第692話「森の大熊さん」
“豪腕のカイザー”討伐に向けてできる限りの準備をしたカエデたちは、翌日、事前に示した時間にログインした。
「ミツルギに武器の手入れもしてもらった。装備と装飾品も確認済み。アイテムも揃えたな」
「こっちは大丈夫だよ」
念入りに最後の確認を行い、カエデは頷く。フゥも赤いチャイナ服に身を包み、磨いた中華鍋を背負って準備万端だ。
「よいしょ。ちょっとだけ重量オーバーですが、大丈夫です。道中に使うぶんで軽くなりますし」
そう言うのは、丸くパツパツになった巨大なリュックを背負うモミジだ。むしろ彼女が付属物かと思うほど、リュックサックの方が強い存在感を放っている。
薄桃色のミニスカナース服に、ゴツゴツとしたベルトとアンプルホルダーを巻き付け、そこに手榴弾やアンプルをぶら下げている。率直に言って、かなり混沌とした風貌だ。
「すぐに使わないアイテムを少しこっちに移せ。進行速度が遅くなるのは面倒だ」
「うぐ、それもそうですね。……少し渡します」
ふらふらと足下の覚束ないモミジを見かねて、カエデがトレードウィンドウを開く。携行食や飲料水などをいくつか引き受け、重量のバランスを取る。
「私も重量制限までまだ余裕あるし、荷物持とうか?」
「いえ、もう制限は下回ったので大丈夫です。ありがとうございます」
荷物の配分調整を終えて、いよいよ準備は整う。
「それじゃあ出発するか」
カエデの素っ気ない一言で、モミジたちは西の森へ向けて歩き出した。
「進行が遅れて、夜になるのが一番まずい。どれだけ長引いても日没までにはカイザーを倒さなくちゃならん」
草原の小道を歩きながら、カエデは今回の戦闘の心得について伝える。
原生生物の多くは昼夜で行動が変わる。それはボス個体であろうと例外ではなく、“豪腕のカイザー”は他の多くの原生生物と同様に夜間はより凶暴性を増す。
カエデもその状態のカイザーを倒せないとは思っていないが、できることなら楽をしたい。彼らは〈ワダツミ〉を目指す上でボス討伐が必要なだけで、それが主たる目的ではないのだ。
「だから、道中の原生生物は極力無視する。とはいえ、昼間はフォレストウルフも大人しいけどな」
「気をつけるのは小熊と蛇くらいかな。どっちも群れないし、逃げるのは簡単だと思うけど」
昼間の〈猛獣の森〉にも好戦的な原生生物は存在する。とはいえ、狼や鹿ほど頻繁に見掛けるわけではない。強行突破は容易だ。
「しつこいようならモミジの道具を使ってもいい。とりあえず、巣に入れば勝ちだからな」
フィールドの頂点に君臨するボス個体は、巣と呼ばれる限られたエリアの中にいる。巣の内部にはボスしかおらず、他の原生生物が乱入してくることはない。
どれだけ大量の原生生物に追われようと、巣に入りさえすればボスとの真剣勝負ができるのだ。
「まあ、カイザーは何だかんだ言って序盤のボスだからね。そんなに気負う必要ないよ」
リラックスしていこうよ、とフゥが笑って言う。
結局の所、第二域のボスは大半のプレイヤーによって討伐されている程度の強さなのだ。しっかりとスキルを鍛え、物資を揃えたのならば、過度に恐れるものでもない。
「……それもそうだな」
カエデはモミジの表情が固くなっていることに気がつき、ふっと笑う。幼い少女の頭にぽんと手を置き、安心させるように優しく撫でた。
「さあ、森に入る。ここからは走るぞ」
「了解。モミジちゃん、LP管理よろしくね」
「ま、任せて下さい!」
草原を抜け、森に入る。一気に視界は狭まり、足下は不安定になる。徘徊する原生生物の数も増え、危険度は途端に跳ね上がる。
しかし、三人にとっては勝手知ったる庭のような場所だ。一度視線を交わすと、勢いよく足を踏み出す。
「巣の場所は分かってるよね?」
「当然。行動パターンも全部頭に叩き込んできた」
走りながら、フゥは好戦的な笑みを浮かべる。彼女も昨夜はなかなか寝付けず、wikiを熟読していた。
“豪腕のカイザー”に関する情報は、ありとあらゆるものが明文化されている。全ては先人たちの狂気的なまでの調査によって判明したものだ。それを利用しない手はない。
「お兄ちゃん、LP回復!」
「助かる!」
歩行時は八尺瓊勾玉のLP生産速度が消費速度を上回っているが、全力で走ると徐々にLPは減っていく。そのため、時折モミジがアンプルをカエデたちに投げつけて、減ったぶんを補給していた。
薬剤による支援を受けながら、三人は脇目も振らず森の中を駆け抜けていく。
「前方に小熊!」
「振り切るぞ!」
三人の目の前に、焦げ茶色の小柄な熊が現れる。カイザーと同じフォレストベアの通常種だ。昼間でも好戦的な性格で、調査開拓員を見掛けると積極的に襲い掛かってくる。
いつもならばカエデも刀を抜いて相手取るところだが、今日はそんな余裕はない。
三人は威嚇の咆哮を上げる熊のすぐ側を駆け抜けて、更に森の奥へと進む。熊は呆気に取られながらも追いかけてくるが、すぐにスタミナが切れて引き離された。
「スピードアンプルが作れたら良かったんですが……」
「そこまでは必要ないさ。全員ある程度〈歩行〉スキルが上がってるから、余裕で逃げ切れる」
悔やむモミジをカエデが慰める。
移動速度を底上げするアンプルの存在はモミジも知っていたが、作成するにはスキルレベルが足りなかった。
「この調子ならお昼までに着けそうだね」
時刻とおおよその速度を確認し、フゥが言う。
高速装甲軌道列車ヤタガラスがなければ、フィールドはかなり広大だ。それでも、カイザー狩りには十分な時間が確保できる算段だ。
「もう一息だ。行くぞ」
「はいっ」
露出した木の根を飛び越え、倒木の下をくぐり抜ける。濃密な緑の中を三人は駆け抜け、時に原生生物から逃走しつつ、最奥を目指す。
やがて、遠目にも如実に緑の濃い場所が見えるようになった。
「あれが巣だね」
「そうみたいだ」
木々が密集した場所だ。奥のフィールドに続く小川が流れ、爽やかな風が吹き渡る。木漏れ日が降り注ぐ、幻想的な空間だ。
「準備はいいか?」
あの木々を越えれば、そこはもうボスの領域だ。
走りながらカエデが最後の確認をする。
「大丈夫!」
「大丈夫です。行きましょう!」
フゥとモミジがしっかりと頷く。それを見て、カエデも覚悟を決めた。
「入るぞ!」
勢いを落とさず、三人は木々の境界線を飛び越える。
奥に広がっていたのは広い歪な円形の土地だった。樹木は薙ぎ倒され、柔らかな草が繁茂している。草原の中央には一際太い一本の木が生えており、その根元に彼はいた。
「あれがカイザーか」
タイプ-ゴーレムの倍はあろうかという巨体。通常のフォレストベアなど、束になっても敵わないと確信できる。骨格からして、一線を画している。
黒々とした毛並み越しでも分かる、隆々とした筋肉の鎧。爪は鋭く、数ミリ程度の鉄板なら容易に切り裂いてしまうだろう。
フィールドの頂点に君臨する、圧倒的な強者。彼は大樹の根元で、木漏れ日を浴びながらうたた寝に興じていた。
「やっぱり、正午あたりは寝てるな」
wikiに記載されていた情報通りだ。
相手が寝ているならば、巣の中でも落ち着いて事前の準備を整えることができる。
「じゃあお兄ちゃん、フゥちゃん、そこに並んで」
「はーい」
カイザーが寝ている前で、カエデとフゥが一列に並ぶ。その二人に目掛けて、モミジがいくつものアンプルを投げつけていく。
「バーサクアンプル、ハードアンプル。品質は低いけど、無いよりはマシだよね」
「ありがたいよ。攻撃力と防御力は高いほどいい」
モミジが使用したのは、機体の性能を底上げする薬効のあるアンプルだ。通常の狩りではコストと効果が釣り合わないため使わないが、今回は特別である。
カエデたちはしっかりとアンプルの効果が出ているのを確認して、それぞれの自己バフも纏う。
「『攻めの姿勢』」
「『守りの姿勢』」
まだまだ二人ともスキルは未熟だ。使うテクニックも、最前線で活躍するプレイヤーと比べれば頼りない。
だが、今は最大限できるだけのことをする。
「それじゃあ、行くぞ」
全ての準備が終わったのを見て、カエデは腰の双刀に手を伸ばす。
モミジがアンプルを手に握りしめ、フゥが中華鍋を構える。二人の前に出たカエデは、静かに抜刀する。
「――『咬牙斬』ッ!」
赤刃が輝く。
二筋の軌跡が流れ、穏やかに寝息を立てるカイザーの胸を掻き切る。
『グォォォォオオオオオッ!!』
赤いエフェクトが吹き出し、巨躯が揺れる。怒気を多分に含んだ咆哮が大地を圧する。
森の主は立ち上がり、両腕を大きく広げて威嚇する。真っ赤な双眸は炎のようで、安眠に水を差した不届き者を睥睨する。
「――『焦がしバター・熱鍋叩き』ッ!」
両手に刀を持つ少年を睨む巨熊の後頭部に迫る中華鍋。
カエデの初撃と同時にカイザーの死角へと回り込んでいたフゥが、大樹を駆け上り後頭部へと奇襲をしかける。
彼女が両手で握る大きな中華鍋は赤熱しており、高温に溶けた脂がバチバチと弾けている。こんがりと良い香りのするその鍋を、フゥは思い切り熊の頭頂へ叩き付けた。
「スタン入ってない!」
「フラッシュ投げますっ!」
強い打撃が黒毛を焦がしつつ頭を揺らす。しかし強靱な熊の意識を落とすほどにはならなかった。
フゥの声に、モミジが即座に反応する。彼女はベルトに吊った手榴弾を手に取り、ピンを引き抜いて投擲する。
それは熊の眼前で炸裂し、閃光が赤い眼を焼く。
「ナイス! 一気にスタンまで持ってくよ!」
視覚を失った熊に、フゥが歓声を上げながら更なる打撃を繰り出す。同時にカエデも刀を握って動き出す。
「相手が復帰する前に、一気に削るぞ!」
カエデが吠える。
カイザーの乱暴に振り回す太い腕をくぐり抜け、胸に刀を突き立てる。赤いエフェクトが吹き出し、三人にとって初めてのボス戦が始まった。
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Tips
◇『焦がしバター・熱鍋叩き』
〈杖術〉スキルレベル20、〈料理〉スキルレベル20のテクニック。たっぷりとバターを塗って熱した鉄鍋を振り、対象に叩き付ける。戦闘調理術。
対象に攻撃がヒットした場合、“火傷”の状態異常を高い確率で付与する。“火傷”の付与に成功した場合、低い確率で“大火傷”を付与する。
熱した鍋で肉を焼く。最も基本的な調理法は、食材が生きていても効果的。焦がしバターが加われば、食欲は更に倍増する。
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