第739話「帰ってきた少女」
ラクトとの戦闘練習から1週間ほどが経った。その間、彼女はFPOにログインしてこなかった。しかし、先日行われた定期メンテナンスのタイミングで彼女の使用していた技術――二重操作が正式に対応された。
ということはつまり、運営は無事にラクトと接触を図ることができたのだろう。ラクトがイザナミ計画実行委員会の研究に協力したということは、ひとまず彼女がこのまま何も言わず引退してしまうわけではない。とりあえず、俺はそう思っていた。
「うーん。やっぱり果実の強度を上げるには別の遺伝子が必要かね」
『また碌でもないこと考えてるわね』
「失礼な。未来に資する重要な研究だよ」
今日も今日とて、俺は〈ワダツミ〉の別荘地にある農園でカミルと共に土いじりに励んでいた。今栽培しているのは果実をそのまま弾丸に転用できる植物なのだが、やはり強度が足りない。強い衝撃を受けた時に大きな爆発を起こすようにはなったのだが、これでは発砲した瞬間に銃器の中で爆発してしまうのだ。
ここはやはり、鋼鉄杉のような頑強な植物の遺伝子を持ってくるしか――。
「こ、こんにちはー……」
「うおっと?」
俺が頭を捻っていると、園内のスピーカーから控えめな声が届く。農園の入り口にあるインターホンを通じたものだ。その声を聞き間違えるはずもない。俺はカミルに後を任せ、気密防爆遮断隔壁扉を開けて外に出る。
「ラクト! 久しぶりだな」
「お久しぶりです」
そこに立っていたのは、小柄な青髪の少女。恥ずかしそうにはにかみ、空色の瞳を細めている。
色白の頬を僅かに赤く染めている彼女のことを、俺はずっと待っていた。
ラクトは両手を前で組み、指を絡ませる。俺がじっと彼女の言葉を待っていると、彼女はゆっくりと言葉を選びながら口を開いた。
「せ、先日はご迷惑を……」
「迷惑?」
ラクトの言葉は、予想と違っていた。俺は記憶を巡らせ、彼女が二重操作を使った際のことを思い出す。あの時の彼女はいつもより素直に感情を口にしていて、端的に言えば幼かった。
あれは擬似的には、酒に酔った状態と同じようなものだ。そのため、忘れている可能性もあったのだが、しっかりと記憶は残っていたらしい。
「別に迷惑だとは思ってないさ」
「ほ、ほんとに?」
俺が首を振ると、ラクトは何度も確かめるように問い掛けてくる。
「ラクトに非があるわけじゃなかったからな。むしろ、ラクトの新しい一面が見れて新鮮だった」
「うぐっ。わ、忘れてくれて良いんだよ!」
彼女が少し調子を取り戻して大きな声をあげる。その様子を見て俺は思わず笑う。
「それに、ラクトは委員会の研究にも協力してくれたんだろ。そのおかげで情報送受信の効率化もかなり上がったって聞くし」
「そうなの? わたしはそんなに、難しいことをしたわけじゃないけど……」
ラクトは不思議そうな顔をする。
彼女が研究室の医療用VRシェルを使って行ったのは、二重操作だけだ。とはいえ、それは誰にでもできることではなく、だからこそ貴重なデータを集められる。
被験者を集めるのにも苦労している研究室からしてみれば、彼女のような人材は天から降ってきた恵みのようなものだ。
「ラクトのおかげで、FPOでも二重操作に対応したらしいからな。今後は心置きなく使えるはずだ」
「そ、そっか。なら、良かったのかな」
嬉しそうに笑うラクト。彼女の表情を見て、俺も密かに胸を撫で下ろす。
「正直言うと、ラクトがもうFPOを止めるかもしれないって思ってたんだ」
その心配がなくなったのを確信した上で、内心を吐露する。彼女はあまり驚かず、それに頷いた。
「わたしも正直、ログインできないかもしれないって思ったよ。れ、レッジにあんな醜態を晒しちゃったわけだし……」
「醜態?」
どうやら、彼女と俺では少し考えが違っていたらしい。
俺は彼女がゲーム内で脳に負荷が掛かり体調を悪くしたことで、もう二度とこちら側には来たくないと思ってしまうのではないかと考えていた。
しかし彼女は、そちらではなく二重操作の弊害で現れた第二の自分とでも言うべき言動や動きを恥じている。
「あれもラクトの一部には違いないんだろ。それも含めて、ラクトの魅力だと思うよ」
「そ、そうなのかな」
彼女を勇気づけるように言う。
実際、あれも彼女の一面だ。驚きはしたが、それが原因で縁を切るような発想にはならない。
「ああいうラクトも、また違って良いと思う」
「そ、そっか。ふーん、そっか……」
俺が何気なく言うと、彼女はそれを何度も反芻するように頷く。あんな些末なことで彼女と別れるのは、悲しいことだ。
「そ、それなら……もうちょっと素直になっても……」
彼女はうつむき、何やら小声で呟く。
言っている内容はよく分からないが、俺はとりあえず手を差し出した。
「というわけで、これからもラクトには期待してるからな」
二重操作が問題なくなったのであれば、それは力強い武器になる。一人で二つのアーツを同時に使えると言うことは、単純に戦力が倍増するということだ。
今後、〈黒猪の牙島〉やその奥のフィールドを攻略する際にも頼りになるだろう。
「ふふん。任せてよ。わたしが居れば百人力だからね」
「おう。これからもよろしく頼む」
すっかり調子を戻したラクトの頭を軽く撫でる。彼女の柔らかい毛に振れた直後にしまったと思ったが、彼女は目を細めてそれを受け入れた。
「ら、ラクト……?」
「レッジに頭を撫でて貰うのは、案外悪い気分じゃないんだ。フェアリーの特権だしね」
そう言って、彼女はクールな笑みを浮かべた。
「レッジさーん。この前のヴァーリテイン打ち上げ記録が無効記録になっちゃったので、リベンジしたいんですが――ってラクト!? な、なーにをやってるですかーーー!?」
そこへレティがやってくる。彼女は俺とラクトを見ると、目を丸くして跳び上がる。
ラクトはそんな彼女に挑発的な眼を向けて、俺の手をがっちりと掴んで自分の頭の上に固定した。
「ごめんねぇ、レティ。レッジはわたしとこれから〈黒猪の牙島〉に行くんだ」
「な、なんですと!? ほんとですかレッジさん!」
「ええっ!? い、今聞いたんだが」
俺の知らない予定を聞かされ、ぽかんとする。我に返ってラクトを見ると、彼女は今までで一番いい、眩い笑みを浮かべていた。
「前のデートは有耶無耶になっちゃったしね。そのリベンジと行こうよ」
「ちょああっ!? デゥェッ!? デ、デートってどういうことですか!?」
余裕を持ったラクトとは対照的に、レティは物凄く取り乱す。何をそんなに慌てているのか、彼女は耳のから尻尾の先までプルプルと震えている。
「ほら、レッジ行くよ」
「ちょ、ラクト!?」
ラクトに腕を引かれ、その場から移動する。レティはぽかんと口を開き、何やら魂が半分出かけたような姿で呆然としている。
俺の腕を引くラクトの横顔は、いつもより少し幼い。けれど、とても楽しそうだ。
「れ、レッジさーん!? レティも行きます! 付いていきますから!」
我に返ったレティが後を追いかけてくる。ラクトは無邪気な声を上げて、彼女から逃げるように足を速めた。
『何? どこかに出かけるの?』
「すまん、カミル。後でお土産買ってくるから」
騒動を察したカミルがTELを使って話しかけてくる。俺が農園の片付けを頼むと、彼女は快くそれを引き受けてくれた。
『別にお土産なんていらないわよ。ああ、でも多分防爆遮断隔壁扉の強度が足りなくなってるから、新しいのを買ってちょうだい』
「またかぁ……」
ネヴァが技術の粋を尽くして作り上げた頑丈な扉だが、品種改良を続けるとその性能を越えてしまうため買い換えが必要だ。
まだ更新したばかりなのだが、また懐が寂しくなってしまう。設備費用を稼ぐためにも、新しいフィールドの攻略は急務だ。
「レッジさーん!?」
レティが俺の名前を呼ぶ声がする。その声に、キッチンの涼しい陰で眠っていた白月も起き出す。
「それじゃあ、レッジ。行こうか」
すっかり戦闘準備を整えたラクトが、活力を漲らせた顔で言う。
俺は思わず口元を緩め、頷いた。
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Tips
◇気密防爆遮断隔壁扉
最先端の技術と高度な合成金属を使用した堅固な防御隔壁扉。強大な爆発にも耐え、内部に封印したものを守る。もしくは、内部のものを厳重に押し止める。
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