追及する“興進”というそれぞれ異なった行動原理で動いている。だからこそ、最近のT-1の姿や、今回のT-3の動きには驚きがあった。


「今回はT-3の方が領域拡張プロトコルの進行に躍起になってる感じがしてたんだよな。何かあったのか?」


 この機会にずっと気になっていたことを聞いてみる。彼女は“行動原理が違えど目的は一緒だから”と言っていたが、何か他の理由があるようにも思えてしまう。

 T-3はしばらくもじもじと足を摩って言い淀んでいたが、意を決して口を開く。


『その、私も……愛が欲しかったのです』

「愛?」


 意外と言えば意外な言葉に、首を傾げる。確かにT-3は普段から愛だラブだと言っているが、彼女は愛を与える側であり、受け取る側ではないイメージだった。調査開拓員全てを対象に、無償の愛を振りまくような、そんな存在だと思っていた。

 それはT-3本人も同じで、だからこそ戸惑っているのだろう。


『T-1は普段、稲荷寿司を食べてばかりなのに、多くの調査開拓員から愛されています。それが……羨ましかったのだと思います』

『さりげなく妾のこと馬鹿にしておるよな?』


 T-1がむっとするが、彼女を抑えてT-3に続きを促す。


『だから、T-1と同じような事をしてみようと。そう思ったのです。興進ではなく、勇進を行動原理として、調査開拓員に多くの新装備を提供し、領域拡張プロトコルを推進することで、愛を感じたくて……』

「なるほど、なぁ?」


 よく分かったような、分からないような。そもそも彼女のいう愛とやらがアバウトな概念だから、何を求めているのか具体的によく分からない。


「お馬鹿さんですねぇ」

『お、お馬鹿!?』


 その時、レティが目を細めて一歩前に出る。彼女はT-3の黒髪を優しく撫でながら言う。その言葉に、T-3が目を丸くした。


「T-3さんの活躍は、みんな知ってますし、感謝してますよ。でも、それを伝える機会がなかなか無かっただけで。ぜんぶ、レティたちの事を考えて用意してくれたことなんでしょう?」

『それは……。私に利己的な感情が生成されてしまったのは、何らかのバグである可能性も……』

「与えるだけじゃ、心が枯れてしまいますからね。こちらからもお返しをしないといけません」


 T-3の肩にそっと手を置き、レティははにかむ。


「――ありがとうございます。T-3さん」


 その言葉で、T-3は瞳を大きく見開く。涙を流す機能は付いていないが、彼女はレティの胸に勢いよく飛び込んだ。


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Tips

◇中枢演算装置主幹人工知能の感情生成について

 仮想人格形成に伴い、中枢演算装置〈タカマガハラ〉主幹人工知能“三体”各位は現地調査開拓員とのより密接な交流を実現した。それにより従来の俯瞰型管理では得られなかったより幅広い情報の収集、そして領域拡張プロトコルの進行促進という明確な成果も確認されている。

 一方で、調査開拓員との交流を通し仮想人格に個性が発生し、発達することも確認されている。その過程で管理者、指揮官、それぞれの個体において異なる感情と呼称するパラメータが発生した。これは各管理者、指揮官の行動意思決定過程において重要な関数となっており、ひいては領域拡張プロトコルの進行にも大きな影響を与える事が示唆されている。

 一方でこの感情は従来の計測手法では予測が困難であり、現時点では情報が過小であると判断せざるを得ない。継続的な情報収集と共に、各管理者、指揮官個体の感情メカニズムを解明することが、今後急を要する課題であると提言する。

 ――――指揮官“三体”T-2


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