第689話「古牙の老狼」

 グナウの大きな爪が地面に叩き付けられる。

 落ち葉が舞い上がる中、それを紙一重で避けたカエデは即座に刀を引き抜く。


「『二連斬』ッ!」


 足を軸にした回転により、二連の斬撃がグナウの体側を掠める。しかし、老狼の剛毛は刃を滑らせ、有効打には至らない。

 カエデは焦ることなく、グナウの反撃を避けて後方へと下がった。


「うおりゃあああっ! 『肉叩き』ッ!」


 入れ替わりで飛び出したのはフゥである。

 彼女はタイプ-ライカンスロープの高い身体能力を遺憾なく発揮し、近くの木の幹を駆け上っていた。高所からの位置エネルギーを味方に付け、狼の背中に中華鍋を叩き付ける。


「防御力は低くなったはずだよ!」

「でかしたっ!」


 フゥの攻撃により、一時的にグナウの防御力が低下する。その好機を逃さず、カエデは再び攻勢に出る。


「『突き裂き』ッ! 『追食み』――ちっ!」


 中段に構えた太刀を鋭く突き出す。その切っ先がグナウの胸を捉える。

 カエデはそこから更に傷口を広げる技へと展開しようとしたが、テクニックは発動せず動きが一瞬硬直する。

 彼の〈剣術〉スキルレベルはまだ『追食み』の必要レベルである20に達していないのだ。今の段階でも僅かだが成功の可能性はあるものの、確実に技を繰り出せるわけではなかった。

 テクニックの発動が失敗すれば、どれだけ“型”と“発声”が完璧でも不発に終わる。それどころか、ペナルティとして僅かだが動きが止まってしまう。

 その明確な隙を逃すほど、古牙のグナウは甘くない。


「カエデ君!?」

「ぐはぁっ!」


 狼は前脚でカエデを振り払う。無造作な動きだが、鍛え抜かれた肉体から繰り出される力は強烈だ。回避不能の攻撃を受け、カエデは勢いよく吹き飛ぶ。

 フゥが悲鳴を上げるが、彼女も近づけばグナウの注意を引く者がいなくなる。


「お兄ちゃん!」


 その時、細長いガラス管がカエデの方へ投げられた。それは放物線を描き、彼の肩に当たる。砕けたガラス管の中から薬液が流れだし、ゆっくりと傷を癒やしLPを回復していく。


「モミジ!」

「回復は任せて!」


 痛みから脱し、カエデは立ち上がる。

 アンプルを投げたのは、今まで息を潜めていたモミジだった。彼女は両手に新たなアンプルを持ち、いつでも投げられるように構えている。

 そんな様子を見て、グナウも彼女を排除すべき対象だと認めたようだった。牙を剥いて唸り声を上げ、猛然と駆け出す。


「どぅわっ!?」


 前を阻むフゥを強引な突進で吹き飛ばし、それでも勢いは止まらない。

 自身へ狼が迫っていることに気がついたモミジは、さっと顔を青くした。

 彼女は今日初めてVRゲームに触れたばかりだ。ゲームであることを理解していても、自分よりも遙かに大きな獣が荒々しい敵意を剥き出しにして迫る中で冷静ではいられない。

 モミジは逃げなければと考える。しかし、足は動かない。彼女は震え、固く目を閉じ――。


「俺のモミジに手ぇ出すんじゃねえ!」


 覚悟した衝撃はやってこない。

 代わりに、求めていた声がした。


「ふう――」

「ここではカエデだ。ちょっと待ってろな」


 思わず名前を呼びそうになるモミジを、カエデは不敵な笑みで止める。

 彼の太刀は、振り下ろされた狼の大きな前足を側面から貫き、その動きを押し止めていた。


「テメェの相手はこの俺だ。間違えるなよ」


 低く怒気を帯びた声。

 真正面からその濃密な殺気を浴びせられたグナウは、本能的な恐怖に支配される。


「空眼流は獣だろうがキッチリ殺すぞ」


 カエデは一歩で懐に潜り込む。狼の前脚から引き抜いた刀を滑らかに動かし、首筋に添える。


「はぁっ!」


 深く食い込んだ刃が剛毛を断ち切り、喉笛を掻き切る。赤いエフェクトが吹き出し、狼のHPが大きく削れる。それでも致命には至らず、カエデもまた止まらない。

 狼が苦し紛れの反撃を繰り出した時には、すでに彼はそこにはいなかった。

 地面を蹴り、幹を蹴り、空中へ飛び出したカエデは、重力のまま落ちてグナウの背中に刀を突き刺す。背中から腹まで刃が貫通し、狼が絶叫する。

 刀はすぐに引き抜かれ、血しぶきが少年の白い頬を濡らす。


「テクニックを使うより、手前ェで斬った方が早い!」


 カエデは狼から飛び下り、着地と同時に転身。

 背後から迫る攻撃を華麗に交わし、振り向きざまに刀を突き出す。切っ先が老狼の片目を潰す。引き抜いた刀は前脚の腱を斬り、流れるように後ろ脚の大腿を貫く。

 全身に裂傷を受けたグナウの動きは鈍りに鈍り、もはやカエデに攻撃を向ける余裕すらなくなっていた。そんな獣とは対称的に、少年の攻撃は更に激しくなっていく。

 攻撃力が低いのならば、数で圧倒すれば良い。シンプルな理論を立てて、それを愚直に実行する。

 彼の剣技は冴え渡り、風のように狼の灰色の剛毛を散らしていく。


「ッ!」


 だが、カエデの刀が命を刈り取る寸前、狼が喉を絞る。大きく開かれた口から、森全体に響き渡る咆哮が放たれた。

 真正面に立っていたカエデは、強制的に動きを止める。


「クソ、特殊攻撃か――」


 それは、長い年月を生き抜いてきたグナウの切り札だった。狼の遠吠えを一点に集中させ、恐怖と衝撃で獲物の動きを封じる。『フィアーハウリング』と呼ばれるそれは、機械である調査開拓員にも有効だった。

 グナウは勝利を確信し、牙を剥く。今まで受けた傷をそっくりそのまま返そうと、襲い掛かる。


「私を忘れないでよねっ!」


 だが、狼の牙がカエデの首に届くよりも早く、上方からはっきりとした声が響く。直後、落ちてきた中華鍋が狼の頭頂を叩き、頭蓋を揺らす。

 カエデがグナウの注意を引きつけていた間に、フゥは木の高い所まで登り、そこから一気に飛び下りたのだ。

 脳天を揺らされたグナウは、平衡感覚を失い視界を明滅させる。


「助かった、フゥ」


 先に動き出したのは、カエデだった。

 彼は一歩踏み込み、太刀を振り上げる。その鋭利な刃を狼の喉元に深く切り込む。


「『追食み』!」


 今度こそ失敗しない。

 刃は傷を押し広げ、狼に致命的な傷を負わせる。赤黒いエフェクトが吹き出し、グナウのHPは猛烈な勢いで減少していく。

 老獣は最後の力を振り絞り、長い牙をカエデに向ける。しかし、その先端が届くことはなかった。


「――終わったか」


 大きな音を立てて落ち葉の上へ倒れる巨狼を見届けて、カエデは刀を鞘に納める。止まっていた呼吸を再開させると、どっと全身が重くなった。


「お、お兄ちゃん!」

「ごふっ!?」


 そこへ赤い弾丸が飛び込んでくる。

 目尻に涙を浮かべたモミジは、カエデの腰にしがみつき、彼の存在を確かめるように腕に力をこめた。


「大丈夫? 怪我はない?」

「大丈夫だよ。モミジこそ、平気だったか?」

「うん。ちょっと怖かったけどね」


 モミジは安心しきった顔で笑う。彼女の赤い髪を撫で、カエデも口元を緩めた。


「へへ、良いねぇ兄妹って」

「おっと、フゥもありがとう。良い不意打ちだったぞ」


 髪に枝葉を付けたフゥが二人の元へ歩み寄る。彼女はニヤニヤと笑みを浮かべ、カエデの脇腹を突いた。


「良いお兄ちゃんだね、カエデ君。すっごいかっこ良かったよ」

「ぐ、あんまりからかわないでくれよ」


 カエデは頬を赤らめ、そっぽを向く。そんな様子もまた、フゥに弄られる。


「ふふふ。私の自慢のお兄ちゃんですよ」


 モミジもフゥの言葉に乗り、カエデの腕に抱きつく。フゥはヒュウヒュウと囃し立て、カエデは何か言いたげでしかし何も言えない複雑な顔をしていた。


「ともあれ、あれだけ攻撃してたらかなり〈剣術〉スキルも上がったでしょ。レアエネミーも無事に倒せたし、がっぽり儲かっちゃったね」


 落ち着きを取り戻したところで、フゥは“古牙のグナウ”の解体に取りかかる。ネームドエネミーのドロップアイテムはどれも高く売れるため、これを持って帰るだけでも前回の狩りよりも更に多い稼ぎが期待できた。


「スキルレベルは上がったが、もう少し上げておきたい。レベル20になるまでは続けて良いか?」

「もちろん。重量的にも余裕はあるからね」

「私も、いつでもアンプルは投げられますよ」


 狩りの初めから一波乱あったが、無事にそれは乗り越えられた。結果だけを見れば、誰かが死に戻ることもなく、アンプルをいくつか消費しただけだ。

 カエデの提案に反対する者はおらず、彼らはもうしばらく森に籠もることにした。


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Tips

◇『追食み』

 〈剣術〉スキルレベル20のテクニック。傷口に刃を突き立て、更に大きく傷を広げる。

 “裂傷”状態の対象に追加ダメージ。更に、傷口を抉ることで確定でクリティカルダメージを与える。

 付けた印に刃を立てる。肉を抉り、傷を広げる。鳥が果実を突くように。


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