第755話「存在の理由」

 “離反のイキハギ”がのたりのたりと黒い泥のような身体を動かし、カエデの元へと近寄っていく。その到着を待たず、彼は再び刀を携えて飛び掛かった。


「『残影刃』ッ!」


 二つの刀の輪郭が揺らぎ、四つの刃がイキハギに切りかかる。同時に“血塗れの鎌鼬”も別の方向から鋭利な骨の鎌を掲げ、迫る。

 しかし――。


「ぐあっ!」


 カエデの斬撃は、イキハギが瞬時に身体を分離したことによって空を切る。彼がイキハギを視認している以上、その刃がイキハギの身体を捉えることはできないのだ。

 即座に黒い不定形の塊が収縮し、鋭い槍のように突き出される。それは的確にカエデとイタチを突き飛ばし、再び闘技場の壁に埋め込んだ。


「カエデもイキハギの能力は知ってるんだよな?」


 真正面から挑み、そして当然のように退けられているカエデを見て、首を傾げる。彼は今までも何度かイキハギと対峙し、そのたびに負けてきたはずだ。奴の能力は熟知しているだろうし、その対処法も知っていなければおかしい。

 モミジは頷き、肩を落として言う。


「もちろんです。わたしやフゥちゃんも一緒になって色々調べましたから。でもお兄ちゃんはそんな回りくどいことはしないって」


 彼女の視線の先で、カエデは果敢に挑んでは弾き飛ばされている。イタチもかなり衰弱しているし、カエデ自身も攻撃が当たらない以上霊装を展開し続けるだけのLPが賄えていない。今はアンプルをがぶ飲みしながら何とか生き長らえているが、それもいつまで持つかは分からない。

 客席では愚直に飛び掛かるだけのカエデに、強い言葉も投げられている。


「トーカはなんで、カエデじゃイキハギに勝てないと思うんだ?」


 真剣な眼差しでカエデの戦いを見ているトーカに尋ねる。彼女がいつになく強い口調で断言したことが、どうにも気になっていた。

 彼女はこちらへちらりと視線を向けると、すぐに舞台へ戻して口を開く。


「性格の問題ですよ。強情なんです、あの人は」


 イタチがイキハギに貫かれ、その身が霧散する。霊力が底をつき、姿を現し続けることができなくなったのだ。これでカエデの手数は半減し、イキハギは更に容易に回避を行えるようになってしまった。

 もはや、カエデがどれほど激しく剣を振るっても、泥を切ることはできない。彼が目を瞑ったとしても、トーカほどの速度で抜刀攻撃ができなければ、避けられてしまう。


「私にできることは、自分にもできると思ってるんです。というか、自分の教え子にできることは、自分もできないとダメだと思っている。そのくせに独断で突っ走って、誰にも相談しないで」


 トーカの言葉には実感が籠もっていた。

 実際、カエデは彼女の様子を見るため、誰にも話さずヘッドセットまで揃えてFPOへやって来たのだ。モミジもフゥたちも、よくついて行けているものだと思う。

 教え子、というのは武の師匠としてのカエデのことを言っているのだろう。二人は親子であるが、同時に師弟でもある。あまり詳しいことは聞いていないが、かなり本格的な武道の家系であることは察している。


「所詮、FPOはゲームなんですよ。それがあの人は分かっていないんです」


 カエデが石畳の上に転がる。そこへ針のように尖ったイキハギが追撃を掛け、彼は転がるようにしてそれを避けた。


「一人でできる事なんて、たかが知れています。相性の良し悪しはあるんです」


 カエデの戦闘スタイルは、手数で攻める高速攻撃型だ。しかし、一撃の威力は軽く、連続攻撃に重きを置いているため抜刀技ほど初速が出るわけではない。

 トーカの抜刀は、瞬間火力で敵を圧倒するものだ。1秒にも満たない刹那の時間、互いが触れあったその瞬間には勝敗が決している。

 他の原生生物やボスなどならともかく、こと“離反のイキハギ”においては、トーカの戦術の相性が良く、カエデの戦術は悪かった。

 同じ剣士であっても、決定的に違う方向性。それ故に、越えられない壁。カエデはそれが、個人の工夫でどうにかできると思っているのだ。


「『牙穿』ッ!」


 カエデの刃が獰猛に迫る。黒い泥はそれを自在に避けて、余裕すら見える。

 観客も勝敗が分かりきっている戦いに長く興味を示すことはできない。歓声の数も少しずつ減っていく。

 どうしようもなく息苦しい空気が闘技場に充満していく。そんな中、トーカがおもむろにウィンドウを操作した。


「――カエデさん」


 彼女が名前を呼ぶ。

 視線の先で、刀を握ったまま彼の肩が僅かに揺れた。

 トーカはこの戦いの最中に、彼にTELを送ったらしい。カエデもよくそれに応じたものだ。

 当然、イキハギは動きの止まったカエデに攻撃を行う。彼はそれを辛くも避け、ちらりとこちらの方を見た。


「よそ見してないで、回避してください。できないわけがないでしょう」


 カエデの声はこちらまで届かない。しかし、トーカの声に何か応じたのだろう。彼は回避だけを行い、イキハギから逃げ続ける。

 戦いを放棄したカエデに、客席から文句が上がる。

 しかし、トーカが話を続ける。


「あなたは何のために戦ってるんです?」


 一瞬、カエデの動きが止まる。イキハギの伸びた身体が迫り、彼は僅かに接触しながらギリギリのところで避けた。LPが大きく削れ、危険域の5割を切る。


「武の道を極め、後進を育てたいなら、今すぐそのヘッドセットを外した方がいいです。この世界で最強を目指したいなら、〈紅楓楼〉から抜けて〈アマツマラ闘技場〉でアストラさんと戦った方が近道でしょう」


 トーカの厳しい言葉に、モミジたちが驚く。制止の手を伸ばす〈紅楓楼〉の面々を、彼女は一睨みして退ける。


「あなたは、何のために、誰と共に戦っているんですか」


 再び、彼女は噛み締めるように言う。


「どうして最初の目的が達せられた後も、このゲームを続けているんですか。どうして毎日〈紅楓楼〉のメンバーと過ごしているんですか」


 分かっているでしょう。トーカは呟く。


「指導者でも、武道家でも、父親でもなく。一人のプレイヤーとしてFPOを遊ぶためでしょう」


 その言葉が放たれた瞬間、致命的にカエデの動きが固まる。彼はこちらを見て、愕然としているようだった。

 トーカが彼に対して苛立ちを覚えている理由が分かった。彼女は、カエデが自分は何かと理由を付けなければこの世界に居られないと思っていることに腹が立っているのだ。ここは現実のしがらみから解き放たれた、自由な世界だというのに。

 あちらの世界で特別な存在だったとしても、こちらの世界で特別な存在になれるわけではない。こちらの世界で何かを成し遂げるには、こちらの世界で何かを成さねばならない。


「遊びなさいよ、カエデ」


 トドメの一言だった。

 カエデは強い衝撃を受けたように、茫洋と立ち尽くす。その背後に、イキハギの猛烈な攻撃が迫っていた。

 カエデはそれに気がつかず、ただじっとこちらを――客席に座る仲間達を見ていた。彼の口が、僅かに動く。


『――助けてくれ』


 イキハギの鋭い槍のような突き込み。それは容易くカエデの背中を打ち、胸部まで貫く。そこにある“八尺瓊勾玉”を打ち砕き、残り僅かなLPを全て消し飛ばし、圧倒的な完勝を獲る。――はずだった。


「『聳え立つ鋼鉄の城塞』ッ!」


 硬質な音が闘技場に響き渡る。

 黒い槍は、突如として現れた分厚い鉄壁によって阻まれた。

 身の丈を越える巨大な盾を両手で支え、光は笑みを浮かべる。


「ちょっと遅いんじゃないの? 下ごしらえの時間がないじゃない」


 次々と細く分かれながら飛んでくる攻撃を、中華鍋が弾いていく。赤いチャイナ服の裾が翻り、フゥは尻尾をゆらりと揺らして言った。


「でも、嬉しかったですよ。お兄ちゃんが私たちを呼んでくれて」


 身体から六本の脚を出し、カサカサと機敏に動き始めたイキハギ。しかし、突如として奴の足元で爆炎が巻き上がる。

 火炎瓶を握ったモミジが、悠然と立っていた。


「パーティメンバーの参戦も許可してくれていたみたいですし」


 カエデと同じ〈紅楓楼〉に属するモミジたちは、客席と舞台を隔てる障壁を飛び越えた。仲間の呼び声に応じて、颯爽と駆け付けたのだ。

 突如として現れた援軍に、落ちきっていた会場の興奮も再び高まる。その声に呼応するように、イキハギがぶくぶくと膨れ上がっていく。挑戦者の数が増えたことにより、奴のステータスも増強されたのだ。

 しかし、既に彼らは恐れていない。自信を漲らせ、対峙している。


「――倒そうか。四人で」


 モミジがLP回復アンプルと共にいくつかの薬品をカエデに投げつける。彼のステータスが、一時的に増強されてゆく。

 その間、光が盾を構え声を上げ、イキハギの注目を取り続ける。大盾に熾烈な攻撃が加えられるが、それを見事に耐えきっていた。


「よぅし、一気に行くよ! 戦闘調理術、『クリムゾンホットヴォルケーノハバネロキリング麻婆豆腐』!」


 フゥが鍋を振るう。

 その中から溢れ出したのは、紅蓮の麻婆豆腐だ。溶岩流のような止めどなく吹き出したそれは、瞬く間に舞台上を覆い尽くす。


「地形ダメージなら回避不可能だからね!」

「――『投擲』ッ!」


 フゥが得意げな顔をする横から、モミジが何かを投げる。

 それはイキハギの頭上で割れ、中から太い針が無数に飛び出した。広範囲に拡散する棘入りの爆弾を、モミジが次々と投げていく。

 イキハギはそれを避けようとするが、避けきれず徐々に体力が削れていた。


「攻撃が避けられるなら、避けきれない範囲攻撃で追い込んでしまえばいいんですよ。四本の刀で足りないなら、千本の針を投げれば良い」


 地獄のような様相を呈している闘技場を見ながら、トーカが言う。

 闘技場の舞台全てを収める広範囲な一斉攻撃。それが、“離反のイキハギ”に対する最もシンプルで効果的な戦法だった。

 本来ならば機術師や罠師によって行われるその戦法を、〈紅楓楼〉は互いに協力することで実行していた。

 イキハギは身を焼くほどの危険な香辛料に溺れ、無数の棘を注がれ、何より巨大な盾に強制的に注目させられ、動くこともままならない。

 回避能力、その限界を越えた一斉攻撃によって、呆気なく身体に傷を増やしていく。


「――……簡単な相手だったな」


 カエデは脱力し、そう呟く。

 彼は刀を握り、強く地面を蹴ってタコ殴りにされている黒い泥の元へと肉薄した。


「『斬咬刃』」


 二つの刀が交差し、泥が削ぎ落とされ露出した小さな宝玉を的確に捉える。赤と黒の鋭利な刃がそれに食らいつき、そして砕く。

 モミジたちの参戦から一分と経たず、何度もカエデを殺した“離反のイキハギ”は呆気なく麻婆豆腐の海に沈んだ。


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Tips

◇『斬咬刃』

 〈剣術〉スキルレベル70のテクニック。二刀流専用。

 二振りの刀で両側面から対象を挟み、切り落とす。

 対象の急所に当てた場合、クリティカル攻撃力が50%増加する。

 獰猛なる獣は一咬みで獲物の喉笛を噛み斬る。そこに慈悲も憎悪もなく、ただ目的の達成のみがある。


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