第743話「猪頭の覚醒」

 ギリギリ機体回収の間に合ったラクトによる決死の機術によって、俺とレティも無事に機体を取り戻すことができた。ラクトは機術の反動によって危機的な状況に陥っていたが、それも回復している。彼女のデバフが切れるまでの間は冷や冷やしたが、幸運にも二頭の牙槍大猪以外の原生生物は現れなかった。

 現在は森の中にテントを建て、焚き火を起こしてLPの回復に努めている。機体回収をしたとはいえ、LPが100%戻っているわけではないのだ。


「ラクトも随分な隠し球を持ってましたね。事前に使ってくれてれば、そもそも死ぬことも無かった気がするんですけど」

「無茶言わないでよ。これ使ったら強制的にLPが1に固定されるし、移動できなくなるし、防御力なくなるし、全身凍っちゃうんだよ?」


 テントの前に立てた焚き火に当たりながら、暖かいココアを飲みつつラクトが言う。

 彼女が使った上級連続長大詠唱大規模多段階完全機術というものは、固有術式の上位版らしい。発動には長い詠唱と希少なアーツチップを必要とし、その上で大きな反動が生じる。そのぶん威力は絶大だが、気軽に連発できるような代物ではない。


「まあ、使うかどうかはともかく、アレのおかげで助かったよ」

「ふふん。日頃の趣味が生きたね」


 ラクトの趣味は、様々なアーツチップを集めることだ。そのためにニッチな任務をこなしたり、街中にいるNPCからの依頼を探して引き受けたり、普段から色々とやっている。今回の機術も、彼女のそんな地道な活動の中で見つかったものだったらしい。


「ラクトのLPも回復しましたね。一度〈ミズハノメ〉に戻りましょうか」


 レティが三人のステータスを確認して立ち上がる。

 一番危篤な状態だったラクトも完全に回復し、問題なく行動できるようになった。しかし、機体そのものが損傷を受けているため、戦闘は続行できない。

 回復したら町に戻るというのは、事前に決めていたことだった。


「ドロップアイテムも結構集まってますからね。ちょうどいいです」

「レティがいてくれると、いっぱい荷物持ってくれるから楽だねぇ」

「レティは荷物持ちではないんですが!?」


 カラカラと笑いながら、ラクトが立ち上がる。俺もテントの撤収を始めながら、マップを確認した。探索や狩猟を抜きにして、真っ直ぐに帰還するなら道のりは短い。


「そら、白月も帰るぞ」


 ひとりテントの中で丸まっていた白月を呼び起こし、荷物を纏める。〈ミズハノメ〉に戻ったら、軽く祝杯でも上げたいくらいだ。その後で、〈黒猪の牙島〉の攻略についても検討しなければならないが。


「しかし、あの黒鎧猪でもボスじゃないってのは、なんだか気が重くなるな」


 帰路に就きながら、先ほどの大猪を思い出して肩を落とす。黒鎧猪はただの原生生物であり、ボスどころかレアエネミーですらない。あの強さが、このフィールドでは標準なのだ。

 そのことはレティやラクトにとっても気がかりだったようで、二人も暗い表情を浮かべる。


「あの黒鎧猪、ヴァーリテインより強い気がするんですよね」

「単純に比べられないけど、勝ってる部分はあるだろうね」


 よくあることと言えばそうなのだが、最前線のモブが前のフィールドのボスより強いというのは奇妙な感覚だ。それだけに第二開拓領域〈ホノサワケ群島〉の異質さが際立っている。


「そもそも、ここのボスってまだ見つかってないんだよね」

「ああ。騎士団とかが全力で探してるはずなんだがなぁ」


 〈黒猪の牙島〉は不可解なことに、〈花猿の大島〉よりも面積的には小さいにも関わらず、未だにボスが発見されていない。これまでの流れから“黒猪”がボスであるはずなのだが、その姿を見たという者が現れない。

 ただの“黒猪”であれば黒鎧猪も該当するのだが、あれはただのエネミーでしかないのだ。

 〈大鷲の騎士団〉や〈黒長靴猫BBC〉、〈七人の賢者セブンスセージ〉など錚々たる面々が集結して連日のように捜索を行っているが、“黒猪”の居場所は杳として知れない。


「花猿の時と同じように、異空間にあったりして」


 ラクトが冗談めかして言う。


「その線も調べられてるみたいですよ。三術連合の術師がレイラインを探索していますが、目立った点はないようで」

「へぇ。ミカゲも色々やってるんだねぇ」


 ミカゲは〈白鹿庵〉所属だが、非バンド組織である三術連合のリーダーも務めている。最近はそちらでの活動も活発化していて、彼なりに忙しくも充実した日々を過ごしているらしい。


「しかし、そうなるといったい何処にいるんでしょうね」

「さてなぁ。そのうち騎士団が見つけ出すとは思うが……」


 アストラやアイたち騎士団は優秀だ。ボスがどれだけ巧妙に隠れていようと、草の根を分けて探し続け、やがて発見することだろう。

 それと同時に、イザナミ計画実行委員会――つまりはFPOの運営のことも信頼している。彼らが理不尽に見つけられないようなものを用意するとは思えない。

 その二つの方面から見て、俺はそこまで焦る必要はないと考えていた。


「ま、レティたちはエンジョイ勢ですからね。ガチ勢の皆さんが見つけてくれたものを後で楽しむだけですよ」

「そうだよな。気楽に行こう、気楽に」


 レティも言っているように、俺たち〈白鹿庵〉は攻略に熱心なガチ勢バンドではない。自分たちの気の向くままに調査開拓活動を行う、自由な気風の仲間だ。

 熱心にボスを探し回るより、見つかったボスにチャレンジする方を選ぶ。なので今日もさっさと〈ミズハノメ〉に戻って、ゆっくりとお茶でも――。


「うおおおおっ!?」

「きゃあっ!?」

「ほぎょぺぁっ!?」


 森の奥に橋の架かった砂浜が見えた、ちょうどその時だった。突如として大地が大きく揺れる。立っていられないほどの激震に、俺たちは四つん這いで身を寄せ合った。


「れれれ、レッジさん! これは!?」

「分からん。とりあえず砂浜に出るぞ!」

「ひぃん!」


 涙目のラクトを抱きかかえ、レティの腕を引いて走る。白月も冷静に周囲を見て、安全そうな道を先導してくれる。

 周囲で木々が倒れる音が聞こえる。猪たちの突進にも耐えてきた堅木も、地面が崩れては抵抗できない。俺たちはそれに巻き込まれないよう、急いで開けた砂浜を目指す。


「何が起こったんだ!?」

「イベントか?」

「全員こっちに集まれ! フィールドに取り残された奴を助けるのは、揺れが収まってからだ!」

「めっちゃ胸が揺れちゃうわ」

「微動だにしてぎゃああっ!?」


 砂浜には森から逃げてきたプレイヤーが続々と集まっており、周囲の仲間に声を掛けている。かなり大きな地震だが、余裕があるのは国民性か仮想現実故か。

 ともかく、壊滅的なパニックは発生していないようだ。タイプ-ゴーレムの男性がタイプ-フェアリーの女性によって海に投げ飛ばされていたが、些細な問題だろう。


「レッジさん!」


 森の中から続々とプレイヤーが飛び出してくるなか、唐突に名前を呼ばれた。声のする方を見てみると、銀鎧を着込んだローズピンクの髪の少女がぱっと笑みを浮かべて駆けてくる。


「アイじゃないか! 来てたんだな」

「はい。騎士団の活動の一環で、今は24時間体制で攻略をしてたんです」


 アイの背後にはクリスティーナや騎士団の精鋭部隊である第一戦闘班の面々が続く。彼らともなんだかんだ付き合いが長く、互いに顔も覚えてしまった。

 俺の予想通り〈大鷲の騎士団〉はこの牙島の攻略にかなり力を入れていたようで、彼女たちは膨大な人員を投入して調査を行っていたらしい。ともあれ、アイと出会えたのは僥倖だった。騎士団ならば、この揺れの原因を知っているかもしれない。


「アイ、この地震は」

「すみません。我々もまだ分かっていなくて。現在、解析班が調査を進めているんです」


 俺が言い掛けた問いに先回りして、アイが申し訳なさそうに眉を下げる。


「いや、騎士団でも把握できてないってだけでも大きい大きい情報だ」

「となると、しばらくは待機するしかないですね」

「そうなります。揺れが収まり次第、森の中の調査と救助活動を行う予定です」


 アイから今後の方針を聞き、頷く。

 俺たちは〈ミズハノメ〉に戻る予定だったが、こんな異常事態を前にしてはそうもいかない。


「アイ、もし騎士団に技師がいるなら、機体の修理を頼みたいんだが」

「いいですよ。すぐに手配しましょう」


 少しの望みを懸けて頼んでみると、アイは驚くほどすんなりと了承してくれた。すぐに騎士団所属の技師が駆け付け、俺たち三人の損傷した機体を修理してくれる。


「ありがとうございます。助かりました」

「いえ。こちらとしても〈白鹿庵〉の皆さんと会えたのは嬉しいです。第一戦闘班と第一支援班だけでは、どうしても人員が足りないので」


 修理をしてもらった手前、当然手伝うつもりではあったが、アイは俺たちのこともしっかりと戦力に数えていたらしい。彼女に認められていると考えるべきか、今は猫の手でも借りたい状況だと考えるべきか。ともかく、俺たちもできるだけのことをしなければ。


「アストラたちは?」

「兄、こほん。団長はまだログインしてません。昨日も強制ログアウトギリギリまでプレイしてたので。そちらこそ、他の皆さんは?」

「一応メッセージは送っておいたよ。気付いた人から来ると思う」


 ラクトが伝言を送ってくれていたようで、ここにいない〈白鹿庵〉のメンバーもログインしていれば駆け付けてくれるはずだ。アストラたちがやってくるのも少し後になるだろうが、それは仕方ない。


「レッジさん、揺れが」


 アイと話しているうちに時が経ち、揺れが収まる。

 海岸に集まったプレイヤーたちは一様に森の奥へ視線を向けていた。誰もが臨戦態勢を整え、いつでも動き出せるようにしている。

 その時だった。


「お、おい。あれ!」


 プレイヤーの一人が声を上げる。

 周囲の人々が一斉に彼を見て、彼が見ているものを見る。視線を森の暗がりへと向けた時、木々が荒々しく倒れる音が響いた。


「なんだ、あれは!」

「デカいぞ。バリテン級だ!」


 群衆がざわつく。

 その間にも木々が薙ぎ倒され、それはゆっくりと身体を持ち上げる。

 全身を覆う、黒い毛皮。

 四肢は太く、巨木のように逞しい。

 口元からは立派な牙が伸びている。


「――巨人だ」


 それを見た誰かが、その姿を形容する。

 太い足で大地を踏みしめ、木々の上から顔を出す。

 手に握っているのは、無造作に抜き取った森の木々の一本だ。それを棍棒のように掲げ、巨人は大きく空に向かって吠える。


『オォォオオオ――ッ!』


 その声は大気を揺らし、衝撃波となって俺たちを押そう。波が立つほどの声が、聴覚を破壊する。

 あれは産声だ。

 眠っていたものが覚醒した。

 黒い毛皮を纏った巨人。人身猪頭の異様な原生生物。それが突如として現れた。


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Tips

◇『機体修理』

 〈換装〉スキルレベル30のテクニック。強い衝撃などによって破損した調査開拓用機械人形を修理し、再び稼働できる状態に戻す。修理の難易度は損傷の度合いによって変化し、修理に必要な素材の種類や数もそれに応じる。


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