第748話「快晴の下」
神様、ありがとうございます。
そう感謝せざるを得ないほどの幸運がわたしに舞い降りた。なんという運命の悪戯か、奇跡のような物の運びで、わたしはレッジと二人で、そう、ショッピングに繰り出すことになった!
レティたちには悪いけど、今日はこの役得を存分に楽しませて貰おう。それもこれも、日頃の行いが良かったからだ。このチャンスを逃さず、他のライバルたちに大きく差を付けてリードしてやるのだ。
「あら、レッジじゃない。ラクトも。こんにちは」
「ネヴァが街中にいるとは珍しいな」
神様、あなたを恨みます。
レティたちと分かれて数分。市場に辿り着いた瞬間、わたしたちは白髪のタイプ-ゴーレムに出会った。
いつものようにデニム地の作業着と白いシャツを着たネヴァは、瑠璃色の瞳をレッジに向ける。
普段は工房に籠もりきりの彼女が街中に、それも本拠地から遠く離れた〈ミズハノメ〉まで遙々やってくるなんて、一体どういう風の吹き回しだろう。まさかわたしたちの同行を察知して、急いでやってきたのでは、なんて妙な予想も浮かんでくる。
「私だって用事があれば外に出るわよ。今日は第二開拓領域じゃないと採れないアイテムの仕入れに来たの」
ネヴァは肩を竦め、不本意そうに来訪の事情を口にする。
〈花猿の大島〉と〈黒猪の牙島〉でしか確認されていない希少なアイテムは実際に存在しているし、彼女の言っていることは事実なのだろう。なにより、ネヴァは生産分野の最前線を牽引するトッププレイヤーのひとりなのだから。
それにしても、あまりにもタイミングが悪すぎて思わず壁を殴りたくなるけど。
「レッジたちも買い物? レティがいないみたいだけど」
「ああ、ラクトの装備品とか色々な。レティたちは〈黒猪の牙島〉に行ってるよ」
ネヴァはレッジとわたしに視線を向けながら、自然と彼の隣に立つ。あまりにも違和感のない動きだからレッジは気付いていないけど、この鍛冶師はちゃっかり付いてくる気でいるらしい。
レッジは暢気に〈黒猪の牙島〉で起こったオーク軍団の話をネヴァにしている。
「また面白そうなことが起こってるわねぇ」
「そのおかげで色々と入り用なんだ。……ああ、そうだ。ネヴァに防爆遮断隔壁扉の新しい物を頼むつもりだったんだよ」
レッジがなんてタイミングが良いんだと笑顔で言う。〈ワダツミ〉の農園が内側から崩壊しないように押し止めている防御の要は、全てネヴァが作っている。だから彼女に頼むのは決まっていたはずだけれど、このタイミングじゃなくていいのに……。
注文を聞いたネヴァが呆れた様子で目を丸くして、また壊したの?と驚いている。最近は数日に一回の頻度で取り替えているから、わたしもそれに関しては同じ感想だ。
「いやぁ、植物がどんどんじゃじゃ馬になって来ててな。纏めて注文したら割引できたりしないか?」
「アセットパーツは消耗品じゃないんだけどねぇ」
ネヴァは首を縮めて言いながら、メモ帳にレッジの注文を書き記す。あとで作って送ってくれるのだろう。
その後もレッジとネヴァは二人で賑やかに話し続ける。二人は普段から一緒になって色々と妙ちきりんなアイテムを作っているし、いつもこんな感じなんだろう。
レッジの突飛な構想を、ネヴァが現実的に可能なレベルに組み立て直す。それ以外にも、既存のアイテムの改良案や、活用法についても熱心に話し合っている。
わたしは二人の楽しそうな横顔を見ながら、一歩後ろに下がって付いていく。
町は気持ちの良い陽気で、市場は賑やかなのに、あまり心が躍らない。
「レッジも、もうちょっと気が利いてもええのに……」
思わず、そんな言葉が口を突いて出た。けれど、それも二人には届かない。ただの独り言だ。
「じゃ、私はそろそろ帰るわね」
「おう。よろしく頼んだぞ」
「きゃっ!?」
ぼんやりと歩いていると、目の前で立ち止まったレッジにぶつかる。慌てて後ずさると、ネヴァが手を振ってきた。
「あ、あれ? ネヴァはもう帰るの?」
二人の話を全然聞いていなくて、困惑しながら尋ねる。ネヴァは当たり前でしょ、と腰に手を当てて頷いた。
「今日中に作りたい物も溜まってるし、レッジから新しい注文も受けちゃったし。早く帰って色々しなきゃ。――それに、二人の邪魔をしても申し訳ないしね」
「ひっ!?」
最後の言葉はわたしの耳元で小さく囁かれる。瑠璃色の瞳に全て見透かされてるような気がして、思わず顔が熱くなる。
「どうかしたのか?」
どうしようもない朴念仁が首を傾げるけど、背を伸ばしたネヴァは笑って誤魔化す。そうして、ちらりとわたしの方を見た後、中央制御塔の方へ歩き出した。
「じゃあね。ショッピング楽しんで頂戴」
「あ……。ありがとう」
離れていくネヴァに手を振る。
なんだ、彼女はとてもいい人じゃないか。
どうしようもなく緩んでしまう頬を手で押さえていると、レッジがこちらに振り返る。
「それじゃあ、自分たちの買い物をするか」
「うん!」
さっきまでの心の曇りはどこへやら。わたしは羽のように軽い足取りで、思わずレッジの手を掴んで歩き出した。
†
「いいですねぇ。私に速度で勝負を挑むとは! ――『迅雷切破』ッ!」
紫電が走り、木々を薙ぎ倒しながら迫る牙槍大猪を真っ二つに断ち切る。瞬間的に爆発的な加速を行い、その運動エネルギーで巨大な猪を断ち切ったトーカは、口角を高く上げてしゃらりと刀を鞘に収める。
「トーカ、よくあの突進に対応できますね」
「目で見てると追いつかないので、五秒後を予測しながら動くといいですよ」
「時々トーカの言ってることが分からなくなります……」
易々と言うトーカだが、それを行えるかどうかはまた別の問題だ。そもそも、五秒前となると突進の予備動作にも入っていない。レティは白い目で彼女を見て、背後から突っ込んできた突猪をハンマーで打ち上げた。
「レティも大概だと思うんだけどねぇ」
「レティはほら、聴覚がありますから」
どっちもどっちでは? と首を傾げるエイミーに、レティは説得力の無い弁明をする。
〈黒猪の牙島〉にやって来たレティたち一行は、何かの鬱憤を晴らすかのように、次々と原生生物をなぎ倒し、目覚ましい戦果を上げていた。
「はえええええっ!?」
三人のもとに悲鳴が届く。彼女たちが声のする方に視線を向ければ、氷の片手鎚と岩の斧を携えたシフォンが三匹の突猪に追われていた。
「た、助けてよぉぉ!」
「ごめんなさい。今ちょっと手が離せなくて」
「どうして嘘つくんですか!?」
そう言いながらもシフォンは目の前に立ちはだかる木の幹を蹴り、華麗な宙返りで突猪の背後を取る。牙は機術を乱す特殊な能力を宿しているが、胴体なら多少は攻撃も通る。彼女はそれに懸けて次々と機術の武器を叩き込んでいった。
「シフォンもだいぶ動けるようになりましたね」
「身のこなしに関しては、レティを越えてると思いますよ」
涙目になりながらも危なげなく突猪三体を撃破したシフォンを見て、トーカたちは感慨深い気持ちになる。彼女がほんの
「やはり、私の指導が良かったんですね」
「やっぱり、レティが練習に付き合っただけあります」
「流石、私の弟子だわ」
三人が同時に言って、それぞれを剣呑な目つきで見る。誰もが、シフォンを育てたのは自分だと強く確信していた。
「シフォンは私の後継者ですよ。あの回避力を見れば分かるでしょう」
「あの攻撃の仕方、特にハンマーの使い方はレティそっくりですよ」
「あら、身のこなしの基礎は私が叩き込んだつもりなんだけど」
三人は一歩も譲らず、強く主張する。
「そういうことなら、誰が一番強いかはっきりさせましょう。シフォンの実力を高めたのは、一番実力を持っている者に決まっています」
「いいでしょう、受けて立ちます」
「鏡威流も最近使えてなかったし、たまにはアタッカーとして動くのも悪くないわね」
トーカの少々雑な論理にもすんなりと乗り、戦意を見せるレティとエイミー。三人は武器を携え、獲物が居ないか鋭い眼光で周囲を見渡す。
その時、遠くの茂みが揺れ動き、そこから憐れな黒鎧猪が現れた。
「見敵必殺!」
「あれはレティの獲物ですよ!」
「実力で示しなさいな」
即座に動き出す三人。憐れな黒鎧猪は悲鳴を上げて遁走を開始する。いかに高い物理防御力を持っていようと、鬼のような形相の戦士三人に追われれば、本能的な恐怖がその身を支配するものだ。
「とりあえず、師匠ならわたしを助けてくれない!?」
今度は五頭の牙槍大猪に追われるシフォンの嘆きは、自称師匠たちには届かなかった。
「……レッジが居れば、もっと統率も取れるのに」
好き勝手に乱獲を始める暴走機関車のような仲間達を木の上から眺め、ミカゲは肩を竦める。そうして、彼もまたひとり気ままに森の中を飛び回るのだった。
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Tips
◇透き通った蒼塩結晶
純度の高い蒼塩の結晶体。非常に硬く、透き通っている。削れば舌触りの優しい高品質な食塩として料理に使用できるほか、結晶は軽量な盾や防具にも使用できる。装備アイテムの素材として使用した場合、LP伝導効率が高く、機術の発動に必要なLPを削減できる。
深い海の底、高い水圧と長い年月の中でじっくりと凝集した美しい塩の結晶。優しい波に洗われながら砂浜に流れ着き、穏やかな熱気に晒されることで密度を高め、美しく硬質な結晶となる。非常に貴重な、海からの贈り物。
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