第750話「おいなり取引」

 多くのオークたちが現れた日、ラクトと買い物を楽しんだ日から数日が経った。その間にも〈大鷲の騎士団〉や他の攻略組による調査は続けられ、何度かオークが再出現したこともあった。そのたびに時間が合えばレティたちも出動していたが、結局いままでボスを討伐できたという話は聞かない。

 あの日以降、ラクトはより熱心に戦闘訓練に打ち込むようになっていて、二重操作の使い方もよりハイレベルになっていた。


「――じゃ、よろしく頼んだ」

『全部燃やしてやりたいです。あなたの存在ごと!』


 今日は他の面々がログインしていなかったため、農園に貯め込んでいた植物をウェイドの元に届けに来た。植物園はその後も順調に規模の拡大が続いているようで、俺以外のプレイヤーからも原始原生生物の受入が進んでいるようだ。


「今の階層ってどれくらいあるんだ?」

『第20階層です。この“天駆ける白龍の息吹草”で第8チャンバーが埋まったので、第21階層も整備しなければなりませんが』


 ウェイドは厳重に封印された強化金属製の箱がNPCによって搬入されるのを見送りながら、ぐったりとした声で言う。


「ウェイド、最近疲れてるのか?」

『誰のせいだと思ってるんですか!』


 管理者が風邪を引くという話は聞かないが、少し心配ではある。都市一つを管理するというだけでも大変だろうに、植物園まで任されているのだから。俺も僅かではあるが彼女の助けになるため、今日は第21階層の最後まで行けるように研究を進めなければ。


『安心せい。基本的に管理者、というか〈クサナギ〉は常に70%以下の稼働率を維持して有事に備えておるからの』

「へぇ、そういうもんなんだな」

『貴方も余計なことしか言いませんね……』


 付いてきていたT-1に指摘され、ウェイドが眉を顰める。管理者としては万が一にもキャパオーバーで対応不可などという事態が起きるわけにはいかないので、余裕を持つのは大切なのだろう。

 とはいえ、都市まるごとと植物園を管理して、それでも能力の70%も使っていないというのは、中枢演算装置〈クサナギ〉の驚くべき点だろう。T-1がまだ負債を返済しきれていないため、各管理者の演算補助に入っているとはいえだ。


『言っておきますが、〈タカマガハラ〉はT-1の領域分だけでも現在50.01%程度の稼働率ですからね。T-2とT-3はそれぞれ50%以下に抑えています』

「そうだったのか。T-1たちも優秀なんだなぁ」

『妾たちが忙しくなるのは、調査開拓団全体が危機的状況に陥っておるか、領域拡張プロトコル上重要な局面に立っておるかのどちらかじゃからなー』


 管理者も十分な余裕を持った上で働いているが、調査開拓団の要とも言える指揮官たちは更に十全な対策を取っているらしい。ちょっとやそっとの事件では動じず、稼働率60%を超える事態となると特殊開拓指令レベルのイベントが発生している時くらいだと、T-1は自慢げに語った。

 T-1は各管理者の演算補助と、俺のところにいる機体の制御、それらを合算しても平時から0.01%も稼働率が上がらないのだから、流石としか言えない。

 静止軌道上に停泊する超巨大な開拓司令船アマテラスの能力はとても高いのだ。


『まあでも、少し前に“饑渇のヴァーリテイン”が船側を掠めた時は少々びっくりしたがの』

「うん?」


 T-1が少し青ざめて何か呟く。どうやら、俺の知らないところで開拓司令船アマテラスに大事件が起こっていたらしい。


『ともかく、妾たちは主様が思っている以上に賢いのじゃぞ』

「そっかぁ。……そういう話だったか?」


 よく分からないが、T-1が満足げにしているのでまあいい。ウェイドもそこに異論はないようで、うんうんと頷いているし。


「そんだけ賢いなら、フィールドの攻略法も考えて欲しいもんなんだがな」

『それはあなた達の仕事でしょう。私達は私達の職分を果たしています』


 管理者達の演算リソースを注ぎ込めば、フィールドの攻略もサクサク進むかと思ったが、そうは問屋が卸さない。まあ、答えだけ提示されて開拓を進めるというのも味気ないか。

 彼女たちがかなりの余裕を確保しているのも、有事の際にはそれが埋まってしまう可能性があるからだろう。今の時点でも管理者や指揮官が掌握しているものは多く、それらに僅かな変化が起こっただけでも対応するべき事象は指数関数的に増えてゆく。


「じゃあ俺は研究を進めてくるから、T-1はどこかで待っててくれ」

『うむ。では、カフェテリアでサラダおいなりさんを食べようかの』

「……ほんとに指揮官って賢いのか?」

『〈タカマガハラ〉のT-1とメイドロイドのT-1はまた少し違うので……』


 足取り軽く植物園内のカフェテリアへ向かうメイド服姿のT-1を見て、首を傾げる。ウェイドは少し肩を落として語った。


「しかし、サラダおいなりさんってなんだ?」

『サラダを詰めたおいなりさんです。稲荷寿司と言って良いのか甚だ疑問ですが、T-1の判定ではおいなりさんでした』

「ええ……」


 カフェテリアのメニューを見てみると、バイオパンケーキやら完全豆腐ハンバーグなどと共に、数十種類の稲荷寿司がずらりと並んでいた。

 米と油揚げというどちらも植物性の食材から作られるためか、カフェテリアのくせに妙に稲荷寿司の品揃えが豊富だな……。


『稲荷寿司の品揃えを増やすことを条件に、T-1の演算補助を受けているんですよ』

「どんな取引だよ」


 植物園に行く時、妙にT-1が張り切っていたのはこれが理由だったのか。

 俺はカフェテリアのテーブルを確保して早速稲荷寿司を注文しているT-1を見て、思わず肩の力が抜ける。他のプレイヤーからも視線を集めているが、騒ぎにはなっていない。司令官が随分と馴染んだ物だ。


「ま、稲荷寿司食べてるだけならいいか」


 そう言って、俺はエレベーターへと向かった。



 俺が第21階層第8チャンバーまでを解放してエントランスに戻ると、そこには小遣いを全て稲荷寿司に注ぎ込んでしまって涙目になっているT-1がいた。


「稲荷寿司食べてるだけでああなるのか……」


 慌てて彼女の元に駆け寄ると、T-1は俺の腰に縋り付いてくる。


『主様ぁ、お小遣いが無くなってしもうたのじゃ』

「そんだけ食べたら無くなるに決まってるだろ。もうちょっと節制しろって」


 自分で言っていて、自分の傷を抉っているような気持ちになる。

 しかし、T-1は俺がメイドロイドとして渡している小遣いのほぼ100%を稲荷寿司に注ぎ込んでいるのだ。さっき聞いた話とぜんぜん違うではないか。


『だって、おいなりさんは食べたら無くなってしまうのじゃ』

「そりゃそうだろ」


 お前は何を言っているんだと言いたくなる。本当にT-1が指揮官なのか、少し疑わしい。天下の調査開拓団のトップがこれで、本当に良いのだろうか。


『主様、お小遣いの前借りって……』

「できるわけないだろ! ていうかまだ食べるつもりか!?」


 T-1がいたテーブルには、山のように皿が積み上げられている。いったい、どれほど食べたのか。


「――そこのお嬢さん。お腹が空いていらっしゃるなら、わたくしがご馳走しましょうか」


 途方に暮れていると、背後から声が掛かる。驚いて振り返ると、そこには分厚い大盾を背負った金髪のメイドさんが立っていた。


「って、光じゃないか」

「こんにちは、レッジさん」


 声を掛けてきたのは、カエデたち〈紅楓楼〉のメンバーである光だった。白いフリルのついたメイド服と物騒な大盾が特徴的で、よく覚えている。


「泣いているメイドさんを見捨てるなんて、同じメイドとしてできませんの。もし良ければ、ご馳走させてくださいな」

「いや、悪い――」

『良いのか!? この、エレクトリカルおいなりさんが食べたいのじゃ!』

「おい」


 俺が断ろうとするのを遮って、T-1はメニューウィンドウを開いて見せる。ウェイドとの稲荷取引によって増やされたメニューの中には、かなりトンチキな物も含まれていた。

 エレクトリカルおいなりさんは、帯電していて食べるとビリビリと痺れる稲荷寿司らしい。ロボットが食べて大丈夫なんだろうか。


「では、ひとまず100皿ほど頼みましょうか」

「100!?」


 一切の躊躇なくウィンドウに指を滑らせる光。すぐさまテーブルに無数の光り輝き帯電する稲荷寿司が運ばれてくる。


「頼みすぎじゃないか?」

『妾ならペロリじゃぞ!』

「T-1はちょっと黙ってろ」

『むぐぅ!? ……うまうま』


 目をキラキラとさせるT-1の口にエレクトリカルおいなりさんを突っ込み、財布の中身を確認する。流石にこれ全てをご馳走になるわけにはいかないだろう。

 しかし、光は自分もエレクトリカルおいなりさんを食べながら俺の動きを止めた。


「私も食べますから、良いですの」

「そうもいかないだろ。ほとんどT-1に食べられるぞ?」

「私、80皿以上は食べるつもりですのよ」

「ええ……」


 そういえば、彼女もレティと同じ人種だった。光とレティが二人でこのカフェテリアの在庫を枯渇させたのも記憶に新しい。

 光の言葉は一切の誇張がないようで、彼女は次々と稲荷寿司を飲み込んでいる。


「光は、ここにも良く来るのか?」


 その流れるような食べっぷりに恐れ戦きながら尋ねると、彼女は頷いて口を開いた。


「こちらのカフェテリアは研究ポイントでもお支払いができますから。……私、戦いはあまり得意ではなくて、お金もあまり稼げないんですの」

「なるほど」


 たしかに、光の武器は大盾だ。〈紅楓楼〉の仲間が揃っている時ならともかく、単独での狩りはなかなか難しく、効率よくビットを稼ぐのも難しい。

 植物園ではパズル的な研究をこなしてポイントを稼げるから、彼女にとってはコスパがいいのだろう。


「たまに失敗して収容違反が発生しますけど、それも耐久の練習になって良いですの」

「なるほど?」


 研究に失敗すると植物が暴走して、収容違反になる。その場合はチャンバー内が鎮圧されるまで激甚な被害がでるのだが、彼女はそれも訓練に使っているらしい。

 防御特化の盾役タンクらしい発想と行動ではあるが、なかなかエキセントリックである。

 研究ポイントが稼げることと、盾の練習ができること。その二点のため、光はよく一人でもここを訪れていると語った。


「最初はフゥちゃんとモミジちゃんに誘われて始めたんですけれど、慣れると楽しいですの」

「そうだな。簡単なパズルも多いし、暇つぶしもできる」


 今の時点でも160の原始原生生物が保管されており、それらに関する研究パズルが複数用意されている。戦闘が不得手なプレイヤーでもできるため、人気はかなり高いらしい。

 二番目の町である〈ウェイド〉にあるため、初心者でも参入しやすいという点も人気の理由の一つだろう。


「そういえば〈紅楓楼〉は最近どうなんだ?」


 次々と稲荷寿司を消していく光に、近況を尋ねる。俺たちが色々とやっている間に、彼らも何かしているはずだ。


「ひとまず〈ミズハノメ〉には到着しましたの」

「へぇ。順調じゃないか」


 〈奇竜の霧森〉まで到達できれば、スキルはレベル80まで上げられる。後はプレイヤーの技術や装備などに重点が移るため、カエデたちも割合早く海を越えることができたようだ。

 しかし、光は少し浮かない顔をして、エレクトリカルおいなりさんを摘まむ。


「ただ、〈花猿の大島〉の攻略がなかなか進みませんの」

「大島の? カエデなんか得意だと思うけどな」


 意外な言葉に少し驚く。あそこの原生生物は人型が多いこともあって、難航するプレイヤーも多い。しかし、〈紅楓楼〉のリーダーであるカエデは対人戦も得意だ。だから、難なく突破できると思っていたのだが……。


「それがカエデさん、何を思ったのか目隠しで花猿を倒すって言って聞かなくて」

「ああ……」


 なんとなく理由が分かってしまった。

 どうやら、彼はトーカにできたことなら自分にもできると張り合っているのだろう。そのせいで攻略が行き詰まっているのは、頭を抱えてしまう。


「そうだ、レッジさん。私達の〈花猿の大島〉攻略を手伝って頂けませんか?」

「俺が?」


 光が手を叩き、唐突に言う。あまりに脈絡がないことで驚いていると、彼女は続けた。


「レッジさんは客席で見ているだけで良いですの。たぶん、その方がカエデさんも張り切ると思いますの」

「俺は一体どういう物だと思われてるんだ……?」


 よく分からない理屈だが、光は確信を持っているようだ。

 そこへ、一心不乱にエレクトリカルおいなりさんを頬張っていたT-1が口を挟んでくる。


『もがもが、もぐもぐも』

「全部飲み込んでから話せ」

『……ごくん。――よいではないか。妾も応援に行きたいのじゃ!』


 これも指揮官としての務めじゃな、などと言っているT-1の口元に付いている米粒を取る。触っただけで静電気のようなものが指先を貫いた。


「本当のところは?」

『〈コノハナサクヤ監獄闘技場〉の限定おいなりさんを食べてみたくてのう。タコライスおいなりさんとか、バサシおいなりさんとかがあるそうじゃぞ』


 どこまでも稲荷寿司中心のT-1にがっくりと力が抜ける。光はそれを聞いて肩を震わせ、そして頷いた。


「では、無事に私たちが花猿を突破できましたら、皆さんに好きなものをご馳走しますの」

『やったのじゃ!』


 その言葉に、T-1が諸手を挙げて歓喜する。監獄闘技場の売店は普通にビット支払いなのだが、大丈夫なんだろうか。


「話は聞かせて貰いました! レッジさん、行きましょう!」

「うわぁ、レティ!? 突然だな!」


 更に背後でいつの間にか立っていたレティが叫び、思わず跳び上がる。どうやらログインしてすぐに俺の現在地までやって来たらしい。

 突然な彼女の乱入にも関わらず、光は笑みを深める。


「もうすぐ〈紅楓楼〉の皆もログインしてくると思いますので、早速お願いしますね」

「任せて下さいよ!」

『おいなりさん! おいなりさんじゃ!』


 初っぱなからフルスロットルのレティと、まだ食べ足りない様子のT-1。二人のそんな様子を見ては、とても断れる雰囲気ではなかった。


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Tips

◇エレクトリカルおいなりさん

 植物型原始原生生物管理研究所内カフェテリアにて提供されている限定メニュー。指揮官T-1監修のバイオニックおいなりさんシリーズの第88弾。“剛雷轟く霹靂王花”の研究の過程で発生した超帯電物質のメカニズムを応用した、刺激的な一品。見た目は帯電し黄色く発光するただの稲荷寿司だが、食べると瞬間的に強烈な電流が放たれる。


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