第726話「食欲魔人」

 第16階層での研究ポイント稼ぎを終えて、俺とラクトはエレベーターで第1階層のロビーに戻る。


「レッジ、この短時間で第3チャンバーまでの研究ポイント稼げたんだね」

「もともと少し余分に稼いでたからな。第4チャンバーになるとまた大量にポイントが必要になるから、今から気が重い」


 俺は第3チャンバーまで、ラクトは第2チャンバーまでの進入権限を獲得した。これでまた、もう少し効率よくポイントを稼ぐことができる。

 一人で黙々と作業するよりも、気の知れた仲間と駄弁りながらの方が精神的にも楽だ。それはラクトも同じようで、今度また一緒に研究をすることも約束している。

 チャンバーの進入権限を獲得した達成感からか、ラクトはエレベーターの中でも嬉しそうに体を揺らしていた。

 エレベーターが停止し、ドアがゆっくりと開く。


「そういや、レティは随分待たせちまったな。悪いことを――」

『レッジ! 助けて下さい!』

「ごわぷっ!?」


 エレベーターから一歩足を踏み出したその時、弾丸のように飛んできた銀色の影が俺の下腹部に衝突する。

 フレームが歪みそうな衝撃に耐えつつ視線を下げると、青い顔をしたウェイドが腰にしがみついていた。


「うぇうぇ、ウェイド!? ちょっと何をうらやま――大胆なことを!」


 唐突な展開にラクトも目を見張る。

 どういう状況か分からないが、ロビーにいるプレイヤーたちの視線が一斉に突き刺さり、針のむしろのような状態だ。


『大変なんです、レッジ。植物園の危機です!』

「落ち着けって。いったい何があったんだ?」


 怖いものでも見たようにぶるぶると震えるウェイドの肩に手を置く。いつも冷静沈着な彼女がこうも取り乱すとは。しかも植物園の危機などと言っている。

 しかし、サイレンは鳴っていないし、周囲を見渡しても変わりは――。


「このハンバーガーも美味しいですね。中のパティも植物性とは、まったく信じられませんよ。カロリーハーフらしいので、二倍食べても大丈夫ですね」

「あらあら。このパスタも美味ですの。もう少し追加で注文しようかしら」


 変わりがあった。


「何をやってるんだレティ。……あれは、光か?」


 植物園のロビーにはカフェテリアが併設されている。白く無機質な内装の建物にも珍しく、緑と木材で装飾された憩いの場だ。研究の疲れを癒やすという名目ではあるが、研究の副産物的に出てきた植物性の食材を使った料理も提供している。

 そんなカフェテリアの一角に、文字通り山のような料理を載せたテーブルがあった。そこに向かっているのはレティと光のふたりである。

 言わずと知れた大食らいのレティと、同じく無尽蔵の胃袋を持つ光。二人の圧倒的な食欲によって、次々と食べ物が消えていく。

 同じ大食い同士気が合うのか、談笑も交えて仲が良さそうだ。


『お二人を止めて下さい。あのままではカフェテリアの在庫がなくなってしまいます』

「ええ……」


 ウェイドにぐいぐいと背中を押されてカフェテリアの方へ向かう。

 仮想現実では実質的に無限に物資が生産できるとはいえ、FPOはリアリティを売りにしている。そのため、実質無限ではあるが、一応在庫という限界も設定されている。特にユニークショップなどでは品切れも珍しくないし、ベースラインのショップでも一度に大量の商品を購入すれば一時的に購入不可になる。

 また、経済システムも構築されているため、大量売却も買い取り側のビットが尽きれば行えなくなる。

 唯一の例外は緊急特例措置が発動した場合だろうか。

 ともかく、レティと光の二人でカフェテリアの在庫を食べ尽くそうとしているのは事実である。


「レティ、光、そこまでにしといてやれ。ウェイドが泣いてる」

「もぐもぐ。あ、レッジさん!」

「ごきげんよう、レッジさん」


 ウェイドを腰にしがみつかせたまま、レティと光に声を掛ける。二人はこちらに気がついた後、二、三口で風呂桶サイズのハンバーガーやバケツサイズのナポリタンを食べきって口元を拭く。

 まったく、本当に良く食べられるものだ。


「レッジさんが帰ってくるのが遅いから、退屈しちゃいましたよ」

「私はレティちゃんと話せて楽しかったですの」

「それは申し訳なかったよ。中でラクトと出会ってな、一緒に研究してたんだ」


 隣に立つラクトへ視線を向けて言う。彼女は腰に手を当て、呆れた目でレティたちを見ていた。


「ふーん、ラクトと二人でしたか……」

「や、やましいことは何もしてないよ!」


 レティがすっと目を細め、何故かラクトが慌て出す。そんな二人の様子を光は楽しげに見ていた。


「とりあえず、二人とも落ち着いたみたいだな」

『良かったです、本当に。……今後はもう少し食材の生産量を増やした方がいいでしょうか』


 レティたちが食事を止めたことで、ウェイドもようやく力を抜く。真剣な顔で検討しているが、別にその必要はないんじゃなかろうか。レティたちも足繁くここに通うわけではない。


「そういえば、光はなんでここに?」


 そこまで考えて、はたと気付く。

 光がこの場にいる理由が分からなかった。


「モミジさんの付き添いですの。彼女が新しい薬品の開発ができるかもしれないと仰ったので」

「なるほど。彼女は〈調剤〉スキルを持ってたか」


 その説明で得心がいく。

 光のパーティメンバーであるモミジは〈調剤〉スキルで毒物やアンプルを作成し、それを使って支援を行う投擲師だ。植物園の研究ポイントでは植物毒なども入手できるから、彼女にはぴったりだろう。

 というか、彼女がいると言うことは――。


「よう、レッジ」

「やっぱりいるよな、カエデも」


 肩を叩かれ振り返る。そこには良い笑みを浮かべた黒髪の青年、カエデが立っていた。

 彼とモミジは現実の夫婦で、二人の子供がトーカとミカゲであるということも、成り行きで知っている。


「娘との結婚、納得してくれたか?」


 開口一番、カエデが言った言葉にうっと喉を詰まらせる。

 あの“蒼海の決戦”以来、彼はことあるごとにトーカとの結婚を迫ってきているのだ。丁重にお断りしたはずなのだが、「ウチの娘はそんなに魅力がないのか!」などと怒られている。

 その場にトーカ本人が居れば問答無用で叩き切ってくれるのだが、今回はそうもいかない。


「その件は一度持ち帰って検討させて頂きますと言っただろうに……」

「どれだけ持ち帰ってるんだよ。もう倉庫にも入りきらんだろ」


 顔を合わせる度に迫られ、その都度のらりくらりと躱しているのだが、キリが無い。今では少し彼に苦手意識を持っている。


「お兄ちゃん、またレッジさんを困らせてるんですか?」

「ぐぇっ、モミジ……」


 そこへ救いの手が差し伸べられる。

 第1階層第1チャンバーのドアから出てきたモミジが、怒りの微笑を湛えたままカエデの胸ぐらを掴み上げたのだ。タイプ-ゴーレムの彼女がタイプ-ヒューマノイドのカエデを掴むと、彼は床から足が離れてしまう。


「すみません、レッジさん」

「いや、まあいつものことだから」


 夫に代わり頭を下げるモミジ。逆にこちらが恐縮してしまうくらいに、良くできた奥方だ。

 まあ、仮想現実こっちではカエデの妹ということになっているらしいが。


「モミジは研究をしてたんだろう? 成果はどうだ」


 話題を逸らすため、俺はモミジに話しかける。彼女はカエデを宙づりにしたまま、恥ずかしそうに柳眉を寄せて口を開いた。


「なかなか難しいですね。なんとか1-3の進入権限を貰って帰ってきたところです」


 1-3というのは第1階層第3チャンバーの通称だ。この規則に倣うと、俺がさっき到達した場所は16-3となる。

 彼女はさっき始めたばかりで、今回はお試しだったのだろう。


「でも、〈栽培〉スキルなしでも毒液が手に入るのはありがたいです。それもこれも、レッジさんとウェイドさんのおかげですね」

「いやぁ、俺は特に何にもやってないんだけどな」


 ニコニコと笑って言うモミジ。ウェイドは複雑そうな表情でそれを見ていた。

 研究ポイントの交換リストには〈栽培〉スキルでしか手に入らない毒液や薬液なども多い。それがパズルを解くだけで手に入るということで、モミジのように助かっている薬剤師は多いのだろう。


「そういえば、フゥちゃんは? 姿が見えないけど」


 ラクトが周囲を見渡して首を傾げる。

 たしかに、カエデたちが揃っているのにパーティメンバーのフゥが居ないのは珍しかった。


「彼女も研究していますよ。野菜や植物合成肉などの食材が欲しいみたいで」

「なるほど。料理人にも需要があるのか」


 交換リストにはカフェテリアで提供されている料理の材料も並んでいる。動物性のものはほとんどないが、ヘルシーな食材ということで人気はあるらしい。


「でも、フゥちゃんも1-3に行ったら帰ってくるって言っていたはずなんですが……」


 モミジが心配そうに1-1の入り口の方を見る。

 その時だった。


『警告。第1階層第3チャンバーにて異常が発生しました』

『第1階層第2、3、4チャンバーを遮断します』


 天井のランプが赤々と輝き、けたたましいサイレンが鳴り響く。側に居たウェイドが肩を跳ね上げて俺の腰に抱きついてきた。


「ウェイド、これは……」

『第3チャンバーで収容違反が発生しましたね。すでに処置が行われています』


 1-1のドアから慌てた様子のプレイヤーたちがわらわらと飛び出してくる。必死の形相の彼らとは対照的に、ロビーで談笑したりカフェテリアで寛いだりしていたプレイヤーたちは気にも留めていない様子だ。


「皆さん平然としてますねぇ」

「まあ、日常茶飯事だからねぇ」


 唖然とするレティに、ラクトが苦笑して答える。

 サイレンも隔壁も、この植物園ではよくあることになっていた。そのため、自分に差し迫った危機がないかぎり、プレイヤーも取り乱していない。

 チャンバーから逃げ出してきた人々も、大半はロビーに辿り着くと安堵の表情を浮かべていた。


「ほわっち! ほわっち! し、尻尾が焦げるッ!」

「フゥ!?」


 しかし一部の新参らしいプレイヤーはまだ場慣れしておらず、パニックに陥っている。その中の一人に、見慣れた虎柄の猫型ライカンスロープの少女もいた。

 モミジが目を丸くして彼女の名前を呼ぶ。その時思わずカエデを掴んでいた手を離し、潰れたカエルのような声がしたが、誰もそれに気付いていない。

 フゥは涙目でこちらへ走り寄ってきて、ふわふわの尻尾を抱えた。


「も、モミジちゃん! 尻尾焦げてない? 私、生きてる?」

「大丈夫よ。毛並みはつやつやよ」


 ぶるぶると震えるフゥを、モミジは優しく撫でて落ち着かせる。二人の間、というよりカエデとモミジとフゥの三人でも一騒動あったようだが、わだかまりはないらしい。


「ううう……。あのパズル、シビアすぎるよ。ワンミスで爆発するなんて」


 どうやら収容違反の切っ掛けは彼女が研究に失敗したことらしい。ぐすん、と鼻を鳴らすフゥの表情は悔しげだ。


『苦情なら開発者に言って下さい。我々は保管業務を行っているだけですので』

「ええ……」


 ウェイドは俺の背中に回り込み、盾のように構えて顔だけを出す。たしかに1-3にある“昊喰らう紅蓮の翼花”は俺が栽培したものだけどな……。管理者がそんなこと言ってもいいのか?


「あの、レッジさん。せっかくおか――光さんたちも揃ったことですし、みんなで少し狩りでも行きませんか? なんだかんだ、皆さんの戦いぶりとかは見たことないので、気になってまして」


 しょんぼりとしているフゥをモミジが慰めるなか、レティが手を挙げて提案する。落ち込んでいるフゥの気持ちを紛らせるための気遣いかもしれない。

 ともあれ、俺もカエデ以外の戦い――カエデ自身の対エネミー戦もよく知らない。“侵蝕する鮮花の魔樹”と戦っていたのもよく見ていないからな。興味はある。


「いいな。カエデたちも良ければ、だが」

「もちろんいいぞ。義子との親交は深めておく方がいいだろう?」

「後半は聞かなかったことにするよ……」


 むくりと起き上がったカエデが笑顔で頷く。なぜそこまで強硬に俺をくっつけようとしているのかよく分からないが……。


「あらあら。私の実力をレティちゃんに見せられるのね! 楽しみですの」

「うぐぅ……」


 わくわくとする光に対し、レティは少し複雑な顔で眉を寄せる。俺の鋭い直感によると、二人はリアルでも顔を知る友人だ。リア友だからこそ、気恥ずかしいというのもあるのだろう。


「その前に、研究ポイントでアイテムを引き換えてきてもいいですか?」

「私も。目標のポイントはなんとかゲットしてるからね」

「分かった。じゃあ、色々準備を整えて、再度集合しようか」


 遠慮がちに手を挙げるモミジたちに頷き、方針を提示する。異論はないようで、俺たちは一度戦闘準備を整えるため植物園を出ることにした。


「じゃあな、ウェイド」

『もう変なものを持ち込まないで下さいね』

「変なものは持ち込まないさ」


 名残惜しそうに見送ってくれるウェイドに手を振り、彼女とも別れる。また今度、農園で栽培中の植物が育ちきったら持ち込んでやろう。


「ほあああっ!?」


 去り際、研究ポイントの交換をしていたフゥが上げた悲鳴を聞く。


「しょ、食品系のアイテムが全部品切れになってるんだけど……」


 がっくりと膝から崩れ落ちるフゥ。


『カフェテリアで大量の要請があったので、食材は全てそちらに移されました。再入荷まではしばらくお待ちください』

「そ、そんなぁ……」


 ウェイドが事情を説明し、フゥは悲壮な顔で口を開ける。耳がぺたりと伏せ、可哀想な姿だ。


「た、大変ですねぇ」

「そうだね。誰のせいなんだろうね」


 そんな様子を元凶レティは気まずい表情で見ている。ラクトが脇腹を突くと、彼女はうっと言葉を詰まらせた。


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Tips

◇グリーンベジタブルバーガーカロリーハーフ

 植物型原始原生生物管理研究所内のカフェテリアにて提供されている完全植物性食品。バンズからパティに至るまで、全ての食材が植物性のもので構成されている。植物園内での研究活動の副産物として発生したものを使用している。

 植物性なのでヘルシーだが、食べ応えは十分。特にジューシーなパティは三枚重ねで、ピリ辛のソースとの相性が抜群。レタスやトマトは当然瑞々しく、シャキシャキとした食感。


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