第721話「外堀埋めて」
ヘッドセットを外すと、見慣れた天井が見えた。私はベッドに身を沈めたまま、たった今この目で見たことを思い出す。
「ほ、ほあああ……」
思わず呻き声を漏らしてしまう。
カエデ君とレッジさんの戦いは異次元で、それはとても凄かった。けれど、そんなものが霞んでしまうくらいの衝撃がそのあとに待っていた。
「ちょっと待って。か、カエデ君がミカゲ君のお父さんで、モミジちゃんがお母さん? いや、いやいや、私二人の前でなんか色々言ってなかった?」
決着がついた後、カエデ君がレッジさんに言った言葉。それを聞いた瞬間、モミジちゃんとトーカさんが飛び出していった。モミジちゃんはともかく、トーカさんがあんなに顔を真っ赤にする理由が分からなくて困惑していたけれど、そのあとすぐに説明をしてもらった。
カエデ君とモミジちゃんの正体、そして二人が私の正体について知っていたということ。それを隠していたことについて謝られたけど、そっちはあまり気にしていない。
それよりも重大なのは、私が好きな子のご両親の目の前で色々と言っていたということだ。
「ほあああああっ!」
思わず枕に身を沈め、ジタバタと足を動かす。
いくら何でも恥ずかしすぎる。いったい私はこの後どうすればいいんだ。さようなら、私の青春。
「真ー? そろそろお店開くから手伝ってちょうだい」
「ほああ……。はーい……」
お小遣いを前借りして高価なヘッドセットとゲームを買って貰った手前、お母さんの要請に応えないわけには行かない。とぼとぼと階段を下りながら、はたと気がつく。
「……これから、どうしよう」
カエデ君とモミジちゃんの中の人が分かってしまった。そんな状態でFPOが続けられるだろうか。私がミカゲ君について色々と言っていたのもすべて聞かれている。こんな女を息子に近づけたいと思うだろうか。
「ちょ、真? アンタ、顔色悪いわよ?」
「大丈夫、大丈夫……」
足下をふらつかせながら店に行くと、厨房で仕込みをしていたお母さんがぎょっとして声を掛けてくる。
「調子悪いなら、部屋で休んでなさい」
「いや、そんなんじゃなくて」
アクロバティックな失恋をしました、なんてお母さんに言えるわけがない。私は呆然としたままテーブルを拭いていく。
田舎とは恐ろしく狭い世界だ。光速よりも速く人の噂が広がっていく。私はふしだらな女として知られ、龍々亭にも迷惑が掛かる。お母さんは私に失望しながら、長年守り続けた店を閉めて、追われるように寒々しい北の土地へ――。
「真。ねえ、真ったら!」
「ご、ごめんなさい!」
「何を謝ってるのよ。それよりほら、御影さんがいらっしゃってるの。アンタのこと呼んでるみたいよ」
「ほぎゃっ!?」
何かやらかしたの?と怪訝な顔をするお母さん。私は悲鳴を上げながら店先に目を向ける。
「やあ、こんばんは……」
そこには、御影君のご両親が立っていた。
「済みませんねぇ。まだ開店してないんだけど」
「ああいや、その前にちょっと真ちゃんと話したくて。すみませんね」
「いえいえ。まあ、適当に座って下さいな」
ニコニコと接客モードのお母さんによって、お二方がこちらへやってくる。私は慌ててエプロンを整え、精一杯背筋を伸ばした。
「あわ、あわ。その、先ほどは、というか今までとんだご無礼を……」
「いや、謝りたいのはこっちの方だ。真ちゃんを騙すような形になってしまって、申し訳なかった」
そういって、おじさんが腰を直角に曲げて頭を下げる。隣に立っていたおばさんもそれに続く。
「ちょっと真!? あ、あんた何やったの?」
それを見て、ウチのお母さんが目を丸くする。娘が何かやらかしたことを察したのか、さっと顔を青ざめさせていた。
「ごめんなさい、萩原さん。実は――」
お母さんには、御影君のおばさんが事情を話す。
カエデ君――おじさんはレッジさんに会うためFPOを始めたこと。お母さん同士のお茶会で、おばさんはおじさんが私と一緒に遊んでいる事実を知ったこと。そして、私の正体を一方的に知りつつ、二人がゲームの中で一緒に遊んでいたこと。
その説明を聞いて、私もようやく理解した。
以前、お母さんにゲーム内のスクリーンショットを見せたことがある。そこにカエデ君が映っていた。今のおじさんとは随分顔立ちや背丈が違うけれど、どうやら若い頃の姿そっくりそのままだったらしい。
「そういうわけで、萩原さんの真ちゃんには迷惑を――」
「あらぁ。そういうことだったの……」
事の顛末を聞いたお母さんは、流石に驚いたらしい。もっともお母さんはゲームとかやらないから、実感は湧いていないようだけど。
「別に良いんじゃないの?」
「えっ」
だからこそ、お母さんはなんでもないように言い切った。御影君のご両親は予想外の反応だったようで、ぽかんとしている。
「だって、うちの子をゲームの中でも見ててくれたんでしょう? オンラインゲームって悪い人も居るみたいだし、少し心配してたのよ。でも御影さんがついててくれてたなら安心だわ」
「はぁ……」
確かにまあ、捉えようによってはそういうことにもなるかもしれない。……そうなるのかな?
「これからもうちの子に付き合ってくれると、私としてもありがたいわぁ。真にはずっとお店を手伝って貰ってて遊びに行ったこともなかったし、好きなことはさせてあげたいんだけど、やっぱり心配で」
「ちょ、ちょっとお母さん」
普段は財布の紐がワイヤーの如き硬さのお母さんが、VR機器一式をやけにすんなり買ってくれた。その理由を知って、涙腺が緩くなる。けれど、問題はそこじゃない。
「その、わ、私も謝りたくて。御影君、あいや、えと、薫君の事で色々とお恥ずかしいことを……」
軽蔑されるのを覚悟で必死に謝る。ぎゅっと目を閉じて頭を下げていると、なかなか反応が返ってこない。不安になって恐る恐る顔を上げると、生暖かい目で苦笑する二人、というかウチのお母さんも含めた三人がこちらを見ていた。
「あ、あれ?」
「もしかして真、気付かれてないと思ってたの?」
「ほあっ!?」
呆れた顔をするお母さん。慌ててご両親の方を見ると、二人も頷いた。
「まあ、小さい頃からの付き合いだからな。真ちゃんがうちの薫をどう思ってるのかは知ってたよ」
「ゲームの中で沢山話して貰えて、安心しましたけどね」
「ほぎゃああっ!?」
それはそれで恥ずかしい!
わ、私は長年ずっと密かに胸の内で温め続けていた儚い恋心を、すでに周囲の皆さんに知られていたということなのか。
「多分、知らないのは薫だけじゃないかな……」
「あの子は朴念仁ですからねぇ」
少し悩ましそうに腕を組んで唸るおじさん。おばさんも憂いを帯びた顔で頷く。
一番伝えたい本人に伝わっていないことに悲しめば良いのか、バレていないことに安堵すればいいのか。複雑だ。
「そ、それじゃあ、薫君に関しては怒っていないですか?」
「怒るなんて! むしろこれからも仲良くしてやってくれると嬉しいくらいだ」
おどおどとしながら窺うと、おじさんはにっこりと笑って言ってくれた。その言葉だけで力が抜けて、思わず椅子に座り込む。
「それじゃあ、これからも是非、一緒に遊んで下さい。お義父さん、お義母さん」
「ああ。こちらからもよろしく頼むよ」
「そうですね。ありがとう、真ちゃん」
憂いが消えて、すっきりとする。活力が滾々と湧き出してきて、気持ちが明るくなってきた。それまでグレーだった視界が、急に色鮮やかに映る。
これからもう少し勇気を出して、御影君――いや、薫君に話しかけてみよう。なんたって、ご両親公認なのだから!
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清麗院家の広大な屋敷の一角。そこにはつい先日、邸宅の主たる光の指示で築かれた純和風の日本家屋があった。彼女の気まぐれにより、莫大な資金と人員を投じて作られた屋敷は、それ一つでも十分上流階級としての暮らしが送れるほど立派なものだ。
それをただの
「やはり縁側はいいですわねぇ」
「そ、そうですね……」
広く隅々まで完璧な手入れが施された庭園を望む園側に、二人の女性がいた。
水のせせらぎがかすかに耳をくすぐり、時折鹿威しのすっきりとした音が響くだけの、静かな時間の流れる空間だ。
光は柔らかいリクライニングチェアに身を沈め、和の癒やし溢れる時間を楽しんでいる。対する彼女の娘は、非常に居心地の悪そうな顔で身を縮こまらせていた。
他に人は居ない。側仕えの使用人たちすら居ない空間。正真正銘、親子水入らずの時間だ。
「あの、お母様……」
「何かしら?」
沈黙に耐えきれず、少女が口を開く。光はくるりと椅子を回し、彼女の方へ体ごと向いた。
「い、いつから気付いておられましたか?」
自室で電子図書館ではなく、オンラインゲームに興じていたこと。完璧に隠していたはずなのに、なぜバレてしまったのか。
そんな彼女の問いに、光は笑みを浮かべて答えた。
「逆に気付いていないと? 母が“屋敷”の全てを知っていると、常々言っているでしょう」
「そ、それは、そうでした……」
つまり、彼女がFPOを始めたその瞬間から、光はそのことを知っていた。知った上で、それを他言することなく見守ってくれていたのだ。
しかしまさかゲームの中で母親と会うとは、彼女は思いもしなかった。光は髪色を淡い金色に変えただけで、後は全てそっくりそのまま現実の鏡映しだ。あれで気付かない方が無理という話だ。
「あの、色々聞きたいことはあるのですが……。どうしてFPOに?」
「貴女の姿が見たかったからですの。普段は母や父に気を遣って、ずっと自分を押し込めているでしょう? ゲームの世界なら、貴女を縛るものは何もない。そんな環境で、貴女がどんな女の子になるのか、知りたかったの」
「は、ははは……」
光の言葉は事実だった。
少女は清麗院家の一人娘として、周囲に恥ずかしくない行動を心がけてきた。淑やかで、礼儀正しく、控えめな、令嬢としての立ち振る舞いは彼女の体に染みついている。
けれど、本当の自分がそうなのか。それは彼女も分からなかった。だからしがらみのない世界へ足を踏み出し、そこで本当の自分を探そうとした。
結果として、現実の自分とはまるで違う自分が見つかったわけだが。まさかそれを実の母に見られるとは予想だにしていない。
「すみません、お母様」
「何を謝っているの?」
彼女がしょんぼりと肩を落としながら謝罪すると、光は首を傾げる。
「私は嬉しいのですよ。貴女があんなにも自由に、楽しげにしている姿を見るのは久しぶりですの」
母の表情から、その言葉に嘘がないことを知る。
彼女は思わず唇をきゅっと噛み、目に力を籠めた。
「現実は窮屈ですの。これから、貴女も大変な経験を沢山します。だからこそ、自分を見失わないように。それと、息抜きも大切ですの」
「あ……。ありがとうございます」
優しい母の愛だった。
少女は目を潤ませて感謝する。
「――それはともかく、あのレッジさんという方」
「あわわっ!?」
直後、突然話題が変わり、少女は思わず大きな声を出す。慌てて口を塞ぎ、周囲を見渡し、他に人が居ないことを思い出して胸を撫で下ろす。
「貴女、あの方に気があるの?」
「あいや、えと、その……。そ、それはですね……」
実母からの直球ど真ん中な質問に、少女はしどろもどろになる。どう答えればいいのか。そもそも、光はすでに感づいているはずだ。
「FPOは清麗院家の傘下にあります。つまり私の屋敷の範疇と言えます。貴女が望むなら、現実のレッジさんの居場所を教えることも――」
「そ、それは、遠慮しておきます」
光ならそれができる。指先一つで実行できるほどの権力と財力と能力を持っている。これもまた、娘を思うが故の言葉だったのだろう。
しかし、少女は即座に首を振る。
「それは、違うと思います。私はそのような形で、あの人と会いたい訳ではありません」
「そうですの? ――まあ、貴女がそういうのでしたら」
珍しく強い口調の娘に、光は内心で少し驚く。そして、それ故に彼女があの男のことをどう思っているのかも知る。
光はふっと笑みを浮かべ、立ち上がる。
「親が子の色恋に口を挟むのは無粋でしたの」
「ちょっ!? そ、そういうわけじゃ――」
「でも、それでも母は貴女の事を応援していますからね。何かあればすぐに相談してください」
光はぐっと背を伸ばし、娘の髪を優しく撫でる。
「強制連行して式場と屋敷を建てて婚姻届に名前を書かせるところまではできますからね」
「だ、大丈夫ですから!」
突飛すぎる言葉に少女は慌てて声を上げる。
彼女は時折、母の事が怖くなる。
「れ、レッジさんは自分の力で手に入れます!」
興奮した様子で少女は言い切る。そのあとで自分の言葉に気がつき、赤面して手で顔を覆った。
しかし、光はそんな娘に喜びの表情を浮かべる。
「それでこそ、清麗院家の女です。――かく言う母も、父は外堀を埋めてゲットしたので」
「し、知りたくなかった……」
知られざる両親の馴れ初めを知り、少女は複雑な気持ちになる。父が母に逆らえないのは、そういうことだったのか。
「頑張って下さいね。――茜」
そう言って、光は先に去る。
縁側に残された少女、茜は火照った顔を冷やすため、側仕えの杏奈がやってくるまで静かに庭園を眺めていた。
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Tips
◇海洋資源採集拠点シード01-ワダツミ管理者通達
先日発生した“原始原生生物の突発的出現による海洋資源採集拠点シード01-ワダツミ工業区画破壊事件”の再発防止策として、都市に運び込まれる物資に対する検査を強化します。大半のアイテムに関しては問題なく持ち込みを許可することが予想されますが、特定危険物と判断された場合には管理者預かりとなる場合があります。
なお、“原始原生生物の突発的出現による海洋資源採集拠点シード01-ワダツミ工業区画破壊事件”の被害に関しては調査開拓員各位の支援、協力、及び“蒼海の決戦”による興行収益によって復興が滞りなく完了しました。
今後も調査開拓員各位には安全性に細心の注意を払った上で慎重な調査開拓活動を期待します。仮に重大な問題が発覚した場合は、迅速に都市管理者へ連絡してください。
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