第769話「唯一人に贈る歌」

 〈大鷲の騎士団〉本拠地〈翼の砦ウィンドフォート〉。広大な敷地に築かれた壮麗な館の一角で、数時間前から悶々とした唸り声が漏れ聞こえていた。


「うーん、やっぱりスカートがいいかな。でもあんまりひらひらしてると浮かれてるのが丸わかりだし……。パンツスタイルで……。ううーん」


 館の五階にある一際大きな部屋の中に、様々な種類の衣服が散乱している。シンプルなTシャツやジーンズ、オーバーサイズのパーカーなどのカジュアルなものから、猫耳の付いたカチューシャ、大胆なシースルーのスカート、胸元と背中の開いたドレス、果ては着ぐるみまで、ありとあらゆる装備アイテムがそこにあった。

 この屋敷で働く上級メイドロイドのタマさんは、次々と放り投げられていくそれらを回収しては整理しつつ、思わず感心してしまった。


ご主人様マスターはこのようなお召し物はあまり興味をお持ちでないと思っておりました』

「そうなんだけど……。だから今悩んでるのよ」


 彼女のご主人様マスターは稼働時間のほとんどをフィールドでの調査開拓活動に費やしている。そのため、衣装箪笥の中には〈大鷲の騎士団〉の生産部が作った鎧ばかりが入っていたはずだった。そこに、調査開拓員たちが街中で着るような戦闘時の機能性よりも外見の美しさを重視した布の服が大量に持ち込まれたのは、つい数日前のことである。


「ビットも使うことがなかったから貯まってたし、何を着ていけばいいかとか分かんなかったし。とりあえず手当たり次第に買い集めたんだけど、悪手だったかなぁ」


 鏡の前に立ち、騎士団標準の訓練着である青いジャージを着たご主人様マスター――アイは途方に暮れていた。

 彼女が困り果てている理由はただ一つ。先日の〈黒猪の牙島〉攻略の際に勝ち取ったレッジとのデートに着ていく服がなかったからだ。

 もちろん、彼女は花も恥じらう乙女、それも輝かしき青春の日々を送る女子高生だ。友人とどこかに出掛ける時のための服というものは一応持っている。だが、そのおしゃれ着も、今や流行から取り残された古代の遺物だろう。そもそも、母親と一緒に中学時代に買ったものだ。猫とかプリントされていた気がする。

 そもそも、基本的に平日は制服を着ているし、帰ってきたら部屋着に変わるだけ。休日も基本的に引きこもってゲームに興じているため、おしゃれ着というものにあまり興味を持っていなかった。

 そのツケが、まさかこのような形で殴り込んでくるとは。


「うぅぅぅ」

『安心して下さい。ご主人様マスターはどのような服装でもとても可憐です』

「それは嬉しいけど、そうじゃないんだよ……」


 できるメイドさんのふわふわな毛並みに抱きついて、アイは泣きつく。彼女が知りたいのは可愛い服装ではなく、あの人に褒めて貰えるような服装なのだ。その服装を知るには、ここで堂々巡りをしていても仕方がない。


「兄貴、じゃなくて団長はいま居る?」

『アストラ様は現在、私室にいらっしゃいます。メッセージを送りますか?』

「いや、自分で行くよ。ありがとう」

『礼には及びません。自分の職務を全うしているだけですので』


 アイはタマさんに部屋の片付けを任せ、廊下に出る。〈翼の砦ウィンドフォート〉の五階は騎士団長と副団長、そして銀翼の団の私室があるだけの空間だ。外部の者がやってくることは殆どない。ほとんど実家のような場所であるため、彼女は青いジャージのまま団長の部屋へと向かう。


「あら、アイじゃない。どうしたの?」


 無駄に長い廊下を歩いていると、ずらりと並んだドアの一つが開きフィーネが現れる。だぼっとした大きめのシャツ一枚というだらしない姿だ。普段は“崩拳”などと呼ばれ格闘家として一線で活躍する彼女だが、普段はこのようなものである。


「ちょっと団長に用事が」

「そ。……それより、明日だっけ? デート」


 フィーネは頷くと、ずいとアイに顔を寄せる。その目は微笑ましいものを見るように細められ、口元もにやついている。ド直球なフィーネの言葉に、アイは大きくたじろいだ。


「そ、そんなデートだなんて!」

「デートでしょ。レッジと二人きりで一日。その間は〈白鹿庵〉の子たちも不可侵って話だし。一気に距離を詰めるチャンスでしょ」

「う、うぐぐ……」


 アイがレッジと一日過ごすという話は、すでにサーバー全体に知れ渡っている。しかし、公平公正に事を行うため当事者以外は手出し無用ということが、メルによって宣言された。彼女は抜け目なく自分も半日の拘束権を手に入れていたが、彼女のおかげで助かったのも事実だった。

 フィーネたちも当然アイのことは知っているため、年長者として応援していた。


「でも、何を着ていけば良いか分からなくて。それで男性からの意見として兄貴から何か聞けないかと」

「駄目よ。あんな奴を参考にしちゃ」


 ぽつりと呟いたアイに、フィーネは突然すんとして首を振った。困惑するアイに、彼女は肩を竦める。


「成人式にスウェットとサンダルで来るような奴よ? どう考えても事故る未来しかないじゃない」

「そ、そんなことしてたの!?」


 実妹も知らない驚きの事実に、アイは思わず目を丸くする。いくらなんでも、常識というものがなさ過ぎる。

 アイは兄の元へ向かう前にフィーネと出会えた幸運に感謝した。それはそれとして、母親にもしっかり報告しておくべきだろう、これは。


「服ならあたしとリザで選んであげるわよ」

「いいの?」

「もちろん! 可愛い妹分が悩んでるなら助けてあげるのがお姉さんの務めでしょ。それに、あたし達、プロみたいなものだし」

「そ、そうだった!」


 なんて大事な事を忘れていたのだろう。レッジとのデートに浮かれていた自分を殴りたい。

 銀翼の団としてアストラと共に活動し、リアルでも交友のあるフィーネとリザは、現実でも容姿端麗な女子大生だ。都会の荒波を乗りこなし、華やかな生活を送り、更には有名なファッションメディアのモデルもしている。彼女たちの助けを受けない手はない。


「あれ、二人して廊下で何話してるの?」

「ちょうど良いところに! リザも一緒にアイの服を選ぶわよ」

「なるほど。任せて!」


 そこへエレベーターが到着し、リザが現れる。彼女はトッププレイヤー特有の頭の回転の早さを見せ、即座に状況を理解した。細い目を更に細め、リザは自室へと飛び込んだ。数秒後、戦闘用のローブからTシャツに着替えた彼女は、両手にトランクケースを提げて現れた。インベントリの容量を越えてアイテムを持ち運ぶ時のものだ。


「とりあえず、200着くらい持ってきたわ」

「いいわね。あたしの部屋にあるのも合わせて、色々試しましょ」


 リザとフィーネはノリノリで頷き合う。二人の様子が普段と変わっていることに気がつき、アイは思わず身震いした。

 まるで、腹を空かせた肉食獣の目の前に現れてしまったか弱い小動物のような気持ちだった。いやしかし、普段から優しい姉として接してくれている二人に限って、そのようなことはないだろう。今回だって、親身に相談に乗ってくれているのだから。アイはそう自分を説得する。


「うふふ。そんなに怖がらなくていいわよ」

「そうそう。可能性を模索していくだけだから」

「えっ。あ、はい。お、お手柔らかに……」


 アイの言葉に、二人はニコニコと満面の笑みで答える。そうしてアイはフィーネの部屋に連れ込まれていった。





 翌日。アイがレッジの一日拘束権を使う日。彼女は落ち着かない様子で頻繁に視線を巡らせながら、〈ウェイド〉の一角にある広場の噴水の前に立っていた。

 中央制御区画からもほど近く、噴水という目立つものがあるこの広場は、多くのプレイヤーの待ち合わせ場所として利用されている。彼女もその例に漏れず、ここでレッジを待っていた。


「さ、流石に早く着きすぎたかな……」


 彼女は腕の“八咫鏡”に表示された時刻を確認する。朝から落ち着かず、一時間も早く来てしまった。この後ずっと立っているのは、いかに副団長といえど辛いものがある。なにより、周囲からの生暖かい視線から今すぐにでも逃げ出したかった。


「うぅ。似合ってないのかな。似合ってないよね」


 そう言ってアイは服を見下ろす。フィーネとリザのアドバイスを受けたのは昨日のことだ。二人の持つ様々な服に次々と着せ替えられ、強制ログアウト寸前まで疲弊した。その代わりに二人が太鼓判を押す服を用意できたが、それが似合っているかどうかはもはやアイにも分からなかった。


「おっと、もう来てたのか」

「ほわっ!?」


 俯いたまま視界がじわりと潤んだその時、声がした。アイは弾かれたように顔を上げ、予想よりも遙かに近い場所に立っていた男に驚く。


「れ、レッジさん!? まだ1時間くらい早いんじゃ――」


 そこにいたのは、困ったような笑みを浮かべたレッジだった。普段の戦闘着を脱ぎ、妙に洒落たカジュアルな服装に変わっている。アイは思わず周囲を見渡したが、赤い耳の少女も白い子鹿も見当たらない。彼も不可侵条約を受けて一人で来てくれたようだ。


「レティが女の子を待たせるなんて言語道断です、って言ってな。それで早めに来たんだ。ついでに、この服もレティたちに選んで貰った。変じゃないか?」

「ぜっ! 全然変じゃないです! 洋服姿のレッジさんも良いと思います!」


 着慣れていないのだろう。レッジは不安そうに意見を求める。アイは慌てて親指を立てて力説した。

 レティたちのセレクトだというレッジの服装は、ジーンズにデフォルメされた兎がプリントされたシャツ、そしてゆったりとしたアウターというシンプルな構成だ。しかし、だからこそレッジの気取らない所がよく現れている。アイは密かにスクリーンショットのシャッターを切った。


「あ、レティに言われたのは内緒だったんだ。すまん、忘れてくれ」

「ふふ。分かりました」


 しまったと首筋に手を当てるレッジ。アイは思わず笑みを零しながら頷いた。シャツにプリントされた兎が、少しむっとしているように見える。しかし、これくらいは許してあげようと思った。

 気を取り直して、アイはちらりとレッジの方へ視線を送る。


「その、レッジさん。わ、私の服、おかしくないですか?」

「うん? いつも通り可愛いと思うけどな。まあでも、アイの私服は珍しいか」


 精一杯勇気を出したアイに、レッジはさらりと返す。そこに少しの不満を抱きつつも、それ以上の喜びにアイは口元を隠した。


「フィーネとリザに選んで貰ったんです。私は、普段ずっと鎧しか着てないので」

「へぇ。あの二人が」


 表情を悟られないように、アイは話を続ける。レッジは二人の事を想いだしているのか、空中に視線を向けながら頷いた。


「うん。似合ってるよ」

「ふひっ」


 再びの言葉。アイは思わず漏れ出た声を慌てて抑える。

 今日の彼女の装いは、赤いスニーカーにショートパンツ、ゆったりとしたパーカーにキャスケットだ。フィーネ曰く、背伸びしすぎない町歩きデートファッションとのこと。アイは足の半分以上が露出することに震えていたが、リザがその生足を見せないのは罪であると断言したため、押し切られてしまった。


「じゃ、じゃあ時間は早いですが、早速行きましょうか」

「おう。今日はどこまでも付き合うぞ」

「んひっ。よ、よろしくお願いします!」


 和やかな笑みを浮かべて頷くレッジに調子を狂わされながら、アイはギクシャクとした動きで歩き出す。彼女は自分だけに見えているメモウィンドウを覗き見て、そこに書きためた今日やりたいことを確認する。


「じゃ、じゃあまずは芸術広場に行きましょう。プレイヤーやNPCが作ったいろんな芸術品が沢山あるんですよ」

「面白そうじゃないか。行こう行こう」


 戦闘職系のプレイヤーはあまり知らないが、各都市には観光地も多くある。アイも普段はなかなか時間がなくて行けない名所の数々を、今日は存分に楽しむつもりだった。

 彼女はレッジの手を掴み、人通りの多い通りを進んでいく。


「なんか意外よね。レティが大人しくしてるなんて」


 一方その頃、〈ウェイド〉の一角にある喫茶〈新天地〉のボックスシートにはレティたちが揃っていた。レティは食べていたナポリタンを飲み込み、紅茶のカップを傾けているエイミーに答える。


「まあ、勝負に負けたのは事実ですからね」

「それにしても、レッジの洋服選びに付き合ったり、早めに行けとか指南したり、びっくりしたよ」


 ココアを飲み、口のまわりに白いヒゲを付けたラクト。彼女の言葉にレティは不服そうな顔をする。


「別にレティはレッジさんを監禁したいわけじゃないですからね。アイさんにはお世話になってますし」


 そんなレティの言葉に、トーカたちが顔を見合わせる。そして、憂いを帯びた表情でレティの様子を窺った。


「大丈夫? 体調悪くない?」

「もっとごはん食べたほうがいいですよ」

「んもー! レティのこと何だと思ってるんですか!」


 いらぬ気を掛けてくる仲間達にレティは憤慨する。


「……どうせレッジさんと一日過ごすなら、楽しい時間にしてもらいたいじゃないですか」


 レティは半分以上残っていたナポリタンをフォークに一巻きして食べ尽くし、水を一気に飲み乾して、独り言のように言った。


「それにレッジさん、レティが何も言わなかったら普段の戦闘着で行こうとしてたんですよ?」

「まあ、それは流石にあり得ないよね」


 何も考えてなさそうな顔で言っていたレッジのことを思い出し、レティが憤慨する。共に衣装選びを手伝ったラクトたちも、そこには頷くしかなかった。


「へいへい、そこのお嬢さんたち。一緒にお茶しない?」


 その時、突然レティたちに陽気な声が掛けられる。水を差された彼女たちは不機嫌な顔をして、振り返る。


「すみませんが、そういうのは結構――。って、フィーネさんとリザさんじゃないですか」


 レティの後方に立っていたのは、〈大鷲の騎士団〉の幹部二人だ。珍しい人との出会いに、ラクトたちも驚く。


「攻略組がこんなとこで遊んでて良いの?」

「別にいいでしょ。ウチの副団長が遊んでるんだしさ」


 ラクトの問いに苦笑しながら、フィーネがボックス席に腰を降ろす。リザもぺこりと頭を下げながら、隣に加わった。

 二人ともサングラスに帽子、更にマスクとなかなかに怪しい風貌をしている。フィーネはそれらを外すと、ぷはっと息を吐いて脱力した。


「銀翼の団の皆さんが何の用? そんな変装までして」

「うふふ。分かってるでしょうに」


 フィーネが不敵な笑みを浮かべる。

 レティは少しむっとして言った。


「今日一日は手出し無用ですよ。レティだってここで我慢してるんですから」

「分かってるわよ。別にちょっかい掛けようとは思ってないもの。――でも、二人の近況は皆も知りたいんじゃない?」


 そう言って、フィーネはウィンドウを開く。それは〈大鷲の騎士団〉のバンド専用掲示板だった。そこには、次々と新たな書き込みがなされ、文字列が下から上へと流れていく。


『二人は現在、彫刻広場に入った』

『手を繋いでいます! いいなぁ!』

『副団長の服、決まってますね』


 それは、どう考えても特定の人物に焦点を当てたものだった。


「覗き見なんて趣味が悪いですよ」

「違うわよ。たまたま偶然そこに居合わせた団員が、何の気もなしに近況報告してるだけ」

「詭弁だねぇ」


 悪い笑みを浮かべるフィーネ。ラクトたちはその弁明に呆れる。そこへリザが困り顔で釈明した。


「別にわたし達が指示してるわけじゃないんです。騎士団の皆が今日は休暇を取ると言って自由行動を始めてしまって」

「なるほどねぇ。まあ、そうなるか」


 つまり騎士団員たちも副団長の動向が気になるのだ。アイが無防備に笑みを見せているところを見るに、この実況をしている者たちは皆、一般プレイヤーに溶け込んでいるのだろう。攻略組としての高い実力を変な方向に発揮している。


「あたし達も今日の予定は知らないのよ。アイがエスコートするらしいけどね」

「芸術広場ってここですよね。アイさんはこういうのがお好きなんですか?」


 レティが掲示板の情報を元にガイドブックを開く。


「あの子、美術館とかも好きなのよ。音楽もそうだし、創作活動が良いのかもね」


 フィーネが少女の事を思い浮かべつつ零す。彼女にとっては友人の妹ではあったが、実の妹のように思っていた。リザにとっても同様である。


「もともと、アイは騎士団に入るつもりもなかったのよ。でも、あたし達が無理を言って副団長を押しつけて。よく付き合って貰ってると思うわ」

「そうだったんですか。……アイさん、面倒見は良さそうですもんね」


 フィーネの言葉にレティも頷く。

 〈大鷲の騎士団〉は元々、バンドシステムがまだ実装されていない時から存在していた銀翼の団が前身だ。そこにアイを加え、更に団員の数を増やし、規模を拡大してきた。そこに、彼女たちは罪悪感を覚えているようだった。


「でもまあ、アイさんも嫌がっているわけじゃないと思いますよ」

「そ、そうですか?」


 レティのしっかりとした声。リザが困惑する。

 レティは口元を緩めて、バンド掲示板のウィンドウを指で指し示した。


『あとで全員、お話ししましょう』


 短い一文がそこにあった。書きこんだのは、他ならぬアイである。


「ひえっ」


 思わずフィーネが悲鳴を上げる。それを見て、レティがくすりと笑った。


「変装してる騎士団員の事もしっかり把握してるんですから。好きじゃなきゃ、ここまでできませんよ」

「それもそうね」


 フィーネが笑い、ウィンドウを閉じる。ここから先は、いらぬ気を回さずに。


「それよりも、聞いて下さいよ。レッジさんたら、今日も普段の戦闘着でアイさんに――」


 レティが気を取りなおして話し出す。


「ふふふ。アイも前日まで色々悩んでたみたいでね」


 それに対し、フィーネたちも暴露話を始める。

 一日はまだ長い。喫茶店の一席でも、賑やかな話に花が咲き始めていた。





 夕暮れ時が迫る。〈ウェイド〉の湿度が高くなり、フィールドから戻ってきた戦闘職の姿が多くなる。密度を増す人の流れに身を任せ、アイとレッジがゆっくりと歩いていた。


「今日は一日、ありがとうございました」

「俺も楽しかった。〈ウェイド〉にこんなに沢山おもしろい場所があるとはなぁ」


 二人とも少し疲労の色が滲んでいるが、それ以上に今日一日の体験に対する満足感が勝っていた。特にアイは表情に活力が漲っている。

 芸術広場をはじめとし、〈ウェイド〉の街中にある観光名所をじっくりと堪能することができた。隠れた名店を探したり、人気の喫茶店でお茶をしたり、普段の攻略プレイではできないようなことを、存分に楽しんだ。

 アイはちらりとやりたいことリストを見る。そこに書き記していたものはほとんど消化することができた。

 今日という一日は、大切な思い出になるだろう。


「おっと、あそこで何かやってるみたいだぞ」


 アイが感慨に耽っていると、レッジが何かに気がつく。彼の指し示す先では、何やら人だかりができていた。二人が近づくと、人垣の向こうから賑やかな音楽が聞こえてくる。


「路上演奏ですね」

「凄い人気だな」


 それは、三人の可愛いヒューマノイド少女によるパフォーマンスだった。ギター、キーボード、ドラムをそれぞれ演奏しながら、高らかに歌っている。アップテンポの曲に、道行く人々も足を止め、身体を揺らしている。


「〈ラブコール〉の皆さんですね。今日はここで演奏してたんんだ……」

「知ってるのか?」


 さらりと三人のユニット名を口にしたアイに、レッジが驚く。アイははっとして頬を赤らめながら頷いた。


「そ、そういうのも好きなので……。〈ラブコール〉は最近デビューしてきた新進気鋭のバンドなんですよ。どの曲も歌詞が難解なんですけど、それがまた良くって」

「へぇ」


 レッジたちは立ち止まり、三人の少女による歌唱に耳を傾ける。彼女たちの曲をしばらく聞いていると、おひねりを振り込むウィンドウが現れる。メンバーの誰かが〈取引〉スキルを持っているのだろう。

 このゲームでは町の中から一切出ずとも、芸事だけで暮らすこともできた。


「そういえば、アイも元々路上で歌ってたんだっけか」

「そ、そうですね。……もう随分昔のことですけど」


 ふと思い出したレッジに、アイもたじろぎながら頷く。今ではあまり触れられたくない過去だが、事実ではある。


「また、アイの歌も聞きたいなぁ。今度は歌唱戦闘じゃなくてな」

「そ、そうですか……」


 恐らく何も意識していないのだろう。気軽な調子のレッジに、アイは視線を彷徨わせる。

 長い長い、やりたいことリスト。その後ろの方に一行書かれていた。しかし、それを言い出すことができなかった。


「れ、レッジさん……」


 一日がもうすぐ終わってしまう。けれど、まだ終わったわけではない。

 アイは勇気を振り絞って、彼の手を握った。不思議そうに首を傾げるレッジを見上げて、彼女は口を開く。


「もう少しだけ、付き合ってくれませんか?」

「ああ、いいよ」


 軽快な二つ返事。

 アイはぎこちなく頷き、歩き出す。


「その、こっちにレンタルスペースがあるので。――楽器が一通り揃った所なんです」

「へぇ。それは楽しみだな」


 二人の一日は、もう少しだけ続く。


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List

重要度☆☆☆

☑服を褒めてもらう

☑芸術広場へいく

☑戦旗店〈KOYO〉へいく

☑喫茶〈リトルギャング〉でお茶する

☑ランチハウス〈白い亀〉の苺マカロニグラタンを食べる

☑手を繋ぐ

☑歌を送る←やっぱなし

☐自室に誘う

☑野次馬共を〆る


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