第756話「その先へ征け」
“離反のイキハギ”を制し、カエデたち〈紅楓楼〉は完成した。それぞれが各自の最善を尽くし、全体を個として連携する。相互的に四人が動き、共通の目標を達成する。その動き方が、ようやくできあがった。
黒獣を倒したカエデたちの前に立ちはだかるのは、彼らがまだ経験していないボス、花猿だ。しかし、彼らは勢いに乗っている。その動きに迷いはない。
『勝者、〈紅楓楼〉ッ!』
コノハナサクヤの声が闘技場に響き渡る。大きな音を立てながら沈む濃緑の猿を背後に、カエデたちは惜しみない賞賛を送る観客達に手を振って応えていた。
「呆気ないですねぇ」
「もともとスキルも装備も十分整っていましたから。あの四人が揃えば、勝てない相手はもうほとんど居ないと思いますよ」
レティが自分の頭ほどもある巨大なたこ焼きを食べながら言う。それに対して、トーカは楽しそうに笑みを浮かべて断言した。
カエデの気持ちに整理がついた今ならそれだけの実力があると、彼女は認めているのだ。
「実際、花猿が可哀想に思えるくらいには速攻で勝負が決まったもんね。やっぱり凄いよ」
シフォンも直前の戦いを思い出してしみじみと言う。
巨大なフランスパンでぶっ叩かれ、毒液と強酸と除草剤を浴びせられ、文字通り煮え湯を飲まされ、棘のついた大盾で潰され、刀と鎌によって切り刻まれ、デカい食パンにサンドされ、花猿はほとんど一方的に撃沈した。
俺たちが最初に対峙した時、海底神殿までの競争は何だったのかと思わずにはいられないほどの、鮮やかな完封試合だった。
「ともあれ、これでカエデたちも〈黒猪の牙島〉に行けるわね」
「そうか。いよいよ最前線に追いつかれちまったな」
〈紅楓楼〉は他のプレイヤーと比べても、破竹の勢いでフィールドを攻略し歩を進めていた。出会った当初は、技術はともかくステータス的にはまだまだ初心者だと思っていたが、もう肩を並べることになるとは。感慨深くなり、思わず目頭が熱くなる。
しかし、隣に座るレティはそんな思いに耽る余裕などないようだ。彼女はまだ残っていたたこ焼きをパクパクと食べきると、勢いよく立ち上がる。
「こうしちゃいられません。早く〈黒猪の牙島〉のオーク軍団をとっちめて、カエデたちを突き放さないと!」
気炎を上げるレティに、トーカも不敵な笑みを浮かべて応じる。
「そうですね。ここから先はプレイヤー同士の争いですよ」
二人だけでなく、エイミーもいつもより二割増しで笑顔を深めている。彼女も何だかんだ好戦的だ。
俺とシフォンだけが取り残されて、互いに顔を見合わせた。
「はええ……。わたしたちって別に攻略組じゃないんだよね?」
「そのはずなんだけどなぁ」
どういうわけか、そう思っている方が少数派であるらしい。静かにしているミカゲですら、密やかにクナイの数を確かめているのだ。
ともあれ、この後フィールドに出かけるのであれば、メイドたちを家に帰しておかねばならない。俺は黙々と稲荷寿司の空き箱を積み上げているT-1と、カメラを弄りながらしきりに監獄闘技場の天井を撮影しているカミルに声を掛ける。
「それじゃあ、俺たちは〈黒猪の牙島〉に行くから。二人は別荘に戻って――」
『いやよ』
「ええ……」
言い終わらないうちに、真顔のカミルが一蹴してくる。どうして、と聞くまでもなく彼女はカメラを構えて隠し切れない笑みを浮かべた。
『〈花猿の大島〉と〈黒猪の牙島〉を繋ぐ連絡橋も見ておきたかったの。ラクトはいないけど、他のメンバーが揃ってるし、安全でしょ?』
どうやら、彼女はまだまだ写真が撮り足りないらしい。島と島を繋ぐあの鉄橋にどれほどの魅力があるのかは分からないが、写真の趣味が知られたからか遠慮しなくなっている。
確かに彼女の言うように〈白鹿庵〉のほぼフルメンバーが揃って最前線に行けるのは久々だ。何かの任務を遂行しているらしいラクトも後で合流する予定であるし、彼女たちの面倒を見る余裕もあるかもしれない。
しかし……。
『心配しなくても、ちゃんと武器も持っていくわ』
「そういう心配はしてないんだけどなぁ」
『アンタがアタシに戦い方を教えたのよ』
カミルにはNPCに対する実験も兼ねてスキルを習得させている。本来はメイドロイドが扱えない〈杖術〉スキルを、彼女はかなりのレベルで使えるのだ。武器の特性もあり、最低限の自衛ができるだけの能力はある。
トドメの言葉が突き刺さり、否とは言えなくなってしまった。
「いいですよ。カミルたちも一緒に行きましょう」
ちらりとレティ達の方を見ると、彼女らは気軽に頷く。カミルがぐっと拳を握り、やったと小さく声を漏らした。
その隣では、T-1が相変わらず稲荷寿司を……食べ過ぎじゃないか?
「おい、T-1」
『もぐもぐ。なんじゃ?』
「なんじゃ、じゃなくてだな。どれだけ稲荷寿司食べてるんだ。明らかに最初に買った数より多いだろ」
『むぐぅ!?』
顔を上げながらも稲荷寿司を摘まむのを止めないT-1の頬を両手で挟む。彼女はじたばたと藻掻いていたが、指揮官とはいえ今は一介のメイドロイドだ。俺程度の腕力でも封殺できる。彼女は観念して手を上げた。
『こ、これはじゃな……。コノハナサクヤが新しい稲荷寿司を開発すると言っておったから、試作品の評価をしておったのじゃ』
不正はない、とT-1は胸を張る。よくよく見てみれば、彼女の抱えている箱には見慣れない稲荷寿司ばかりが詰まっていた。
一見するとただの稲荷寿司だが、七色に光っていたり、崩壊と再生を繰り返していたり、青い炎に包まれていたりとバラエティ豊かである。
「コノハナサクヤはどんな稲荷寿司を開発してるんだ……」
『植物園のカフェテリアメニューもあやつが考案しておるからのう。どうやら、そういったものに興味があるようじゃ』
うんうん、と頷きながらT-1が言う。指揮官の彼女からしてみれば、第零期先行調査開拓団に属していたコノハナサクヤも娘のようなものなのだろうか。
彼女は管理者としての機体と個性を得たことで、人工知能が成長している。カミルが趣味に目覚めたように、彼女にも嗜好が生まれたのかもしれない。
「ちなみに、新しいおいなりさんは美味しいんですか?」
話を聞いていたレティが、ぺろりと唇を舐める。彼女もずいぶんと食べていたのに、既に目新しい食べ物に興味を示しているらしい。
『うむ、どれも新感覚で美味いのじゃ。しかし、調査開拓員の機体では耐えきれぬから、安全性の確保が急務じゃのう』
「稲荷寿司の品評で聞く台詞じゃないと思うんだけど……」
さらりと言うT-1に、シフォンが戦慄する。プレイヤーのエネルギー生産の要である“八尺瓊勾玉”はかなり高性能な消化能力があるはずだが、それでも対応しきれない稲荷寿司とはいったい……。
コノハナサクヤの試作品に言いようのない恐怖と不安を抱きつつ、俺はフレンドリストウィンドウを呼び出す。場所を移すなら、後で合流する予定のラクトにも連絡しておかねばならない。
幸い、彼女はすぐに話せる状況だったようで、ワンコールもしないうちに応答があった。
『どうしたの、レッジ?』
「カエデたちが花猿を突破した。そういうわけで、この後すぐに〈黒猪の大島〉に向かうことになったんだが――」
『オッケー。じゃあ、そっちに向かうよ。あとは報酬受け取って移動するだけだから、すぐ合流できると思う』
「分かった。すまんな」
ラクトとの通信を終え、ウィンドウを閉じる。ちょうどタイミング良く、舞台から撤収したカエデたちが客席に戻ってきた。
「どうだレッジ! 俺たちも強くなっただろ」
「そうだな。正直、驚いたよ」
大きく胸を張って誇るカエデに、素直に頷く。彼らが花猿を倒せたのは、紛うことなく彼ら四人の実力に依るものだ。
当然、カエデたちもここで終わりとは微塵も思っていない。四人は武装を解くこともせず、くるりと身を翻した。
「それじゃあ早速、〈黒猪の大島〉に行くぞ!」
「まずは下調べだね。チャーシューとか作りたいなぁ」
拳を掲げるカエデに、フゥがうっとりとした顔で頷く。猪のチャーシューがどんなものかは分からないが、彼女ならうまく作ってくれるだろうか。
「レティちゃんはお腹いっぱいで動けないかしら。私の後ろに居てもいいですのよ?」
「な、何を!? レティはいつでも元気に動けますからね! 見てて下さい! ぎゃふんと言わせてやります!」
光の分かりやすい挑発に、レティが面白いくらい安易に乗っている。顔に血を上らせて耳をピンと立てるレティを見て、光がクスクスと肩を震わせていた。
「トーカ、ありがとうね」
「……別に私はなにも」
賑やかな人々の隣で、モミジがトーカと静かに話している。モミジたちが本当の意味で〈紅楓楼〉になれたのは、トーカの一押しがあったからだ。彼女はそこに感謝していた。しかし、トーカはふっと視線を逸らして顔を澄ます。
「レッジさん! 〈紅楓楼〉の皆さんはまだヤタガラスで牙島まで行けません。スタートダッシュを決めますよ!」
「ちょっと、私達もまだ駅の解放はできてないんだけど」
光の煽りに乗ったレティが声を上げる。エイミーが抗議するが、馬耳東風だ。二人のやり取りに苦笑していると、くいくいと袖を引かれた。
『仕方ないから、移動中は“花猿の大島-黒猪の牙島連絡橋”について少し説明してあげるわ。心して聞きなさい』
「えっ」
『何よ?』
どうやら、俺は移動中も休めないらしい。ギロリと睨んでくるカミルになんでもないと首を振り、さっさと監獄闘技場を出ようとしているカエデたちの後を追った。
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Tips
◇試作品稲荷寿司-No.297
管理者コノハナサクヤが秘密裏に製作している特別な稲荷寿司。沸き上がるインスピレーションと創作意欲の勢いの果て、誰も止める事ができない暴走の産物。
No.297は植物型原始原生生物管理研究所にて管理されている“我が身喰らう黒炎の蛇草”をベースに開発が行われた。
絶えず自壊と再構築が繰り返され、分子レベルでの活発な流動が行われている。斥力発生装置による浮遊状態でのみ安定で、別の物質と触れた場合には激甚な物質崩壊、および局所的な対消滅が起こる可能性が高い。
〈コノハナサクヤ監獄闘技場〉の売店にて、〈取引〉スキルレベル80以上の調査開拓員にのみ先行販売中。(※こちらの商品は試作段階のものです。商品の使用によるあらゆる被害に関して、製作者は一切の責任を負いません)
“口の中に入った瞬間、舌が溶けるような刺激的な味わいが広がるのう。噛まずとも解けていくのじゃ。これならば咀嚼機能が衰えた者でも問題なく食することができるじゃろう。おあげの下にある米は黒い炎に包まれておって、それもまたジュワジュワと面白い刺激となっておる。
しかし食感は面白いが味は単調じゃ。というより、食べた時点で味蕾センサーが崩壊するから、一般の調査開拓員が食せば無味となるじゃろう。そこを上手く改良できれば、更に良いおいなりさんになると思うのじゃ。
それ以外の問題点は、囓ってしまうとその時点で半径5kmの範囲内が崩壊する可能性が出てくることと、丸呑みした場合は適切な防護機能が無ければ機体諸共灰燼と帰すことくらいじゃな。
美味しさは25点、危険度は98点。総合評価は☆2つじゃな。”
――〈おいなりさん研究家Tさんのレビュー〉
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