第762話「吊られた人参」

 〈猛獣侵攻スタンピード〉から数日。その間、俺が参加していなくても環境負荷が高まる度に新たな〈猛獣侵攻〉が発生していた。しかし、現在に至るまでボスの討伐は一度も達成されておらず、俺たちは連敗続きだ。


「予定ではそろそろ次の〈猛獣侵攻スタンピード〉が起こるはずなんですよ」


 レティがそう言ったのは、〈白鹿庵〉の全員が別荘に揃っているタイミングだった。花札で遊んでいたトーカとミカゲが顔を上げ、雑誌を読んでいたエイミーもそれを閉じる。


「へぇ。そういうのも分かるようになったのか」


 今まで〈猛獣侵攻〉は予測不可能な突発イベントだった。しかし、レティの口ぶりでは既にその予定が分かっている。


「はい。環境負荷の簡易的な検証ができるようになったのと、何度も〈猛獣侵攻〉が起こってデータが揃ったからですね。定点観測をしているバンドが〈黒猪の牙島〉でのプレイヤーの活動を見積もって、そこから予想を出してるんです」

「それって信用できるの?」


 難しい顔でパズルを解いていたラクトが眉を寄せる。レティはもちろん、と頷いた。


「過去三回の〈猛獣侵攻〉は誤差三時間以内で、どんどん正確になってますから」

「へぇ。凄いことするバンドもあるんだねぇ」


 シフォンはハンバーガーを食べながら目を見張る。

 〈猛獣侵攻〉の発生予測を立てているバンドは、検証班や攻略組に属するような所だろう。その中でもデータの収集と分析を専門としているのかもしれない。

 ともかく、そのようなバンドとプレイヤーの存在によって、データの面からでも攻略が進められている。


「発生をある程度予測できるようになったので、他のプレイヤーもそれに合わせて準備するようになったんです。今回は〈大鷲の騎士団〉は当然のこと、〈黒長靴猫BBC〉や〈七人の賢者セブンスセージ〉の皆さんも参加するって噂ですよ」


 レティはうずうずとしながら赤い瞳を輝かせる。

 攻略最大手の騎士団はもちろん毎回の〈猛獣侵攻〉に参加しているが、他二つのバンドはそうではない。三つの攻略大手が揃うというのは、なかなか珍しいことだろう。

 特に、今回はメルたち〈七人の賢者〉が注目されている。その理由は当然、ラクトの披露した巨人にある。


「たしかメルたちも巨人を作ってるんだよね。それを見るだけでも参加する価値はあるかな」

「他の機術師も挙って研究してましたからね。レティもそれを見てみたいんですよ」


 ラクトが複雑な形をしたパズルキューブを床に置く。彼女も巨人機術の始祖として、興味はあるのだろう。


「それじゃあ今から出かけるか?」

「はいっ! レティはもう準備できてますよ」


 俺が尋ねると、レティは二つ返事で立ち上がる。他の皆も腰を上げ、準備を始めた。


『あら、出掛けるの?』

「ああ。ちょっと行ってくるよ」


 掃除道具を持ったカミルとT-1がやってくる。彼女たちには悪いが、今日は留守番をしてもらう。先日は突発的なものだったからともかく、前もって〈猛獣侵攻〉の発生が予測されている最前線に連れていくわけにはいかない。


『お土産はボスエネミーのドロップアイテムでいいわよ』

「気軽に言ってくれるなぁ」


 なかなか難しい注文をつけてくるカミルに苦笑しつつ、俺も倉庫からアイテムを取り出す。参加するからには、迷惑の掛からない程度には働かねばならない。


『妾はおいなりさんでよいぞ!』

「ああ、そっちは覚えてたら買ってきてやるよ」


 平常運転のT-1をあしらいつつ、キッチンの影で丸くなっている白月を呼ぶ。日がな一日寝ている彼にも、働いて貰わねばならない。


「レッジ、準備できた?」

「おう。すぐ行く」


 俺はカミルとT-1に後を任せ、白月と共に外に出る

 ポーチには既にラクトたちが集まっている。なんだかんだ、皆楽しみにしていたのだろうか。準備が早い。

 俺たちは〈ワダツミ〉からヤヒロワニに乗って〈ミズハノメ〉に向かい、そこからヤタガラスで〈黒猪の牙島〉を目指す。近く〈猛獣侵攻〉があるという予報は広まっているようで、徐々に人も多くなってきた。


「カミル達を置いてきて正解だったな」

「ですねぇ。この人混みだと潰されちゃいそうです」


 十分なスペースがあるはずのヤタガラスも満席で、立っているプレイヤーも出ている。身体の小さいフェアリーなど揉みくちゃにされてしまうだろう。


「だよねぇ。はぐれちゃ困るよね」


 ラクトがうんうんと頷き、おもむろに片手を差し出してくる。意味する所が分からず首を傾げていると、その手をレティがぎゅっと握った。


「では、レティが手を繋いであげましょう」

「……レティだとピョンピョン跳ねちゃうから落ち着かないなぁ」

「兎型がいつでも跳ねるわけじゃないですからね!?」


 列車の中で手を繋いで、今日もレティとラクトは楽しそうだ。仲が良いのは良いことである。


「おや、こんな所に鹿がいるじゃないか」


 和気藹々としているレティたちを見ていると、列車の後方から声を掛けられる。振り返ると、赤髪のタイプ-フェアリーの少女が、切れ長の目をこちらに向けて不敵に笑みを浮かべていた。


「メルじゃないか。他の皆も」

「こんにちは、レッジさん。〈白鹿庵〉の皆さんも牙島のボス戦に参加するんですね」


 そこに立っていたのは、七人という少数ながら全世界に名を轟かせる機術師集団〈七人の賢者セブンスセージ〉の面々である。“炎髪”の名でも知られるメルはそのリーダーで、その後方にはエプロンたちも勢揃いしている。


「メルたちが参加するって聞いて、ぜひ見てみたいと思ってな」

「ほほう、そうかそうか。それはなかなか良い心がけだね」


 今回のボス戦では、特にメルたちの活躍が期待されている。そのことを正直に伝えると、彼女は笑みを深めてこちらに近づいた。


「ラクトには遅れを取ったけど、もう負けるつもりはないからね。ワシらの活躍、しかとその目に焼き付けて貰おうか」


 メルはちらりとラクトの方へ視線を流し、俺の手を取る。彼女たちもラクトが開発した巨人機術を取り込み、独自に研究しているはずだ。その成果にかなりの自信があるのだろう。


「た、例えメルたちでも負けるつもりはないからね!」


 しかし、そんなメルの自信に満ちた態度がラクトを煽った。彼女は慌てて俺とメルの間に立ち、彼女が握っていた俺の手を離す。


「まあまあ、口では何とでも言えるからね。機術師は機術師らしく、その実力で勝負しよう」

「ぐぬぬ……」


 余裕のあるメルに対し、ラクトは眉間に皺を寄せている。

 以前はラクトも〈七人の賢者セブンスセージ〉を尊敬していたようだが、今はそれと同時に良きライバルとも思っており、向こうもそれを良しとしているようだ。両者の間で激しい視線が交わされる。


「メルたちもラクトも、どっちも頑張ってくれよ。俺にできることなら、なんだって協力するからな」

「レッジはどっちの味方なの!?」

「ほほう。それはありがたいねぇ」


 機術師同士が切磋琢磨することで、俺が前線に出て戦う理由もなくなっていく。彼女たちには是非頑張って頂きたい。

 そんな少し邪な思いを隠して激励すると、ラクトがむっと唇を尖らせ、メルたちが笑った。


「レッジさんって武器商人並みに対立を煽るの得意ですよね」

「いっそ惚れ惚れしますよねぇ」


 すぐ隣では、レティとシフォンが何か言っている。

 どちらにも頑張って貰いたいのは俺の本心なのだから、恥じることはない。


「そういえば、『解剖鑑定』でダメージの順位とかも分かるんだったか」

「そういうのもありますね。凄いニッチなテクニックですけど」


 〈鑑定〉スキルと〈解体〉スキルの複合テクニックに、『解剖鑑定』というものがある。原生生物の身体構造やら状態やらを解体を通して精査するというものだが、正直あまり使い道がない技だ。ドロップアイテムの詳細が知りたければ『素材鑑定』、原生生物自体のことが知りたければ『生物鑑定』をすればいいだけだからな。

 しかし、『解剖鑑定』を使えば誰がどれくらいダメージを入れたかという情報が分かる。同一パーティ内であればダメージログだけでも確認できるが、数十人規模のレイドであればそうもいかない。そういう限られた状況下で出番がある。


「どうせならダメージレースでもするか?」

「レッジさん『解剖鑑定』持ってるんですか?」

「当然だろ」


 レティが驚いて聞いてくるが、俺を誰だと思ってるんだ。解体師の端くれとして、一応習得しているに決まっている。


「ほほう。その報酬は何だい?」


 思いつきで言ったことに、メルが食い付いてくる。

 俺は少し考え、何も思いつかないことに気がついた。悩み抜いた末、冗談交じりに一つ提案する。


「誰でも一日だけ言うことを聞かせられる権利、とか?」


 何故かその瞬間、ヤタガラスの車内が全て凍り付いたかのように完璧な静寂が訪れた。

 なーんて、冗談でした! などとは言い出せないほどのプレッシャーが俺に降りかかる。


「ほほう、それはなかなか……。おもしろいですね」

「いいでしょう。俄然やる気が湧いてきました」

「あれ、レティ? トーカ?」


 俺はラクトたちに向けて言ったのだが、何故かレティたちまで反応している。二人とも、そんなに誰かを服従させたかったのか?


「面白いですね。俺も参加させて下さいよ」

「アストラ!? なんでここに!?」


 更には背後の座席から爽やかな笑みが現れる。青い眼をしたアストラがこちらを見ていた。

 どうして騎士団長がこんなところにいるのかさっぱり分からない。


「レッジを一日使える……?」

「色々技術を盗めるチャンスじゃないか?」

「農園を案内してもらったら、それだけで一財産築けるんじゃ」


 彼だけではない。全く無関係だったはずの、見ず知らずのプレイヤーたちまで何か話し込んでいる。何故かは分からないが、冷たい汗が背中を流れた。


「あの、やっぱり――」

「やっぱりなしで、とは言わないよね。わたし、本気で獲りに行くよ」

「ひえっ」


 ラクトがこちらを見て、決意を固めていた。彼女がそこまでして狙っている相手は誰なのか気になったが、それを聞ける雰囲気でもない。


「それじゃあボスに一番ダメージを与えられた者が、“任意の人を一日拘束できる権利”を獲得する。それでいいね?」

「え、そんな大層なもんだったか?」

「任せてよ。ワシが迎えに行くからね」

「えっ」


 メルもメラメラと瞳の奥で炎を燃やしている。

 どうしてこうなったと途方に暮れている間にも、ヤタガラスは〈黒猪の牙島〉へと近づいていた。


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Tips

◇『解剖鑑定』

 〈鑑定〉スキルレベル30、〈解体〉スキルレベル70のテクニック。

 死んだ原生生物の身体を解体し、その構造や状態を精査する鑑定技術。原生生物の死因などを特に詳しく調べることができる。


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