第792話「荒廃した迷宮」
〈老骨の遺跡島〉にある石塔から繋がる螺旋階段は、形状こそ保っているものの煤や細かな瓦礫が厚く積もっていた。それらを足で払いながら降りていくと、第一階層へと至る。そこもまた、至る所に大きな亀裂が走り、見るも無惨な光景になっていた。
「あの硬い石材の壁がこんなに……。爆弾だけでこんなことになりますか?」
『いくら時間が経ち、風化していようと、これほどの損傷は考えにくい。恐らく、別の原因があるはずだ』
ネセカがじっくりと第一階層の構造を観察し、そう結論づける。第一重要情報記録封印拠点の警備部長である彼は、第一階層と第二階層の構造にも詳しい。そんな彼が言うのだから、一定の信頼がおけるはずだ。
「となると、BBバッテリーの爆発以外の要因が?」
『あるはずだが……。第二拠点の事は、第二拠点のDWARFに聞くのが一番確実だろう』
アストラの問いに、ネセカは曖昧に答える。つまり、ここにいるはずのドワーフを探すのが、未詳文明遺構破壊の原因を探る一番の近道ということだ。
幸いなことに、第一階層の罠はそのほとんどが機能を停止している。第二階層に下り、ネセカと出会った中心部へと赴けば、ここのDWARFの情報を得られるはずだ。
「よし、T-1。第二階層の中心に――」
詳しい目標を定め、同行しているT-1に呼びかける。しかし、彼女は何やら不穏な笑みを浮かべて懐に手を入れていた。
「T-1?」
『まあそう急くでない。まずは……腹ごしらえからじゃろ』
「なっ!? お前――!」
彼女が取り出したのは、竹の皮に包まれた稲荷寿司だった。しかし、彼女はすでに今日の分の稲荷寿司30個を食べているはず。本来ならば、このような暴挙は許されていない。
「ああっ! T-1さん、なんで稲荷寿司なんて持ってるんですか!」
案の定、T-1の手元にあるものに気がついたレティが耳をピンと立てる。だが、T-1は悪びれる様子もなく三角形の稲荷寿司へと手を伸ばす。
『ふふふ。妾に禁止されているのは、稲荷寿司の消費じゃからな。所持している分には罰則はない。そして、この未詳文明遺構内はあらゆる通信が遮断されておる。つまり、ここならば妾は自由においなりさんを食べることができるのじゃ!』
「この稲荷ジャンキーめ……」
熱っぽい目をして稲荷寿司を口に運ぶT-1に、呆れを通り越していっそ清々しい気持ちになる。この場にはいつも目を光らせているカミルもいないし、稲荷制限令を課したT-3ともリンクが切れている。
「もしかして、T-1が調査隊に立候補したのって」
『おいなりさんを思う存分食べる為じゃ!』
堂々と胸を張って答えるT-1。事情を知らないアストラやメルたちは、きょとんとしていた。
まあ、T-1の稲荷消費が激しすぎて開拓リソースを食っていたなんて説明しても、俄には信じられないかもしれないが。
『安心せい。おいなりさんは食べるが、きちんと仕事もこなす。とりあえず、第二階層まで行くのじゃろう?』
「そうだな……。まあ、T-1はついてきてくれ」
人目を憚らずに脱法稲荷を食べるT-1と共に、螺旋階段を降りて第二拠点の第二階層へと降りる。そこも黒い煤と瓦礫が山積し、壁や天井に無数の亀裂が
走った、散々な状況だ。
俺たちも周囲を警戒するが、原生生物たちも爆発に巻き込まれて一掃されてしまったようで、何かが動く気配もない。ネセカは鋭い目つきで通路のあちこちを観察し、何やら深く考え込む。
「何かあったか?」
『そうだな……。アストラ殿、メル殿、第二拠点第二階層の地図は見せて貰えるか?』
ネセカは顎髭を揺らし、アストラたちの方へ視線を向ける。
「一応、地図師が記録しているものがあります。ただ、内部の構造が頻繁に変わっていたため、あまり信用はできませんが」
彼の問いに応じたのはアイだった。彼女が広げた大きなウィンドウを、ネセカは真剣な顔つきで覗き込む。そうして、いくつかのポイントを指で指し示した。
『こことここと、こことここ。あとはここ。この五つのなかで、一番近い場所はどこだ?』
「それならここですね。とはいえ、通路の構造は変わっていると思いますが」
『問題ない。とりあえず、そこへ行こう』
「あれ、中心部じゃなくていいのか?」
ネセカは頷き、アストラの後ろを歩き始める。てっきり中心部へ向かうものだと思っていた俺は首を傾げつつ、彼らについていく。
暗い通路を歩きながら、ネセカは目的地について語り出した。
『第一階層、第二階層には、警備部だけが把握している秘匿通路がある。そこを通れば、迎撃区域の撹乱構造を無視して素早く移動することができる』
「なるほど。まあ、それくらいはあるよな」
スタッフオンリーの通用口だ。こういった迷宮のような場所ならなおさらそういった通路は必要になるだろう。
ネセカの口から明かされた秘匿通路の存在に、俺たちは特に驚きもなく受け止める。
『秘匿通路は、その名の通り秘匿されなければならない。侵入者が感知すれば、罠や機械警備員を無視して中枢を脅かされるからな』
「そりゃそうだが……。いいのか? 俺たちに教えて」
『第二拠点のそれは、第一拠点のそれとは構造も違う。存在を知ったところで、あなた方が利用することはできないだろう』
よほど秘匿通路に自信を持っているのか、ネセカは強い口調で断言する。まあ、そもそもドワーフの背丈に合わせた物だったら、入ることすらできないだろうからな。なにせ、彼らはラクトやメルよりも更に小さいのだ。
「レッジ、なんか失礼なこと考えてる?」
「言っておくがワシもリアルではナイスバディなんだよ」
「ああ、うん。そうだな」
じろりと俺を睨み上げてくるラクトたちにひらひらと手を振る。
そうしているうちに、俺たちはネセカが示したポイントの一つに辿り着く。
『ふむ。やはりな』
「どうかしたのか?」
そこは、一見すると、特に変わりのない通路の壁だった。爆発の影響で、亀裂がいくつも走っているくらいだろうか。
ネセカはそこをじっくりと見て、一つ頷く。
『拠点の構造壁は、あらゆる外的影響に対して高い抵抗能力を持つ。それこそ、高次元からのアプローチでなければ、破壊できないほどにな。しかし、秘匿通路までその構造壁が使われているわけではない。本来、構造壁が破られることは想定していないため、そこまで統一する理由がないのだ』
ネセカはそう言いながら、壁に近づく。そうして、おもむろに亀裂へ手を掛けた。
『しかし、第二拠点では機械警備員ではなく施設構造制御による撹乱を中心とした迎撃態勢を取っていた』
彼はまるで、カーテンをめくるかのように、少しも力んだ様子を見せず、ただゆっくりと手を横に動かす。ただそれだけで、メリメリと音を立てて頑丈な構造壁が拉げた。
「すごっ」
思わず、レティが声を上げる。彼女やトーカがどれほど力を込めても破壊できなかったものを、ネセカは素手で押し曲げたのだ。
あまりに現実離れした光景に、T-1すら稲荷寿司を食べる手を止めている。
『これは構造壁に似せた偽装構造壁だ。強度は本物に劣るが、通路に新たな壁を作ったり、穴を一時的に塞いだりすることに使用される』
ネセカはそう言って、偽装構造壁の残骸を床に転がす。偽物の壁の奥には、焼け焦げた無数のケーブルが散乱する細い通路が伸びていた。
これがネセカの言う秘匿通路というものだろう。大きい物も運ぶためか、俺たちだけでなくエイミーやエプロンでも十分に歩けるくらいの広さがある。
「レッジさん、失礼ですよ」
「なんにも言ってないじゃないか……」
ぴこんと耳を動かすレティに弁明する。
『おそらく、第二拠点の第一、第二階層が壊滅した理由は、ここにある。頻繁に偽装構造壁を動かしていたせいで、隙間ができてしまったんだ。そこに爆発が浸透した。秘匿通路には倉庫も接続していて、そこには侵入者迎撃用の備品も多い。更に言えば、拠点の構造を支える柱なども、ここにある』
『つまり、第二階層で発生した爆発が、通路の隙間から秘匿通路に入って、そこから更にいろんな所に拡散したと』
T-1の要約に、ネセカは頷く。
『構造壁はあらゆる外的影響を阻む。つまり、衝撃の反射率が高いということでもある。結果、行き場を無くした爆発、爆風、爆炎が一気に広がったのだろう』
『不幸な事故じゃな……』
T-1が残った稲荷寿司を竹の皮に包み直しながらしみじみと零す。流石にこの状況で食べる気にはならなかったらしい。
「それだと、この遺構のドワーフさん? の安否が心配ですね」
憂いを帯びた表情で口を開いたのは、ヒーラーとして帯同してくれいている〈
『DWARF、特に警備部はタフなものが多い。とはいえ、秘匿通路に居た者は油断していたはずだ。負傷している者がいてもおかしくはない。だが、それ以上に……』
ネセカが何かに気がつき、切迫した顔で俺を見る。
『このままではマズい! 第二拠点の警備部長を探さねば!』
彼はそう言って、一目散に秘匿通路へと飛び込んでいく。俺はレティと一瞬目を合わせ、互いに頷く。そうして、すぐさま彼の後を追って走る。
「ちょ、レッジ!」
「走るぞ!」
「うわぁっ!?」
驚くラクトの手を引っ張り、彼女を小脇に抱える。ついでにT-1も反対側に抱え、メルはエプロンが抱き上げる。
ネセカの走る速度は、俺やレティでさえ追いつけないほどだ。もしかすると、ゲーム内最速を誇るラッシュですら敵わないかも知れない。小さな身体を機敏に動かし、ゴム鞠のように跳ねながら通路を駆けていく。その後ろを、見失わないように追いかける。
「ネセカ、何があったんだ!」
『第二拠点の警備部は秘匿通路や倉庫も含めてあらゆる迎撃手段を喪失した。その結果、混乱状態でまともな判断が下せていない可能性がある。本来ならば、拠点防衛に専念すべきだが――』
通路内には、原生生物を含め、あらゆるものの気配が無かった。まるで、全てが出払っているか、死に絶えたかのように。
『彼らは、地上に出ている可能性がある!』
「それなら、俺たちも外に――いや、そうか」
『ああ。指揮官である警備部長は中枢にいる可能性が高い!』
ネセカが走る。無数の焦げたケーブルが散乱している通路を風のように。俺たちはその後を追いかける。
いくつもの遮断壁を蹴破り、障害物を蹴散らし、奥へと向かう。
そして――。
『せえぇえいっ!』
ネセカが拳を振り上げ、いくつもの瓦礫をつなぎ合わせた、パッチワークのようなバリケードを破壊する。それが最後の関所だった。奥に広がるのは、広い空間。そこに、ネセカと同じ小柄で髭面の男達がいた。
『止まれ、止まれぇええい!』
男達は鉄パイプに鉄の破片を括り付けた簡素な槍をこちらに向けて叫ぶ。明確な殺気が降り注ぎ、レティとトーカが反射的に武器を構える。俺はラクトとT-1を降ろすと、慌てて二人を制止した。
『貴様ら、どうやってここに!』
『お前、DWARFか?』
『まさか、裏切り者が!?』
第二拠点のDWARFたちがどよめく。彼らはネセカを見て、混乱していた。
混沌とした状況のなか、ネセカは堂々と胸を張り、その体格からは信じられないほどの声量で叫ぶ。
『私は第一重要情報記録封印拠点の警備部長ネセカ! 第二重要情報記録封印拠点の警備部長と話がしたい!』
その言葉に、武器を持ったドワーフたちが更にざわつく。どうするべきか迷っているようだ。しかし、彼らはネセカの後方に立つ俺たちを見て、再び敵意を露わにする。
『うるせぇ! 裏切り者にウチのリーダーを出せるか!』
『おととい来やがれ!』
『バーカバーカ!』
けんもほろろな対応に、ネセカが眉間に皺を寄せる。ぎゅっと拳を握りしめているのを見るに、交渉が決裂した場合には実力行使に出るつもりなのかもしれない。その時は、俺たちもできる限りのことをしなければならない。せめて、T-1は守らねば――。
『落ち着きたまえ』
その時、ドワーフたちの奥から低い声が響く。それを聞いた瞬間に男達は静まり、海が割れるように左右へ退く。
『儂が第二重要情報記録封印拠点の警備部長だ』
コツコツと硬い足音を響かせ、一人のドワーフが歩み出てくる。ネセカと同じ、紺色の軍服に、同色の軍帽。しかし、左足の膝から下が、一本の鉄製の棒に替わっている。彼はゆっくりと杖で身体を支えながら、こちらへやってきた。
『名は、カタカ。――こちらからも、色々と聞きたいことがある』
荒々しい風貌のドワーフは、そう言って青い瞳をこちらに向けた。
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Tips
◇T-1特製稲荷弁当
メイドロイドT-1が密かに作り上げた稲荷寿司の弁当。日々の家事業務をこなしつつ、監視の目を逃れて少しずつ集めた食材を用いて作成した。そのため、通常の稲荷寿司と比べて個々のサイズは小さい。携行性を高めるため竹の皮で包んでいる。
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