第758話「空から来た子」

 突如として発生した〈猛獣侵攻スタンピード〉により、浜辺のテント村は騒然となる。戦闘職が押っ取り刀で森へ向かい、非戦闘職は押し合いへし合い安全な後方へと下がる。混乱が混乱を呼び、白い浜辺の穏やかな空気はなくなっていた。


「皆さん、冷静に! 〈大鷲の騎士団〉が誘導しますので、団員の指示に従って下さい!」

「非戦闘職はこちらへ! ヤタガラスか船に乗り込んで下さい!」

「戦闘職は陣地形成! すぐにオーク共がやってくるぞ!」


 その暴動にも近いパニックを収めたのは、銀鎧を着た精悍な騎士たちだった。彼らの声が浜辺に響きわたり、焦燥に駆られていた人々が冷静さと理性を取り戻す。メガホンを手に取り、彼らの誘導指揮を取っているのはピンクゴールドの髪の少女、アイだった。


「アイさんも居たんですね」

「団長がいないってことは、副団長がいるってことだ。さ、戦闘職は前に出るぞ」


 アイとの距離はかなり離れているため、遠目に見えるだけだ。向こうもこちらの存在に気付いている様子はなく、部下への指示にかかりきりになっている。

 俺たちは無用な手間を掛けさせないよう、素直に前線へと歩いて行った。

 森と砂浜の狭間、視界が開け、長柄の武器も振りやすい場所に戦場が設定されていた。最前列には大盾を構えた重装盾兵がずらりと並び、僅かの隙間もない鉄壁の守りを展開している。その背後には、既に幾重ものバフを纏い極限まで力を溜めた機術師たちが構えている。その後ろに軽装戦士が集い、次に銃士や弓師、そして最後列にも盾兵が並んでいる。


「広域バフ出します! いらない人は各自対策お願いします!」

「支援物資の箱置いておきます。手間賃と乱用防止でちょっと金取るんで、その点だけ注意をー」

「誰か赤壁下さい。10分以上で」

「徒手空拳です。対戦よろしくお願いします」


 腕自慢の戦闘職が続々と集まり、騎士団の隊列に加わっていく。個人、パーティ、バンドと様々な集団が大まかな統率をもって左右に翼を広げていく。


「レッジさん、私達はどうしますか?」


 トーカがこちらを見て問いを投げかけてくる。フィールドが初めての彼女たちは、是非ともオークと戦いたいと思っているはずだ。

 しかし、こちらにはカミルとT-1もいる。平時の牙島ならばともかく、ボスが出現している間は無理に突撃することも避けたい。


「前線と後方で分けよう。俺はカミル達を守りつつ、戦線維持に務める。トーカたちは思う存分暴れてくれ」

「分かりました。ふふふ、我が愛刀が疼きますね!」


 結局、俺たちは役割を分担することにした。そもそも、テントは攻める力が弱いのだ。


「それじゃ、わたしもレッジさんと一緒に……」

「シフォンは前線に決まってるでしょ」

「はええ……」


 レティ、トーカ、エイミー、シフォンの四人が前線に、俺とミカゲとメイド二人が後方に。そう決めた時、刀に手を添えたカエデが声を掛けてきた。


「レッジ、俺たちも前線に出る。ただ、こっちはまだ力不足だろうから、逃げてきた時はよろしく頼む」

「分かった。死んでないなら生かしてやるよ」


 カエデから協力を要請され、それを断る理由もないので了承する。〈紅楓楼〉は〈紅楓楼〉として動くようだったが、〈猛獣侵攻〉はちょっとしたレイド戦のようなものだ。彼らだけではなく、見ず知らずのプレイヤーでも助けるのが慣習だ。


「全体連絡、全体連絡。オークの群れがやってきます。接敵までおよそ30秒。各自、戦闘準備」


 アイの声がフィールド全域に広がる。随分高性能な拡声器を使っているらしい。ともかく、彼女の声を受けて、プレイヤーたちが最後の仕上げをしていく。効果時間が短いぶん効果量の大きいバフを纏い、長大な詠唱を必要とする大規模な上級機術を展開する。


「南6番あたり、隊列薄いよ!」

「こっちに人員回して!」

「もう移動する時間ないって!」


 それでも、準備万端とは言えない。前触れのない、突発的な〈猛獣侵攻〉の発生に対応できたのは、一部の幸運なプレイヤーたちだけだ。今も〈ミズハノメ〉からは多くの戦士たちが駆け付けているだろうが、開戦までには間に合わない。


「南6、増援来ました! ありがとう!」

「うわぁああなんだこのメイドさんの群れ!?」

「南6、ソロモン王到着です。余剰人員は他の地点へ」


 それでも、開戦の火蓋は切られた。


「術式解放」


 アイの一声。

 それと同時に、光の大波が森へと放たれる。

 大規模な上級機術の嵐が、うねりながら木々の隙間へと浸透し、木々をなぎ倒し、地面を抉る。

 それは、粗野な武器を掲げ戦意高揚したまま現れた猪人の第一陣を消滅させた。


「はーっ! やっぱり機術って卑怯ですね」

「この火力と殲滅力は羨ましいですよねぇ」


 圧倒的なエネルギーによる蹂躙だ。それを目の当たりにしたレティとトーカも、惚れ惚れとした顔で見ている。

 長い時間と多大なコストを払っただけのことはある。大きな代償と引き換えに、開戦は調査開拓団が流れを掴んだ。


「さあ、レティたちの出番ですね」

「ううう。絶対瞬殺されるよ……」

「やってみなきゃ分かんないでしょ。ほら、行くわよ」


 アーツが止み、戦場の煙が晴れる。森の奥からは鼻を鳴らす特徴的な鳴き声が響き、今だ軍勢が健在であることが示される。

 こちらも当然、この程度で終わるとは思っていない。

 燃え尽きた機術師たちが後方に下がり、代わりに気力を漲らせた近接戦闘職の戦士たちが盾兵の列を乗り越えて前に出る。

 その中にはレティたち、そしてカエデたちの姿もある。


「オーク軍後続、来ます!」


 誰かが声を上げた。

 恐らくは騎士団員だろう。

 彼の言葉が耳に届いた瞬間、木々の影から放たれた太い木の杭が盾兵の後ろで雄叫びを上げていた犬型ライカンスロープの男を吹き飛ばした。


「突撃ィィィイイッ!」


 轟く叫声。それに続き、大地を揺らす無数の足音。矢弾が雨のように降り注ぐなか、森の中から筋骨隆々の猪人たちが現れる。戦士達が武器を掲げ、勢いよくそれと激突する。

 濁流のように混ざりながら、双方が互いに敵意を向けていた。そこかしこで戦闘の音が響き、特に狙いも付けられない支援機術が無造作に投げられる。


「盾兵、しっかり構えろよ!」

「来るぞ!」


 戦士達を乗り越えて、オークの軍勢が前線に迫る。それを押し退けるのは、重い盾を砂浜に突き刺した盾兵たちだ。その背後から機術師たちがオークを狙い撃ち、打ち倒していく。

 彼らの後ろには物資の支援をしている非戦闘職のプレイヤーたちも多い。戦線が崩壊すれば、被害は彼らにまで及んでしまう。


「ふーははははっ! もうあなた達の動きは対策済みです! 大人しく潰されなさい!」

「ぐわあああっ!? あそこ、赤兎がいるぞ! 巻き込まれるな!」

「〈白鹿庵〉来てるじゃねーか! これなら勝ったな!」


 レティも縦横無尽に駆け回り、自慢の大槌で次々と砂浜にクレーターを作っていく。猪人たちがまるでタンポポの綿毛のように吹き飛び、彼女の笑い声が戦場に響き渡る。


「レティに負けていられませんね。私、人型の方が戦いやすいんですよ!」


 かと思えば、勢いよく走っていた猪人の首が一瞬のうちに落とされる。長大な太刀を携えたトーカが、彼らの間を駆け抜けながら、神速の一太刀で次々と首を刎ねているのだ。

 彼女はそれまでの原生生物を相手にする戦いよりも更に活き活きとした顔で、まるで現実でも経験していたかのように猪人たちを鎧袖一触で切り伏せていく。その姿はまさしく無双と呼ぶに相応しいものだ。


「はええええっ!?」


 戦場では悲鳴も上がっている。

 猪人達も一筋縄ではいかず、その膂力とタフネスは最前線に相応しいものだ。プレイヤーも次々と脱落していき、支援機術師によるバフやヒールも追いついていない。

 そんな中で、シフォンは両手に氷のナイフと岩の手斧を持ち、10頭のオークを単身で相手にしていた。次々と繰り出される攻撃を涙目ながら紙一重で避けつづけ、僅かな隙間に機術の刃を叩き込む。その動きは卓越した戦士のそれだ。


「デカいのが来たわね。森へ帰してあげるわ」


 シフォンの近くでは、エイミーが戦っている。彼女が対峙しているのは、通常の倍はあろうかという巨大なオークだ。筋肉量もそれに見合ったものがあり、四肢は木のように太く、岩のように引き締まっている。

 無造作に引き抜いただけの木を武器として、エイミーに振り下ろす。だが、その動きは彼女にとっては欠伸が出るほど遅すぎた。


「はっ!」


 鋭い突きが巨大なオークの下腹部を貫く。エイミーはそのまま身を捻り、蹴撃でオークの頭を揺らした。頭蓋骨の内側に脳が衝突し、オークは平衡感覚を失う。ゆっくりと倒れるなか、エイミーが拳を叩き込む。

 それでも、巨体はすんでの所で踏みとどまり、木を杖にして立ち上がる。唸るような怒声を上げて、渾身の力で棍棒を振り下ろす。


「鏡威流、一の面、『射し鏡』」


 それをエイミーは待っていた。

 極限状態の筋肉から発せられる絶大なパワー。それを余すことなく宿し、迫る棍棒。その衝突の角度に合わせ、鏡が現れる。

 棍棒と鏡。両者が衝突したその瞬間、巨大なオークの身体が弾丸のように後方へ吹き飛んだ。

 エイミーはその行方を見届けることもなく、次の獲物へと拳を打ち込んでいた。


「レッジ! 助けてくれ!」


 仲間の戦いを見物していると、フゥを背負ったカエデがテントに駆け込んでくる。フゥはLPが危険域に達し、直したばかりのフレームも歪んでいるようだ。

 恐らく、オークの群れに深く入り込み過ぎたのだろう。


「LPは回復できるが、機体の修理は無理だぞ。後方に技師がいるから、そっちに行ってくれ」

「分かった。とりあえずLPが回復するだけでも……。ってすごい勢いだな!?」


 神妙な顔をしていたカエデは、ぐんぐんと回復していくフゥのLPを見て驚愕する。

 山小屋テントの代わりに建てた“鱗雲”は実戦用のものだ。これまでもネヴァと共に何度も改修を繰り返しており、その能力はかなり高い。フゥのLPくらいなら30秒もあれば全回復してしまう。


「オーク達の強さはどうだ?」

「なかなかだな。でも、四人で力を合わせればなんとか戦えないこともないさ」


 フゥのLPが回復するまでの間、カエデに手応えを聞く。能力的にも装備的にも不利な戦いだが、彼らにはチームワークがある。ここまで戦えていたのがその何よりの証だろう。


「まいどー! 技師はいらんかね?」

「うわあっ!?」


 そこへ、突然後方から少女が乱入してくる。長い金髪をポニーテールにした作業着姿のヒューマノイドだ。

「ミツルギ!? どうしてここに!?」


 カエデが少女の名を呼ぶと、彼女は得意げに笑みを浮かべて言った。

 彼女は〈ダマスカス組合〉に所属する職人だが、カエデたち〈紅楓楼〉の専属職人でもある。


「前線でお祭り騒ぎがあるって聞いて、カエデ君たちも行ってるだろうなって思ってね。それにあたし、最近は戦場技師フィールドエンジニアのロール取ろうかと思って、修行してるんだ」


 ミツルギはそう言って、腰のツールベルトからスパナを取り出す。それは故障した機体の整備に使う道具だった。

 彼女の言葉はカエデたちも初耳だった様子で、あんぐりと口を開けている。


「今なら専属職人価格で直してあげるけど、どうする?」

「頼んだ。ちゃちゃっと直してくれ」

「りょーかい!」


 ミツルギの提案に、カエデは即断即決で頷く。突然現れた技師の少女は、その場で早速フゥの修理を始めた。そして、忙しなく手を動かしながらこちらへ顔を向けてきた。


「そうそう。ウチのボスから伝言あるんだ」

「伝言って、俺に?」


 突然の事に首を傾げる。


「支援物資と一緒に、届けモノがあるってさ」

「届け物? そもそも、君のボスって――」


 俺が言い終わるより早く、頭上で轟音が響く。

 驚いて顔を上げると、白い線を描きながら高速で飛来する巨大な航空機が目に入った。


「あれは――」


 銀色に輝く航空機はその翼に巨大なエンジンを搭載している。ずんぐりとした胴体部には、〈ダマスカス組合〉のマークがくっきりと記されていた。

 かの職人集団が開発した大型輸送航空機“グレイピッグ”である。

 その後部にあるハッチが大きく開き、そこから巨大なコンテナがいくつも投下される。戦場で悲鳴が上がり、プレイヤーたちが蜘蛛の子を散らすように逃げるなか、パラシュートすら開かないコンテナは猪人たちを押し潰していった。


「あれが支援物資か?」

「そうそう。アンプルとかの消耗品と、カグツチが何機か」

「また随分と豪勢じゃないか」


 恐らく新型カグツチの実地試験も兼ねているのだろう。それにしても、規模がデカすぎるが。

 だが、支援物資はともかく、届け物というのはなんだろう。思い当たる節がなく、首を傾げたその時だった。


「――レッジィィイイイ!」


 上空から声がする。

 そこかしこで鳴り響く轟音の中でも、しっかりとこの耳に届く、聞き慣れた声だ。まさかと思って空を見上げると、太陽の燦めきの中に小さな影があった。



「ラクト!?」


 上空を滑る大型輸送機のハッチから、大胆不敵に飛び下りてきた青髪の少女。ぐんぐんと近づいてくる彼女の顔には、大粒の涙が。


「助けて! パラシュートが開かない!」

「あんの馬鹿、ちゃんとした装備作れよ!」


 あわあわと空中で藻掻くラクト。彼女は背中のパラシュートを展開させようとしているが、いくら紐を引っ張っても開かない。

 俺はこの場にいないクロウリに悪態をつきながら、どうにかして彼女を受け止めようと動き出した。


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Tips

◇試作・高度降下用パラシュート

 試験運用中のパラシュート。理論上は高度2,000m以上からでも安全に降下することが可能。タイプ-フェアリーなどの軽量機体の場合、傘体展開部の機構が不安定な挙動になる可能性があり、改善が求められている。


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