第710話「裏庭で出会う」

「――ここがあの女のお店だね」


 カエデたちと別れたフゥは、単身〈キヨウ〉の工業区画を訪れていた。鍛冶場や木工所など、様々な生産拠点が建ち並ぶなかに、呪具工房〈月夜蛍〉はひっそりと並んでいる。この店こそが、彼女が〈キヨウ〉へやってきた最大の目的である。


「私のミカゲ君を誑かすなんて、一度話を付けてやらないとね」


 ふんふんと鼻息を荒くして、フゥは〈月夜蛍〉の閉ざされた戸に手を掛ける。


『進入権限がありません』

「は?」


 しかし、店の薄い障子戸は頑として動かない。彼女の目の前に現れた小さなウィンドウには、簡素な文章が表示されている。


「ど、どういうこと!? お店なのに進入制限掛けてるの?」


 信じられない、とフゥは尻尾を膨らませる。

 普通、店を営むプレイヤーは店内の売り場までは誰でも入れるようにしているはずだ。自動販売機能もあるため、店主がログインしていなくても大丈夫だ。それがわざわざ高い家賃を払って物件を借りる、最大のメリットであるはずなのだ。


「このっ! このっ! なんで開かないのよぅ!」


 フゥは戸に齧り付き、あの手この手でこじ開けようとする。しかし、システム的に閉ざされた扉は、もはやどんな手を使っても開けられるはずがない。


「くっ、私が〈解錠〉スキルさえ持ってれば……」


 しまいにはそんなことを悔しげに言い捨てる彼女だったが、当然〈解錠〉スキルがレベル100だろうが開けることは叶わない。ある意味では、FPOでもっとも堅固なセキュリティが掛かっているのだ。


「裏口とかないのかな」


 ムキになったフゥの思考は、徐々に暴走を始める。

 彼女は周囲を見渡して人の目がないのを確認すると、建物の間の細い路地へと体を滑り込ませた。


「ふふん、猫型ロボット舐めるなよってね。これくらいならちょちょいのちょいよ」


 ヒゲを震わせ、得意げな顔で隙間を進む。やがて彼女は板塀に囲まれた〈月夜蛍〉の裏手に辿り着いた。


「ふむふむ。裏はちょっとした庭になってるのかな」


 背の高い塀のせいで中の様子までは窺えないが、屋根のない土地が多少あるようだ。

 フゥは泥棒のように板塀の周囲を歩き、どこかに入れそうな隙間がないか調べる。当然、そんなものはない。


「……うん?」


 しかし、彼女の鋭い聴覚が塀の中から発せられた音を捉えた。猫耳をぴくりと動かし、塀に頭を寄せて耳を澄ませる。


「ふにゃふにゃふーん。ふんふにゃにゃーん」


 それは可愛らしい鼻歌だった。

 なんとも力の抜けるような調子で、誰かが建物の裏庭に出てきたらしい。それがこの〈月夜蛍〉の店主であると、フゥは直感で理解する。


「うーん、血染めの布はあんまり品質が安定しないなぁ。なんでだろう」


 歌の主は誰に語りかけるでもなく、鈴の音のような声を漏らす。ずいぶんと物騒な内容だが、〈月夜蛍〉は呪具工房だ。そういったものもあるのだろうとフゥは納得する。


「いろんな血を混ぜた方が安定したり? 融合剤も色々入れてみた方がいいのかな。どっちにしろ、もう少し血が欲しい」


 聞き耳を立てながら、フゥは顔をしかめる。

 分かってはいるが、なんとも悍ましい言葉の数々に思わず尻尾が膨らんでしまう。きっと性格も陰湿なのだろう。

 なんとも失礼極まりないことを考えながら、彼女はどうすればこの板塀を越えられるかと思案する。

 高さだけを見れば軽く乗り越えられるものだが、そう易々と進入は許してくれないだろう。恐らく板塀よりも高く、透明の壁があるはずだ。となれば、方法は一つしかない。


「あ、あのー……ほあ、ホタルさんのお店はこちらで良かったでしょうか? へへ」

「わひゃあっ!?」


 外から入れないならば、中にいる人に入れて貰えば良い。そんな考えで、フゥは板塀の向こうに向かって叫ぶ。

 ――本人は威勢良く堂々と叫んだつもりだったが、実際に口から漏れ出たのはなんとも弱々しいお伺いの言葉だ。

 しかし、予期しない人の声に板塀の向こうにいる少女も驚いたらしい。可愛い悲鳴と何かがぶつかる鈍い音がする。


「い、いてて……。な、なん、いや、えと」


 少女は混乱している様子で、言葉に迷う。フゥはフゥで、少女が怪我でもしていないかはらはらとしていた。


「その、どなたでしょうか。申し訳ないのですが、ウチは紹介制になってまして……。一見さんはお断りさせて貰ってて……」

「あ、そうなんですねぇ。すみません」


 困ったような声に、フゥは思わず謝罪をしてしまう。

 そこで会話が途切れ、居心地の悪い沈黙が生まれる。


「いや、そうじゃない!」


 少しして、フゥは自分に突っ込みを入れる。

 なぜここで素直に引き下がってしまうのだ。自分は何をしにここまでやってきたのか思い出せ。

 そう自分を叱咤激励し、彼女は再び気持ちを奮い立たせる。


「ほ、ホタルさん! 私はミカゲ君のとも、おさな、えと……し、知り合いです! 進入権限を下さい!」

「ああ、そうですか」


 フゥは勇気を出して叫ぶ。

 自分にはミカゲ君とリア友、それも幼馴染みなのだ。一緒にご飯を食べたこともあるし、小さい頃は林間学校の時に隣で寝たこともある(お姉さんも一緒だったけど)。お互いのお家にも行き来するような仲なのだ(飲食店と出前先ではあるが)。

 そんな言葉を胸に秘め、勢いよく言い切った。

 しかし、板塀の向こう――店主ホタルは「またそういう奴がやって来たか」とでも言いたそうな声を返してきた。


「そ、そうですかって……」


 フゥが耳をピンと立てる。

 こちらは限界集落出身だぞ。幼馴染みは私とミカゲ君とお姉さんの三人しかいないんだぞ。と、心の中で抗議する。


「ミカゲさんは有名人なので。わ、わたしのお店を使いたいといろんな人が来るんです。その、ミカゲさんと直接面識はないのに、彼に紹介してもらったと、言う人も居て」

「ぐっ」


 痛いところを真正面から貫かれ、フゥは思わず呻く。

 彼女もリアルのミカゲとは親密な仲(であるはず)だが、FPO内のミカゲとは一切接点がない。一度も会ったことがないし、フレンドカードの交換などもしているはずがない。


「その、ミカゲさんの知り合いなら、ミカゲさんに確認してもいいですか?」

「ぐぅ……。すみません、ミカゲ君は私のことを知らないです」


 いつの間にか塀を隔ててすぐ側までやってきたホタルに、フゥは白旗を上げる。ミカゲに直接確認されては、色々とここまでの活動が台無しになってしまう。

 しかし、フゥが塀に背中を預けて項垂れていると、ホタルはまだそこに居た。


「……その、お名前を伺ってもいいですか?」


 遠慮がちに尋ねられ、フゥは少し驚きながらも慌てて答える。


「ふ、フゥです。虎って意味です! 料理人兼鎚使いやってます!」

「料理人、兼鎚使い? その、呪術師さんではないんですか?」


 ホタルが疑問を口にする。

 フゥからは表情が見えないが、きょとんとしているのはよく分かった。


「違いますよ。なる気もないです」

「それなら、な、なぜウチに?」

「その、ミカゲ君に確認を取られるとちょっと色々困るんですけど……」


 フゥはつんつんと両手の人差し指を突き合わせ、小さな声で前置きする。


「私、ミカゲ君のリア友なんです。それで、彼にこのゲームを紹介して貰って、その時にFPO日誌っていうブログも」

「ああ、レッジさんの……」


 マナー違反であることを承知の上で、フゥは事情を話す。レッジのブログの名前を出すと、ホタルも知っている様子だった。


「そこでホタルさんを見つけて、是非一度お会いしたいな、と」

「な、なるほど?」


 突然話が飛躍して、ホタルは困惑する。

 フゥははらはらと落ち着きをなくし、尻尾とヒゲを震わせていた。

 少しの沈黙があり、突然板塀に取り付けられた小さな戸が開く。


「うひゃあっ!?」


 唐突な出来事にフゥが跳び上がって驚くと、塀の向こうからホタルが言った。


「ずっと塀越しというのも、不便ですので。その、フゥさんはいたずらに冷やかしに来た、というわけでもなさそうですし」

「あ、わ、ありがとうございます」


 どうぞ、と中へ促すホタルに、フゥは慌ててお礼を言う。そうして、おっかなびっくり開いた戸から塀の中を覗いた。

 そこは、土の晒された殺風景な庭だった。塀の側にいくつか盆栽の鉢が並んでいる以外には何もない。

 猫の額ほどの庭に、着物を着た黒髪の猫型ライカンスロープの少女が立っていた。


「あなたがホタルさん……」


 少女の黄色い瞳を見つめてフゥが呟く。


「あなたがフゥさんですね」


 同時に、ホタルもまたフゥを見つめて言った。

 二人は視線を交わした瞬間、本能的に理解する。私たちは同族であると。機体のモデルという話ではない。とある青年を共通点にして、同じ立場にあるのだ。


「……なるほど、そういうことでしたか」


 ホタルは得心がいった様子で頷く。


「くっ。可愛いじゃないか」


 フゥはフゥで、悔しげに歯を噛み締めていた。

 ホタルが何でもないただの少女だったならともかく、同性の目で見ても庇護欲を誘う可愛らしさがある。これでは、なんだかんだと気遣いが上手い彼が籠絡されてしまう可能性がなきにしもあらずだ。


「……」

「……」


 静かな庭で、静かに戦いが始まっていた。

 二人は油断なく視線を逸らさず、相手を見続ける。どう動くべきか、互いに相手の出方を窺っていた。

 リアルではフゥに圧倒的なアドバンテージがある。なにせ幼い頃からずっと一緒にすくすくと育ってきたのだ。しかし、ことFPOの中に限ってはそうも言っていられない。ミカゲは呪術関連の装備は全て、ネヴァではなくホタルに一任しているのだ。その信頼関係はかなり強い。


「そういえば、まだ自己紹介をしていませんでしたね」

「っ!?」


 突然、ホタルが口元を緩める。

 緊迫感が霧散し、フゥが戸惑うなか、彼女はゆるりとした身のこなしで歩み寄った。


「わたし、呪具職人のホタルです。ミカゲさんの、専属呪具職人をしています」

「っ!」


 一部を強調するホタルの言葉に、フゥも気がつく。彼女がしかけてきたのだ。


「わ、わたしだって……」

「分かっていますよ。正直、めちゃくちゃ羨ましいです」

「えっ?」


 ムキになって反攻しようとするフゥの声を遮って、ホタルは頬を膨らませる。その可愛らしい動きに毒気を抜かれたフゥは、困惑して首を傾げた。


「わ、わたしだって、ミカゲさんと幼馴染みになりたいですよ」

「ええ……」

「フゥさんは幼馴染みですけど、わたしはただのゲーム友達ですよ。どう考えても絶望的じゃないですか」

「いやその、そ、そんなことないんじゃないかなぁ」


 頑張ればいけるよ、とフゥは何故かホタルを応援してしまう。調子を崩されて思考が纏まらない。


「フゥさん。ミカゲさんのこと色々教えて下さい。わたしもゲーム内でのミカゲさんのことを教えますから」

「ええっ!? で、でもリアルでのことは……」

「あ、当たり障りのない範囲でいいので! お、お願いします」

「うわああっ!?」


 土下座をしようとするホタルを、フゥは慌てて引き留める。誰かに見られているわけではないが、酷く外聞の悪いことになっている。

 どうしてこんなことに、と混乱しつつ彼女は頷く。


「と、特定されない範囲だけだからね!」

「ありがとうございます! あ、お茶淹れますね。お、お菓子もありますよ」


 ホタルは逃げるように建物の中へと入っていく。


「……なんか、思ってたのと違う」


 一人裏庭に残されたフゥは、呆然と立ち尽くして小さく言葉を零した。


_/_/_/_/_/

Tips

◇肉球団子

 〈キヨウ〉に本店を構える和菓子専門甘味処〈甘露庵〉が販売する和菓子。肉球を模した可愛らしいお団子は、優しい甘さでもちもちと柔らかい。

 熱いお茶をお供に、どうぞ召し上がれ。


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