第701話「空腹の少女」

 時は少し遡る。

 カエデたちと分かれたフゥは、道中で手に入れたドロップアイテムを売却するため〈ウェイド〉の中央制御区域へと向かった。制御塔の端末で達成できそうな任務を受注し、ドロップアイテムを納品して報酬を受け取る。余ったものはベースライン内にある適当な店舗で売却する。ここまでは〈スサノオ〉でやっていたことと変わらない。


「うーん、やっぱり第三域ともなると良いお値段になるね」


 〈鎧魚の瀑布〉に生息するスケイルフィッシュやクラッシャークロコダイルは、三人がかりでも苦労した相手だがそのぶん実入りもいい。フゥは予想以上の稼ぎにほくほくとした顔で足取り軽く町を歩いていた。

 カエデとモミジの二人は工房区画にある〈グリーンピース〉というレンタル作業場にいるようだ。臨時収入も入ったことだし、新しい町へやってきた記念として洋菓子でも買って持っていこう。


「おお、このお店なんていいかも!」


 フゥが目を付けたのは、ショーウィンドウに宝石のようなお菓子が並べられた品の良い店だった。店名は〈シルキーハート〉とあった。

 彼女は控えめなドアベルを鳴らして中に入り、商品を巡る。どれも少し高めだが、フゥ個人の財布で払えないほどでもなさそうだ。


「すみません。これを三つください」

「かしこまりました!」


 フゥはしばし悩んだ後、シュークリームを選んだ。クリーム、カスタード、チョコレートの三種を一つずつ。どれも美味しそうだから、自分はどれになってもいい。

 店員に声を掛けてはじめて、フゥはここがプレイヤーの営む店であることに気がついた。カウンターに立つパティシエのような服装の少女が、NPCではなかったのだ。


「ここ、プレイヤーのお店なんですね」

「はい! 〈ウェイド〉ができた時からずっと、ここで洋菓子店をやらせてもらってます。店名と同じバンドをリア友とやってるんですよ」


 シュークリームをショーケースから出しながら、店員の少女は和やかに語る。聞けば、戦闘職のプレイヤーもバンドに参加しており、原材料を集めるところから拘った珠玉の洋菓子を販売しているのだという。


「うわぁ。今から食べるのが楽しみ!」

「ふふ、どれも自慢のお菓子ですから。ほっぺが落ちちゃいますよ」


 少女は自信たっぷりに言って、シュークリーム三つが入った白い箱を差し出す。フゥがそれを受け取れば、自動的に代金が財布から支払われた。わざわざ財布を開く煩わしさが無いのは、仮想現実の利点である。


「ありがとうございましたー」


 少女に見送られ、フゥは〈シルキーハート〉の外に出る。その時だった。彼女が石畳に倒れたメイドさんを見つけたのは。


「うほわぁっ!?」


 〈シルキーハート〉のショーウィンドーの下に倒れていたメイドさんを、フゥは危うく踏みつけそうになったところでとどまる。体を変に捻った奇妙な体勢で、シュークリームの入った箱が落ちないように気をつける。


「だ、誰? ていうかなんでこんな所に倒れてるの!?」


 フゥは困惑しながらひとまずシュークリームの箱をインベントリに収納する。このゲームは箱を落とせばしっかり中のシュークリームも潰れるほど、高性能な物理エンジンが働いているのだ。

 手が空いたところで、彼女は改めてメイドさんを見下ろす。

 緩くウェーブした長い金髪に色白の肌。見たところ年齢はフゥと同じくらいだろうか。女性型のタイプ-ヒューマノイドで、白いフリルのついたメイド服を着ている。


「あのー、大丈夫? GM呼ぼうか?」

「あう……」


 戸惑いつつ控えめに肩を叩くと、か細い声が帰ってくる。頭上に三角形のマーカーもなく、プレイヤーであることは分かった。それ以外の全てが分からないが。


「名前は分かる? プレイヤーネーム」

「……た……」


 ひとまず様子を窺うが、かなり衰弱しているようだ。

 これはGMを呼んで強制ログアウトを掛けてもらった方が良いかも知れない。そう考えて通報ボタンを呼び出したフゥの腕を、細い指が触れた。


「おなか……すいた……」

「えっ」

「おめ、おめぐみを……」

「ええ……」


 それだけ言い残して、少女はぱたりと倒れる。気がつけば周囲を歩く人々からも視線を向けられ、困ったフゥはひとまず仲間を呼ぶことにした。





「はぐっ! はむはむ。もぐもぐ。ごくん! もきゅもきゅ、むぎゅむぐ。ごっくん!」


 木工所〈グリーンピース〉二階、クヌギの部屋。調理台も追加された部屋で、慌ただしく大量の料理を食べるメイドさんがいた。


「じゃんじゃん焼くからね。どんどん食べてよ!」

「もぐむぐ。ありがとうございます! とっても美味ですの!」


 エプロンと三角巾を着けて中華鍋を振るうフゥの言葉に、元気を取り戻したメイドさんは目を輝かせて答える。

 テーブルの上には特盛りの炒飯や大きな餃子、焼売、春巻きなど様々な中華料理が次々と並べられていく。それらは作ったそばからメイドさんの胃袋へと吸い込まれていった。


「しかし、ゲーム内で行き倒れとかそもそもできるもんなのか?」

「実際倒れてたんだから仕方ないよ。ありがとうね、ここまで運んでくれて」


 フゥに呼ばれたカエデとモミジは、ひとまず少女を〈グリーンピース〉に運び込んだ。虫の鳴くような声しか出せない少女を説得し、なんとかパーティを組んだ上での処置である。

 そうして、フゥが中華鍋を使って料理を作り始めると、メイドさんはむくりと起きだして猛然とそれを食べ始めたのだ。


「しかし良く食うな。とりあえず、名前を聞いてもいいか?」


 素性も分からないメイドさんに首を傾げ、カエデが尋ねる。彼の手にはカスタードのシュークリームがあり、隣のモミジはチョコ味を食べている。

 メイドさんは青椒肉絲の載った皿を持ち上げながら、ようやく身の上を話し始めた。


「失礼しました。わたくし、清麗……。ああ、こちらではただのひかりでしたわね」

「光さん? 金髪だし、らしい名前だね」

「ありがとうございます。でも、現実の方では黒髪なのよ」


 うふふ、と光は口元を手で隠して笑う。

 服装こそメイドさんのそれだが、口調や居住まいから滲む品の良さはむしろ良家のお嬢様のようだ。


(そういえば、清麗院家は世界的にも名高い大富豪の家名だな。……いや、関係ないか)


 楽しげに食事を続ける少女を見て、カエデは頭を振って考えを霧散させる。そんな超弩級の大金持ちが、ゲーム内とはいえど道端で行き倒れているはずがない。

 そもそもそのような家庭だと仮定すれば、付き人の一人や二人はいるはずだろう。


「光ちゃんはどうして倒れていたんですか?」

「そうですわね。どこからお話しましょうか……」


 モミジに問われ、光は困ったように柳眉を寄せる。

 そうして少しずつ事情を話し始めた。


「じつは私、ある女の子を探してこのゲームを始めましたの。その子がどこで何をしているのかは分からないのですけれど、この先にある海沿いの町でお友達と遊んでいるという話は聞いていて」

「……ふーん」


 どこかで聞いたことのあるような話である。

 カエデとフゥは思わず目を合わせ、ひとまず話の続きを促した。


「それで、その町を目指そうと思ったのですけれど、なんだか強い原生生物さんと戦う必要があるらしいと知りましたの。でも私、あまり戦うのは得意ではなくて。〈大鷲の騎士団〉の皆さんにこの町まで送って貰いましたの」

「ははぁ。しかし、〈ウェイド〉まででも結構ビットはかかるんじゃないのか?」


 光の話を聞いて、カエデはひとまず彼女がどうやってここまでやってきたのかを理解した。〈大鷲の騎士団〉は攻略活動以外にも、傭兵業のようなことも行っている。生産職などの戦闘能力がないプレイヤーを、金と引き換えに目的地まで護衛することもある。

 彼女はどうにかしてビットを稼いで、彼らを雇いここまでやってきたようだ。


「頑張って必要なお金は集めましたわ! これがあれば、私でも原生生物さんを倒せますのよ」

「おお……?」


 張り切って光は天叢雲剣を取り出す。彼女が両手で持つと、細い円筒はゆっくりと形を変える。


「両手盾、ですか?」

「また意外な武器を選んだねぇ」


 それは両手盾と言う大型の盾だった。本来、盾は防具に分類されるため天叢雲剣を使うことはないが、これは武器として分類される。両手で持ち、その重量で叩いたり押し潰したりして戦う。

 とはいえ、基本的には防具である盾と変わりないため、集団戦で専門の盾役などが使う程度のものだ。


「こちらを構えていれば、あとは何もしなくていいんですの」


 光が持つ盾は、彼女の全身をすっぽりと隠すほど巨大なものだ。木の骨組みに分厚い革が張られ、更に表面には太い棘がいくつも生えている。見た目だけでも痛々しい代物だ。


「もしかして、カウンターだけで戦ってたの?」

「ええ。これを立てて、『守りの姿勢』と『専守の盾』というテクニックを使っていれば大丈夫ですのよ」


 その盾は見た目の通り、カウンター性能の高い盾だった。盾を構え、テクニックを使っていれば、突っ込んできた原生生物に自動でダメージを与えてくれる。

 とはいえ、カウンターダメージは通常の武器攻撃と比べればかなり低い。光が使えるスキルレベル帯のものならば、受けたダメージの数%程度だ。


「カウンターダメージも小数点以下になると最低保障で1ダメージになるけど……。まさかずっとそれで?」


 信じられない、とフゥが目を見張る。たとえ〈始まりの草原〉のコックビークであろうと、倒すのに何十分かかるか分からない。

 だが、そんなフゥの反応がよく分かっていないのか、光は可愛らしく首を傾げた。


「騎士団への依頼料を集めるのに、どれくらい掛かったの?」

「そうですわね……。この盾を買うのに1ヶ月、そのあと2ヶ月くらい掛かったと思いますの」

「おお……」


 さらりと告げられた日数に三人は揃って絶句する。

 それだけあれば、普通に戦っていれば〈ワダツミ〉どころか〈ミズハノメ〉にだって到達できていただろう。盾を構え、カウンターダメージだけで原生生物を狩り、その金で傭兵を雇う。途方もない道のりだ。


「それで、〈大鷲の騎士団〉さんに〈ウェイド〉まで連れていって貰えたのですが、お金もなくなってしまいましたの。外で稼ごうと思っても、原生生物さんが多くてすぐにやられてしまって……」

「それなら一度〈スサノオ〉に戻れば良かったのでは?」

「そう思ったのですけれど、お腹が空いて動けなくなってしまいましたの」


 悲しそうな顔で光が語る。

 〈ウェイド〉に辿り着いたものの、金もなく数日間出撃と死に戻りを繰り返し、その後に空腹が限界を迎えた。ステータス的な満腹度がゼロになっても、多少動きが鈍くなり時折強制的に動けなくなる程度だが、それよりも気持ちが落ち込んでしまっていた。

 彼女は〈シルキーハート〉の甘い香りに誘われて歩き、そこで倒れてしまったのだ。


「なんというか、そういう人もいるんだな」


 恐らく、光はVR適合者だ。仮想現実内でも現実と変わらず動ける代わりに、空腹時の状態も現実と同じようになる。その割には物理的限界以上の量を食べ続けているが、元の現実でもかなりの健啖家なのかもしれない。

 そうカエデは考えて、ひとまず光が行き倒れていた理由に納得する。その上で一つ、気になることがあった。


「その、嫌なら答えてくれなくても構わないんだが……」


 カエデはそう前置きして、質問を切り出す。

 光が話し始めた時から思っていた、とある予想だ。


「光が探している人っていうのは誰なんだ?」

「私も詳しくは分からないんですの。知っているのは、その子の名前だけで……」


 光はそっと睫を伏せ、口を開く。


「レティちゃんと言いますの」


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Tips

◇“森狼の両手盾”

 森狼の皮を張り、鋭牙を表面に取り付けた大型の両手盾。襲い掛かった者は鋭い牙に刺され、僅かに傷を受ける。

 防御力+50、回避率+5%、カウンターダメージ3%


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