第745話「蒼氷の甲板にて」
目を覚ます。
薄緑の粘液に満たされたガラス管の中に浮かんでいる。いくつものコードで繋がれ、様々な情報とブルーブラッドが供給されている。手を伸ばして見ると、黄色くペイントされた機体であることがわかった。
「死んだかぁ」
思わず声を漏らし、気泡が粘液の中に浮かび上がった。
『バックアップデータのインストールが完了しました』
『予備機体を起動します』
『機体格納水槽のロックを開放します』
システムアナウンスと共にガラス管が左右に開く。粘液が排出され、コードが切断され、自由の身となった。
「レッジさーーーん!」
「ごはっ!?」
円柱がずらりと並ぶ施設で呆然としていると、スケルトンの兎型タイプ-ライカンスロープが駆け寄ってきて、腹に強烈なタックルを喰らう。なんとかそれを受け止め、彼女が予備機体状態のレティであることに気がついた。
「レティも死に戻りしたのか」
「わたしもだよ。ぐへぇ」
背後から現れたのは、タイプ-フェアリーの予備機体だ。その声から、中に入っているのがラクトであることを察する。
「ということは、全員か」
「まあ仕方ないですね。あんなの、どうしようもないです」
悔しそうに足元の金網を踏みながら、レティが言う。それを聞いて、俺もつい数分前に〈黒猪の牙島〉で起こったことを思い出した。
簡単に言えば、俺たちは負けたのだ。天下の騎士団、プレイヤーの中で最強と名高いアストラが居た上でなお、呆気なく。
彼の剣撃によってオークの群れが割れ、活路が開かれた。そこに突入したまでは良かったのだが、問題はその後だ。森の中から、更に大量のオークが現れた。更に森の中心に居座る巨人オークがその手に携えていた棍棒を振り、それだけで敵味方諸共多くの者が吹き飛ばされた。
あれを理不尽と言わずして、なんと言えば良いのか。俺たちは結局、ボスらしき巨人オークの足元にすら辿り着けず、圧倒的な物量に押し切られ、全滅もしくは壊滅してしまった。
「ああ、機体回収はどうなるんだろう」
死んでしまった以上、それは仕方ない。今は現地に転がっている機体を無事に回収できるかどうかが気がかりだった。
「とりあえず、現地に行ってみますか」
「そうするしかないよねぇ」
レティの提案に乗り、俺たちはひとまずアップデートセンターから出る。一時間ぶりの〈ミズハノメ〉は、相変わらずの活気である。
しかし、特に戦闘職らしいプレイヤーたちが物々しい顔つきになっている。すでに〈黒猪の牙島〉の事件は知れ渡っているようだ。
「機体回収支援便、もうすぐ出発しまーす!」
町を見渡していると、アップデートセンターのすぐ側で声を張り上げているプレイヤーを見つけた。銀の鎧に大鷲の徽章を着けた装いは、〈大鷲の騎士団〉の団員だ。彼はアップデートセンターから続々と出てくるデッサン人形のような予備機体プレイヤーたちに向けて、声を掛けているようだ。
「機体回収支援だって。ちょうどいいじゃん」
「俺たちも便乗させてもらうか」
どうやら、それは騎士団による支援事業の一つのようだった。〈黒猪の牙島〉で多くのプレイヤーが一斉に死に戻りしたため、彼らの機体回収を手伝ってくれるらしい。
渡りに船とはこのことだ。俺は他のプレイヤーたちと一緒に騎士団員に案内され、港湾区画に停泊していた騎士団の超大型ユニット複合式居住型機術装甲蒼氷船リヴァイアサンに乗り込む。大人数を一気に輸送するなら、ヤタガラスよりこちらの方が都合がいいのだろう。
「やっぱり、騎士団の船は大きいですねぇ」
「うちの“水鏡”と比べると、桁が違うよ」
レティとラクトは広い甲板を見渡し、感嘆の声を漏らす。騎士団の主力艦というだけあって、その大きさはまさしく桁違いだ。全長は300メートルを越え、甲板はグラウンドの如き広さだ。
「リヴァイアサン、出航しまーす!」
騎士団員の声と共に、巨大な船が動き出す。
船縁に集まったプレイヤーたちが白い波に歓声を上げる中、船は大洋へと乗りだし、〈花猿の大島〉の向こうにある島へと進路を向けた。
「やあ、レッジさん!」
「うおっ!? 誰かと思ったら、アストラか?」
35人の機術師による大規模な輪唱アーツによって快調に進む船の上、ぼんやりと青い水平線を眺めていると、背後から突然声を掛けられる。驚いて振り返ると、タイプ-ヒューマノイドの予備機体が至近距離に迫っていた。
彼の爽やかな声を聞いて、中身を察する。そして、それと同時に驚いた。
「まさか、アストラまで死に戻りするとは」
「ははは。俺だってびっくりしました。攻撃は全て避けたと思ったんですけどね」
そう言ってスケルトン、もといアストラが爽やかに笑う。黄色いペイントがされた銀色のデッサン人形のような状態でなおイケメン仕草が滲むのだから、不思議なものである。
「俺としては、レッジさんが死んだ方が驚きなんですが」
俺の隣に立ち、船縁に背を預けながらアストラが言う。
「買い被りすぎだ。俺だって死ぬ時は死ぬよ。さっきだって、一回死んで機体を回収して、戻ろうと思った時にアレがあったんだ」
「そうだったんですか」
アストラはどうも俺のことを過大評価しすぎている節がある。
しかし、釘を刺したにもかかわらず、アストラは分かっているのかいないのか曖昧な相槌で流してしまった。
「それで、レッジさんはどう見ます?」
「そうだなぁ……。情報がないことには」
「どうぞ。解析班から挙がったものです」
「……絶対機密の奴だろ、これ」
待ち構えていたように渡されたのは、オークたちの鑑定結果だ。まだ騎士団が報告書にも纏めていない一次データを、団長が外部の者に横流しするとは。
「絶対流出させないでくださいね」
「分かってるよ」
そんなこと言うなら渡すな、と返したくなる。しかしこの青年はニコニコと笑うだけだろう。
俺はデータを開き、中身を確認する。
“
「こいつら、“〈黒猪の牙島〉に生息していた原生生物”なんだな」
その情報を流し読み、気になったところを挙げる。どうやらそこはアストラも認識している様子で、彼は頷いた。
「“生息している”ではなく“生息していた”です。つまり、かつて存在していたが、現在はいないはずのもの」
「まるで原始原生生物みたいだな」
思い出すのは、ウチの農園や〈ウェイド〉の植物園に保管されている植物たちだ。
第零期先行調査開拓団によって種が蒔かれ、荒れ狂う環境を整えるために生み出された原生生物たち。彼らが荒野を耕し、荒波を鎮め、嵐を収めていった。そして、平穏な環境になると彼らはそれに適応できず絶滅した。
「あれも一種の原始原生生物か?」
「それなら、そう書いてあるはずですが。俺はむしろ、黒神獣に近いと思っています」
黒神獣もまた、かつてこの大地に溢れていた存在だ。
白神獣と未詳文明の両者と敵対し、争い、そして今日では各地で封印されている強大な存在。それもまた、第零期先行調査開拓団由来のもの、もっと言えば何かしらの理由によって正気を失った調査開拓員であることが分かっている。
「あれらが黒神獣なら、神核実体があるはずだ。それを海底神殿に持っていって浄化するか、コノハナサクヤの所に持っていけば、なんとかなるかもしれん」
「しかし、そのためにはまずボスに近づく必要がありますね。他のオークはどれも神核実体が確認できませんでした」
アストラは、森の中心に居座っていた巨人オークに神核実体があると考えているようだった。他の“
「あれを攻略するのは、骨が折れそうだな」
「そうですね。正直、今の段階では厳しいと思います」
アストラはこちらが驚くほどあっさりと認めた。他ならぬ彼自身があっさりと負けたことが大きいのかも知れないが、理性的に判断できるのは素晴らしい。
「けどなぁ……」
俺はこれまでの記憶と思考を掘り返し、腕を組んで唸る。アストラがこちらを覗き見てきた。
「なんとなく、あのオークたちが黒神獣とは思えないんだよな」
確かに黒い毛皮を纏ってはいるが、黒いからといって全て黒神獣であるとは限らない。
アストラはいまいち納得できない様子で、詳しい説明を求めてきた。
「黒神獣って、もっと単純というか、バカな気がするんだよな」
「バカ、ですか」
俺が言った言葉をアストラが繰り返す。
少し言い方を間違えた気がして、言葉を重ねる。
「もっと本能的というか、動物に近い感じだ。前に雪山でも猪型の黒神獣と戦っただろ」
「あの時はレッジさんが瞬殺してたと思いますが……」
〈アマツマラ〉のシードを落とすために行った戦いだ。そこで現れた“双牙のアルボルディル=アルゴス”をDAFシステムを使って倒したことがある。
あの時以降も何度か黒神獣と戦っているが、その時の感覚と今回のオーク戦では何か違う気がした。
「アルボルディル=アルゴスは凶暴だった。本能のまま、目についた全てのものを敵として攻撃していた。他の黒神獣もそうだ。でも、オークたちは軍勢として戦っていたように思うんだ」
アストラが先の戦闘を思い返す。とはいえ、彼は途中から参戦したから、分かってくれるかどうかは微妙なところだったが。
「もっと言えば、オークに色々役職がある時点でかなり知能が高いのは確実だろ」
「なるほど。それはそうですね」
これは、今までの原生生物や黒神獣には無かった特徴だ。
「俺たちは、本当に原生生物を相手にしてるのか?」
同種の原生生物の中で仕事を分け、それに特化している。それぞれが専門職となることで、全体としての力を高めている。
その特徴は、俺たち調査開拓団と同じものだ。
_/_/_/_/_/
Tips
◇
〈黒猪の牙島〉に生息していた原生生物。二足で直立する猪頭の人型をしている。木を削った長槍を持ち、未加工の生皮を粗雑に繋げた鎧を着ている。周囲の“
鈍った牙の浅ましき猪人よ、我に続け。我が手足となって、立ち阻む敵へ突き進め。我が意は我が主の意なり。諸君らの戦果は我が主の栄光なり。
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