第737話「緊急の通報」

 対処法を発見した後、ラクトは破竹の勢いで突猪を狩り始めた。俺が森の中で拠点を作っている間にも、彼女は三体の猪を仕留めている。

 〈黒猪の牙島〉は狭い土地に木々が密集しているため、大きなテントを建てられる纏まった空間を確保するのが難しい。そのため、今回はタープと支柱一本だけのワンポールテントを置き、周囲に椅子や保管庫などのアセットを並べた、ある意味オーソドックスなものを用意した。


「レッジ、持ってきたよ」

「調子いいなぁ」


 無事にテントの設営が終わった頃、ラクトがまた突猪を携えて戻ってきた。

 突猪は小さいため、非力なラクトでも一体くらいなら引き摺って運ぶことができる。彼女が持ってきた四体目の突猪を受け取り、早速解体する。そうして、鮮度が落ちないうちに簡易保管庫ポータブルストレージへと収納していく。


「えへへ。エラい? わたし、エラい?」

「お、おう。偉い偉い」

「ふふん。そうでしょう。もっと褒めてもいいんだよ!」


 ……しかし、やはり少し変だ。

 彼女の体調が悪いわけではなさそうなのだが、普段とは様子が違う。いつもはもっとクールというか、冷静というか、大人びている女性なのだ。しかし今は、まるで幼い少女のように無邪気で直情的だ。


「なあ、ラクト」

「どうしたの?」

「いったん休憩しようか。テントも完成したことだし」


 俺はそう言って、焚き火の側に置いた椅子に彼女を促す。だが、俺が別の椅子に腰を降ろすと、彼女はあろうことか膝の上に乗ってきた。


「ら、ラクトさん!?」


 驚いて声を上げると、彼女は猫のような笑みを浮かべてこちらを見上げる。


「いいでしょ。いっぱい戦ったんやから、そのご褒美ってことで」

「ええ……。いや、ダメだろ」


 あまりにもはっきりと言われるため納得しそうになるが、流石に看過できない。

 俺はラクトの脇の下を抱え、隣の椅子へと移動させる。彼女は拗ねた顔で頬を膨らせるが、流石にマズいだろう。


「やっぱり、ラクト少し変だぞ」

「変じゃないもん! いつも我慢してるだけやし……」

「ラクトさん!?」


 本当に駄目そうだ。

 普段は隠しているのだろう素の口調まで出てきてしまっている。なんというか、言動や行動が幼くなっている気がする。

 俺が彼女を見て姪のことを思い出したのは、それも原因の一つかもしれない。

 とにかく、今の彼女は普通ではない。


「ねぇ、レッジはわたしの事嫌いなん?」


 俺が頭を抱えていると、ラクトが再びこちらへ近づいてくる。口を尖らせ、青い瞳を潤ませている。唇に指を当てている姿は、幼い少女のようだ。


「そういうわけじゃないが、とりあえず落ち着いてくれ。……仕方ないか」


 これは流石に異常事態と判断しても良いだろう。

 俺は彼女を再び椅子に座らせ、その肩を押さえながら片手でウィンドウを操作する。システムウィンドウを開き、サポートの項目を選択する。そうして、できればあまり使いたくなかったものを使用した。

 ウィンドウ上のボタンをタップすれば、すぐさま効力が発揮される。白い光の帯が円となって周囲に広がり、フィールド上にシステム的に安全な領域が設定される。

 この領域内では様々な行動が行えない。原生生物の襲撃もなく、こちらは一切の戦闘行為、アイテムの使用、テクニックの発動が行えなくなる。

 ポーン、ポーンとコール音が鳴り響く中、ラクトは無垢な表情で俺の手の甲に頬をすり寄せていた。


「通報により参上しました。GMゲームマスターのイチジクです。ご用件を」


 コール音が鳴り止み、フィールド内に全身真っ赤な装備で揃えた人物が現れる。顔を白い仮面で隠した、赤髪のタイプ-ヒューマノイドだ。しかし、彼女は通常のプレイヤーとは違う。

 このFPOというゲーム内で様々な権力を持つ、運営〈イザナミ計画実行委員会〉の中の人、ゲームマスターと呼ばれる職員だ。更に言えば、イチジクは赤GMと通称される役職であり、ゲーム内でのトラブルへの対処など、よりシステム的なサポートを行うGMだ。


「来たか。連れの様子がちょっとおかしいんだ。頭部の高精密スキャンで異常がないか調べてくれ。問題がありそうなら、強制ログアウトを掛けてくれても良い」

「分かりました。少々お待ちください」


 イチジクが何やらウィンドウを操作する。すると、突然のGM来訪に驚いていたラクトの身体が小刻みに震え、一瞬その輪郭にノイズが走った。


「スキャン完了。特定領域下に強い負荷が掛かっているようですね」

「大脳新皮質のあたりか」

「ですね。加えて、大脳辺縁系がより活発になっています。何か特別なことを?」


 俺はイチジクの説明を聞き、眉間を揉みながら答える。


「口頭操作と思念操作の併用をしてた。並列思考よりも更に高度な、分裂思考独立化だな」

「それは……。また随分と無茶をしたというか、無茶ができましたね」


 イチジクは驚いた様子で首元を掻く。

 以前もラクトには言っていたが、俺の並列思考と彼女の分裂思考は根本的に違う。一つの意識の中で複数の物事を扱うのではなく、全く別の意識を作り上げて、別々の物事を同時に進めるのだ。

 当然、その作業には負荷が掛かる。


「恐らく、脳の疲弊でしょう。それによってより本能的な感情が露出した。要は、幼児退行した。アーツシステムの行使は、よりそう言った側面が強くなりますからね」

「やっぱり止めさせるべきだったかな」


 イチジクの説明を聞き、少し後悔する。

 ラクト自身が問題ないと言っていたため、並列詠唱による負担は軽微だと思っていた。しかし、俺の予想よりもはるかに、脳の処理能力を圧迫していたのだ。


「ねえ、レッジ! 何を話してるの? その女の人だれ?」


 悩んでいると、ラクトが怒った顔で服の裾を掴んでくる。俺は彼女の頭を撫でながら、イチジクに視線を送る。


「ちょっとな。……とりあえず、今日のところは少し休もう。しっかり寝てくれ」

「強制ログアウトを開始します。睡眠覚醒処置は行いませんので、自然覚醒するまでは眠り続けるでしょう」

「ちょ、レッジ――!」


 イチジクがウィンドウの上で指を滑らせる。

 ラクトの強制ログアウトが実行され、彼女の身体が光の粒子となって砕けて消えた。


「ふぅ」


 彼女が無事にログアウトしたのを見届けて、椅子に腰を降ろす。背もたれに寄りかかり、どうしたものかと思考を巡らせる。


「レッジさんは悪くないですよ」


 イチジクが隣の椅子に座りながら言う。


「……赤GMがこんなところでたむろしてていいのか?」

「今回の件の報告書を纏めてるんです。色々お話を伺いたいですからね」


 仮面の下から強い視線を感じて、肩を竦める。

 彼女にはあまり強く言うことができない。


「並列詠唱、ですか。こちらは研究が必要ですね」

「ラクトには止めさせた方が良いか?」

「今のところは。でも、恐らく大丈夫でしょう」


 高速で文章をタイピングしながら、イチジクはこちらを見ることもなく答えた。彼女のこれも、並列思考の一種ではある。


「彼女が分裂思考独立化によって脳の活動に影響が出たのは、恐らくシステム側の問題でもあります。詳しくは技術部に検証してもらう必要もありますが……」

「まあ、想定なんてしてないもんな」


 イチジクの見立てでは、ラクトの様子がおかしかったのは、そもそもシステム側が彼女の並列詠唱を想定した作りになっていなかったからだ。想定外の挙動によって、必要以上の負荷が掛かり、あのようなことになった。


「システムパッチ、作れるか?」

「大丈夫でしょう。ウチの技術部は優秀ですからね。熱心な“検証班”の皆様に揉まれてますし」


 少し皮肉を交えてイチジクが言う。まあ、毎週のようにバグ取りをしている百戦錬磨の高技能集団だ。この程度、原因が分かればすぐに修正してしまうだろう。


「まあ、あとは運営こちらに任せてください。一般人ユーザーであるレッジさんは、自由に――ほどほどに自由に楽しんでください」

「分かったよ」


 しっかりと頷く。しかし、イチジクは仮面の下からで分かるくらい不信感を露わにしていた。


「本当に分かっててくれたら、観測部も阿鼻叫喚になったり、お通夜になったりしないんですけどね。……まあ、いいです。報告ありがとうございました」

「おう。よろしく頼む」


 イチジクが一礼して消える。それと同時にシステムプロテクトフィールドが霧散し、元の森の中へと戻った。


「……どうするかねぇ」


 突然ひとりになってしまった俺は、パチパチと爆ぜる焚き火を眺めつつ、これからどうするか考えた。


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Tips

◇GM通報

 プレイ中にシステム的、もしくはコミュニケーション上の問題が発生した場合は、システムウインドウ>サポートからGM通報を行ってください。周囲の安全を確保した上で、迅速に対応を行います。


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