第717話「海神に捧ぐ聖戦」
海洋資源採集拠点シード01-ワダツミ、ベースライン第一イベント広場。白い石畳の上に鉄の骨組みが立ち上がり、大掛かりな仮設闘技場が強い照明によって照らし上げられた。
「さあ! 突然ですが皆様こんにちは! いつも貴方の側に這い寄り中継、〈ネクストワイルドホース〉実況リポーター、トラにゃんです!」
舞台を俯瞰する櫓に上に立ったスーツ姿の猫型ライカンスロープの少女が、マイクを片手に捲し立てる。その姿は撮影スタッフが担いだ大きなカメラによってインターネットの海へ公開される。
「えー、先ほど突発的に管理者ワダツミによって開催が宣言されました、工業地区復興チャリティーイベント〈
我々実況席がいるのは地上10メートルの特等席。こちらからは戦いの舞台もそれを見守る観客席も全て丸裸になっております!」
トラにゃんの軽快な語りに、すり鉢状になったステージの観客席から大きな歓声が湧き上がる。
建設が終わったばかりの闘技場には、すでに多くのプレイヤーが詰め掛けていた。
「それでは、まずはおさらいから行きましょう。今回の突発イベントを企画された管理者ワダツミさん、よろしくお願いします」
『
カメラがトラにゃんの隣に座る青髪の少女を映し出す。〈ワダツミ〉の最高責任者である彼女は、堂々と胸を張って口を開いた。
『今回のイベント〈
再び客席から歓声がぶち上がる。
中継配信中のサイトでも、無数の文字が弾幕となって流れていった。
『調査開拓員レッジは自称はともかく、優秀な戦績を修めている実力者です。彼に挑み、勝つことができれば相当の箔がつくでしょう。挑戦者は現在も絶賛受付中です。参加費3,000ビットを払って、貴方もチャレンジしてみてください!』
ワダツミが煽り、広いステージ上に集まった腕自慢の挑戦者たちが雄叫びを上げる。
イベントの開催告知が行われた直後から次々と挑戦者が集まり、すでにステージ上に収まりきらないほどに膨れ上がっている。彼らは全員、ただ1人のプレイヤーに勝つためだけにやって来たのだ。
『〈
ステージの上空には、レッジ対挑戦者の勝敗予想投票の経過が表示されている。レッジの勝利を示す青いバーが、挑戦者たちの赤いバーを圧倒しているが、挑戦者の数が増えるにつれてそれも徐々に押し戻されている。
『なお、今回のイベントによる収益は全て壊滅した工房区画の復興費に充てられます。皆さん楽しみながら、健全な都市運営にご協力ください』
「おおおおお!」
「ワダツミちゃん、好きだー!」
すでに会場の熱気は凄まじく、商機を見出した飲食系バンドの軽食販売は飛ぶように売れている。レッジとの対戦を前にして、会場の近くには仮設の生産広場も用意され、武具の最終調整を行う鍛冶師や裁縫師の姿もあった。
「ありがとうございます、ワダツミさん。なお、今回のイベントでは実況を私トラにゃんが務めさせて頂きます。更に! 解説には〈大鷲の騎士団〉団長アストラさんに駆け付けて頂きました!」
「こんにちは。この度は騎士団の施設の管理不備により工業区画に甚大な被害を出してしまったこと、深く謝罪させていただきます。――まあ、それはそれとして、今回は楽しませて頂きます」
カメラが動き、銀鎧に身を包んだ青年を映す。ログインしたばかりにも関わらず、彼は二つ返事で解説の役目を引き受けていた。
「〈
ステージ上空のホログラムに協賛団体の宣伝映像が流れる。そこに並んだ錚々たる面々に、客席は更にボルテージを上げていく。
†
「……どうしてこうなった?」
特設ステージ、客席下に作られた控え室で〈ネクストワイルドホース〉の配信を見て、俺はこの急展開に頭を抱えていた。
カエデという少年から戦いを挑まれたちょうどその時、たまたま通りがかったワダツミが『話は聞かせて貰いました!』と妙に気合いを入れたのが事の発端だ。
ミツルギという名の少女を通じて〈ダマスカス組合〉に話がつき、1時間と経たずにこの馬鹿でかい闘技場が組み上げられた。いつの間にか〈大鷲の騎士団〉や他の大手バンドも参加しているし、気付かないうちに外堀を埋められた気分だ。
ワダツミに抗議しようともしたのだが、今回の被害総額を記した請求書をちらつかされては何も言えない。
そんなわけで、俺は控え室でうんうん唸っていた。
「レッジさーん、元気ですか?」
「元気な訳あるか……」
控え室の扉が開き、買い出しに行っていたレティたちが戻ってくる。俺の気など知らないで、彼女たちは用意された特等席で観戦するつもりらしい。
「レッジさんの名前は私のところまで届いていますの。期待していますの!」
「ああ、そりゃどうも……」
レティの隣に立ち、彼女に負けず劣らず大量の食べ物を抱えた金髪の少女が励ましの言葉を送ってくれる。しかし、彼女はたしかカエデたちのパーティメンバーだったはずだが。
「おか、光さんとレティはとても仲良しですので、一緒に観戦することになったんです。応援してますからね!」
少し挙動不審な様子のレティがそんなことを言う。
彼女は意外に他人とは距離を置くタイプの性格だったはずだが、同じ大食い同士なにかシンパシーでも感じたのだろうか。
「ほんとはレティも参加したかったんですが、ワダツミさんに止められちゃったんですよね……」
「なんでなんだろうな。俺もひとりで戦うのは心細いよ」
「えっ?」
「えっ?」
唇を尖らせて言うレティに頷くと、彼女はきょとんとして首を傾げる。何か変なことを言っただろうか。
そもそも、俺ひとり対その他大勢という図式がおかしいのだ。せめて〈白鹿庵〉対その他にしてほしい。
「まあ、とにかく特等席から応援してますので! 頑張って勝ち残って、カエデさんのところに辿り着いて下さいよ」
「そうなんだよなぁ……」
言ってはなんだが、その他大勢との乱戦はただの前座だ。〈
当然、その前に俺が負けたらその時点で終了だ。それであの少年が許してくれるはずもないだろうから、できる限り頑張って最低でも対峙するところまでは行かなければならない。
『第一回戦開始5分前です。調査開拓員レッジはステージに移動してください』
その時、控え室にアナウンスが鳴り響く。ついに時間が来てしまったようだ。
「じゃ、頑張って下さいね!」
「応援してますのー」
レティたちも山盛りの食料を抱えて特等席へ向かう。俺も重い腰を上げて、槍を握って部屋を出る。
幸い、今回の戦いで消耗する物資はワダツミによって無制限に提供される。ならばできる限り抵抗してやろう。その上で負けたのなら、観客も親指を下には向けないだろう。
薄暗い通路を歩く途中、頭上にある客席の熱気が漏れ伝わってくる。彼らの期待を受けて、ステージ上には猛者が多く集っているはずだ。
「はぁ……。よし、やるか」
ぐだぐだと言っていても仕方がない。
俺は決意を固めて階段を登る。
海沿いの風などものともせず、すり鉢状の観客席からはうだるような熱気と声が上げられる。
ステージ上に立つと、そこに集まっていた挑戦者たちが一斉に俺に注目する。まるで実際に圧力を持ったかのような視線を受けながら、なんとか耐える。
「さあ! 今回の戦いの主役、調査開拓員レッジが現れました! しかしどうやら我々が入手している最新の装備とは少し様子が違うようです。あの黒いコートの下には何が隠されているのでしょうか!」
観客席から突き出した櫓の上、実況席から威勢の良い声がする。そちらに視線を向けると、マイクを握ってヒゲを震わせる猫型ライカンスロープの男と共に、ワダツミとアストラが笑みを浮かべて座っていた。
「……」
二人は俺の視線に気がついて手を振ってくる。こちらの気も知らずに気楽なものだ。まあ、今回アストラは実況ということで、彼と戦うわけじゃないだけで少し肩の荷が軽くなる。
とはいえ、ステージに集ったプレイヤーも猛者ばかりだ。わざわざ高い参加費を払ってやってくるだけあって、戦うことが三度の飯より好きなのだろう。
筋骨隆々の重戦士から、怪しげな機術師、更には三術師の姿も見える。なかにはケット・Cやメルたち〈
「いや、なんでいるんだよ!」
知り合いがステージに立っているのを見つけて、思わず声を上げる。それに気がついた彼らも嬉しそうに手を挙げてこちらに反応を示した。
「にゃあ。こんな面白そうな企画、参加しない方がダメでしょ?」
「そうだよ。ワシらもずっと原生生物相手だと腕が鈍るからね」
「恨むからな……」
彼ら以外にも最前線〈ホノサワケ群島〉でしか手に入らないアイテムを使う装備に身を固めたトッププレイヤーらしき姿が多くある。それらを確認する度、俺はキリキリと胃が痛くなった。
「さあ、それでは皆様お待たせしました! いよいよ第一回戦の時刻がやって参りました! あと30秒で投票は締め切ります! 皆さんお金は賭けましたか!?」
調子の良い実況の声に煽られ、客席が揺れる。
上空に浮かぶホログラムに、残り1分のカウントダウンが大きく表示され、それが進むごとに活気が上がっていく。
「第一回戦はレッジvsその他大勢! 総勢600名を越える猛者たちに挑むはただ一人。圧倒的な不利な状況! しかし、投票の結果は五分五分、むしろレッジが僅かに勝っている! まさに信頼と実績の要塞おじさんと言ったところか!」
滑らかな舌回りで実況が会場を盛り上げる。要塞おじさんというのは、もしかしなくても俺のことか?
「だが挑戦者の顔ぶれも錚々たるものがある! 〈
なんということだ、ここに集まっているのは調査開拓団の最大戦力と言っても過言ではなさそうだっ!」
まったくもって理解しがたい。
なぜ皆、よってたかってただの一般人を血祭りに上げようと躍起になっているのか。彼らが束になって掛かれば、為す術も無くやられてしまう。
「さあ! 開戦まで後数秒、各自が次々とバフを纏っていくぅ!」
歴戦の猛者たちが自他にバフを掛けていく。次々と放たれる派手なエフェクトとサウンドが、重圧となって俺に襲い掛かる。
だが、こちらも負けていられない。覚悟を決めて、長い深呼吸を繰り返す。大丈夫、俺はアストラやトーカから様々な戦う術を教わった。できるかぎりのことはやる。
「さん! にぃ!」
カウントが最終盤に突入する。
その刹那、客席の一角に設けられた特等席に視線を向ける。
そこには、早くもモリモリとでかいホットドッグを頬張るレティと光、心配そうに俺を見るラクトとシフォン、羨ましそうな顔をしているトーカ、微笑みを崩さないエイミー、表情の見えないミカゲの姿がある。そして、その隣には虎視眈々とこちらを見つめる、黒髪の少年の姿も。
一瞬、彼が不敵に笑った気がした。こちらに来いとでも言うように。俺も思わず笑みを返す。
きっとそっちに行ってやる。
「いち! ――ファイト!」
カウントダウンがゼロになる。
その瞬間、莫大な殺気が俺に注がれる。回避不能の飽和攻撃。金属が鳴り響き、機術の詠唱が奏でられる。
ならば――。
「『強制萌芽』、“爆裂炎煙花”」
コートのボタンを弾き、前を大きく開く。
内側にびっしりと取り付けていた種瓶が、一斉に膨張しガラスにひびが入る。
「――ッ!」
それを見た挑戦者たちが目を見開き、後方へ身を翻す。しかしもう遅い。彼らの後ろからは続々と人が押し寄せているし、この狭いステージに逃げられる場所などない。
「逃げろぉぉぉおおおおおっ!」
張り上げられた絶叫は、爆音の轟きに掻き消される。
業炎が吹き上がり、周辺一帯を焼き尽くす。濃い黒煙が立ち上がり、ステージ上を覆い隠す。爆風と共に散らばった赤いつぼみは、その先々で二次爆発を引き起こす。連鎖する爆発が挑戦者たちを蹂躙し、次々と破壊していく。
「チッ。結構残ったな」
しかし、“爆裂炎煙花”の奇襲は思ったよりも効果がでない。ケット・Cたち一定の実力を持ったプレイヤーが爆発前のつぼみを破壊し、被害を最小限に押し止めたようだ。
右も左も見えない黒煙の中、気配でその状況を感じ取る。
「しかしまあ、ここからだ」
煙が晴れ、反撃が飛んでくる前に次の行動へ移る。
俺は邪魔なコートを脱ぎ捨て、“深森の隠者”装備を着込む。〈武装〉スキルが無いため早着替えはできないが、“爆裂炎煙花”の煙幕によって十分な時間は稼げた。
「向こうが数で圧倒しようって言うなら、こっちも数で行ってやるよ。――『
くぐもった声だが、それは確かに伝わった。
ステージ脇から這い上がってくる、無数の“緑の人”。ワダツミに無理を言って、直前に量産していた機獣たちが赤い眼を輝かせて立ち上がる。
「な、なんだこいつ!? ぐあああっ!」
「くそ、クソ、レッジはどこだ!」
「聞いてないぞ! 多対一のはずだろ!」
「ぐあああああっ!?」
煙の向こう側で無数の悲鳴が立て続けに上がる。
俺は片目を閉じて思考を分裂させながら、自分も槍を振るって近くのプレイヤーを飛ばしていく。
第一回戦は俺ひとり対その他大勢の絶望的な戦いではない。俺ひとり(+“緑の人”30機)対その他大勢だ。
それでも31対600以上と分の悪い戦いではあるが、向こうは先の爆発で多少は削れた。後は俺の脳が負荷で参るまでにどれだけ善戦できるかだ。
「さあ、こっちは本気で行かせてもらうぞ!」
槍を振るい、ナイフを突き立てる。
暴風を身に纏い、立ちはだかるプレイヤーを薙ぎ倒していく。
「な、なんということでしょう! 突然の爆発! 突然の煙幕! その後に残ったのは400名程度の挑戦者たち! 開始数秒で200名近くが敗退してしまいましたっ!」
煙が晴れた頃、ステージ上は死屍累々の様相が広がっていた。
LPの尽きたプレイヤーは、ワダツミによって操作されるドローンが次々と回収していく。だがそれは狭いステージに余裕が生まれると言うことでもある。
「更にステージ上には謎の緑のモジャモジャ男が無数に立っている! これは全てレッジの分身なのかーーー!」
“緑の人々”には俺と同じ槍と解体ナイフを持たせている。槍はレプリカだが、それでも多少は戦える。
ステージ上には、できれば敗退していて欲しかったケット・Cたち実力者が残っている。やはりトッププレイヤーは侮れない。
「――さあ、本番だっ!」
31の視界を一度に見ながら、31の体をそれぞれに動かす。頭がじんわりと熱を持つが、まだ大丈夫だ。
煙幕が晴れたことで、向こうも動きを活発化させる。第一回戦の本番はここからだった。
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Tips
◇“蒼海の決戦”
“原始原生生物の突発的出現による海洋資源採集拠点シード01-ワダツミ工業区画破壊事件”の復興資金を補うため、管理者によって主催された突発イベント。
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