第800話「酔眼のサムライ」

 肉厚な両刃の大剣が、立て続けに振り下ろされる。それは硬い床を砕きながら、次々とこちらへ迫ってきた。


「はええええあっ!?」


 シフォンの悲鳴が、広い空洞に響き渡る。彼女は涙目になりながらも、迫り来る大剣の雨を間一髪の所で避け続けていた。


「はぁああああっ! てえいっ!」


 シフォンが攻撃を凌いでいる隙に、〈白鹿庵〉が誇る二人のアタッカーが敵に肉薄する。


「ぐわーーーっ!?」

「ちっ。そう簡単には近づけませんね」


 しかし、得物を振りかぶった彼女たちは、柔軟に振り回される鋼鉄の尾によっていなされる。悔しげに奥歯を噛みながら睨み付けるトーカに、敵はカラカラと嘲笑うかのように全身を震わせた。


「いやぁ、地下にこんなデッカい奴がいるなんてなぁ」

「おじちゃんもぼんやり立ってないで、加勢してくれない!?」


 少し離れたところで様子を窺っていると、限界が近そうなシフォンに怒られた。

 第一拠点第六階層に待ち構えていた特殊な機械警備兵“書庫番”は、八本の大腕に大剣を握る、見上げるほどの高さの鎧武者だった。その体格は“暴徒圧殺重機鎧アイアンフィスト”すら上回り、もはやちょっとした建物ほどの存在感だ。八本の腕を巧みに動かし、更に腰から伸びた尾が振るわれる。

 黒鉄の身体は見た目通りの硬度を誇っているようで、レティとトーカも思うようにダメージを与えられていないようだ。


『妾は距離を取って逃げ回っておるからの。助太刀してやったらよい』

「はいはい。白月は一応ここに残しておくよ」


 やる気のなさそうな子鹿に後を任せ、俺は槍とナイフを掴んで走り出す。眼前では、エイミーに守られたラクトが特大の術式を構築していた。


「一気に行くよ! 『押し潰すクラッシュ・巨大な氷塊ギガンティックアイス』ッ!」


 青い光が迸り、生み出された氷塊が落下を始める。その真下に立っていた書庫番は、呆気なく押し潰される。


「やったか!?」

「ちょっとレッジ!」


 思わず口を突いて出た言葉に、ラクトが憤る。そんな彼女の目の前で、巨大な氷塊が木っ端微塵に砕けた。その下から現れるのは、ほとんど無傷の書庫番である。


「ああもう、レッジのせいだからね!」

「俺は何にも悪くないだろ!?」


 ラクトは短弓に矢を番え、次々と放っていく。それらはアーツの青い光の尾を引いて、書庫番の巨大な身体に突き刺さっていた。

 だが、それらは目覚ましい効果を見せず、牽制程度にしかなっていない。


「うおおおっ! ぶっ壊しますっ!」


 ラクトが氷の矢を雨のように降らせているところへ、レティが現れる。彼女が持っているのは、複雑な部品がいくつも組み合わさった、機械式のハンマーだ。


「『点火イグニッション』ターボジェット! 『破壊の真髄』ッ!」


 彼女が持ち出したのは、最新式の機械鎚。


「“正式採用版大型多連節星球爆裂破壊鎚・・Mk.10・Ver99~最新版(完全)(最終モデル)(ぜったい)~”――『大爆発』ッ!」


 振り上げられた巨大な機械式ハンマー。その長い柄が更に延伸し、いくつもの関節によって書庫番の腕に巻き付く。後方から炎を吹き出し、遠心力も相乗し、高速で動くハンマーヘッドが、やがて書庫番に衝突する。


「うわああっ!?」

「はえええっ!?」


 その瞬間、暗闇を明るく照らし上げる業火が吹き荒れ、爆風が俺とシフォンを吹き飛ばした。激甚な衝撃は書庫番がいたこの部屋、〈第六/七階層接続ホール〉を大きく揺るがす。

 いったいどれほどの爆薬が仕込まれていたのか。幸いなことにこのホールは俺たちが立ち入った時点で密閉されているようだが、少しでも隙間が空いていれば、そこから階層全体に衝撃が広がっていた可能性すらある。そうなれば、第二拠点の二の舞である。


「ふばばば……。流石にキツいですね」


 さしものレティもぐったりとした様子で、ヘッドのはじけ飛んだハンマーの柄を杖代わりにして身体を支えている。爆発を至近距離で受けたため、スキンもボロボロだ。

 対する書庫番の方は――。


「ちょっと自信なくしちゃいますよ」


 もうもうと舞い上がる爆炎の中から、黒い巨影がぬらりと立ち上がる。腕の一本を肩口から抉り取られながらも、平然とした様子で七本の腕に剣を握っている。

 変わらぬ威風堂々とした姿に、レティが珍しく弱音を吐いた。その時だった。


「血だ! 新鮮な血の匂いがしますっ!」


 煙を切り裂き、流星の如き勢いで、角の少女が書庫番へ肉薄する。刀をひっさげて飛び出したトーカは、書庫番の肩口からドロドロと流れ出す赤黒い血に釘付けだった。


「トーカ!? ばっちいから止めといた方がいいですよ!」

「この書庫番なら、もっと良いモノ使ってるかも知れませんよ!」


 驚くレティの目の前で、彼女はまるで滝行でもするかのように流れ落ちる血液の下に飛び込む。あまりの奇行に、書庫番すらも若干引いているような気がする。


「――にゅはっ」


 立ち込める鉄錆の匂い。その中心で、とろんとした声がした。

 目元を黒い布で覆った剣士が、全身を鮮血の深紅に染めて現れる。彼女は巨大な鎧武者の身体を駆け上り、一瞬でその首筋に辿り着く。


彩花流しゃいかりゅー肆之型しにょかた一式抜刀ノ型いっしきばっとーにょかた、『花椿はにゃちゅばき』」


 ふらふらと軸のない動き。まるで、呂律の回っていない発声。水袋のような覚束ない足元。だというのに、彼女の抜刀は完璧だった。

 音もなく刃が煌めく。いつもの銀閃はない。赤く、紅く、血に濡れた刀身が、黒い鉄を割く。


「トーカ!?」

「け、“血酔”状態が進んだみたいです。もしかして、書庫番の血をがぶ飲みしたんでしょうか?」

「それ、大丈夫なのか?」


 唖然とする俺たちの目の前で、トーカはのらりくらりとした動きで鎧武者の猛攻を避け続ける。彼女は次々と斬撃を放ち、ついには書庫番も大きく蹌踉めく。

 その隙を逃さず、大技を叩き込み、腕を一本ずつ落としていく。


「けぷっ。うぃぃ……。もっと血が飲みたいですぬぇ」


 赤黒い液体で濡れる地面に立ち、彼女はぐでんぐでんと頭を動かす。まるで首の据わっていない赤子のようだ。目も胡乱で、千鳥足でふらついている。

 しかし、鎧武者の攻撃は当たらない。


「今宵は我が妖冥華も血に餓えてますにょぉ!」


 濡れる地面を強く蹴り、赤い飛沫を上げながらトーカは猛然と走り出す。その鋭さは、紛う事なきトッププレイヤーのものだった。


「うぃぃっ!」


 火花が散り、武者の鎧と赤い刀が互いを弾き合う。トーカはその反動を回転に変え、すかさず反撃に出る。書庫番も負けじと残る四本の腕で応戦するが、彼女には届かない。


「れ、レティも参加しますよ!」


 LPを回復し終えたレティが慌てて両者の間に割って入る。このままでは蚊帳の外のまま終わることを危惧したようだ。


「はえええっ!? ほわああっ!? はいえええっ!?」


 だが、トーカの攻撃は連携という概念をかなぐり捨てた乱暴なものだ。勢いは凄まじいが、近くにいるシフォンも巻き込みそうなほどである。というより、実際にシフォンが回避していなければ巻き込まれているだろう。


「モデル-オニ……。戦闘能力特化って話だが、これは団体戦には向かないんじゃないか?」


 トーカの額には深紅に輝く二つの角がある。そこから赤い痣が額に広がり、顔も赤らんでいる。彼女が大太刀を鞘から解き放つ度、黒鉄の武者に穴が空く。そこから流れ出る血を吸って、彼女は更に酔いを深めていく。


「うぇええええっい!」

「はええええんっ!?」

「シフォンはそろそろ離れてたほうがいいんじゃないの?」


 ブンブンと振り回される大太刀が、着実に鎧武者とシフォンを追い詰めていく。レティもその激戦にしつこく喰らい付き、隙を見ては大技を叩き込んでいた。

 ラクトは呆れながら精度の高いアーツを放ち、シフォンが戦場から離脱するアシストをする。


「し、死ぬかと思った……」

「フレンドリーファイアはないから安心していいぞ」

「そう言う問題じゃないよ」


 命からがらといった様子で戻ってきたシフォンを慰める。彼女の呼吸が落ち着いた頃、戦いもまた決着を迎えそうだった。


「にゅははははっ! うぇいうぇいうぇいうぇいっ! 彩花流しゃいかりゅー玖之型きゅーにょかた真髄しんじゅいっ! うぇーい!」


 滂沱の如く血を流し、黒武者は徐々に力を衰えていく。それと合わせるように、トーカは酔いを深め、業が冴え渡っていく。

 彼女の長い大太刀が、無数の白い花弁を散らす。


「――『酔蓮花』」


 澄んだ声。

 彩花流、玖之型『狂い彩花』。色とりどりの花弁を散らしながら、刀を流れるように振り回すことにより、全方位に渡って激しく攻撃する剣技。

 その真髄は、刀の軌道が更に不規則で予測しにくく、更に速く、鋭くなっていた。まるで、酔えば酔うほどキレを増すように――。


「ひょわわっ!?」


 荒れ狂う酔漢の乱舞に、レティが慌てて離脱する。黒武者は切り裂かれ、なお切り裂かれる。その鋼鉄の鎧がただの瓦礫の山と化すまで、時間は掛からなかった。


「トーカ! やったな!」


 ログに刻まれる勝利宣言。

 静寂の戻ったホール内で立ち尽くすトーカの下に駆け寄る。

 書庫番の初見撃破という偉業は、トーカのモデル-オニの力に依るものだろう。彼女を称えるべく、他の面々も集まってくる。

 血に濡れた床を蹴って駆け寄る俺に、ふらりと身体を揺らしてトーカが振り向く。


「トーカ?」

「……けっぷ」


 不穏な気配に訝しむ。首を傾げた俺の胸に、彼女はとっと飛び込んできた。


「トーカさん?」

「れ、レッジさん――。ごべ、なさ、――おええええっ!」

「うわあああっ!?」


 驚く俺に、トーカは突然口から大量の赤黒い液体を吐き出す。それは全て俺の胸にかかり、血と酸味の混ざったような匂いに包まれる。


「ぎゃああっ!? トーカ、何やってるんですか!」

『うわあああっ!? は、早う横に寝かせるのじゃ! あ、気道を確保するのを忘れるでないぞ!』


 レティが慌ててトーカを引き剥がし、顔を真っ青にしたT-1が指示を下す。迅速な応急処置のおかげで、彼女はげっそりとしながらもすぐに落ち着いた。


「しゅみません……。酔いすぎました」


 レティの膝に頭を乗せて、トーカはしょんぼりと謝罪の言葉を口にする。そして、彼女は直後に喉を詰まらせると、残っていた血液を今度こそ残らず吐き出した。


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Tips

◇『酔蓮花』

 〈彩花流〉玖之型、真髄。

 酩酊状態、およびそれに類する状態が過度に進行し、無我の境地へと至った剣士に花開く業。その意識は広く大地に染み渡り、そこに根付く花々にさえ心を交える。全てを知覚し、故に全てを無視する。乱暴かつ繊細な剣技。


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