第712話「副団長の業務」

 アイは大手攻略バンド〈大鷲の騎士団〉の副団長である。

 もともとは彼女の実兄が仲間と共に作ったバンドに成り行きで参加させられ、押し付け合いの末に任されてしまった役職ではあるが、今では案外気に入っている。

 副団長というのは、騎士団のナンバー2である。多忙な団長に代わり、重要な業務をこなさなければならない。たとえば、〈白鹿庵〉という密接な協力関係を結んでいるバンドのリーダーとの会談などは、他の一般団員などには任せられない、とても重要な業務の一つなのである。


「こ、こんにちは、レッジさん」

「おう、アイか。いらっしゃい」


 〈白鹿庵〉が専ら拠点として使っている〈ワダツミ〉の別荘。ここへ来るといつもなぜか緊張してしまうのは、それだけ重要な任務だからだろう。

 レッジに出迎えられたアイは、持参したお土産を彼に差し出す。騎士団の広報部の主導で開発した、騎士団饅頭である。できたばかりの新商品ということで、試供品として持ってきたのだ。


「へぇ。今はこんなのも作ってるのか」

「食品系バンドとの協力の一環です。騎士団は他のバンドの方と会談する機会も多いので、こういった物は地味に需要があるんですよ」

「なるほどね。――カミル、これに合いそうなコーヒー入れてくれ。アイもコーヒーで良かったか?」


 レッジは受け取った饅頭をメイドの少女に渡し、飲み物を持ってくるよう頼む。アイの目から見ても、彼とメイドロイドの関係は他のプレイヤーのそれとは一線を画していた。まるで熟年の夫婦のような、言わずとも通じる何かがある。


「アイ?」

「あわっ!? こ、コーヒーで大丈夫です! ブラックも飲めます!」

「そ、そうか……。まあ、砂糖とミルクは自由だから、適当に自分で入れてくれ」


 首を傾げて覗き込んでくるレッジに、アイは襟を正す。今回は騎士団副団長としてやって来たのだ、気持ちをしっかりと落ち着けて事に挑まねばならない。

 彼女はレッジに案内されるまま、生活感の溢れるリビングに通される。シンプルな内装だが、部屋の隅には一段高くなった畳があったり、大きなビーズクッションが転がっていたり、そこで〈白鹿庵〉の面々が過ごしているのがよく分かる。


「すまんな、片付けてなくて」

「いえ、大丈夫です。お構いなく」


 テーブルに腰掛けると、カミルが小皿に取り出した饅頭とコーヒーを持ってやってくる。


「ぐえっ」


 それを見て、アイは思わず声を上げる。

 騎士団饅頭の表面に焼き印がされていた。その柄が兄の顔だったのだ。


「どうかしたか?」

「い、いえ。何でもないです……」


 騎士団には立派な紋章があるのだから、それにすればいいじゃないか。とアイは唇を噛み締める。まさかと思ってレッジの方を見てみれば、自分の顔が焼き付けられていた。


「アイの顔だな、これ」


 食べるのが申し訳ないな、とレッジが笑う。アイはぎこちなくそれに相槌を打ち、騎士団饅頭の開発責任者を呼び出すことを決定した。


「さて、今日は植物毒の納品予定についてだったか」


 ともあれ、早速本題に入る。

 レッジが事前に送られてきたメッセージの文章を確認しつつ切り出すと、アイも居住まいを正して頷いた。

 〈白鹿庵〉は自身以外の周囲全てが認めるトップバンドだ。少数精鋭ながら攻略のあらゆる場面で存在感を発揮している。

 しかし、レッジに限って言えば戦闘職としてだけでなく生産職としても優秀な成績を残していた。

 そのうちの一つが、この別荘の隣にある農園で開発を行っている植物だ。


「以前も納品して頂いた特濃植物猛毒液アンプルを三枠、一週間に一枠のペースで頂けませんか?」

「また随分と多いな」


 アイが騎士団の要望を伝えると、レッジは目を丸くする。一枠というのは慣習的な数え方で、アイテムにもよるが基本的には1,000個の纏まりのことを言う。三枠ということは、3,000個のアンプルを要求しているのと同じことだ。


「製造部の方でアンプルの研究を行いたいと思いまして。レッジさんの毒は植物毒、なんの手も加えていない天然の毒ですから、更なる強毒化が〈調剤〉スキルによって行えるのではないかと」

「なるほどな。まあ、俺は〈調剤〉スキルは持ってないから加工はできんし、そっちで色々いじくって貰うのは構わないよ」


 しかし三枠か、とレッジは眉を寄せる。アイとしても、それがどれだけ膨大な量なのかは分かっているつもりだ。特に、今回要求している特濃植物猛毒液アンプルは、かなり濃度が高いぶん抽出にも時間が掛かる。


「やはり、難しいでしょうか……」


 これでも製造部と協議の上、かなり数を減らしたのだ。アイテムの量産はともかく、研究開発は試作と検討の連続だ。製造部としては10枠、100枠あっても困らない。


「鉢を増やして対応すれば何とかなるだろ。ていうか、鉢ごと譲ってそっちで作って貰ってもいいんだが」


 少し考えた上でレッジはそう結論を出す。その上で彼はかなり大胆な提案をしてくるが、アイは丁重に断った。


「以前に5世代前の鉢を譲って頂きましたよね。あれで騎士団の試験農園が一つ壊滅しまして……」

「ああ、そういえばそんなニュースもあったな」


 レッジからわざわざ毒を買わずとも、植物を買って毒は自分たちで抽出すればいいではないか。そう言う声は以前騎士団側からも出た。

 しかし、いざ毒植物を受け取ってみるとそれが信じられないほどに手間の掛かる代物だったのだ。養分量は二時間単位で追肥して成分を替え、水は多すぎても少なすぎてもいけない。更には聞いているこちらの正気が失われそうな、不協和音を常に聞かせ続けなければならなかったのだ。

 発狂した騎士団製造部栽培課の団員が肥料を一括で大量に入れたところ、急成長が止まらず施設が一つ破壊された。


「今のやつは多少手間も掛からなくなってるはずだぞ。まあ、ちょっと機嫌を損ねたら大爆発するかも知れんが」

「……申し訳ありませんが、栽培課がトラウマになっておりまして」


 レッジの植物はレッジにしか世話できない。それが騎士団製造部栽培課の出した結論だった。


「まあ、一週間に一枠でいいならなんとかなるだろ。こっちとしても定期収入はありがたいしな」

「助かります。毒は攻略でも重要性が増してますから」


 騎士団が毒の開発に力を入れているのは、それが攻略に於いて重要だと考えているからだ。最前線に現れる原生生物はどれも強さが加速的に上昇しており、それに対応することは急務だった。物理的、機術的な攻撃手段だけでなく、また別のダメージソースも必要になってきた。そんな中で、毒が台頭してきたのだ。


「それもあって、本日はもう一つお願いしたいことが……」

「なんだ?」

「特濃植物猛毒液アンプルよりも、更に強力な毒はありませんか?」


 毒は強ければ強いほどいい。単純なことだ。

 現行のアンプルでもかなり強いが、騎士団は更にその先を見据えていた。


「試験段階のものならあるぞ。ちょっと待っててくれ」


 レッジはそう言って席を立つ。

 通常、試験段階のものというのは外部への流出を避けるべきものなのだが、彼はそんなことを気にしたという話を聞かない。それが良いのか悪いのか、アイは複雑な気持ちだった。


「……」


 ともあれ、である。

 レッジが農園へと向かい、リビングに一人残された。

 落ち着かなくなって周囲を見渡すと、色々と見えてくる。


「ちょ、ちょっとだけ……」


 アイはそろりと立ち上がり、別の椅子に腰をおろす。

 FPOの物理エンジンは優秀で、それはまだ少し温かい。先ほどまでレッジが座っていた椅子だ。


「こっちの方がちょっと高い? ああ、あっちはラクトさん用の椅子だったのね」


 ヒューマノイドのレッジとフェアリーのアイでは身長が違う。〈白鹿庵〉にもフェアリーの少女がいるため、その体格に合わせた椅子を出してくれたのだろう。


「むふっ」


 アイは笑みを浮かべつつ、テーブルの上を見る。

 そこにあるのは、半分ほど嵩の減ったコーヒーだ。


「レッジさん、コーヒー好きよね。いつもブラックで飲んでるし、今日もわざわざお饅頭に合うコーヒーを頼んでたし」


 そんな考えを口から漏らしながら、アイはじっとコーヒーを見つめる。自分に出された物と同じであるはずだが、なぜか引き寄せられてしまう。


「……」


 きょろきょろと周囲を見渡し、人の目がないことを確認する。そうして、ゆっくりと手を伸ばし――。


「あれ、アイさん?」

「うっぴゃっ!?」


 突然名前を呼ばれ、跳び上がる。

 慌てて自分の椅子に戻り声のした方を振り向くと、ちょうどレティが玄関から入ってきた。


「こんにちは。いらっしゃってたんですね」

「あ、は、はひ。お邪魔してましゅ」


 どくどくと荒ぶる鼓動を落ち着かせながら、アイは頷く。レティは建物内に入る際、来訪者がいるというシステムメッセージを見たらしい。アイの奇行未遂には気付いていないはずである。


「何かありました? ていうか一人ですか?」

「あ、その、レッジさんは今農園に行ってまして」

「なるほどー。あ、お饅頭だ! レティも食べていいですか?」


 レティは暢気に頷き、キッチンに置かれた騎士団饅頭を目聡く見つける。アイが高速で頷くと、彼女は嬉しそうに両手で二個ずつ饅頭を取った。


「これ、銀翼の団の皆さんですよね。芸が細かいですねぇ」

「ははは。味は何の変哲もないただのお饅頭ですが」


 もぐもぐと美味しそうに饅頭を食べるレティを見て、アイは胸を撫で下ろす。ある意味では彼女に助けて貰ったのだ。あのまま誰もいなければ、何をやっていたのか自分でも分からない。


「お待たせ。っと、レティも来てたのか」

「こんにちは、レッジさん。ちょっとヴァーリテイン打ち上げで100メートル行けそうなコンボを思いつきまして、その準備をしようと思って」

「おう。まあ、頑張ってな」


 一瞬で四つの饅頭を食べ終えたレティは、そのまま倉庫の方へ消えていく。

 代わりに戻ってきたレッジは、ウニョウニョと動く謎の植物の植わった鉢を持ってきていた。


「これが第76世代目だ。今は鎮静剤を打ってるから常圧環境に持って来れてるが、普段はもっと強い気圧下じゃないと大人しくない」

「な、なんでそんなものを……」

「なんか品種改良してたらできたんだよ。特濃植物猛毒液よりも更に強い毒となると、こいつから抽出するしかないんだが、まだ抽出法が安定しなくてなぁ」


 レッジはそう言って、通常サイズよりもかなり小さなアンプルをテーブルに置く。


「いつもの方法じゃこれが限界なんだ」

「随分少ないですね」


 雀の涙ほどしかない毒液に、アイもぽかんとする。

 ただし、毒の効力はその数滴を50メートルプールに垂らしただけでおおよその生物が死ぬレベルではあるのだが。


「鎮静剤もセットで一株譲るから、そっちでもちょっと研究してみてくれないか?」

「えっ」

「大丈夫。今度のは鎮静剤を打ち続けるか、56気圧以上で保っていれば大人しいから」

「えっ」


 頼むよ、とレッジに懇願され、アイは思わず受け取ってしまう。

 ウニョウニョと動き続ける植物は、赤いつぼみを付けていた。レッジから花を贈られるというのも、なかなか良いのでは――。


「その花が少しでも開いたら全力で退避してくれ」

「あっはい」


 浮かれかけた気持ちが、その一言で沈んでいく。

 アイはひとまず、栽培課と第一戦闘班の人員でレッジ産植物対策特務チームを作り、彼らに回収に来て貰うことにした。


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Tips

◇騎士団饅頭

 〈大鷲の騎士団〉が〈三つ星シェフ連盟〉と共同開発したスペシャルなお饅頭。表面には騎士団幹部の顔がプリントされている。

 お求めは騎士団支部か、三つ星レストランにて。


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