第767話「一矢の下に」

 崩れ落ちる氷の中から飛び出した少女は、細かな氷片を散らしながら空を駆ける。蒼白の翼を広げ、白い冷気の尾を引きながら。


「な、なんだあれは!?」

「飛んでる? カグツチもなしに!?」


 彼女を見た他の調査開拓員たちも、その美麗な姿に驚きの声を上げる。より機術について深い知識を有している者は、その非現実的な光景に目を疑う。


「完成していたのか、飛行機術……!」


 多くの視線を集めながら、ラクトは空を飛ぶ。大きく広げた白い氷の翼から鋭い冷気を放ちながら、流星のように飛翔する。

 五分という制限時間を迎え、次々と崩れ落ちていく巨人達の間際をくぐり抜けながら、巨大な猪人の懐へと潜り込む。


「――『冷氷刃断ち切るは連綿たる命脈』」


 彼女の手に薄氷の刃が生成される。TBテラバイト級の上級アーツは、その情報量によって巨猪人の堅岩の如き首筋を裂く。

 猪の絶叫が森に響き、木々を揺らす。その痛みは足元に立つ猪人達にも伝わり、怒号と悲鳴が耳朶を打つ。だが、それは彼女の猛攻を止める理由たり得なかった。


「――『鋭氷柱貫き壊すは悠々たる尊厳』」


 大きく仰け反り、距離の離れた猪人に向けて、氷の矢が放たれる。槍と言っても遜色ないほどに巨大なそれを、ラクトは氷の弓によって撃ちだした。

 それは猪人の額を易々と貫通し、その傷口から氷が染み渡る。出血すら許さず、彼女の機術は巨人の身体を蝕んでいく。

 氷の欠片が猪人の身体を覆い、剥落していく。美しさすら感じるその光景に、多くの調査開拓員が攻撃の手を止めていた。


「――っ! 五割切るぞ!」


 唐突に誰かが叫んだ。

 森の中央に座する猪頭の巨人が、厚い氷の下で唸りを上げた。彼の頭上に現れた赤いバーが、半分を下回っていた。


「近くのオークを殲滅しろ! 一匹でも減らすんだ!」

「無限ループに入るぞ!」


 焦燥が枯れ野に放った火のように広がっていく。体力を半分以下まで追い込まれた巨猪人は、特殊な力で周囲の同胞を喰らう。その命を簒奪し、己の命を引き延ばすのだ。

 かつて、調査開拓団はその力によって破れた。無限に生まれるオークと、それを喰らって傷を癒やす領域の主。体力を回復したボスは、それが総量の半分を下回ると再び同じことをして回復する。

 ボスの回復行動を止めなければ、調査開拓員たちに勝利はなかった。終わりのない戦いが、疲弊するまで続いてしまう。

 その惨めさを知っている者たちが、周囲に蔓延るオークたちを手当たり次第に狩っていく。


「てぃりゃあああっ!」

「捌之型、三式抜刀ノ型、『百合舞わし』ッ!」


 レティたちも同様だ。彼女たちも次々とボスの下へ殺到するオークたちをなぎ倒し、彼らが糧になることを阻止していく。


「レティはボスを叩いて下さい!」

「い、いいんですか?」

「レティはオーク10匹倒すよりボス1匹に集中していた方が強いでしょう。貴方の分は私が引き受けますから」

「分かりました。――任せて下さい!」


 トーカの言葉を受けてレティは走り出す。

 適材適所だ。トーカの剣は長大で、一太刀に複数の敵を巻き込める。広範囲を制圧するテクニックも多く習得しており、対集団戦でも活躍できる。一方のレティは攻撃を一点集中で叩き込み、その深層にまで衝撃を浸透させる。対単体での戦闘で真価を発揮する。

 レティは木の幹を蹴り、森の外へと跳躍する。機械脚の高出力も借りて、彼女はボスの身体を駆け上る。


「ラクトだけに、いい顔はさせませんよ!」


 レティは勇ましい声を上げ、ハンマーを振り上げる。渾身の力を込めた一打を、ボスの顔面に叩き込む。


「咬砕流、一の技、『咬ミ砕キ』ッ!」


 間近で巨砲を撃ち放ったかのような轟音が響き渡る。猪人の鼻がへし折れ、顔面が陥没していた。頭部を覆っていた氷が砕け、絶叫が空を穿つ。


「ふぅむ、なるほど。そうすれば妙な力も使えないんだね?」


 仰向けに倒れ込むボスが業火に包まれる。黒毛を焼き、皮を焼き、目と喉の奥も焼き焦がす。激痛に身を捩るボスだが、火から逃れることはできない。火は意志を持ってそれを追いかけていた。


「そろそろ代わりましょう。――『纏わり付く大水球』」


 炎が消え、すぐさま巨大な水球がボスの頭部を包む。酸素の供給を断ち、口や鼻や耳の隙間から体内に染みこんでいく。暴れるほどに気泡が吹き出し、より深くまで水が入り込む。


「『乱れ落ちる落雷』」


 更に無数の雷が水球目掛けて落ちていく。それは水の中で広がり、猪人に痺れるような苦痛を与えた。

 巨人化が解けた〈七人の賢者セブンスセージ〉は、他のプレイヤー達に先んじていち早く復帰を果たしていた。それは、彼女たちのサブリーダーである支援機術師エプロンによるものだった。

 彼女たちは機術分野を牽引するトッププレイヤーとして、当然のように巨人化機術の特性を調べ上げ、制限時間後も間断なく攻撃を続けられるように対策を怠らなかった。

 火炎と冷水と風と雷と礫が吹き荒れる。それらは渾然一体となってボスの動きを封じていた。

 だが、それでもボスを完全に押し止めることは叶わない。老樹のような腕が調査開拓員たちを一纏めに薙ぎ払い、鋼のような肉体が生半可な攻撃を阻む。更には、〈七人の賢者〉による苛烈な機術攻撃にも、巨獣は徐々に耐性を獲得し始めていた。


「くぅ、あともう少しなのに!」


 ハンマーを振るいつづけるレティが奥歯を噛み締める。ボスのHPはあと1割ほどにまで減っていた。調査開拓員がそれぞれにボスの口を封じ、その能力を封じていたために、HPは順調に削ることができていた。

 しかし、ボスもただ無残に倒されることを良しとはしない。圧倒的なタフネスと超自然的な本能が活性化し、迫る猛攻に抗い続ける。


「駄目だ、回復される!」


 誰かの悲痛な叫びが聞こえた。

 僅かに、ボスを打ちのめす弾幕が薄まった。


『ゴアアアアアアアッ!!』


 その瞬間、歓喜の咆哮が上げられた。

 黒き獣は吠え、数多の同胞たちがそれに打ち震える。その声は森の隅々にまで伝播し、小さなオークたちは己の武器を自身の喉元へと向ける。その粗雑な刃が喉を掻き切れば、小さな命は個に凝集し、巨大なる暴力が再起する。


「――『天恵刃雨降り注ぐは愚かなる野人』」


 だが、それは叶わない。

 天球の頂より降り注ぐ透明な雨。それは硬く凍り付いた刃だ。無数の氷塊が砕け、拡散する。その鋭い切っ先がオークたちの頭上に容赦なく降り注いだ。

 オークたちは自らの首に武器を向けたまま、そのままの姿で凍り付く。そして砕け、その後沈黙する。

 どこかで少女の声と高らかな楽器の調べが響き渡る。どこかで六爪の刃が乱れる。神の如き剣が猪人を薙ぎ払い、鉄の拳が打ち砕く。

 それぞれがそれぞれのできることをできるかぎり遂行する。結果として、オークの群れは瞬間的に壊滅した。

 主の声に応じる者は少ない。それらが混沌の下に帰っても、それは微々たる癒やしにしかならなかった。


「これなら!」


 微増しただけで終わるボスのHPを見て、レティはそこに勝機を見出す。


「トドメはワシが!」


 同時に、メルが火炎を上げる。


「逃すものかっ!」

「俺が獲る!」

「『破壊滅殺黒竜拳』ッ!」


 誰もがその首を狙っていた。

 最後の一撃に全てを賭けていた。

 死を招く手があらゆる方位から殺到する。


「――『白氷矢貫くはただ一つの獣』」


 それら全てを追い抜いて、一条の矢が飛来する。

 天より落ちる少女の手から離れた、小さな氷片の鏃を付けた矢だ。それはクルクルと身を捻りながら、風を裂いて迫る。


『ガッ!?』


 その一矢が、全てを終わらせた。


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Tips

◇『白氷矢貫くはただ一つの獣』

 六つのアーツチップによる上級アーツ。細い氷の矢を放つ。貫通力+200、凍結中の対象に威力増大、猛獣系の対象に威力増大。複数の対象を狙うことはできない。


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