第734話「菓子折と共に」
カエデたち〈紅楓楼〉との交流戦から数日経った。その間に別荘の家宅捜査が再び行われ、隠していた栽培中の植物たちが没収されたり、ミズハノメとウェイドによる無限説教があったりもしたが、概ね平和だった。
そして今日は、以前ラクトと約束していた、二人での戦闘訓練を行う日だった。待ち合わせ場所として彼女に指定されたのは〈ミズハノメ〉の中央制御塔前である。
「お、もう来てたのか」
「レッジ! いやぁ、さっき着いた所だよ」
俺が待ち合わせ時間の10分前くらいにやってくると、彼女はすでにそこに居た。FPOは現実よりも体感的な時間の流れが加速しているから、時間ぴったりにやってくるというのは難しいからだろう。
「あれ、装備も変えたのか?」
俺はラクトの様子が普段とは少し違っていることに気がつき、指摘する。彼女は僅かに眉を動かして頷いた。
「うん。アクセサリーだけだけどね。ちょうど良いタイミングだし」
ラクトはそう言って青い髪を耳に掛ける。タイプ-フェアリーの尖った耳が銀の雪結晶で飾られている。彼女は他にも、腕輪や首飾りなど細かい物をより強力な効果を持つものに更新していた。
「けど、よく分かったね。レッジは気付かないかと思ってたよ」
「あまり見くびってくれるなよ。俺も間違い探しは得意なんだ」
「ああ、うん。そっか」
かつてはバグを見つけるために延々と同じような画面を見続けてきた。そのおかげで、少しでも変化があれば分かるようになっている。幼少期の姪と行ったイタリアン系のファミレスでは、彼女に泣かれるくらいだった。
そんなことを思わず自慢げに語ると、ラクトの瞳が氷点下よりも冷たい視線を放つ。
「そ、そんなことよりも、ほら。今日はどこに行くんだ? 〈花猿の大島〉用にアイテムは調整してきたんだが」
慌てて元の話題に修正すると、彼女は小さくため息をついてから答えた。
「今日は新しいフィールドに行ってみようかと思って。〈ホノサワケ群島〉の第二域だね」
「第二域か……。そういえば、もう行けるんだよな」
彼女の言葉で思い出す。
〈花猿の大島〉のボスエネミーは〈コノハナサクヤ監獄闘技場〉に収監されている花猿だ。あそこではソロチャレンジなどもしていたが、別にパーティで挑んでもいい。そしてボスを打ち倒せば第二開拓領域、第二域への進入権限も獲得できる。
最近はそっちにも行っていなかったから、すっかり忘れていた。
「海底洞窟で見つけたタコはどうなってるんだろうな?」
以前、〈ワダツミ海底洞窟〉を探索していた際に発見し、激闘の末に撃破した黒神獣。巨大なタコのようなそれから手に入れた神核実体は監獄闘技場の管理者であるコノハナサクヤへと渡している。
その時は神核実体の解析などがあるということですぐに闘技場で戦えるわけではなかったのだが、流石にも戦えるようになっているはずだ。
「第二域に入る前にちょっと覗いてみる?」
「そうするか。コノハナサクヤにも挨拶しておきたかったしな」
ラクトの提案をありがたく受ける。
コノハナサクヤは第零期先行調査開拓団の一員であり、調査開拓用有機外装という装備について詳しい。それ故に、〈ウェイド〉にある植物園でもアドバイザーとしての仕事をしている。間接的ではあるが、俺が彼女の仕事を増やしているようなものだし、挨拶くらいはしておきたかった。
〈ミズハノメ〉を始発とする第二高速装甲軌道列車ヤタガラスに乗り込み、〈花猿の大島〉の深奥部にある〈コノハナサクヤ監獄闘技場〉へと向かう。
俺たちが開拓活動から脇道に逸れている間にも最前線の開拓は進んでおり、気がつけば随分と快適に移動できるようになった。
監獄闘技場に着くと、そこはかなりのプレイヤーで賑わっていた。かなり大規模な戦いの果てに獲得した施設だが、今ではちょっとしたテーマパークのような様相だ。
「すごい人だねぇ。コノハナサクヤとは会えるのかな?」
「別に本人と会う必要はないからな。受付のNPCに声を掛ければ、伝言くらい預かって貰えるだろ」
あちらは俺たちよりも遙かに優秀なコンピュータだ。正直、俺たちがここに入った瞬間に察知されていてもおかしくはない。
「ほら、ラクト」
「はえっ?」
俺が手を差し出すと、ラクトはきょとんと首を傾げる。
「人混みで迷子になっても困るだろ。手、握っとけ」
「おおう……。じゃ、じゃあ失礼します」
ラクトは豆鉄砲の乱射を受けたハトのような顔をして、恐る恐る俺の手を握る。タイプ-ヒューマノイドとタイプ-フェアリーでは、手の大きさにもかなりの違いがある。俺の指先を彼女は手のひらで包むようにして掴み、こちらに肩を寄せてきた。
「へへ……。これ、ほんまにデートみたいやん」
「ラクト?」
「な、なんでもないよ! ほら、受付に行こう!」
明後日の方向を見て何やら呟くラクト。俺が声を掛けると、彼女は肩を跳ね上げてずんずんと歩き出す。俺は彼女に引っ張られるようにして、闘技場のロビーにあるカウンターへと向かった。
『いらっしゃい、調査開拓員レッジ』
「なんで管理者が直々に出てきてるんだよ……」
カウンターに着くと、何故か施設の最高責任者が腕を組んで仁王立ちしていた。突然現れたコノハナサクヤに、周囲の人々もざわついている。
『PoIが突然乗り込んできたから、警戒態勢に入ってるのよ。あなた、この前の家宅捜索を覚えてないの』
「そ、その節はご迷惑を……」
じろりと睨まれ、何も言えなくなる。
先日やって来たのはワダツミとウェイドと夥しい数の警備NPCたちだったが、コノハナサクヤも原初原生生物の監督官として情報は共有していたはずだ。
俺はすかさずインベントリから用意していたものを取り出して、彼女に渡す。
「こちら、〈ワダツミ〉にある洋菓子カフェ〈海鳴り〉の数量限定シュークリームです」
『そ、その程度じゃ許さないわよ。……こちらはありがたく頂くけど』
ふむ。彼女も洋菓子が嫌いというわけではないようだ。
コノハナサクヤは俺が差し出した紙の包みを受け取り、カウンターに立つNPCに預ける。その後、少し口調を柔らかくして俺に来訪の理由を尋ねてきた。
『まさか、この監獄闘技場に何か密輸したんじゃないでしょうね?』
「そんなわけないだろ。今日は日頃の感謝をこめた挨拶をしにきたのと、前に持ち込んだタコがどうなってるか気になってな」
『タコ……? ああ、“水影のユライユリ”のことね』
コノハナサクヤがタコの本名を口にする。正直、その名前で呼んでる奴は一握りしかいないだろうが、管理者とは律儀なものだ。
『“蔓延のエタグノイ”――私の調査開拓用有機外装を倒す調査開拓員も増えてきたし、一部の者は“水影のユライユリ”も倒せるようになっているわ。まあ、術式汚染の浄化状況はまだまだだけど』
「そうか。まあ進行しているようなら良かったよ」
俺が言うと、コノハナサクヤは素直に頷く。彼女にとって黒神獣とは、忌むべき敵ではなくかつての仲間だ。だからこそ、思うところもあるはずだ。
『それで、今日はあなた達も協力してくれるの?』
「いや、今日は様子を見に来ただけだ。この後、第二域に足を伸ばそうと思っててな」
『そう。そっちも領域拡張プロトコルの進行としては重要だから、頑張りなさい』
不満な顔をされるかとも思ったが、コノハナサクヤはすんなりと頷く。それどころか、激励までされてしまった。
監獄闘技場での浄化作業が進むに越したことはないが、領域拡張プロトコルも重要だ。彼女たち管理者はそういった基本理念で動いているため、問題はないらしい。
「じゃ、そろそろ行くか」
「うん。コノハナサクヤも頑張ってね」
ラクトがひらひらと手を振り、コノハナサクヤもそれに笑顔で応じる。
「サクヤたん! 俺もシュークリーム買ってきました」
「甘い物だけじゃキツいよな。俺は激辛チップスだ!」
「てめぇ、俺が先に声かけたんだぞ!」
俺たちが離れた瞬間、コノハナサクヤは待ち構えていた他のプレイヤーたちに囲まれて見えなくなる。管理者が出てくる機会なんてそうそう無いし、ちょっとしたイベントのようになっているのだろう。
「コノハナサクヤも人気だなぁ」
「管理者はみんなあんな感じだろうね。〈シスターズ〉も連日大盛況らしいし」
怒濤の勢いで人の詰め寄せる中心で、コノハナサクヤの悲鳴が聞こえた気がする。管理者の仕事も大変そうだ。
「あの、ラクト。そろそろ手を離してもいいんじゃないか?」
「はっ! ご、ごめんね! 忘れてたよ!」
監獄闘技場を出て、しばらく歩く。その間もギュッと手を握られ続けて言い出しにくかったが、流石にそろそろ戦闘もありそうだ。そっと伺うと、彼女は慌てて手を離した。
「第二域はここよりも厳しいんだろうかね」
「ど、どうだろね。深奥は〈花猿の大島〉でも別格だし……」
〈ホノサワケ群島〉はその名の通り、大小さまざまな島が集まった調査開拓領域だ。それぞれの島ごとに特徴が変わることもある、という話も聞く。
深奥部を抜け、森を進み、〈ミズハノメ〉のある場所から反対側へとやって来た。白い砂浜に架けられた立派な鉄橋を歩いて、次の島へ向かうことができる。
「あれが第二域だね」
橋の向こうに見える島影を指さして、ラクトが言う。
そこにあるのは〈花猿の大島〉よりはかなり小さな陸地だ。
「〈黒猪の牙島〉か。名前からして物々しいな」
覚悟を決めて、橋を渡る。
そこに広がっていたのは、全ての木々に大きな傷跡が刻まれた、荒れた光景だった。
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Tips
◇銀雪の耳飾り
綺麗な雪の結晶をあしらった、銀色の耳飾り。上質な青結晶が使用されている。非常に繊細で壊れやすい。
装備時、LPの生産能力が3%上昇する。水属性の攻性術式の威力が2%増加する。また、術式が火属性だった場合は威力が30%減少する。術式が水属性、火属性以外だった場合は威力が10%減少する。強い物理ダメージを受けた際、一定確率で耐久値が2倍消費される。
儚い雪を象った銀の耳飾り。青き結晶は冷気を放ち、水の呼び声に共鳴する。その光は冷たくも優しい。
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