第736話「重なる一声で」
猪が駆ける。その眉間に銀の矢が突き刺さる。
「よし! 『
突猪の動きが止まったのを見て、ラクトが短弓の弦を弾く。高速の詠唱が紡がれ、三連の氷片が鋭く風を切って猪に突き刺さる。
「『凍り付く――ぬあああっ!」
「よっと。惜しかったな」
更に追撃を出そうとしたラクトだが、突猪の行動の方が速かった。俺は轢き殺されそうになるラクトを抱え、直上へ緊急避難する。
小脇に抱えられたラクトは不満げな顔でジタバタと手足を動かしていた。
「く、悔しい! 自己バフが完璧ならあんなの一発で倒せるはずなのに」
「そうは言っても、常時バフを維持するわけにもいかないだろ」
〈黒猪の牙島〉のボスを倒すと啖呵を切ったラクトは、手始めとして突猪のソロ撃破を目指していた。しかし、彼女のような機術師と突猪はとことん相性が悪い。
小柄な四足獣であるため、狙いが付けにくい。毛皮が硬く、攻撃が思うように通らない。そして何より二本の牙に当たったアーツは霧散してしまうため、狙いを正確にしなければならない。その上で突進の速度は茸猪のそれを遙かに凌ぎ、長い詠唱を行っている暇がない。更に言えば、群れる習性がないため、相手を探している間、常に自己バフを維持するというのも難しい。
「まあ、本来は
「むむむ……」
せめて俺が前衛として出れたら良かったのだが、こっちも紙装甲なのだ。回避が基本になる上、〈戦闘技能〉スキルを持っていないため
「矢で怯ませて、その間に一発はアーツも入れられるんだけどね。ほんとは足止め系のアーツを入れたいけど、そっちは詠唱が長すぎるし……」
「難しいもんだなぁ」
今まで出てきた原生生物は、どれも機術に対する耐性などはあまりなかった。ここに来て初めて、機術を無効化するという厄介な能力を持った原生生物が現れた。
今後、同じような能力を持った原生生物が現れないという保証はない。だからこそ、ラクトもそれに対する対処法を見つけようとしているのだ。
俺は太い枝の上に腰掛ける。隣にラクトも座り、俺の腕を強く握ってきた。
木の上は比較的安全だ。突猪や他の原生生物からの襲撃も少なく、ゆっくりと考えることができる。
「枝の上から一方的に攻撃できないのか?」
「無理だよ。弓とか持ってるから両手が塞がってるし、真下まで来られたら狙えないし」
「そういうもんか……」
「みんながみんな、レッジみたいにバランスが良いと思わないでよね」
ぶすっとした顔でラクトが言う。
俺は枝の上で体操くらいならできるが、ラクトは直立するのも難しそうだった。今も落ちないように、こうして俺の腕をひしと掴んで離さない。
樹上から一方的に攻撃できれば楽なのだが、そう上手くはいかないようだ。
「じゃあ、機術封入矢を使うとか」
俺も何か戦法は無いかと頭を捻らせる。絞り出したのは、機術回路を内蔵した特別な矢だ。同じようなものの弾丸版を、以前ルナが使っていた。
アレならば、速射性と精密性と威力が高いレベルで維持できる。
しかし、ラクトの反応は微妙なものだった。
「機術矢は高いんだよね……」
「そうなのか?」
「うん。上級アーツレベルになると、1本3kくらい」
3k、つまりは3,000ビットだ。
……俺が使ってるDAFシステムの〈
「レッジみたいに金銭感覚ぶっ壊れてないから。普通、1発500ビットでもかなり高いんだからね?」
目を三角にしてラクトが鋭い言葉で突いてくる。それに関しては申し開きのしようもなく、素直に項垂れるしかなかった。
ただでさえラクトのような機術師は普段から金が掛かるプレイスタイルだ。触媒となるナノマシンの費用も馬鹿にならないし、機術の専用装備は高価なものが多い。強い機術師は日頃から爪に火をともすような倹約家なのだ。
「あとは、そうだなぁ……。相手が対抗策を持ってるなら、それを上回る力でゴリ押しするとかか」
それができれば苦労はしないという話だが。
極論を言えば、突猪の牙に機術無効化能力があろうが、その能力が追いつかないほど大量の機術で圧倒してしまえば勝てるのだ。問題は、そのような上級機術を大量に展開するのは――。
「できるじゃん!」
隣に座っていたラクトがはっとして声を上げる。彼女は俺が止める間もなく木の枝から飛び下り、地面に着地する。
「レッジ、見てて。次こそ倒してあげるよ!」
「お、おう。気をつけてな」
よく分からないが、何か解法を見つけたらしい。俺はいざとなれば飛び出せる準備だけして、彼女の行動を見守る。
ちょうど良く、森の奥から突猪が現れた。
ラクトは短弓に矢を番え、その射程内に猪が入ってくるのを待つ。向こうもすぐに彼女の姿に気がつき、前脚で地面を削りながら力を溜めた。
「来たッ!」
猛烈な突進を敢行する猪目掛け、矢が放たれる。それは吸い込まれるように猪の額に突き刺さり、豚に似た悲鳴が上がる。
「『
ラクトは大きく目を見開き、はっきりと詠唱を連ねる。そして、同時に思念操作も用いていた。
二つの機術が展開され、共に突猪の元へと飛来する。
『ピュギャッ!?』
猪の驚く声。
ほぼ同時に何かが砕ける音がした。
「やったか!」
樹上から飛び下り、様子を窺う。
砕けた氷の細かな破片が宙を舞うなか、突猪は自慢の大きな牙を無残に砕かれていた。
「よっし! これなら――!」
ラクトが歓声を上げ、悠々と長い詠唱を紡ぐ。
余裕を持って完成した巨大な氷柱が高速で放たれ、突猪の体を縦に貫いた。問答無用のオーバーキルである。
突猪は全く反撃することができず、地に伏せる。それが完全に事切れているのを確認して、ラクトは思い切り高く跳び上がった。
「やったー! レッジ、わたしやったよ!」
「おう、見てたぞ。凄いじゃないか」
駆け寄ってきたラクトは、ぴょんと飛んで俺の腰に腕を回す。それを受け止めてくるくる回ると、彼女は無邪気に声を上げて笑った。
「あはははっ! ――へあっ!?」
その途中で我に返り、反発する磁石のように勢いよく俺から離れる。木の幹の裏に隠れ、顔だけをこちらに出した。
「ご、ごめん。つい嬉しくなっちゃって……」
「いやぁ、可愛くて良かったぞ」
「かわっ!? な、なにを突然!」
ラクト、というかタイプ-フェアリーは背丈が小柄なのもあって、姪のことを思い出してしまうのだ。俺もついついそのノリで動いてしまったことを反省する。
「と、ともかく、無事に倒せたよ」
「そうだな。並列詠唱か?」
それは、今のところ彼女以外にはできない特殊な芸当だ。口で通常通りの詠唱を行いつつ、思念操作によって別の機術の詠唱を行う。これにより、テクニックとして存在する『並列詠唱』とは違い、全く別の機術を同時に展開できるのが強みだ。
「うん。これくらいなら、できるようになってきたんだ」
はじめの頃は頭が混乱して辛そうな様子だったが、今のラクトは何でも無いような顔をしている。頭がそういう使い方に慣れてきているようだ。
「テクニックの『並列詠唱』は、同じ機術を複製するものだからね。あの牙の能力でどっちかが消されたら、片方も一緒に消える。でも、こっちの並列詠唱なら、その心配もないってことだよ」
胸を張り、誇らしげにラクトは語る。
彼女は一人で突猪の機術無効化能力を突破したのだ。
「流石だな、ラクト」
「ふふん。もっと褒めてくれていいんだよ」
ラクトが突き出してきた頭を、軽く撫でる。柔らかな青髪は手触りが良く、いつまでも触っていたくなる。まあ、あんまりやり過ぎても困るだろうから程々にしておくが。
「むぅ、もうちょっと続けても良かったのに……」
手を離すと、彼女は何か小さな声で呟く。首を傾げると、慌てた様子で咳払いして、口を開いた。
「ともかく、これで分かったよ。突猪は並列詠唱の練習に持ってこいだね」
その言葉になるほどと頷く。
もともと、今回はラクトと俺の二人体勢時を想定した戦闘練習だ。彼女の並列詠唱を実戦で使えるレベルにすることも目標の一つになっている。
その観点から見れば、突猪は厄介な敵から格好の練習台に変わってしまった。
「よーし、そうと決まれば練習あるのみだね。どんどん狩るよ!」
「はいはい。しかし、ラクトと俺じゃあまり荷物が持てないのが辛いな」
気合いを入れて拳を高く掲げるラクト。彼女に相槌を打ちながら、突猪の解体をしていく。肉や毛皮なども結構取れるのだが、それらを全て集めていると、すぐに重量制限が来てしまう。
「どっか開けた場所にテントを立てるか。そこを拠点にして、狩りをしよう」
「了解! じゃあ、場所探しからだね」
ラクトは弾むような調子で頷き、歩き出す。その後ろ姿を見て、俺は少しの違和感を覚えた。
「……なんか、ラクト。性格変わったか?」
「どうかした?」
彼女が振り返り、首を傾げる。その姿はいつもの彼女と変わらない。
「いや、気のせいだと思う。――さ、行こうか」
俺は首を振り、考えを霧散させる。そうして、森の奥に向かって進み出した。
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Tips
◇『叩き砕く蒼氷の弾塊』
三つのアーツチップを用いる上級アーツ。
硬い氷塊を生成し、敵を叩く。打撃属性による部位破壊力が高い。
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