第698話「未知との遭遇」

 〈水蛇の湖沼〉は全域に泥濘んだ巨大な沼が広がる。中でも中央にある湖は大きく、濁った水は底を見通すこともできない。そんな湖の奥、横穴の先にそれはいた。


「――『烈風斬』ッ!」


 暗い洞窟の中に火炎が燦めく。

 二連の斬撃が金眼輝く白蛇の喉元を裂く。


「石化来るよ!」

「ッ!」


 洞窟内に響くフゥの声を聞き、カエデは蛇を蹴って後方へと退避する。その瞬間に蛇の瞳が輝き、カエデの膝下が石化する。


「ちっ!」

「ふぉおおおおりゃああっ! 『鱗砕き』ッ!」


 足を動かせなくなったカエデは空中でバランスを崩して落ちていく。無防備な彼に喰らい付こうと、赤眼の白蛇が牙を剥く。その頭部を鍋で殴り飛ばしたのはフゥだった。


「お兄ちゃん! 軟化軟膏だよ!」


 更にカエデが地面に落ちるより先に後方から瓶入りの軟膏が投げられる。それを背中で受けたカエデは、なんとか石化状態から脱し、自分の足で着地した。


「助かった!」

「一度ヒートグレネード投げるよ!」


 カエデを助けるため急いで飛び出したフゥは姿勢を崩している。カエデ自身も石化から脱したとはいえ、足の感覚が戻るには1秒ほどかかる。その僅かな時間を稼ぐため、後方のモミジがグレネードを投げる。


「ヒート!」


 モミジの合図と同時に、フゥとカエデは防御姿勢を取る。

 空中で弾けたパイナップル型の手榴弾から、皮膚を焦がすような熱波が放たれる。それは〈水蛇の湖沼〉のボス、“隠遁のラピス”の熱源感知器官を焼き、一定時間麻痺させた。


「青眼の方は私が抑えます!」

「赤眼は私が!」

「分かった。よろしく頼んだぞ!」


 三つ首の白い大蛇が大きく仰け反り、パニックを起こす。特に左右の赤眼と青眼は激しく動き回り、支配格である金眼の制御も弱まっていた。

 その隙を逃さず、モミジは機術封入手榴弾を青眼に向けて投げつける。〈てなげ屋〉で手に入れた、高価な投擲物だ。対象に当てると内部の機構が動き出し、封入されていた爆発の術式が炸裂する。


「美味しく調理してあげるよ。――『激アツ霜降り』『火傷打ち』ッ!」


 フゥは高く跳び上がり、赤眼の大蛇目掛けて鍋を向ける。そこにたっぷり溜められていた熱湯が蛇の頭に浴びせられ、絶叫が洞窟に響く。

 白く美しい鱗を赤くした蛇に、彼女は更に追い打ちを掛ける。火傷を負った患部目掛けて、中華鍋の底を叩き付けた。

 堪らず赤眼は地面に倒れ、ぐるぐると目を回す。


「さあ、もう一回だ!」


 モミジとフゥの二人が、二本の首を相手取っている。その間にカエデは素早く中央の首へと接近する。ラピスの支配格として、左右の青眼赤眼を制御する金眼の大蛇だ。

 鋭利な牙を誇示してガラガラと喉を震わせる大蛇に、カエデは臆することなく剣を抜く。彼の腰にあるのは、長さの違う二振りの太刀だった。


「こいよ、デカブツ」


 カエデの煽りに反応してか、金眼の頭が地面に近づく。彼の刀も届く高さだ。

 金眼が輝き、石化の呪いが発動する。だが、カエデは僅かに進路をずらすだけでそれを避けた。


「射程は把握した。もう掛からん」


 地面を蹴り、跳躍する。

 彼は一瞬で金眼に肉薄し、その巨大な眼球に長い刀の切っ先を向ける。


「『烈痛穿』ッ!」


 鮮やかな赤の刀身が激しく燃え上がる。

 火を纏う巨牛、ルボスの炎角を使った刀――“炎刀・暴れ牛”は非常に高温だ。更にカエデが柄を強く握ることで、火炎が吹き上がる。

 冷たい湖沼の底で暮らすラピスにとって、炎は一番の天敵だった。眼球を潰され傷を焼かれた痛みに、大蛇がのたうち回る。


「あんまり暴れるんじゃない。すぐに楽にしてやる」


 カエデは激しく動く金眼の顎下に取り付き、深く突き刺した暴れ牛を頼りに張り付く。そうして、彼は片手に握っていたもう一振りの刀を掲げた。

 暴れ牛よりも少し短い、黒刃の刀だ。銘は“爪刀・乱れ熊”という、カイザーの剛爪を用いた刀である。


「『弱点看破』」


 カエデの黒い瞳が光り、ラピスの急所を探し当てる。

 それは彼の予想通り、生々しい切り傷の残る喉元だった。


「『攻めの姿勢』『力溜め』」


 彼は暴れ牛の柄から手を離す。重力に従い、落ちていくなかで、乱れ熊の柄を両手で握る。


「――『管打ち』ッ!」


 振り上げた刀を真っ直ぐに振り下ろす、シンプルな動き。だが、それを空中でやるのは難しい。更に彼は体の上下を逆さまにし、刀を振り下ろしていた。

 カエデは洗練された動きで実行し、金眼の喉を裂く。


「はあああっっ!」


 ミツルギが鍛えた二振りの刀は、どちらも芯にグナウの黒堅骨を使っている。多少荒々しい使い方をしても、折れることはない。

 斬撃の勢いは留まらず、そのまま金眼の太い首を切り落とす。

 赤眼と青眼が断末魔を上げ、三つ首の大蛇はゆっくりと倒れる。それを見届け、カエデは満足げに笑みを浮かべて背中から地面に落ちていく。


「お兄ちゃん!」

「うおっ!?」


 だが、カエデが予想していた衝撃はなく、代わりに柔らかいクッションの上に落ちた。モミジが何か投げてくれたのかと下にあるものを見て、カエデは思わず悲鳴を上げる。


「あらら。モミジちゃんはお兄ちゃん思いだねぇ」


 鍋を背中に戻してやって来たフゥが、ニヤニヤと笑みを浮かべる。

 先日タイプ-ゴーレムへ機体を変えたモミジは、自分の体を緩衝材にして、カエデの落下ダメージを吸収していた。


「わざわざ身を挺して助けなくても、落下ダメージで死ぬほどLPが減ってるわけじゃないんだが……」

「お兄ちゃんが傷付くのは見たくないですから。それに、アンプルも勿体ないですし」

「後ろが本音じゃないのか?」


 カエデは訝しみながら立ち上がる。

 すっかり身長を越してしまった妹(妻)の看護服に付いた汚れを落としてやりながら、倒したばかりの“隠遁のラピス”へ視線を向けた。


「なんとかラピスも倒せたな」

「時期尚早かと思ったけど、案外いけるもんだねぇ」


 モミジが機体を変えた日から数日、ミツルギから“炎刀・暴れ牛”と“爪刀・乱れ熊”を受け取ったカエデは、早速〈水蛇の湖沼〉の攻略を始めた。

 全域に水が及ぶフィールドに棲むカエルや蛇に、暴れ牛の火炎は良く効いた。乱れ熊の鋭い切れ味も素晴らしく、蛇の鱗など無いかのように切り刻むことができた。

 予想を越えたミツルギの働きに感謝しつつ、カエデはこれならばボスも倒せるのではないかと考えたのだ。


「石化に慣れるまでは大変だったけどな。モミジがグレネードを大量に運べるようになったのも助かった」


 ミツルギの刀と、モミジの機体変更。この二つが勝利の要因だった。更に、フゥの夜目が無ければ暗い洞窟ではまともに戦えなかっただろう。

 まさに仲間と共に掴んだ勝利だった。


「これでいよいよ次は〈鎧魚の瀑布〉だね」

「そうだな。あそこも水場が多いらしいから、暴れ牛が活躍してくれるだろ」


 更に一歩〈ワダツミ〉に近付き、カエデは新たに気合いを入れる。

 また源石を集めるためラピスと数回戦うが、そのあとは別の第二域フィールドへ向かうことはしない。この後は一直線に進むというのが、三人の方針だった。


「あのー、すみません」


 その時、洞窟の入り口の方から男の声が響く。

 カエデたちが振り向くと、そこには緑色のもさもさとした茂みのようなものが立っていた。


「うわっ!? だ、誰……いや何だ!?」


 反射的に刀を抜き、モミジの前に出るカエデ。

 その動きに対し、緑のもさもさは腕らしき部位を伸ばして制止を求めた。


「すみません、急に驚かせて。俺もラピスを狩りたいんですが、もういいですかね?」


 茂みの中からくぐもった男の声が聞こえて、カエデたちは目の前のそれが珍妙な装備を付けたプレイヤーであることに気がついた。

 ボスはフィールドに一体しかいないため、巣の前で順番待ちが発生するのはよくあることだ。もし後ろに人がいるのなら、素早く撤退するのがマナーである。


「申し訳ない。解体を終えたらすぐに退くよ」

「すみませんね」


 カエデが謝罪すると、茂みは腰を低くしてもぞもぞと動く。そして、フゥが解体ナイフを取り出してラピスを捌こうとすると、思わずと言った様子で声を上げた。


「ラピスを捌く時は金眼は最後にした方がいいですよ。赤眼と青眼を先にしないと腐敗が早まるので。それと、金眼の額は慎重に切った方が良い。そこにレアドロップがあるので」

「うわわっ!? そ、そうなんですね。ありがとうございます」


 金眼から刃を差し込もうとしていたフゥは、慌ててそのアドバイスに従う。


「あんたも〈解体〉スキル持ちなのか?」

「まあ、一応。すみません、差し出がましいことを」


 どこまでも謙虚な男の言葉に、カエデは首を振る。そして、どうしても聞きたかったことを尋ねた。


「その、なんでそんな装備を?」


 男はおそらくタイプ-ヒューマノイドだろう。だが全身をすっぽりと緑のもさもさに覆われていて、輪郭が定かではない。いわゆるギリースーツというものを、更にボリュームアップさせたような外見だ。


「ああ、これは“深森の隠者”という装備の強化版でね。フィールドに入る前から装備していれば、かなり隠密性が高くなるんですよ」

「はあ……」


 恐らくかなり高位の装備なのだろう。しかも、あまりメジャーなものではない。少なくとも、カエデはそれを街中で見たことはなかった。


「俺はあんまり戦闘が得意じゃないんでね。それに、ラピスと戦う時は毒を試してみようと思ってまして」


 そう言って、男は懐から小瓶を取り出して見せる。

 内部に少量の濃い紫色の粘液が詰められており、蓋が厳重に封印されていた。


「これだけの毒でラピスが倒せるのか?」

「まあ時間は掛かりますがね。今回のは致死量と持続力を伸ばした新毒なんです」


 少し誇らしげに言う男の言葉に、カエデはなるほどと察する。おそらく彼は毒薬を専門とする薬剤師なのだろう。


「それに最近はボスの特殊能力を植物に配合できないか試行錯誤してましてね。ラピスの石化の呪いなんて分かりやすいから、ちょっと宝珠が欲しかったんですよ」

「なるほど。面白い試みだな」

「ははは。なかなか道は厳しいですけどね」


 そんな会話に花を咲かせていると、フゥがラピスの解体を終える。彼女は嬉しそうに駆け足で戻ってきて、カエデたちに大ぶりな水晶のようなものを見せた。


「見てみて! レアドロップの宝珠だよ! ほんとに取れた!」


 それはラピスのレアドロップ、石化の呪いの源と鳴る特殊な器官だ。その発生には三術、特に呪術のメカニズムが使われているというのが、ここ最近の研究で分かっている。

 非常にデリケートな器官であるため、取り出すのは難しいものだったが、謎のもさもさ男のアドバイスに従ったためか初めての解体で手に入れることができた。


「おめでとうございます。いやぁ、筋がいいですね」

「えへへ、ありがとうございます」


 男ももさもさと手を叩いて喜び、フゥは後頭部に手を当てて喜ぶ。


「それじゃあ、俺はリポップ前に準備をするので」

「ああ。頑張ってくれ」


 ラピスの死体がなくなったのを確認し、男は洞窟の奥へと進む。

 カエデたちも、新たなラピスが現れる前に洞窟を脱しなければならない。準備を始める男を激励し、三人は洞窟の入り口に向けて歩き出した。


「『強制発芽』“蛇頭葛”――」


 去り際、カエデは洞窟の奥で男の声が響くのを聞いた。最近、どこかで聞いたような言葉だった気もするが、反響が酷く不明瞭だ。


「お兄ちゃん、行きますよ」

「ああ。帰ったら〈新天地〉で何か食べるか」


 モミジに急かされ、カエデは再び歩き出す。

 彼らが湖の水面上に浮かび上がった時、地の底で何かが暴れ回るような微かな震動が伝わったような気がした。


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Tips

◇“炎刀・暴れ牛”

 赤い刀身の鮮やかな太刀。老狼の黒堅骨を芯に、炎帝の角を用いた無骨な風貌。常に高温を帯び、柄を強く握ると激しく炎を吹き出す。

 扱いは難しいが、斬りつけると対象に確率で“火傷”を与える。


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