第17章【まわりの人びと】
第677話「道場の一幕」
年季の入った畳張りの道場に、黒髪を流した少女がひとり。周囲を取り囲むのは巌のように屈強な男たちだ。全員が道着と袴を身に纏い、なかには木刀や木短刀を携えている者もいる。そんな中で少女は、一切の武器を持たず静かに佇んでいた。
「――でやああああっ!」
一人の男が奇声を発して少女に襲い掛かる。熊のように大きな手が、少女の華奢な肩に触れる。その瞬間――。
「ぐわーーーっ!?」
大男の体が風に煽られた羽のように浮き上がる。理解できずただ驚き、じたばたと空中で足を動かす男は、そのまま呆気なく畳へ打ち付けられた。
年季の入った畳である。日々の鍛錬の中で踏まれ叩かれ、もはや鉄のような硬さと冷たさだ。そんな場所へ強かに打ち付けられたのだから、いかに屈強な男といえどくぐもった声で悶絶してしまう。
「う、うおおおおっ!」
倒れた仲間の遺志を受け継いだか、他の男たちが雄叫びを上げる。道場の屋根がビリビリと震え、ただの少女であれば恐怖に泣き叫んで蹲ってしまいそうなほどの気迫だ。しかし――。
「ぐわーーーっ!?」
「うぐわーー!」
「ほぎゅるわっ!?」
「どんぺっ!?」
一人の線の細い少女へと殺到する猛獣のような男たち。彼らは果敢に挑み続けるが、まるで風に吹かれたタンポポの綿毛のように次々散っていく。
体重百キロはあるような、鍛え上げられた鋼の肉体を持つ男が投げ飛ばされるのだ。それでも起き上がり、不屈の精神で少女に挑む。そしてまた気付いた時には宙を飛んでいる。
「おいおいおい、死ぬわあいつら」
「なんか今日のお嬢、妙に気合い入ってるな」
どったんばったんと大騒ぎする道場に、騒音を聞きつけた他の門下生たちもやってくる。彼らは面白いように吹き飛んでは壁や天井に突き刺さっていく仲間を見て、恐れおののく。
何よりも恐ろしいのは、そんな嵐のような惨状の中心にいるのが、一見すると清純そうな、手弱女という言葉が似合いそうな色白の少女だということだ。
「うおおおっ!? な、なんだこの状況は!」
「あ、師範」
「なんか大変なことになってますよ」
「それは分かるわ!」
そこへ慌ただしくやってきたのは、道場の主である壮年の男性だ。老木のような体つきだが、薄皮の下には鍛え上げられた筋肉が透けている。この場にいる誰よりも強い人物だ。
「なんということを……。また道場を修理せにゃならんじゃないか」
「あ、そっちっすか」
「掛かり稽古の度に壁に穴開けられちゃ敵わん。とりあえず、誰か、あの子を止めてこい」
「無茶言わないで下さいよ……」
「暴走機関車に生身で挑めるわけないじゃないですか」
師範が野次馬に来た門下生たちをぐるりと見渡すが、大の大人たちがふっと目をそらす。目の前で繰り広げられている地獄に自ら飛び込もうという者はいなかった。
「ええい、それでもお前ら空眼流の使い手か!」
「そういうなら師範が行って下さいよ。娘でしょ」
「稽古中はそういう身内とか関係ないから」
「あっ逃げたぞこの親父!」
思わぬ反撃に、師範はすんと表情を落ち着かせる。急変する態度を見て門下生たちが拳を上げた。
「――次」
突如、道場に響く澄んだ声。それを聞いた師範も門下生たちも、一斉に押し黙る。
いつの間にか騒音が止んでいた。恐る恐る見渡してみれば、ヒグマのような男たちが皆、無残な姿で倒れていた。
惨状の中心に立っているのは、一人の少女。一筋の汗すらかかず、肩を僅かにでも揺らすことなく、静かに立っている。
「次、誰かいないの?」
再びの声。まるで鈴の音のような涼やかで可愛らしい声だ。しかし、その場にいる男たちの耳には、血と悲鳴に餓えた飽くなき闘争心を燃やす猛獣の唸り声にしか聞こえない。
「あ、あの、お嬢」
全員がブルブルと震えながら床を見つめるなか、勇気ある門下生がひとり手を上げる。
「今日は随分ハードな稽古してますが、何かあったんすか?」
「そうだそうだ。いつもは剣ばっか振ってるのに」
「もしかして男に振られごぶっ!?」
勇者に続き、他の門下生たちもやにわに口を開く。下手な冗談を言った愚者は飛んできた木刀で額を打たれ、ふらふらと倒れた。
「何を馬鹿なことを……。ちょっと受身の練習がしたかっただけよ」
「受身……?」
「受身って、お嬢いっさい攻撃受けてないじゃん」
「一切その場から動いてないのに、受身とは」
「うるさいわねぇ。そう思うなら誰か私を押し倒しなさいよ」
ざわつく男たちを睥睨し、少女が命令する。たったその一言だけで、まるで通夜のような静寂が広がった。
「お嬢、人間にゃできることとできないことってのがあるんですよ」
「生身で象に勝てるわけないじゃないっすか」
「でもほら、師範なら。師範ならやってくれるのでは?」
「なるほど、師範なら師範代より強いもんな」
師範、師範、とコールが上がり始める。皆、生き残ることに必死だった。
周囲から視線を向けられた師範は、小さく唸りながら少女の元へと歩き出す。
「ひゅー! 師範かっこいい!」
「やっぱ師範しか勝たん!」
他ならぬ師範であれば、少女の皮を被った鬼のような少女も打ち倒してくれるであろう。そんな確信を持って門下生たちが歓喜する。自分たちは生き延びたのだ。
壮年の男性と年若い少女が畳の上で対峙する。互いに刃のような鋭い気迫を纏い、静かに視線を交差させている。
「親子対決か。どっちが勝つかな?」
「やっぱ師範でしょ」
「でも、今日のお嬢は気合い入ってるぜ?」
自分の安全を確保した門下生たちは、早速勝敗の予想を始める。そんな彼らを見て、一人矢面に立たされた師範は鍛錬をきつくすることを心に決めていた。
「――何かあったのか」
「……」
緊迫する空気を破り、師範は少女に話しかける。
戦いではなく対話によって決着を付けようという、強い意志を感じさせた。爆速で脈拍する心臓をおくびにも出さず、男は泰然と構えている。
「私に匹敵するくらい、受身の上手い人がいたの」
「ほう」
娘の言葉に、男は僅かに眉を上げる。
身内ではあるが、それを抜きにしても少女は強い。父親である以前に、師範としてそれを認めていた。
幼少期から鍛錬を重ねてきた彼女は、他の門下生たちよりも遙かに高い実力を持っている。それは受身に関しても変わらない。
「仮想現実の中だけどね。それでも、私が少し教えたら、全部吸収されちゃった」
「それは興味深いな。仮想現実といえど、父さんの頃とはかなり違うんだろう?」
「結構リアルだよ。だから、私も現実と同じくらい動けるし」
少女は最近、VRゲームをしている。始めた動機は“仮想現実なら思う存分刀を振れるから”という血生臭いものだったが、それなりに楽しく遊んでいるようだ。
そのことに父親として少しの安心感を覚えていたのだが、なかなか。男は思わず口元が緩むのを自覚した。
「ぜひ、父さんも手合わせ願いたいもんだ」
「あはは。それは難しいかもねぇ」
男の武道家としての本能が囁いていた。彼女の言っていることは本当だ。仮想現実内とはいえ、彼女が認めるほどの技量を持つ者がいる。
ならば、武の道を歩む者としてはぜひ会いたい。
「ちなみに男か?」
「そ、それはそうだけど。……いや、別にレッジさんに何か気があるとかそういうわけじゃなくて。ただ色々教えてあげなきゃだからさ」
「ほうほう」
問うてもいないことを口早に答える娘に、今度は父としての感情が出てきた。娘を誑かす不埒な輩は、一度締めておきたい。
「ひゅう! お嬢にもついに春が!」
「今まで血と鉄錆の匂いしかしてなかったお嬢にも、ついに貰い手がなぁ」
「くぅ。感慨深いぜ」
「しかし花嫁修業はてんでダメだぜ? お嬢の料理に耐えられるのか?」
「それくらい耐えられないようじゃ、俺たちのお嬢は渡せねぇってもんだ」
「そうだそうだ!」
話を聞いていた門下生たちもにわかに沸き立つ。
「べっ! 別にそういうんじゃないから! 全然違うからね! ていうか元気なら稽古に参加しなさいよ!」
顔を真っ赤にさせて拳を振り上げる少女に、門下生たちが悲鳴とも歓声ともつかない声を上げる。ノリが良く陽気で仲が良いのは結構だが、一度締めねばならぬと少女は決意した。
「父さんからも言ってやってよ!」
少女はふくれ面で父親に訴える。
しかし、戻した視線の先に立っていた師範は、怪しい顔つきで薄く笑っていた。
「ようやく我が空眼流にも跡継ぎが……」
「馬鹿なこと言わないでよ!」
「がふっ!?」
赤面した少女の鋭い突きが、男性の鋼のような腹部にめり込む。ドスンと鈍い音がして、男は反対側の壁まで吹き飛んだ。
「ひえっ」
「なんで拳で成人男性を吹き飛ばせるんだよ……」
「ここ仮想現実じゃないよな?」
ガラガラと崩れる壁と舞い上がる粉塵を見て、門下生たちは恐れ戦く。
「はっはっは! なかなか良い突きだったな」
緊張が走る中、瓦礫が下から押し退けられる。現れたのは、無傷で笑う男だった。
「師範も師範で人間じゃねぇ」
「なんでかすり傷ひとつないんだよ」
「あれが受身だよ」
「受身ってなんだ……」
再びざわつく門下生たちの目の前で、少女と師範は本格的に構えを取る。今度こそ勝負が始まることを予感して、門下生たちも集中する。
この道場で最も強い二人の勝負は、そうそう見られるものではない。まわりの壁や天井に突き刺さっている仲間たちには悪いが、ここは見学に徹するほか無い。
「その男が強いのではなく、そちらが鈍っている。ということもある」
「――その身を以て確かめたら?」
二人から尋常ではない殺気が吹き出す。
耐性のない一般人であれば、それだけで泡を吹いて腰を抜かしてしまうだろう。現に若い門下生などは立つことができないでいる。
空眼流は殺しの流派だ。あらゆる武術、あらゆる運動を飽きることなく吸収し、取り入れる。そうしてただ実直に、殺すことだけを数百年も探求し続けている、血にまみれた流派だ。
門下生も警察、軍属、私設傭兵など、そういった界隈の者がほとんどであることも、空眼流がどこまでも実践的な流派であることに起因する。
そんな流派の、現代に於ける二人の使い手。目の前で繰り広げられるのは、まさに歴史的な戦いだ。
「――二人とも、何してるの?」
「っ!」
その時、新たな殺気が加わった。
予期せぬ、門下生たちの背後からの重い気迫。本能的に左右へ飛び退いた男たちの後ろから現れたのは、和装の女性だった。
「お、お母さん!」
「あいや、これは……その……」
その姿を認めた瞬間、二人も殺気を消して狼狽える。
突然道場へ入ってきた女性は、師範の妻、そして少女の母親だった。
彼女はぐるりと道場内を睥睨し、そこかしこに倒れる門下生たちを見る。
「あなたたち……。こんなことをしていいと思ってるの?」
「ひっ」
少女は、母親の額に角を幻視した。
空眼流においては、父親が最も強く、ついで自分であるという自負がある。しかし、家庭内の力関係はまた別だ。
「こんなに道場壊して! 壁にも天井にも穴開けて! 修理代いくらすると思ってるの!」
「あ、そっちなんすか」
烈火の如く怒り出す女性に、門下生の一人が思わず呟く。死屍累々の様子にはあまり関心が無いようだ。
「いや、それをやったのはこの子で、俺は――」
「言い訳しない! 道場の管理者は貴方でしょ!」
「はい……」
鬼のような気迫に押され、少女と師範は正座する。
終わりの見えない説教が始まり、門下生たちは顔を見合わせる。そうして、ひとまず壁や天井に突き刺さった仲間たちを救護室へと運ぼうと動き出した。
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「ほほう。ここがいわゆる始まりの町。……最近のVRはリアルだな」
惑星イザナミの静止軌道上に停泊している開拓司令船アマテラスから、一つのポッドが投下された。それは滞りなく、地上前衛拠点シード01-スサノオ中央制御区域内にある終着点へとやってきた。
丸みのある白い金属体の中から現れたのは、タイプ-ヒューマノイドの調査開拓員だ。彼は興味深げに周囲を見渡して、感嘆の声を漏らす。
『ようこそ、惑星イザナミへ。ここは地上前衛拠点シード01-スサノオ、中央制御区域、ポッド着地点です。順路を進み、まずは基礎訓練プログラムを行って下さい。ようこそ、惑星イザナミへ。ここは――』
次々と同じ形のポッドがやってくる広場には、調査開拓員と同じく機体が剥き出しのロボットが立っている。彼らは同じ言葉を繰り返しながら、やってきた調査開拓員を誘導していた。
ポッドを降りた彼は、他の調査開拓員たちの列に加わり、流れに乗って歩き出す。
『こちらは〈剣術〉スキル基礎訓練プログラムです。〈剣術〉スキルは斬撃属性を主体とする物理攻撃スキルであり――』
『こちらは〈杖術〉スキル基礎訓練プログラムです』
『こちらは〈槍術〉スキル基礎訓練プログラムです』
ポッド着地点の外には銀色の武器を持ったNPCたちがずらりと並び、やってきた新人調査開拓員を熱心に勧誘していた。
「ふぅむ。一通りの武器は使えるが……」
ずらりと並ぶ多種多様な武器を見渡し、彼は思案する。視界に入った武器はどれも人並み以上に使える。仮想現実内でどのような感覚かは分からないが、恐らく大丈夫だろう。
ここまで少し歩いただけで分かる。この世界はリアルだ。
「とりあえず、剣にするか」
槍や弓の方が主力ではあるが、刀はやはり花形だ。ゲームの中でくらい現実を忘れてもいいだろう。
そんな考えで彼は〈剣術〉スキルの基礎訓練プログラムを案内しているNPCの元へと向かった。
「剣が使いたい」
『こちらは〈剣術〉スキル基礎訓練プログラムです。プログラムを行う場合は同意のボタンを、行わない場合は拒否のボタンをタップしてください』
「うおっ。すごいな。ハイテクだ」
男は突然現れた、空中に浮遊する半透明の板に驚く。
そこには基礎訓練プログラムに関する簡単な説明が記され、下部に同意と拒否の二つのボタンがあった。
彼は考えることなく同意を選択する。
『それでは〈剣術〉スキル基礎訓練プログラムを開始します。――調査開拓員カエデを訓練施設へと案内します』
剣を携えたNPCが、男の名を呼ぶ。
彼はくるりと身を翻すと、近くにあった金属造の建物へと向かう。男もそのあとを追いかけて歩き出す。
「さてさて、どんなもんかね」
男は表情のない顔で笑みを浮かべ、期待に胸を踊らせる。
すでにこの世界が現実と見紛うほどであることは実感した。次は、剣を持ってもそうであるか、という点が気になる。そして、そのあとは――。
「たしか、レッジとか言ったな。誰かに聞けば分かるかね」
その男に会うため、遙々ここまでやって来たのだ。
どんな人物か確かめねばならない。そんな決意を胸に秘め、新たな調査開拓員が一人活動を開始した。
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Tips
◇基礎訓練プログラム
地上前衛拠点シード01-スサノオ、中央制御区域ポッド着地点付近に立つガイドNPCに話しかけることで、様々なスキルの基本的な内容を学ぶことができます。興味のあるスキルがあれば、ぜひ受講してみましょう。
なお、基礎訓練プログラムを行うかどうかは調査開拓員各位の自由であり、またいつでも行うことができます。参加資格はありませんので、別のスキルを鍛えたい場合に受講するのも良いでしょう。
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