第735話「機術師を殺す猪」

 第二開拓領域〈ホノサワケ群島〉第二域〈黒猪の牙島〉は、荒廃した森が陸地の大部分を覆う土地だった。乱立している木々はどれも非常に硬く、高レベル帯の〈伐採〉スキルでも切り倒すのは難しいという。そして、そんな木の幹に深く刻まれた傷跡が、物騒な予感を醸し出していた。


「ラクトはこのフィールドについてどれくらい知ってるんだ?」

「軽くwikiで調べた程度だね。原生生物の詳細なんかはほとんど見てないよ」

「なるほど。じゃあ――」


 言い終わらないうちに、森の奥の草むらが揺れる。俺は咄嗟にラクトの体を抱き上げて走った。


「ちょ、ふわあっ!? 何レッジこんな大胆な――」

「舌噛むぞ!」

「ええっ?」


 強く地面を蹴り、物体干渉の反発を利用して垂直に跳び上がる。直後、間髪入れず暗がりから茶褐色の砲弾が飛び込んできた。


『ブムォオオオッ!』


 猛烈な勢いで突進してきたそれは、勢いのまま〈花猿の大島〉と〈黒猪の牙島〉を繋ぐ連絡橋の柵に激突する。甲高い音と共に硬い金属製の橋の一部が凹んだ。


「ぬわっ!? な、何あれ!」


 突然の奇襲に驚き、ラクトが慌てる。

 俺は彼女を落とさないよう腕に力を籠め、枝の上からそっと覗く。橋の手すりに頭をぶつけ、クラクラと目眩を起こしているのは、立派な二本の牙を持った小柄な猪だった。


「猪?」

「“突猪トッシシ”と言うらしい。名前の通り、突進が得意な猪だな」

「駄洒落じゃん!」


 ラクトが叫ぶ。しかし、名前は馬鹿げていても猪は猪だ。目眩から回復した直後からまさに猪突猛進と言うべき勢いで再び走り出している。その速度は凄まじく、木々の幹に刻まれた深い傷はすべてアレの牙によるものだと容易に想像できた。


「茸猪なんかよりもよっぽど早い気がするよ」

「茸猪もいるらしい。あとは大茸猪も」

「なるほど、牙島って言うだけのことあるね」


 ここは〈黒猪の牙島〉。その名の通り、生息する原生生物のほぼ全てが猪型の原生生物だった。


「それで、どうする?」

「とりあえず戦ってみないとね。どれくらいのダメージで倒せるのか知らないと、戦い方も組み立てられないし」

「分かった。じゃあ、とりあえずは島の中をざっと見ながら歩くか」


 周囲を見渡して、殺気が感じられないのを確認する。木の上から飛び下りてラクトを降ろすと、彼女は少し悲しそうな顔をして俺を見た。


「どうかしたか?」

「な、なんでもない! 早く行こうよ!」


 顔を赤くして急かすラクトに応じて、森の中へと踏み入る。

 頻繁に突猪が走り回っているせいか、足元は均されていてかなり歩きやすい。視界も森にしては開けているため、奇襲される心配はあまりしなくて良さそうだ。


「とはいえ、エイミーも誘った方が良かったかもな」

「なんで? わたしと二人じゃ不満?」


 ぽろりと考えていたことを零すと、ラクトが少し声を低くして迫る。怒気を孕んだ彼女に、俺は慌てて首を振る。


「不満って訳じゃないけど、タンクが居た方がいいだろ。俺もラクトも紙装甲なんだから」

「むぅ……。でもレッジはテントがあるじゃん」

「あれを盾と言い張るのはなぁ」


 確かに硬いテントはかなり硬いが、あくまでテントだ。基本的にはその場で留まることになり、探索はできなくなる。“浮蜘蛛”系はこういった木々の密集した場所では使いづらいし、“鉄百足”のようなものはしもふりなど牽引してくれる動力がいないとただの箱でしかない。

 テントはあくまで一点に陣地を築き、そこを守備する受身の防御手段なのだ。


「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。いざとなったらわたしが守ってあげるから」

「ラクトが?」


 ぽんと胸を叩くラクト。彼女は俺の怪訝な視線に気がついて、拗ねたように唇を尖らせた。


「信じてないね? わたしだって機術師なんだから、臨機応変に戦えるんだよ」


 ラクトがそう言ったちょうどその時、木々の影から獣が飛び出してくる。先ほどと同じ突猪だ。彼女はそれを見てにやりと笑う。


「見てて! 『氷の壁アイスウォール』ッ!」


 ラクトが短弓の弦を弾き、澄んだ音を奏でる。それを合図にして、前方の地面から分厚い氷壁がせり上がった。


「どうだ! わたしだって防御は――」

「危ないぞ!」

「ふわわっ!?」


 俺はラクトを抱きかかえ、再びハイパージャンプで直上に跳び上がる。間髪入れず、突っ込んできた猪が呆気なく氷壁を砕き、俺たちの真下を通り過ぎていった。


「『刺し穿つ瞬槍』ッ!」


 着地と同時に飛び出し、突猪を背中から槍で貫く。


「ラクト!」

「『連なるシリアル・蒼氷の刃アイスブレード』ッ!」


 俺が名前を呼んだ瞬間、すでに詠唱を始めていたラクトの弓から矢が放たれる。それは即座に三連の氷片へと変わり、立て続けに突猪へと突き刺さる。


「まだ死なないか」

「タフだね。――『押し潰すクラッシュ・巨大な氷塊ギガンティックアイス』!」


 更にラクトが詠唱を紡ぎ、新たな機術を発動させる。

 突猪の頭上に現れた巨大な氷塊が重力に従って落ち、その頭蓋を割った。


「……やったか」


 いつでも攻撃を放てるよう槍を構えていた俺は、ログに突猪討伐の記録が残っているのを確認して力を抜く。

 最前線のフィールドに相応しいタフ具合だ。ラクトのアーツを二つ受けなければ倒れないということは、かなりしぶとい。


「ぐぬぬ……。こんなモブに氷の壁を突破されるなんて」


 解体のためにナイフを取り出すと、ラクトは悔しそうに拳を握って猪を睨んでいた。よっぽど突進で氷壁が破壊されたことが許せないのだろう。


「まあ、事前の自己バフも無かったし」


 ラクトのような機術師は大抵、機術を発動させる前に〈機術技能〉スキルのテクニックで自己バフを纏う。それで消費するLPを削減したり、詠唱時間を圧縮したり、機術の威力を底上げしたりするわけだ。

 しかし、今回は突進の速度が早く、そういった一連の儀式を経る時間がなかった。そのため、普段よりも少し能力に劣るものしか使えなかった。


「それでも、あれくらいなら受け止められるはずだったんだよ。悔しいなぁ」


 落ち葉の上に倒れる猪に、ラクトは強い視線を向ける。俺は彼女を宥めながら、解体を進めていく。そうして無事にアイテムがインベントリに入ったのを確認していると、とあることに気がついた。


「ラクト、これを見てくれ」

「何ぃ?」


 すっかりいじけてしまったラクトを呼び、展開したウィンドウを見せる。肩を寄せて覗き込んできた彼女は、そこに書かれたものを見て目を見開いた。


「こ、これって!」

「“突猪の大牙”の説明。これを見る限り、機術は相性が悪そうだ」


 それは手に入れたばかりのドロップアイテムの鑑定結果だった。“突猪の大牙”というレアドロップの説明の中で見つけたのは、“力を乱し、相手の体勢を大きく崩すことができる”という一文だ。


「流石第二開拓領域だね。まさか、機術に干渉してくる原生生物がいるなんて……」


 唖然としてラクトが肩を落とす。

 突猪の特異な能力はその突進力だけではなかった。その牙は機術の術式を破壊してしまう。恐らく、どんなに高度な防御アーツでも、同様に呆気なく破られてしまうのだろう。

 ラクトとの戦闘練習のためにここまでやって来たが、彼らは機術師殺しと言っても過言ではない。その瞬発力で詠唱の隙を無くし、仮に詠唱が完了しても術式そのものを破壊する。機術師にとって、これほど厄介な相手はいない。


「どうする、ラクト」


 一旦出直すという選択肢も含めて、ラクトに今後の方針を尋ねる。彼女は真剣な眼差しで何か悩み、眉間に深い皺を刻んでいた。


「諦めたくない……。せっかくの二人きり、で、デートなんだし……。猪なんかに負けたくない……。――レッジ!」

「お、おう。なんだ?」


 ボソボソと小声で呟いていたラクトが突然こちらへ振り向く。彼女の青い瞳には、強い決意があった。


「二人でこの島、攻略するよ!」


 突猪を倒す、ではなく、島を攻略する。その言葉に彼女の覚悟を感じ取った。

 ただでは転ばない。対策を講じてきた相手を、更なる力でねじ伏せる。彼女もまた〈白鹿庵〉の頼れるアタッカーだった。


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Tips

◇突猪

 〈黒猪の牙島〉に生息する猪に似た小型の原生生物。鋭い二本の牙を持ち、強靱な脚力で目にも止まらぬ素早さで突進を繰り返す。脂によって固まった毛皮は鎧のように硬く、厚い皮下脂肪と共に高い防御力を発揮する。また、その牙には特殊な力が宿っており、高密度エネルギー体の構造を破壊する。

 突進突進! そして突進! 俺は止まらぬ止められぬ! 阻むモノは皆壊す! 遮るモノは轢き殺す! 俺の前に立つんじゃない。俺の後ろにさあ続け!


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