第702話「清麗院家」

 広大な面積を誇る清麗院家の邸宅には、様々な施設が内包されている。テニスコートやサッカー場、屋内プール、人工山にスキー場、敷地内で働く使用人のための寮や一軒家、彼らのためだけに用意されたショッピングモールなど。あまりに広すぎるために、内部には列車の線路が敷設されている。さながらそこは小さな都市のようだ。

 そんな異常なほどの財力を見せつける清麗院家の家族が住む本館は、豪奢な白亜の宮殿のようだった。


「奥様! 困ります、奥様!」


 そんな壮麗な館の中で、使用人の悲鳴が上がった。


「あまり大きな声を出されると困ってしまうわ。わたくしはただ、少しゲームがしたいだけですの」


 使用人に唇を尖らせるのは、艶やかな黒髪の美しい女性だ。体格は小柄で飾り気のない服装ながら、その内側から品の良さが滲み出る、一目でただ者ではないと感じさせる雰囲気を醸した女性だった。

 彼女の名は清麗院光。世界にその名が知られる大富豪、清麗院家の当主夫人である。

 なぜ、そのような人物に対し、側仕えの上級使用人が涙目で頭を下げているのか。それも、他の使用人もいる本館の長い廊下の真ん中で。


「お願いですから、その荷物は私に運ばせて下さい。奥様に荷物を持たせたとなれば、私の首が飛びます!」


 清麗院光。高貴な身分である彼女が、何故か近所の家電量販店のロゴが入ったレジ袋を提げていたからだ。


「屋敷内の人事権は私にありますの。貴方は失職の心配などなされなくても良いですのに」

「そういう話ではありません。周囲からの視線が痛いのです」


 不思議そうに首を傾げる光に、女性使用人は強く訴える。今の状況でさえ、周囲のメイドや執事たちから怪訝な目を向けられているのだ。まるで針のむしろに巻かれているようだ。


「はぁ。分かりました、あなたがそこまで言うのなら、自室まで持って下さいな」

「畏まりました。……ありがとうございます」


 光がポップなロゴの印刷されたビニール製の袋を差し出す。使用人はそれを恭しく受け取り、ほっと胸を撫で下ろした。


「それと、奥様。お買い物に出掛ける際は仰って下さい。私どもが買いに走りますから」


 そもそも、このアグレッシブな奥方は護衛も連れずに一人で近所の家電量販店へと出歩いていた。清麗院家の堅固な警備をどう突破したのか分からないが、警備部門は今頃頭を抱えていることだろう。そう珍しい話ではない、というのもまた頭の痛い話である。

 しかし当の光は反省した色が一切無い。むしろ、使用人の言葉に口をへの字に曲げていた。


「やっぱり、ゲームは自分の手で買ってこそではありませんか」

「そうですかね……。今はダウンロード販売もありますし、そちらの方が安全ですよ」


 清麗院光は、その立場上常に危険が予想されている。そのため、警備部門が日頃から厳重に見守っているのだ。それをこうも簡単に抜け出されてしまうと、使用人側が困るのだ。


「そういえば、何をお買いになられたんですか。奥様は普段からそれほどゲームに興味はなかったと思っておりましたが……」


 使用人は意外そうな顔をして尋ねる。彼女は若い頃から光の側仕えとして従ってきたが、彼女の知る光は令嬢として夫人として立派な女性だ。余暇の時間は仮想図書館での読書など、穏やかな趣味に注いでいたはずである。


「あの子がそのゲームをやっていると聞いたの」


 光の許しを得て、使用人が袋を開ける。そこに入っていたのは、彼女も名前くらいは知っている人気なVRMMOタイトルだった。物理的に販売されているのは、アクティベートキーの記録された小さなメモリーカードだが、ずいぶんと豪華な箱に入っている。

 だが、使用人の中でそのゲームと“あの子”が上手く結びつかない。光が“あの子”と呼ぶのは、清麗院家の一人娘である彼女のことだ。しかし、彼女は大学生として勉学に励み、休日は仮想図書館で読書を嗜む、物静かな少女だったはずだ。


「ああ、このことは他の使用人たちには秘密ね。私と警備部門しか知らないから」

「ええ……。か、畏まりました」


 無邪気に笑う主人に使用人は思わず声を漏らす。

 光は多忙な旦那に代わり、この邸宅の全てを管理している。使用人の人事から施設の管理、人や物の出入り、来客の予定まで、全てだ。

 彼女は一切の誇張なしに屋敷内で行われる全てのことを把握している。側仕えの彼女も未だに信じられないが、この若々しい貴婦人はその不可能な事を成し遂げている。

 清麗院家の警備部門は、電子的なセキュリティも担当している。清麗院家の家族がどのように電子機器を使用しているか、知ろうと思えば知れる。

 “あの子”は側仕えたちにも隠しながら、VRMMOをプレイしているようだった。


「しかし、よろしいのでしょうか。お嬢様は旦那様にも隠しておられるのでしょう」

「ええ。あの人は知らないわ。でも、私が知っていれば十分でしょう。このゲーム自体にも安全性の問題はありませんし」


 大切な一人娘を、清麗院家の当主は溺愛している。過保護と言ってもいい。しかし、当主夫人である光は大切な一人娘だからこそ、彼女の自主性を重んじようという考えだった。

 そもそも、FPOの基幹である世界最大規模のデータセンターは清麗院家の資本で作られている。


「清麗院家が作ったものならば、それは仮想世界であろうと清麗院家の屋敷の中です。私が把握していないはずもないでしょう?」

「そうでしょうか?」


 目上の人物ではあるが、側仕えとして使用人も多少は遠慮がなくなっている。流石に誇大しすぎではないかと首を傾げるが、光はすっかりそう考えているようだった。


「それにほら、やってみたいではないですか」

「やってみたい?」

「ええ。授業参観」


 主人の口から飛び出した庶民的な単語に、使用人は思わず目を丸くして硬直する。

 たしかに、光は娘が小中学生だったころも授業参観には行っていない。そもそも学校が清麗院家が運営しているものであるため、光の中では清麗院家の屋敷認定されていたということもある。しかし光は、自分の立場上、娘や周囲にいらぬ気遣いを強要してしまうことを何より避けていた。


「あの子がゲームの世界で、どんな活躍をしているのか知りたいではないですか。何やら、普段の様子とは違うようですし」

「そうなのですか?」


 使用人が知る普段のお嬢様は、まさに深窓の令嬢という言葉の似合う女性だ。淑やかで優しく礼儀正しく、いつも笑みを浮かべている。側にいるだけで心まで浄化されそうな、圧倒的な善性だ。

 それは、使用人の娘でお嬢様の側仕えをしている杏奈からも聞いていた。


「しかし、奥様はゲームをほとんどしたことないのでは? 私もゲームはあまり得意とは言えませんが……」


 使用人の言葉に、光は振り返って不思議そうな顔をする。何か失言をしただろうかと彼女が背中を冷たくした時、光は口を開いた。


「あなたは連れていきませんよ。ゲームは私ひとりでプレイしますの」

「ええっ!?」


 意外すぎる言葉に、使用人は思わず声を乱す。慌てて口を抑え、本気ですかと問いただす。


「仮想現実内なら私も一人で歩けますの。それに、私が仮想世界にいる間、現実の私を見ている人が必要ですの」

「そ、それを私にやれと……」

「これは極秘のお仕事ですの。関係者は少ない方がいいですわ」


 光は唇に人差し指を当て、にこりと笑う。

 あどけない少女のような姿だ。そんな彼女の頼みを、使用人が断れるはずもない。


「警備部門の電子通信課と連携を密にします。何か問題が生じれば、すぐに中止の判断を」

「分かっていますの。ふふ、楽しみだわ」


 足取りも軽く、無邪気に目を細めながら光は長い廊下を進む。その後ろに付き従う使用人は、すでにどっと押し寄せる疲れを感じていた。


「仮想世界では、お嬢様とご一緒に?」

「どうでしょう。まだ分かりませんの。正体は明かさないつもりですが」

「そ、そうなんですか」


 使用人は意外そうな顔で言う。

 彼女はてっきり、光はお嬢様と家族の時間を仮想世界で過ごすつもりだと思っていた。しかし本人はそのつもりは毛頭無いようだ。


「せっかく娘の素顔が見られるんですのよ。しっかり変装してそれとなく見ようと思っていますの」

「へ、変装ですか……」

「ええ。違和感のない一般人としてなら、あの子とも一緒に遊ぶかも知れませんわ」


 自信満々に言い放つ光だが、使用人は不信感でいっぱいだった。そもそも、先ほども普段の服にサングラスを掛けただけで家電量販店まで行っていたのだ。彼女の言う“変装”がどの程度なのか、すでに不安である。


「くれぐれも親子仲がこじれないようにしてくださいね」

「分かっていますわ。影ながらこっそり、あの子を応援しますの」


 本当かなぁ、と使用人は思う。だが口から飛び出しそうになった言葉を押し込んで、僅かに片眉を上げるに留めた。

 やがて、二人は館の奥にある清麗院家の家族しか入ることの許されない場所、更にそこでも光と数人の側仕えしか立ち入りの許されない部屋に入る。そこは本当の意味で光の自室であり、彼女の仕事部屋でもある。

 広い室内には無数のディスプレイがずらりと並び、広大な“屋敷”の各所にある監視設備と接続されている。巨大なコンピュータ筐体が連なり、唸りを上げている。それらの暴走を抑えるため、室温は低く設定されていた。

 厳重な警備が成される、“屋敷”の心臓部だ。清麗院家の下にある無数の施設、物流、情報、人員。あらゆるものがここに集約されている。

 そんな部屋の中央に横たわっているのが、清麗院家の技術部門が開発した最新鋭の高深度完全没入型VRシェルだ。外界との感覚遮断率は99.99%を越え、より完璧に近い仮想世界への没入を可能にしている。

 細い卵形をしており、上面が透明な樹脂素材になっている。内部には姿勢保持ジェルが満たされている。流石に栄養補給や排泄物除去用のチューブはなく、筋肉衰弱防止用電磁刺激機能も排除されているが、それらを追加すれば医療用としても使える代物だ。


「それでは、早速行ってきます」

「畏まりました」


 するりと服を脱ぎ、生まれたままの姿になった光は、生温いジェルに足先を鎮める。使用人は傍らのディスプレイで彼女の状態が正常であることを確認し、機械筐体にゲームのアクティベートキーを差し込んだ。


「楽しんできますの」

「お気を付けて、いってらっしゃいませ」


 現実の清麗院光が睡眠導入剤により深い眠りにつき、惑星イザナミに新たな調査開拓員が降り立った。


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Tips

◇アクティベートキーの取り扱いについて

 〈FrontierPlanetOnline〉のプレイに必要なアクティベートキーは一つにつき一人とのみ結びつきます。生態情報レベルでの登録が行われるため、複数人で一つのアクティベートキーを共有すること、また一人で複数のアクティベートキーを所有することはできません。

 アクティベートキーはインターネット、仮想現実上でのダウンロード販売のほか、現実世界での物理カードの販売も行っております。


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