第740話「猪は止まらぬ」

 無事に復帰したラクトと、後から追いかけてきたレティ、そして俺。三人で再び〈黒猪の牙島〉の土を踏む。

 小さな島は相も変わらず殺伐とした場所で、攻略しようと果敢に挑む攻略組のプレイヤーたちもピリついていた。


「ここが最前線ですね。任せてくださいよ、レティがさらっと全部やっつけてあげましょう」

「レティはこっちに来るの初めてじゃないの?」


 謎の自信を漲らせるレティだが、彼女も何だかんだ最近は攻略に力を入れていなかったはずだ。ヴァーリテインの打ち上げチャレンジや、新たに習得した〈破壊〉スキルのレベル上げと効果検証などに時間を注いでいたように思う。


「確かに初めてですが、ある程度の情報は集めてますからね。機術師には厳しいようですが、レティなら――」


 彼女が話している途中、森の奥から猛烈な足音が近づいてくる。それは目聡く俺たちを見つけ、狙いを定めた突猪だった。

 レティはそれを見て、慌てることなく鮫頭の大槌を構える。


「――物理なので、関係ありませんっ!」


 風を切って長柄のハンマーが振るわれる。

 その凶悪なヘッドが突猪と真正面で衝突し、鈍い破砕音と憐れな悲鳴が上がった。

 レティの振るったハンマーが、突猪の鼻先を強かに殴ったのだ。その衝撃で立派な二本の牙は粉々に粉砕され、頭蓋骨も割れているように見える。それでもなおしぶとく立ち上がる猪に、レティは慈悲無く連撃を叩き込む。


「ふふん、どんなもんです?」


 一方的な暴力の嵐によって、レティは難なく突猪を仕留めて見せた。アーツは特殊な力を持つ大牙に阻まれると即座に無効化されてしまうが、純粋な質量による物理的な攻撃は普通に通る。

 ラクトがあれほど苦労した原生生物が、随分と呆気ないものだった。


「というわけで、このフィールドは機術師向けではないんですよ。ラクトはその辺で雪だるまでも作ってて下さい」


 初戦で華々しい結果を見せたレティは、気をよくしてラクトを見下ろす。そんな姿が癪に障ったようで、ラクトはむっと頬を膨らせた。


「あのね、ここだって突猪以外の原生生物がいるんだよ」

「鬼でも蛇でも構いませんよ。全部ハンマーの錆にしてやります」


 森の中を歩きながら、レティは意気揚々と宣言する。

 ちなみに、武器に対する状態異常で“錆び”というものは無いが、代わりに“腐食”がある。原生生物の出す腐食液を浴びると発生するもので、時間経過ごとに武器の耐久値が減っていくというものだ。


「けどなぁ、レティ。突猪は機術師特化だが、他にも……」

「レッジさんも心配性ですねぇ」


 すっかり油断しきった様子のレティに忠告しようと声を掛けるが、彼女は耳を揺らすだけだ。


「このまま、ボスまで一直線にぎょぺっ!?」

「レティ!?」


 彼女が言い掛けたその時だった。

 突如として左奥から現れた黒い影が、レティを轢き殺す。彼女は奇妙な悲鳴を上げながらLPを全損させ、呆気なく死に戻った。


「ラクト!」

「目標捕捉済み! 黒鎧猪だね!」


 俺が槍を構えるよりも早く、ラクトは周囲に機術の氷柱を展開していた。彼女の視線の先でゆっくりと身体をこちらに向けているのは、黒い外骨格を持つ逞しい猪だ。

 “黒鎧猪ブラックアーマーボア”と名付けられたそれは、全身を硬い鎧で覆っており、物理攻撃のほぼ全てを無効化してしまう。それでいて、突進能力は突猪より僅かに劣る程度だ。


「機術特化と物理特化、どっちも居るのは罠だよなぁ」


 そう、この〈黒猪の牙島〉というフィールドには多種多様な猪がいる。突猪はそのうちの一つに過ぎず、黒鎧猪のようなものもいるのだ。


「でもまあ、轢かれたのがレティで良かったよ」


 本人が〈ミズハノメ〉のアップデートセンターに死に戻っているのを良いことに、ラクトがひどいことを言う。

 まあ、その言葉の意味するところは、分かっているが。


「ラクト、頼んだぞ」

「任せて。――『貫け』」


 短い詠唱。それはトリガーだ。

 ラクトが周囲に展開していた機術の氷柱が、その言葉に応じて真っ直ぐに飛び出す。

 一次、二次と段階を経る二段階詠唱。詠唱を二つに分割しているため、威力が上げやすく、また任意のタイミングで発動できる利点がある。

 五本の氷柱は立て続けに黒鎧猪の硬い外骨格へと突き刺さり、そして貫通する。物理特化である代わりに、あの鎧は機術の攻撃を良く通す。だがそれでも、元々のタフネスによって倒れるほどではない。

 そんなことは、彼女も知っていた。


「『叩き砕く挟み込む蒼氷の弾塊蒼氷の大壁』ッ!」


 一つの詠唱。

 しかし、籠められた意思は二つ。

 二重操作は以前よりも遙かに滑らかに実行された。ラクトの顔を見ても、そこに苦しげな色は見れない。

 二枚の厚い氷の壁が黒鎧猪の両サイドに立ち上がり、退路を塞ぐ。その上で、彼女の引き絞った弓から放たれた矢は巨大な氷となり、それに迫る。


「『爆ぜろ』ッ!」


 再びの二段階詠唱。

 短い指示を受け、氷の塊が、壁が、爆散する。

 細かな欠片が広がり、黒鎧猪の外殻を貫いて肉に食い込む。喉をすりつぶしたような断末魔が上がり、彼は地面に倒れた。


「っと、こんなもんだね」


 それが完全に死んでいるのを確認し、ラクトが両肩の力を抜く。俺は思わず彼女の元へ駆け寄ると、その細い手を両手で掴んだ。


「すごいじゃないか! 前よりもかなり上手く、二重操作ができるようになってるぞ」

「ほわっ!? そ、それは……FPO側が対応してくれたのもあるし……」


 ラクトは顔を赤くして俯きながら言う。


「FPOの対応もあるだろうが、ラクトも上手くなってると思うぞ。二つの思考がより完璧に独立して、その上で連携が取れてる」

「そ、そう? まあ、結構実験を通して練習もしたしね」


 頬を掻くラクトに、そうだそうだと強く頷く。

 帰ってきた彼女は以前に増して遙かにパワーアップしていた。今の彼女なら、突猪が数体束になっても難なく退けられるだろう。

 二重操作という技術には、それを可能にするだけの強さがあった。


「よーし、じゃあこの調子で……って、その前にレティと合流しないとだね」


 腕を捲るラクトだったが、足元に転がっていたレティの機体を見て思い直す。今頃〈ミズハノメ〉のアップデートセンターで予備機体に入り、急いでこちらに向かっているだろうレティ。彼女と合流しないことには、活動もままならない。


「とりあえず、橋の方まで戻るか?」

「そうしよっか。まったく、世話が焼けるんだから」


 ラクトは瞳を閉じたレティの機体を掴む。俺も一緒になって、それを引き摺りながらフィールドの入り口である橋の袂へと戻る。

 パーティメンバーがやられてしまった場合は、復帰しやすいように残ったメンバーが機体を移動させるのが慣習になっていた。そのため、橋の側では同じように仲間の機体を携えたプレイヤーがたむろしている。


「黒鎧猪はラクトが倒すとして、突猪はやっぱりレティに受け持ってもらった方がいいか?」

「とりあえず最初の攻撃はね。一撃分の隙さえあれば、二重操作でなんとでもなると思うよ」

「うーむ、流石だなぁ」


 自信を持って言うラクトを見て唸る。彼女も伊達にシフォンが加入するまで〈白鹿庵〉唯一の機術アタッカーをこなしていたわけではない。単発の威力で言えば、この〈黒猪の牙島〉でも十分に通用するアーツを持っている。その上で、同等のものを同時に二つ状況に合わせてそれぞれを変えながら扱えるとしたら、それはとても心強い。


「ま、レッジは大船に乗ったつもりで居てよ」


 彼女はそう言って、不敵な笑みを浮かべて見せた。


「――うぅ、酷い目に遭いました……」


 そこへレティ――彼女の意識がインストールされた機体回収用の予備機体――が戻ってくる。黄色いペイントのされたスケルトンの機体は、橋の向こうからでもよく目立つ。

 彼女は早速元の機体に意識を移すと、砂浜に流れ着いていた流木に腰掛ける。8割ほどまで減っていたLPを自然回復させながら、ぐったりとした顔で森の中を見ている。


「まあ、身をもって分かっただろ」

「そうですね……。やっぱり最前線は一筋縄ではいきません」


 レティはすっかり心を挫かれた様子で、しょんぼりと肩を落とす。彼女もそれなりに防御は固めているはずだが、それでも呆気なく一撃で轢死してしまった。その事実が思ったより堪えてしまっているらしい。


「機術と物理、どっちも大切な要素になってくるわけだからね。お互い協力していこうよ」

「そうですね……。よぅし、頑張りますよ!」


 ラクトが励まし、レティはすぐに気持ちを切り替える。

 気炎を上げて立ち上がる彼女を見て、ラクトも頷いた。


「それじゃあ、前と同じようにテントを建てて、そこを拠点にして練習してみるか」

「了解! じゃあ、森の中に入ろう」

「今度こそ、あの忌々しい外骨格ごと全身粉々にしてやりますよ!」


 堅く握った拳を振り上げるレティと、上機嫌で足取りの軽いラクト。俺は二人の後に続いて、森の中へと再び入っていった。


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Tips

◇黒鎧猪

 〈黒猪の牙島〉に生息する、黒色の堅固な外骨格を持つ猪型の原生生物。非常に高い物理攻撃耐性を持っており、斬撃、打撃、刺突攻撃の全てを撥ね除ける。

 脚力も高く、その突進で木々を薙ぎ倒す。額は非常に硬く発達しており、真正面から衝突すれば破損は免れない。

 粉砕! 崩壊! 大破壊! 我らの道は我らが開く。何人たりとも邪魔させぬ! そこのけそこのけ猛猪が通る!


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