第744話「猪人達の蜂起」

 森の中から現れたのは、猪頭の巨人だった。以前、海底神殿で出会った鮫頭の門番を思い出すが、その巨人は全身が黒色に染められていた。赤い双眸が睥睨し、天に向かって大きく吠える。

 俺が茫然自失としている間にも、アイは迅速に行動を始めていた。


「森の中にいる団員と連絡を取り、状況の把握を! 情報収集戦闘の準備を進めなさい!」

「副団長、デカい奴の足元に小さいのがいっぱい出てきてます!」

「もっと具体的に報告しなさい!」


 団員の悲鳴があがり、アイが叱咤する。

 血の気の多いプレイヤーが森の中に飛び込み、そして即座に逃げ帰ってきた。


「お、オークだ! オークが出てきた!」

「オーク!?」


 海岸が騒然とするなか、森の中から黒い猪が飛び出してくる。否、それは猪頭の人型だった。腰に毛皮を巻き付け、手には荒削りの棍棒を携えている。


「ほんとにオークじゃん!」


 それを見たラクトが驚愕する。

 俺も、他のゲームでよく目にしたモンスターだ。豚、もしくは猪と人間が混じったような種族。多くのばあい亜人などと呼ばれるような存在。

 それはブヒブヒと濁った鳴き声を上げながら、続々と姿を現す。その数は瞬く間に増えていき、数十にのぼった。


「ええい、叩け叩け!」

「豚だろうが猪だろうが、原生生物には変わらん!」


 尻込みしていたプレイヤーたちが気を取り直して攻勢に出る。彼らの武器が振るわれ、黒毛のオークたちを傷つける。


『プギィッ!』

『ブギュッ!』

「ひええ、キモいキモい!」

「焼豚にしてやるーー!」


 幸いなことに、オーク達の個々はさほど脅威ではない。これまでの調査開拓活動で揉まれた歴戦の調査開拓員たちは、次々とそれを打破していく。


「鑑定結果出ました! “粗暴な猪人ワイルドオーク”です」

「本当にオークなんですね……」


 解析班からの報告を受け、アイが瞼を攣る。ずいぶんとまた、ファンタジーな住人が出てきたものだ。


「オークの強さはそこまで高くないです。囲まれたとしても、一人で突破できるでしょう」

「数が多いのであくまで慎重に。森の中央に出てきた巨大オークの存在も注視していてください」


 アイの指揮のもと、騎士団が本格的に動き出す。

 彼らの緻密な連携による群体行動によって、オークの群れは瞬く間に食い散らかされる。流石は騎士団とでも言うべき、圧倒的な力だった。


「やっぱり騎士団は流石だよなぁ。……レティ?」


 隣に居るはずのレティに話しかけて、そこで初めてレティが忽然と消えていたことに気がついた。首を傾げて周囲を見渡すと、ラクトが激戦の広がる砂浜の一角を指さした。


「レティならもうあそこにいるよ」

「え?」


 黒い波のように殺到するオークの群れが、突然大きく開いた地面の亀裂の中へと落ちていく。それが閉じた直後、強い衝撃が発生し、オークがまるでタンポポの綿毛のように次々と吹き飛ばされていた。


「はーはっはっはっ! 弱いですね、小さいですね、愚かですねえ! そのような細い腕では、レティを捕らえることなどできませんよ! 大人しく森に帰りなさい!」


 衝撃の中心で高笑いしているのは、見慣れた赤髪の兎である。少し目を離した隙にオークの群れへと飛び込んだ彼女は、鮫頭の鎚を存分に振るい、憐れな猪人たちを蹂躙していた。

 彼女の獅子奮迅の活躍に煽がれ、周囲の戦士たちも気炎を上げている。彼らは手当たり次第にオークを切り伏せ、叩き潰し、千切っては投げ、千切っては投げ。見ているとオークの方に同情してしまうほどの戦果を上げていた。


「ねえ、レッジ」

「どうした?」


 いつも通りなレティに呆れていると、ラクトが俺の服をくいくいと引っ張ってくる。どうかしたかと振り向くと、彼女はどこかよそよそしい様子でこちらを見上げていた。


「このへんなら場所も開けてるし、ちゃんとしたテント建てられるよね?」

「うん? ……ああ、そういうことか」


 彼女の言わんとすることを理解し、俺はテントセットを用意する。取り出したるはベストオブオーソドックス、“鱗雲”である。それを砂浜の上に建てると、ラクトは早速その上に登る。


「ふふふ。レティに後れを取るわけにはいかないもんね……」


 彼女は不敵な笑みを浮かべ、次々と自己バフを展開していく。眩い光がラクトを包み、その力を高めていく。極限まで機術行使にステータスを最適化し、最大限の能力を発揮するために。


「『立ち込める妖雲。浸潤する風。たなびく濡れ髪。蹌踉めく片足。降り注げ、突き貫け、浸透せよ。其れは轟く天の怒りの槍。それは愚鈍たる獣への誅伐。千の鱗刃に飛沫を上げろ。――荒天剣雨』」


 テントの頂で謳うラクト。彼女の一言が紡がれるに従い、晴れ渡っていた空に黒々とした雲が渦巻く。

 その規模は加速的に拡大し、やがて空を覆い尽くす。

 地響きのような低い音が鳴り響き、そして無数の氷片が降り注いだ。


「うおわあああっ!? なんだこれ!?」

「痛ぇ!? いや、痛くない!」

「アーツなの?」

「規模がでかすぎんだろ……」


 混戦していた砂浜で驚愕の声が上がるが、その氷片がオークのみを貫くのを見て次第に収まる。

 俺はラクトの方を見て、彼女だけは怒らせないと胸に誓った。


「やっぱりテントは最高だね。でっかい術式も撃ち放題だし」

「そりゃよかったよ」


 当の本人はご満悦で、その後も次々と氷を投げている。そのどれもがマップ兵器並の威力を誇り、砂浜に大穴をいくつもあけていく。

 テントのLP回復能力を存分に活かし、ラクトは固定砲台として戦場をおおいに楽しんでいた。やっぱり、彼女も〈白鹿庵〉の攻撃職なのだ。

 しかし、あれだな。


「多くのオークたちが……」

「は?」


 ぼそりと呟いた言葉は、ラクトの冷ややかな視線で止められる。ちょっと言いたかっただけなんだが。


「副団長!?」

「アイさん!」


 ラクトが楽しんでいるのを見ていると、騎士団が抑えている戦線の方で声が上がる。そちらに目を向けると、アイが一際大きなオークと対峙していた。


「『流転の閃刃』ッ!」


 アイの細剣が燦めき、蜂のように鋭くオークを突き刺す。しかし、“粗暴な猪人”よりも倍ほど背丈の高い筋骨隆々のオークには有効打にはなり得ていないようだった。


「あれは別種っぽいな。そういうのもいるのか」


 デカオークが手に持っているのは、骨から削り出したような大剣だ。それがアイの横腹目掛けて叩き込まれる。


「『瞬転』『弧刃の円舞』ッ!」


 しかし、アイの姿がブレたかと思うと、大剣の当たった瞬間に霧散する。直後、本物の彼女がデカオークの背後に現れ、その胴体を輪切りにした。

 流石は騎士団の副団長。その実力は、歌唱戦闘を抜きにしても高い。


「しかし、こいつらは一体なんなんだ?」


 後方でゆっくりできるのを良いことに、俺はテントに背を預けたまま思考を巡らせる。

 森の中からは次々とオークが現れている。粗末な腰巻きに棍棒だけを持った“粗暴な猪人”だけでなく、デカいオークや、生皮の鎧のようなものを着込んだ偉そうなオークも散見される。“猪人”という原生生物にある程度のバリエーションがあるのは確定的だった。


「そして、あの一番デカい奴は動かないな」


 森の中心、木々の中から肩から上だけが見える巨大なオーク。オークの巨人とでも言うべきそれは、一度咆哮を上げたきり動かない。目を大きく開いたまま、俺たち、もしくはこの戦いを眺めている。

 アレの元へと向かおうとしているプレイヤーもいたが、森の中から溢れるオークの圧力が強すぎて、到達もままならないようだ。


「ぐわーーーっ!」

「くそ、コイツらどんどん強くなってやがる!」

「くっ、殺せっ!」


 オークの出現は際限なく続き、徐々にこちらが疲弊している。向こうは無限に湧き続けるのに、こちらは死ねば遠い〈ミズハノメ〉に戻されるのだ。

 話を聞きつけた他のプレイヤーも続々と駆け付けているが、焼け石に水だろう。

 何よりも厄介なのは、猪人たちの特性だ。


「どう考えても、知性があるよなぁ」


 今までの原生生物とは、大きく異なっている。

 衣服を身に着け、武器を携える。戦うほどに学び、そして強くなる。集団として協力し、敵を撃破する。どう考えても、彼らには思考があった。

 まさしく亜人。人に近い者としての特性があった。


「副団長! このままでは戦線が決壊します!」

「右翼が崩壊! このままでは挟み込まれます!」


 〈大鷲の騎士団〉も健闘しているが、戦線の維持がやっとのところだ。騎士団の手が及ばない、ソロプレイヤーたちが集まっている箇所は既に崩れ、オークたちが側面から迫ってきている。


「これは、悠長にしている場合じゃないか」


 レティとラクトも激戦を繰り広げているが、それでも抑えきれない。

 オークの群れは白い砂浜を覆い尽くし、周囲には血と獣の臭気が立ち込めている。

 俺が槍と解体ナイフを手にした、その時だった。


「――待たせたっ!」


 空が陰り、何かが降ってくる。

 それは青いマントを広げながら、オークの軍勢のど真ん中に降り立った。その衝撃だけで数十の猪人たちを吹き飛ばしながら、背中から巨大な剣を引き抜く。

 彼の存在に、絶望しかけていたプレイヤーたちが歓声の声を上げる。拮抗していた戦線が、再び動き出す。


「聖儀流、三の剣『神覚』。重ね、四の剣『神啓』。重ね、五の剣『神崩』。重ね、六の剣『神愚』。重ね、七の剣『神羅』。重ね、八の剣『神気』。重ね、九の剣『神光』」


 彼は朗々と声を上げながら、ただ剣を振るだけで屈強な猪人たちを薙ぎ払っていく。身の丈よりも更に大きな猪人も軽やかに切り伏せ、皮の鎧を着た猪人も容易く貫く。

 黄金色の髪の下で、青い瞳が笑っていた。

 なぜこのような祭りに出遅れてしまったのかと。ならば、今からでも盛大に楽しもうと。


「一気に道が開きます! 全員、突撃準備!」


 アイが全体に向かって叫ぶ。彼女の号令に呼応して、クリスティーナが長い槍を高く掲げる。その背後に、騎士団とそれ以外、全てのプレイヤーが続く。


「――結び、一の剣――『神雷』」


 アストラが剣を振るう。

 光を纏った刀身が、真っ直ぐに振り下ろされる。

 それは一条の雷となり、猪人の群れを貫いた。それだけで終わらず、木々をなぎ倒し、森を割る。更に土を削り、島を断つ。

 そして、その中央で高みの見物を決め込んでいた黒猪へと至った。


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Tips

粗暴な猪人ワイルドオーク

 〈黒猪の牙島〉に生息していた原生生物。二足で直立する猪頭の人型をしている。木を削った棍棒を扱い、膂力も強い。非常にタフで、多少の傷では怯まない。

 知性は低く、短絡的。しかし凶暴で死を恐れず、より強き同胞に従う習性を持つ。

 地に蔓延る野蛮なる者。牙は鈍り、瞳は濁り、毛は染まった。彼らは平伏する。かつて威を振るった大いなる主に。彼らは盲従する。深き眠りの中で力を溜める大いなる主に。彼らは蜂起する。来たるべき叛逆の時代に覚醒する主と共に。


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