第725話「密室の中で」
途中で出会ったラクトと共に植物園の第16階層へと入る。彼女は第1チャンバーまでしか入れないため、ひとまず俺もそこで一緒にポイント稼ぎをすることになった。
「……」
「ラクト?」
「わひゃっ!? な、なに?」
しかし、エレベーターに居る時から、ラクトは何やら固い表情で押し黙っている。名前を読んでみると、彼女は跳び上がって驚いた。
「何かあったのか?」
「いや、何かあったというか、今の状況に思考が追いついてないというか。――あはは、なんでもないよ!」
「そうか……」
よく分からないが、ラクトは笑って答える。
俺は首を傾げつつも深くは聞かないことにした。
「レッジはもう第2チャンバーまで行けるんだっけ?」
エレベーターの扉が開き、ラクトはそこから飛び出しながら口を開いた。
「ああ。今回も第3まで行くだけのポイントは貯めるつもりだ」
チャンバー内、ガラスの向こうに収容された植物を見ながら雑談に興じる。研究ポイントを稼ぐためのパズルは多少時間がかかるため、話し相手がいるのはありがたい。
「もう第3まで行くって……。よくそんなにポイント貯められたね」
「まあ、それ以外にポイント使ってないからなぁ。あとはほら、ラクトたちがログインしてない時はだいたいポイント稼ぎしてるし」
なにせ時間だけはたっぷりある。最近はひとりの時間は基本的にここで研究をしつつ、別荘の農園の様子を見るような生活を送っていた。
「ほんと、レッジって長時間ログインしてるよね。体とか痛くならないの?」
「え? ああ、そうだなぁ。そういうのは特にないな」
「いいなぁ。どんなベッド使ってるんだろ」
基本的にVR機器と接続して仮想空間にダイブする際は、現実の体をベッドに寝かせておくことになる。一般ユーザーだと床ずれ防止機能などもない普通のベッドだ。その負荷によって強制ログアウトまでの時間が短くなるという話も聞く。
とはいえ、俺は普通のベッドを使っているわけじゃないからな。
「ベッドというか、水槽に浮いてるというか……」
「ええ……。レッジってもしかして脳みそだけの存在だったりする?」
思わず言葉を零すと、ラクトはぎょっとしてこちらへ振り向く。俺は慌てて首を振って否定した。
「医療用のVRシェルを使ってるんだよ」
「医療用!? れ、レッジどこか体が悪いの?」
研究を放り出してあわあわと焦るラクト。こうなることが分かっていたから今まであまり話さなかったのだが、二人きりということもあって油断してしまった。
俺はどう説明したものか悩みながら口を開く。
「あんまり詳しいことは言えないんだけどな。命に別状があるとか、そういうのじゃない」
「そ、そっか。まあ、あんまり根掘り葉掘り聞くのも悪いし、レッジが健康ならそれでいいよ」
「ははは」
健康かどうかは怪しいところだが、まあいいか。
ラクトはほっと胸を撫で下ろして研究を再開する。
分厚いガラス装甲の向こうにあるのは、コノハナサクヤによって“胎動する血肉の贄花”と判断された、絶えず動き回る太い触手のある花だ。
食糧問題解決に向けて何か作れないかと思ったのが栽培を始めた切っ掛けだが、かなり歩留まりの大きいものができたと自負している。触手の味は少し淡泊なカニのようなもので、色々と調理のし甲斐もある。
問題点としては、油断するとこちらが喰われかけるというのと、生長させるのに原生生物の血液が必要だということくらいだろうか。
「レッジって栽培するの好きだよね。植物が好きなの?」
「うん? まあ、そうだな。現実で土いじりってのも最近はできてないし、やっぱり楽しいよ。昔は庭で色々育てたりもしてたんだ」
「へぇ。レッジの育てた花、見たかったなぁ」
「ははは。いつか見せられるといいけどな」
そのいつかが来るのは当分先になるだろうが。昔育てていた花は、今はもう枯れてしまっているはずだ。一部は姉さんに預けたが、彼女がそれを育てている確証もない。
「ふふ、レッジと植物園で二人。これって実質デートなのでは?」
しばしかつての花たちに思いを馳せていると、ラクトが小声で何か呟く。
「ラクト?」
「ほわっ!? な、なんでもないよ!」
気になって声を掛けてみると、彼女は肩を跳ね上げぶんぶんと首を振った。研究の邪魔をしてしまったようで、申し訳ない。
「しかし、ラクトはパズルを解くのが早いな」
「そう? まあ、昔からこういうの好きだったしね」
話している間もラクトの指は止まらない。
彼女は三つの試験管に比重の違う複数の血液を入れて、順番を変えていくようなパズルを解いているが、まるで迷う素振りがない。俺が時間に任せてゆっくり解いているのに比べて、彼女は研究の進行速度がかなり早かった。
「頭を使う系の遊びはよくやってたんだよ。両手でジャンケンしたりとか」
「それってなんか、怖いやつじゃなかったか?」
そのうち片方の手が自分の思考を離れて動き出すとか、そういうオカルト的な話だったような。
「別に怖くないよ。だんだん役を増やしていって、最終的には101個くらい作ったかな。5,000通りくらいの勝敗条件があったよ」
「うわぁ、それはすごいな」
ぐにょぐにょと手を動かしてみせるラクト。それだけの役を考えるのも大変だが、それらの勝敗条件を覚えておくのも大変だ。
彼女は二重詠唱という器用なことをやっているが、その頃からそういう素地ができていたのだろう。
「大人になってからは使い道もないんだけどね。仕事しながらサボれるくらい?」
「それはサボってるのか?」
「サボりに意識を集中してると仕事が気がついたら終わってる感じだから、まあ楽かも。なんというか、もう一人の自分がやってくれてるみたいな」
「器用だなぁ」
ラクトは平然と言っているが、それは俺のやっている並列思考とはまた別の能力だ。俺の場合なら遊びつつ仕事をすることになるため、どちらにも意識を向ける必要がある。彼女のそれは思考の分身だ。
「ただこれ、FPOで応用できないか考えてるんだよね」
「大丈夫なのか? 結構負荷は大きそうだが……」
以前、彼女が二重詠唱を行った際、随分と辛そうにしていた。思考を二つに分離するというのは、なかなか難しいはずだ。あまりやり過ぎて健康に影響が出ては元も子もない。
「少しずつ慣らしてると楽になってくるよ。使いこなせると、なかなか強くなると思うんだよね」
「そうか……。まあ、体には気をつけてな」
「レッジに言われても説得力ないんだけどなぁ」
互いに笑いを交えつつ、研究を進める。
基礎研究、応用研究、そして収容プラン案策定の三種があるが、難易度とポイントの効率もその順番に上がっていく。基本的には、順に進めたあとに収容プラン案策定で稼ぎ続けることになる。
ラクトも順調に研究を進め、収容プラン案策定に移った。
収容プラン案策定は、言ってしまえばレポートの作成だ。基礎研究、応用研究で得られたデータを元に収容プランを作り、それを文章としてまとめ上げる。それの完成度によって、上手く行けば大量のポイントが獲得できる。
ちなみに俺は最大効率でポイントを稼ぐため、左手と右手でそれぞれ別のキーボードを叩き、ついでに思念操作で三つの文章を記し、合計で五つのレポートを並行して作っている。
「レッジは流石だねぇ。わたしはまだ三つまでしかできないや」
「こういうのは訓練だからなぁ」
ラクトは両手でそれぞれと、思念操作一つの三つを並行して取り込んでいるようだ。
基本的に、今の段階で15層以上にいるプレイヤーはこういうことをしている。なので、俺が異常というわけでもない。
「うん? ラクト、そこの手順間違えてるぞ」
「えっ? どこ?」
ちらりとラクトのウィンドウを覗くと、左の文章が少し間違っていた。それを指摘してやると、彼女は驚いて内容を確認する。
「ほら。ここだ」
「あ、ほんとだ。ありがと……!」
肩越しに手を伸ばして直接指し示す。
花のまわりに塩の結晶を配置する工程だが、元のままでは量が10分の1になっていたため、最悪収容違反が発生してしまう。
そういったことを指摘すると、彼女は顔を赤くして俺を見ていた。
「ラクト?」
「わひゃっ! な、なんでもないよ、ありがとう!」
名前を呼ぶと、彼女は弾かれたように距離を取る。
俺もつい近づきすぎたようだ。
「すまん、ちょっと無遠慮だったな」
「いやそのありがとう。あ、じゃなくて、そういうのじゃないから。大丈夫だから」
「そうか?」
彼女は顔を火照らせ、手で煽ぐ。
おっさんに間違いをいちいち指摘されるのも面倒くさいだろう。申し訳ない気持ちになって、肩を落とす。
その直後、ラクトは何かを決心したような顔で俺を見つめた。
「レッジ!」
「な、なんだ?」
真剣な青い瞳。
俺の脳裏に浮かんだのは、彼女の〈白鹿庵〉脱退というもの。ラクトは今の段階でも機術師としてかなり強いし、きっと引く手数多だろう。〈白鹿庵〉以外の場所でも沢山活躍できる。
そういえば、エレベーターで一緒になった時から、彼女はずっと挙動不審だった。
「今度、その、お、おふ……」
「おふ?」
ラクトは目をぐるぐると動かしながら、あわあわとしている。俺は彼女を急かさず、じっと言葉を待つ。
どこからオファーが来たというのなら、笑って見送る決意だ。
「おふ、オフェンスの練習に付き合ってよ」
「オフェンス?」
予想と違う言葉が飛び出し、虚を突かれる。
オフェンスというのはつまり攻撃ということか。たしかに彼女はアタッカーだから、オフェンスは大切だが……。
「ほら、その、レッジってディフェンスの権化じゃない? だから、コンビネーションを高めてインテリジェンスなバトルをデベロップしたいなと」
「落ち着け。なんかワダツミみたいになってるぞ」
早口で捲し立てるラクトの肩を抑える。
彼女はアタッカーで、更に言えば後衛だ。俺がテントを張った際には、一番近くで戦ってくれる。
「そういえば、最近はテントを軸にした戦闘もやってないな。鈍ってるかもしれない」
「そ、そうなんだよー。だからちょっとやってみた方が良いんじゃないって……」
「なるほど。じゃあ今度レティたちも――」
「ふ、二人で!」
俺が開きかけた口を遮るように、ラクトが言葉を挟む。前衛がいないと上手く練習にもならないと思うのだが……。
「その、実は色々練習してて。それでレティたちを驚かせたいんだよ。だから、まだみんなには内緒で」
「ふむ、おもしろそうじゃないか」
そういう事情があるのなら仕方ない。俺も彼女の練習に協力するのはやぶさかではなかった。
「それじゃあ、また後で日程を合わせてどっか行くか」
「うん。そうしようよ」
ラクトと二人でフィールドに出る機会もなかなか少ない。基本的に、前衛の誰かが居た方が戦いも安定するからだ。
しかし、今後レティたちがやられて俺とラクトだけが残るというシチュエーションも出てくるかもしれない。そういった時を想定して動きを確認するのもありだろう。
「じゃ、さっさと研究終わらせるか」
「そ、そだねー」
ラクトの肩を叩いて、再び研究を始める。
彼女は若干悔しそうな表情をして、仮想キーボードを叩き始めた。
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Tips
◇“胎動する血肉の贄花”
現在は滅びた原始原生生物。第零期先行調査開拓団によって蒔かれた“生命の種”から生まれた初期の原生生物。
巨大な蕾と細胞壁のない動物的な身体部位を有し、その太い触手を動かすことで周囲の原生生物を捕らえ捕食する。花の内部に強い酸性の消化液を分泌しており、それによって捕食した動物を溶かし、エネルギーに換える。
また、根からは原生生物の血液を吸収し、それもエネルギーとして使用している。特に肉食獣の血液を好むほか、複数の血液を混合させ“カクテル”のように楽しむため、知能の高さが示唆されている。
塩分を苦手としており、塩結晶によって行動を制限することが可能。しかし、塩の量が少ない場合はいたずらに神経を逆撫ですることになり、より凶暴性が高まる。
飢餓状態に陥ると、自らの触手を噛み、内部に蓄えていた血を周囲にばら撒く。特殊な分泌液が混合した血液は多くの原生生物を狂乱状態にし、大規模な“
一時期は地上のほぼ全てを覆い尽くし、最大の繁栄種として栄華を誇っていた。しかし、気候変動や他種族の台頭によって絶滅する。
大量の血肉を喰らい十分に成熟した場合、蕾が大きく開き内部から[閲覧権限がありません]
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