第738話「調査研究協力」※

 ――夢を見た。とても幸せな夢だ。

 あの人と一緒に、二人だけで新しい土地を訪れた。そこには強い原生生物がいたけれど、わたしは創意工夫でそれを乗り越えた。

 楽しかった。頭がふわふわとしていて、普段よりも少し素直になれた気がする。あの人に頭を撫でて貰って、少し勇気が出た。


「……ぬぇ?」


 ――待て。夢にしては記憶が鮮明すぎないか? あの人の声が、言葉が、はっきりと思い出される。

 あの後はどうなった。たしか、四体目の突猪を倒した後だ。レッジに声を掛けられ、大きな手で肩を押さえられて、そのあと、誰か……赤いヒトが……。


「ぬぎょっぷぇっ!?」


 頭の中に氷を投げ入れられたようだ。わたしは勢いよく目を開いて身体を起こす。周囲を見渡せば、そこは見慣れた自室。


「な、なん、なん……」


 あれは本当に夢だったのか。それとも現実なのか。いや、仮想現実でのできごとだったのか? わたしが? レッジに? いったい何をした、何を言った!?


「どっどどどっどどっどどっ」


 落ち着け。とりあえず落ち着け。

 どれだけ眠っていたのか分からないけれど、喉が渇いて身体が重い。私は床に散らばったゴミや雑誌の山を蹴飛ばして、キッチンへ向かう。乾かしていたガラスのコップに水道水を注ぎ、一気に飲み乾す。


「や、やっちまった……」


 水分を補給して、冷静になる。そうすると、確信できてしまった。この記憶は夢による捏造ではない。わたしは、どうかしていた。

 いったいこれからどんな顔をしてログインすればいいのだろう。絶対に引かれている。というか、失望されているかもしれない。終わった。さようなら、わたしのゲーム人生。


「……ぐずっ」


 飲んだばかりの水が目と鼻から溢れ出してくる。それを拭いながら、わたしはパソコンの画面をつける。

 あんな恥を晒してしまったら、もうおしまいだ。キャラデリして布団の中に閉じ籠もろう。わたしは貝になりたい。

 しかし、その前に〈白鹿庵〉の面々には一言残した方がいいだろう。そう思ってFPOのメッセージアプリを開く。そして、気がついた。


「……運営?」


 一番上に目立つ新着メッセージのサイン。クリックしてみると、イザナミ計画実行委員会と差出人に書かれていた。FPOの運営からだ。


「まさか、垢バン?」


 ハラスメント行為に認定されてしまったのだろうか。もし垢バンなら、〈白鹿庵〉のみんなに一言残すことすらできずに消えることになる。

 顔面から血の気が引くのを感じながら、恐る恐るメッセージをクリックする。覚悟を決めて目を開く。


「――あれ?」


 そこにあったのは、わたしの予想を裏切るものだった。



「す、すっご……」


 イザナミ計画実行委員会の指示で訪れたのは、天下の超巨大企業群コングロマリット、清麗院グループ傘下の医療施設だった。広大な敷地に様々な分野の病院が揃い、医療従事者や入院患者のための商業施設までがある。まさに揺り籠から墓場まで全てがこの中で完結してしまうほど充実した、小さな町のようなところだ。

 ここで行われているのは世界最先端の治療と、それを生み出す幅広い研究活動。今回、わたしは後者のためにこの巨大な病院に招待された。


「ほ、ほんとに入っていいんだよね?」


 施設の正門でイザナミ計画実行委員会からのメッセージを提示すると、話はすんなりと通じた。門までやって来た自動運転車に乗り込むと、広い道をすいすいと進み、随分と奥まったところまでやってきた。

 そこにあったのは、厳重な警備の施された巨大なビルだった。私有地内にも関わらず背の高い塀に囲まれ、監視カメラやセンサー類がいくつも取り付けられている。門の前には、警棒を携ええヘルメットや防弾チョッキで武装した警備員が4人も立っている。


「失礼。貴女がラクトさんですか?」

「ぴょわっ!?」


 勤めている会社よりも大きな建物に慄然としていると、真横から声を掛けられた。思わず変な声を出しながら跳び上がると、すぐ側に髪の長いスーツ姿の女の人が立っていた。赤い口紅が印象的で、とてもかっこいい。


「ら、ラク……。あ、はい」


 現実こっちでゲーム内の名前を呼ばれるのは初めてで、少し混乱してしまう。なんとか頷くと、女性はふっと目を細めた。


「突然、申し訳ありません。私はイザナミ計画実行委員会、管理部主任の桑名と申します」


 切れ長の瞳をこちらに向けて、桑名さんは名刺を差し出す。それを受け取って見ると、桑名里穂という名前と所属部署の下にFPOのロゴが透かしで描かれていた。


「本日は、ご足労頂きありがとうございます。また、ご協力頂き、ありがとうございます」

「あ、いえ。大丈夫です」


 自分より背の高い人に深々と頭を下げられ、慌ててしまう。

 今日、わたしがここに招待された理由。それは、FPO内で口頭操作と思念操作を同時に行った場合の挙動についての調査に協力するためだった。

 運営から直々にそんな要請が来た時は驚いてしまったけれど、ゲームを止めろと言われるよりは何倍もいい。


「では、立ち話も何ですので、早速中に」

「はわっ。はい!」


 桑名さんに案内され、警備ロボットがずらりと並ぶ玄関に入っていく。建物の中はどこも真っ白で、強い光で照らされていた。ひとけはなく、時折ロボットが廊下をすれ違っている。


「あの、ここは……?」

「最先端科学技術研究所、仮想現実没入技術開発研究実験観察室です」

「な、なるほど」


 桑名さんの口から流れ出した言葉を聞いても、ほとんど理解できなかった。そんなことを見透かされたのか、桑名さんはこちらを見て笑った。


「長ったらしいですよね。要はVR技術の研究を行っている場所です。FPOは最先端のダイブ技術体系の実証実験場も兼ねているので、こちらの研究所とも深く連携しているんです」

「なるほどぉ」


 桑名さんに噛み砕いて貰ってなお、難しい。

 FPOのリアルな世界は、清麗院グループが巨額の費用を注ぎ込んで作り上げた特別大きなデータセンターの圧倒的な処理能力によるものだと思っていた。けれど、それ以外にも色々と桁違いなものがあったらしい。

 延々と続く長い廊下を歩きながら、桑名さんに色々と話を聞く。

 ここではVR技術に関する様々な実験がいくつも行われているらしい。そのなかでFPOが担っているのは、大量の情報を円滑に処理するという技術に関するものだった。

 よりリアルな世界を感じようとするなら、より大量の情報が必要になる。情報を送受信する量と質を高めるために、様々な取り組みがある。大規模なデータセンターを用意することも、NPCに高度な人工知能を搭載することも、ゲーム内に緻密な経済システムや高精度な物理エンジンを搭載することも、その一環だという。

 世界の情報量を増やしつつ、それを淀みなく捌いていく。そのための実験が行われ、一定の結果が出たら、イベントや特殊開拓指令などを実施して更に情報量を増やしていくのだ。


「そうやって世界の情報量を増やしていくと同時に、増えた情報を問題なくユーザーが受け取れているかのモニタリングもしています。基本的には、人間が現実世界で取得しているアナログな情報よりも、VRのデジタルな情報の方が圧倒的に少ないため、あまり問題ではなかったのですが……」


 桑名さんはそう言って、わたしを見る。つまりはそういうことなのだろう。


「ラクトさんの行ったものは、分裂思考独立化と呼ばれます。現実ではなかなかできない、する必要のないものでしたが、仮想現実ではできてしまった。その結果、ラクトさんは擬似的に二人分の受け皿を持つことになり、実際は一人であるところへ倍の情報量が注ぎ込まれてしまいました」

「なるほど。それで、脳に負荷が掛かったんですね」


 わたしはその説明で納得がいく。

 前にレッジにも言われたことだ。レッジの並列思考が広い受け皿を持つことに対して、わたしのそれは偽の受け皿を一枚増やすことになる。受け皿目掛けて情報が注がれても、実際にあるのは一枚だけだから、脳が処理しきれなくなってしまった。


「FPOのプログラムでは、分裂思考独立化対応できていなかった。そのためストッパーなども存在せず……」

「まあ、これはわたしが勝手にやったことですし。謝罪はもう頂きましたから」


 運営から送られてきたメッセージには、長々とした謝罪文があった。そこで大体のことは納得している。


「そういうわけで、本日はFPOでの分裂思考独立化対応に向けた情報収集の協力にご快諾頂き、本当にありがとうございます」

「いえいえ。わたしとしても、対応して貰えると嬉しいですから」


 桑名さんが満面の笑みを浮かべながら、廊下の一番奥にあったドアを開く。壁に取り付けられた生体認証装置に指紋、静脈、瞳孔を読み取らせ、首に提げていたカードキーを通すことで、厳重な扉がようやくひらく。

 そこにあったのは、大きな卵形の機械。内部が青いジェルで満たされ、太いコードがいくつも繋がれている。


「これは……」

「医療用の高深度完全没入型VRシェルです。家庭用のヘッドセットと違って、装着者の様々な情報をリアルタイムで読み取ります」


 桑名さんが笑みを浮かべて言う。

 奥の壁は大きなガラス窓が付いていて、向こう側では白衣姿の人が慌ただしく作業をしていた。今から、わたしはあの人達に色々と調べられるのだろう。


「向こうの更衣室で検査着に着替えて頂きます。何も食べていないようでしたら、軽食も用意していますから、少しお腹に入れて置いてください。その他の事は担当の者が案内しますので」


 そう言って、桑名さんは窓ガラスの奥の部屋へ移動してしまう。代わりにやってきたのは、白衣を着た若い女の子だった。


「本日はご協力頂きありがとうございます。まず、調査の内容についてご説明を――」


 椅子に促され、そこで詳細な説明を聞く。簡素な入院着のような服に着替えて、シェルの中に入る。生温いジェルに身を沈めてしばらくすると、睡眠導入剤の影響で瞼が重くなっていく。

 再び目を開けると、そこは仮想現実の白い世界だった。


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【イザナミ計画実行委員会定期告知書】


 調査開拓員各位の精力的な活動により、領域拡張プロトコルはより一層の躍進をしています。諸君には今後の更なる邁進を期待しています。


◇二重操作への仮対応告知

 口頭操作と思念操作を用い、同時に複数の操作を行う二重操作に対応しました。ただし、現段階では仮対応となるため、問題が生じる可能性があります。

 二重操作実行後、酩酊感や高揚感などがあった場合には即座にGMへ報告してください。また、自力での通報が難しい場合は他者からの通報でも対応します。また、同時に委員会側でも常時のモニタリングを実施しています。


◇各種システム調整

 〈タカマガハラ〉協議の上、微細なシステム調整が実施されました。詳細は下記の項目をご確認ください。


・二重操作を実行した際、情報送受信量が倍増し脳に負荷が掛かっていた問題を修正しました。

・シード04-スサノオ開催の定期イベントBBBにて、競技用バギーの車輪を“塵嵐のアルドベスト”の翼と干渉させることで一時的に時速700kmの速度が出ていた問題を修正しました。

・〈盾〉スキルテクニック『死すべき者の烙印』を二つ以上使用すると同時に対象の原生生物をオーバーキルで倒した際に、原生生物が無敵になって甦る問題を修正しました。

・〈破壊〉スキルレベルが45以上のプレイヤーが“饑渇のヴァーリテイン”を特定の〈杖術〉スキルテクニックを複数しようしたコンボで攻撃した際、対象が上空2,700kmまで打ち上げられた問題を修正しました。

・植物型原始原生生物管理研究所にて、“昊喰らう紅蓮の翼花”と“剛雷轟く霹靂王花”と“侵蝕する鮮花の魔樹”が同時に収容違反となった場合、施設の緊急遮断装置が上手く作動しなかった問題を修正しました。なお、この問題により死亡した調査開拓員全173人のデスペナルティは免除されます。

・“ビキニアーマー/ゼロNo.008”に倫理的な問題が確認されたため、削除しました。調査開拓員各位はアイテム製作における倫理規定を確認してください。


◇今週の調査開拓員企画開催予定

 今週開催予の調査開拓員企画についてお知らせします。詳報はリストにリンクされたページでご確認ください。


・闘技場行こうぜ!

 主催者:八刃会

 場所:アマツマラ地下闘技場

・ワークショップ“白いポケット”

 主催者:シルキー縫製工房

 場所:地上前衛拠点シード04-スサノオ

・考察班勉強会

 主催者:イザナミ考古学会

 場所:コノハナサクヤ監獄闘技場

・ゴーレムの生態を調べる会

 主催者:ゴーレム婦人会

 場所:アマツマラ地下闘技場

・新開発先進的ビキニアーマー、ゼロシリーズNo.008完成披露会

 主催者:ビキニアーマー愛好会

 場所:地上前衛拠点シード01-スサノオ

・植物園ガイドツアー

 主催者:百合の花園を愛する男たちの会

 場所:植物型原始原生生物管理研究所


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◇ななしの調査隊員

更新きたーー


◇ななしの調査隊員

やっとアプデ終わったか


◇ななしの調査隊員

今日はずいぶん遅れたな


◇ななしの調査隊員

なんか新規実装された?


◇ななしの調査隊員

婚姻システムが実装されたよ。

されてなかったら木の下に埋めて貰っても構わないよ。


◇ななしの調査隊員

婚姻システムはないみたいですね・・・


◇ななしの調査隊員

ででーーーん!


◇ななしの調査隊員

二重操作?が実装というか対応されたらしい


◇ななしの調査隊員

まず二重操作ってなんだよ


◇ななしの調査隊員

二重操作って言ったらあれだろ、並列詠唱的な


◇ななしの調査隊員

口頭操作と思念操作を同時にやることらしい


◇ななしの調査隊員

説明されても分からんわ。

なんやねんその曲芸みたいなん。


◇ななしの調査隊員

実際曲芸だろ。できる奴いるの?


◇ななしの調査隊員

口で何か言いながら、頭で別のこと考えて、どっちもテクニックとして発動させるってこと?

無理じゃん


◇ななしの調査隊員

実装じゃなくて対応ってことは誰かがもうやってたのか


◇ななしの調査隊員

おっさんだろ


◇ななしの調査隊員

どうせおっさんだよ。

俺は詳しいんだ。


◇ななしの調査隊員

きっとおっさんだよ。

おっさんじゃなかったら木の下に埋めて貰っても構わないよ。


◇ななしの調査隊員

つーことはこれからは一般人でもDAFシステムが使えるってことでいいのか?


◇ななしの調査隊員

俺はあの緑のもさもさしたやつ使いたいなー


◇ななしの調査隊員

ていうかなにげに植物園で大事故起こってないか?


◇ななしの調査隊員

知らんのか。

街中で突然レイド戦が始まったんだよ。結局騎士団とかトッププレイヤー人が集まって鎮圧っされたけど。


◇ななしの調査隊員

トッププレイヤー人……まあ人種から違う可能性もあるしな。


◇ななしの調査隊員

今回はおっさん来なかったの?


◇ななしの調査隊員

そういえば来てないな。

警備NPCが知らん奴までわんさか出動してたから、データ集めるのに必死でよく見てないけど。


◇ななしの調査隊員

前にT-1ちゃんが暴走してた時に出してた没データの警備NPC、もっと出して欲しいよなぁ


◇ななしの調査隊員

超巨大戦車とか、転がる車輪爆弾とかな


◇ななしの調査隊員

100人以上巻き込まれてんのに暢気だなあ


◇ななしの調査隊員

俺たちはどうせ生き返るし・・・


◇ななしの調査隊員

今回に至ってはデスペナもないからなぁ


◇ななしの調査隊員

二重操作、やろうとしたけど難しすぎる。

これできる奴人類じゃないだろ


◇ななしの調査隊員

全体の何%の奴ができるんですかね・・・


◇ななしの調査隊員

バリテン打ち上げチャレンジがバカみてーな記録叩き出されて、修正入ったからもう一生記録更新できなさそうでつらい・・・


◇ななしの調査隊員

2,700メートル成層圏余裕でぶっちぎってるだろ


◇ななしの調査隊員

重力振り切ってそう


◇ななしの調査隊員

バリテンは考えるのを止めた


◇ななしの調査隊員

流石に殿堂入りというか、無効記録でええんやない?


◇ななしの調査隊員

よくみたらメートルじゃなくてキロメートルやないかい!


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Tips

◇二重操作

 口頭操作と思念操作を同時に独立して行う特殊な操作です。脳に対して非常に強い負荷が掛かるため、推奨はされません。これにより、副作用として酩酊感や高揚感などを覚える場合があります。不調をきたした場合は、軽微であってもGMへ通報してください。


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