第688話「いざ森の中へ」

 広大な草原の真ん中で、和装の少年が棒立ちになっている。彼は周囲を見渡し、近くの草むらにいるコックビークを見定める。


「『威圧』――はああっ!」


 少年は声を張り上げ、存在を示す。

 敵意を感じ取ったコックビークは食事を中断し、赤い鶏冠を立てて少年を睨む。太い脚で地面を蹴り、跳躍すると鋭い鉤爪で彼に襲い掛かった。


「ぐわー」


 やる気の無い声をあげ、少年はコックビークの攻撃を受ける。避ける気のない様子で、彼のLPは三ミリほど削れる。


「任せて下さい、お兄ちゃん! 『投擲』!」


 そこへ、すかさず少し離れた木の陰に隠れていたモミジが飛び出してくる。彼女は腰のアンプルホルダーから細長い薬瓶を1本取り出し、傷付いたカエデへと投げつける。

 緩い弧を描いてアンプルが飛び、カエデの背中に当たって砕けた。

 薬液が彼の体に染みこみ、LPが回復する。


「お見事! かなり投げるのも上手くなってきたね」


 それを見ていたフゥがパチパチと手を叩く。

 無事にカエデの傷を癒やすことができたモミジは、嬉しそうにぴょんと飛び跳ねた。


「流石にこれだけ投げれば〈投擲〉スキルも上がってきたな」


 コックビークを一太刀で切り伏せながら、カエデが身も蓋もないことを言う。それを聞いたモミジは頬を膨らせ、フゥも呆れた顔で肩を竦めた。


「もっとこう、褒めてあげてもいいのに」

「ぐ。まあ、うん、良いピッチングだったぞ」

「わーい!」


 二人の視線に耐えかね、カエデはモミジの頭を撫でる。それだけでモミジは機嫌を良くして、またピョンと跳ねた。


(なんか、精神が外見に引っ張られてないか?)


 フィールドに出て数時間、モミジの投擲技術はメキメキと上達していた。しかし、それと同じくらい彼女の様子が外見相応のものになってきたことに、カエデは気がついた。

 普段は妻として母として、非の打ち所のない立派な彼女だが、何か我慢していたことでもあったのだろうか。もしくは、カエデが知らないだけで、彼女はもともと茶目っ気のある性格だったのかもしれない。

 もっと別の理由を考えるのならば、彼女は仮想現実の環境に慣れていないまま、いきなり体格差のある姿になったため、より強く影響がでてしまったのかもしれなかった。


「これだけ投げられるようになったら、もう次のフィールドに行ってもいいんじゃないですか?」


 眉間に皺を寄せるカエデを覗き込み、モミジが言う。彼女はアンプル投げの感覚を掴んできた頃から、早く〈猛獣の森〉へ移動して本格的な狩りに入ろうと呼びかけていた。しかし、カエデがなかなかそれに頷かなかったのだ。


「しかし、モミジはまだ装備も整ってないじゃないか」

「そのために後衛なんでしょ。機術師なんかだと攻略組でも〈武装〉スキルゼロとか珍しくないらしいよ」


 渋るカエデに対し、フゥはモミジの側に立つ。

 そもそも、昨日の時点で出費が嵩み、更に今日は突然モミジが参加したことにより、パーティの資金はかなり心許ないのだ。理想を言えば、すぐにでも本格的な狩りを始めてビットを稼ぎたかった。

 この後にはカエデのためにもう一本“青鞘の太刀”を買い、二本の太刀を強化するための資金も必要なのだ。


「お兄ちゃん、私は大丈夫だから。それに、二人が守ってくれるんでしょう?」

「それはそうだが……。はあ、分かった。じゃあ森に行くか」


 二人から強く言われ、カエデも陥落する。

 喜ぶ少女たちに肩を竦め、彼は〈猛獣の森〉へと足を向けた。


「〈調剤〉スキルも上げないといけないから、薬草があったら集めないといけないのよね」

「草があったら鑑定して、採取。最初は面倒だけど、そのうち慣れると思うよ」


 森までの道中、モミジは時折立ち止まって足下に生えている草を鎌で刈り取る。

 アンプルの効果量はスキルがなくとも一定量あるが、〈調剤〉スキルによって増加するため、彼女はそれも鍛えるつもりだった。しかし、〈調剤〉スキルは生産系に分類されるため、レベルを上げるには薬剤を作る必要がある。その素材をわざわざ買う余裕はないので、こうして〈採取〉スキルと〈鑑定〉スキルを鍛えつつ集めているのだ。

 フゥも〈料理〉スキルを上げているため、僅かだが〈採取〉スキルは持っている。彼女に教えられながら、モミジは少しずつ薬の元となる薬草類を集めていた。


「原生生物の肝なんかも〈調剤〉スキルで使うんだよね。今度から売らずに取っておこうか」

「ありがとうございます」

「モミジちゃんの〈調剤〉スキルは私たちの回復力に直結するからね。協力は惜しまないよ」


 フゥは突然カエデが連れてきたモミジに対して、嫌な顔をするどころか率先して話しかけている。そんな彼女に、モミジもすっかり気を許していた。

 あちらの方が本当の姉妹のようだ、とカエデは後方から見守りつつ思った。


「お兄ちゃん、そろそろ森に入りますよ。わくわくしますね」

「うん? おお、そうだな。気をつけろよ」

「分かってますよ」


 カエデがぼんやりとしつつ歩いていると、いつの間にか草原の西端、〈猛獣の森〉の入り口に辿り着く。

 この先は第二域、今までとは違い視界も悪く、生息する原生生物も格が一つ上になる。

 カエデとフゥはモミジを守るように立ち、昨日よりも更に気を張って歩く。二人の物々しい様子を見て、モミジもきゅっと口元を結んで、いつでもアンプルを投げられるようホルダーに手を伸ばした。


「昼間の森は、フォレストウルフが一匹で歩いているのがほとんどだ。所々に空き地があるから、モミジはそこでフゥと待っててくれ。俺が狼を釣ってくる」

「分かったわ。怪我したらすぐに言ってね」

「ああ。その時は頼んだよ」


 木々の間を歩きつつ、カエデは森での戦闘について説明する。

 全体の流れとしては、昨日とそう変わらない。カエデが空き地まで誘導してきた狼を、フゥと二人で叩くだけだ。

 しかし、ヒーラーとしてモミジが加わったぶん、二人の緊張も少し軽減される。


「まあモミジちゃんは安心して見てて。私の“黒鉄鋼製45式打衝中華鍋”が唸るよ!」


 張り切って袖を捲るのは、新調したばかりの中華鍋を持ったフゥである。彼女も新武器の性能を確かめたくて、ずっとうずうずしていたのだ。

 そんな話をしているうちに、三人は森の中に点在する空き地の一つへとやってきた。


「じゃあ行ってくる。フゥは焚き火を頼む」

「分かったよ。気をつけてねー」


 早速カエデが一人で森の中へ進み、残されたフゥは焚き火をおこす。その様子をモミジは興味深そうに見ていた。


「その焚き火は何のために?」

「原生生物を寄せ付けないようにね。カエデ君が連れてくる前に、私たちが他の狼に襲われちゃ大変でしょ」

「なるほど。勉強になります」


 すぐに火がおこり、煙が立ち上る。

 昼とは言え、鬱蒼と木々の枝葉が伸びる森の中は薄暗い。知らず知らず、胸の内に不安を募らせていたモミジは、揺れる炎を見て少し心を落ち着けた。


「ふふふ。モミジちゃんは安心してて良いよ。カエデ君、とっても強いんだから」

「それは知ってますよ。ずっと側で見てきましたから」


 モミジの言葉には実感が籠もっている。彼女はたしかに、彼のことを十年以上側で見続けてきたのだ。

 即座に言い切る彼女を見て、フゥは一瞬虚を突かれたような顔になる。そしてすぐに笑い、頷いた。


「それもそうだよね。失敬失敬。じゃあ、のんびりお兄さんを待とうか」


 モミジを側にあった倒木に座らせ、フゥは中華鍋を構えて周囲を見渡す。いつもなら、そろそろカエデが戻ってくるころだ。


『フゥ! 聞こえるか!』

「うわっ!? か、カエデ君!?」


 その時、突然フゥの耳元でカエデの声がする。切迫したそれは、パーティの回線を通じたTELだった。

 フゥが慌ててモミジの方を見ると、彼女にも声は届いているようだった。


「どうしたの、何か問題が?」

『問題といえば、問題だ。レアエネミーが引っかかった』

「レアエネミー!?」


 カエデの口から告げられた言葉に、フゥは目を見開く。モミジはよく分かっていないようだったが、二人の様子から尋常ではないことを察している。


『“古牙のグナウ”だ。モミジを守りながら戦うのは厳しいかもしれない』


 それは〈猛獣の森〉でごく稀に出現する、大型で老齢のフォレストウルフだ。特別に名前を持っていることからも分かるとおり、その強さは一線を画する。異常に発達した牙を持ち、常に獲物を探して昼間も凶暴な個体だ。


『仕切り直した方が良い。フゥはモミジを連れて――』


 森の中を走りながら、カエデがフゥに指示を出す。

 しかし彼の言葉は唐突に遮られた。


「私なら大丈夫です!」

『モミジ!?』


 声の主は、他ならぬモミジだった。

 彼女は立ち上がり、小さな片手剣を抱えている。


「よく分かりませんが、レアエネミーというのは強いぶんお金になるのでしょう? それなら、私に構わず狩ってください」

『待て、それじゃあ死ぬぞ!?』

「ゲームですから、大丈夫です。あまり私を侮らないで」


 取り乱すカエデに、モミジは毅然とした口調で応える。その姿を見て、フゥが口を開く。


「やってみようよ。大丈夫、三人が揃えばきっと勝てる」

『くっ……! 分かった、死んでも文句言うなよ』

「もちろんです。私が死んでも二人は死なせません!」


 モミジが強く断言する。

 それを聞いて、カエデも決心が付いたようだった。

 少しして、フゥとモミジは何かが近づいてくる気配を感じる。それは木々を揺らし、こちらへ猛然と向かってくる。


「来ます……!」


 モミジがアンプルを握る。

 その時、森の中から黒髪の少年が飛び出してきた。


「フゥ!」

「任せて!」


 カエデが叫び、フゥが中華鍋を構える。

 彼女の正面に現れたのは、通常の何倍も大きな体躯のフォレストウルフだ。長い牙が口からはみ出し、涎が絶えず流れている。

 “古牙のグナウ”は咆哮を上げ、獲物が三つに増えたことへの歓喜に震える。


「うぉおおおおおっ! 『熱鍋叩き』ッ!」


 その油断しきった鼻先目掛けて、赤熱した鉄製の鍋底が叩き付けられる。

 ギャン、と犬のような悲鳴を上げ、巨狼がもんどり打つ。だが、それだけで終わるはずもない。

 カエデが剣を抜き、フゥが鍋を構える。背後ではモミジがアンプルをいつでも投げられるように備えている。

 三人が油断なく向ける視線の先で、巨狼はゆっくりと体を起こした。


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Tips

◇『熱鍋叩き』

 〈杖術〉スキルレベル20、〈料理〉スキルレベル10のテクニック。熱した鉄鍋を振り、対象に叩き付ける。戦闘調理術。

 対象に攻撃がヒットした場合、“火傷”の状態異常を確率で付与する。

 熱した鍋で肉を焼く。最も基本的な調理法は、食材が生きていても効果的。


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