第675話「空眼流格闘剣術」

 トーカに向かって手を伸ばす。それはひらりと躱され、すれ違いざまに軽く押さえつけられる。たったそれだけだというのに、俺の体は呆気なく浮き上がり飛ばされた。


「ぐわー!」

「ふふふ。レッジさんの動きは素直で分かりやすいですね」


 空中で体勢を整え、木の幹を蹴って反転する。

 先にアストラから動き方を習っておいて良かった。そうでなければ、何もできず完敗していたところだ。

 見たところ、トーカの動きはあくまで現実に即した物。人間がそれほど機動性は高くなく、重いことを想定した物であるはずだ。ならば――。


「これなら!」


 物理干渉の反発を利用したハイパージャンプで一気に距離を積める。空中からの高速攻撃だ。これなら指先くらいは触れるはず。


「本当に素直ですね」

「おうぇあっ!?」


 唐突に天地が逆転し、したたかに背中を地面に打ち付ける。

 完全に獲ったと思ったのに、トーカはそれを軽く払いのけた。その動きは最小限で、俺は気付くことすらできなかった。


「受身ができてませんね。攻撃ではなく受身の練習ですよ」

「……そうだったな」


 少しムキになっていたようだ。呼吸を整え、冷静を取り戻す。


「しかし、本当に強いな」

「ありがとうございます。これでも、物心ついた時から修練を重ねてますからね」


 トーカの強さははっきり言って異常だ。

 これほどの身のこなしができるのであれば、普段の活躍も納得できる。しかし、まさかここまで強いとは思わなかった。


「〈格闘〉スキルを取ったら、もっと強くなれるんじゃないのか?」


 彼女の動きは現実で修練を重ねた物だ。だから仮想現実内でもこうして動くことができる。しかし、スキルによるものではないため、攻撃力などには寄与しない。

 仮に彼女が〈格闘〉スキルや他の戦闘系スキルを伸ばしたら、その分だけさらに強くなれるはずだ。

 しかし、トーカは首を横に振る。


「別に強くなりたいわけじゃないですからね」

「そうなのか?」


 普段から強者を求めている彼女のことだから、武道を極めたいのでは、と思っていた。


「私は、あくまで剣を振りたいんですよ」

「剣を……」

「現実でも、門下生を相手に組み手をすれば体術はいくらでもできます。でも、剣術はやはり難しくて」


 トーカは心の底から残念そうな声で言う。唇を尖らせる顔は年相応の少女に見えて可愛らしいが、言っていることが不穏だ。


「斬れる物は巻き藁か、良くて人形です。そんなものを相手にしても楽しくないです。やっぱり、動く相手と鎬を削りたいです」

「あっはい」

「文字通りの真剣勝負。喰うか喰われるか。弱肉強食! 研ぎ澄まされた刃には真の己が映るんですよ。なのに今の時代は平和すぎるんです。それが残念で残念で!」

「……」


 ぎゅっと拳を握りしめて力説されるが、いまいち胸に響かない。俺だけだろうかとレティたちの方へ視線を向けると、二人も曖昧な表情で首を傾げていた。


「直接拳で殴り合うのは野蛮です。弓や銃は緊張感がありません。刀を使い、敵を切る。これこそが古来より日本で連綿と伝えられてきた由緒正しい戦い方なのです。FPOの物理演算は素晴らしいですよ。毛を切り、皮を断ち、肉を裂く感覚がとてもいい。ただの原生生物もリアルに戦ってくれます。神経がひりつくような感覚は、現実ではなかなか味わえませんよ」

「そっかー」


 熱い吐息で力説するトーカ。

 彼女が生まれた時代に仮想現実技術が発達していて、本当によかったと思う。世が世なら国を獲っていたかもしれない。もしくは若くして法の檻に放り込まれていたかも。


「まあ、そんなわけで私は剣しか使いません。リアルでも剣術が一番得意ですからね。まあ、受身とか歩き方とかの基礎的な技術は遠慮無く使いますが」


 そう言って、トーカはおもむろに背負っていた大太刀を持つ。長い刀身は鞘に収まっているが、それに収まりきれない気迫が滲み出している。


「片手だけじゃなかったのかよ」

「レッジさんも動きになれてきたでしょう。レベルアップです」


 まだ全然動きになれていないし、レベルの上昇幅がでかすぎる。どう考えても、トーカの方が話しているうちに剣を振りたくなった奴だろ。

 そんなことを言うよりも早く、トーカが動く。


「はっ!?」

「油断してると、首を刎ねますよ」


 動かないって言ったじゃないか。

 そんな俺の抗議は、悲鳴となって吐き出された。


「ぐえっ」


 剣の柄が鳩尾に沈み込む。衝撃は一点突破、俺の体を貫く。

 後方へと吹き飛ぶ直前、せめてもの抵抗で自ら後ろに跳ぶ。それだけで少しは衝撃が緩衝できているはずだ。

 あとは受身を――。


「せいっ!」

「ごべっ!?」


 横腹を殴る別方向の衝撃。

 見ればトーカがギラついた目でこちらを見ていた。彼女の刀、妖冥華は身長を超える大太刀だ。伸ばせば余裕で間合いも詰められる。


「卑怯では――」

「レッジさん、多分揉まれるほど強くなるタイプだと思うので。容赦なくいきますよ」


 再び妖冥華の鞘がぶれる。

 俺は色々と考えることをやめ、直感に身を任せる。


「ここだ!」

「いいですね! ですが、人は成功した時にもっとも油断するんですよ」

「なっ!?」


 横薙ぎの鞘を受け止める。その瞬間、トーカが剣から手を離し、呆気なく俺の体勢は崩れる。大きな隙を逃すはずもなく、彼女は一瞬で懐に潜り込んできた。


「せいっ!」

「とわっ!」


 突き出された掌底。受け止める直前に嫌な予感がして、直上に跳び上がる。


「空中は最も動きにくい場所ですよ」

「分かってるよ!」


 トーカは妖冥華が地に落ちる前に掴みなおし、上に振る。それを足先で弾き、近くにあった枝に手を掛ける。

 今なら彼女が〈アマツマラ地下闘技場〉で名を馳せている理由がよく分かる。


「人間と戦う時の方が、断然強い!」

「当然じゃないですか。武術は対人が前提です」


 彼女の薄桃色の袖が揺れる。袴を広げ、深く膝を曲げたかと思うと、一瞬で俺のいる高度まで跳び上がった。


「今のハイパージャンプじゃないな?」

「純粋な直上跳躍です。流石に現実じゃここまでできませんけど」


 太い鞘が上から殴りつける。俺は真っ逆さまに地面へ落ちていく。


「受身、受身――。考えるな!」


 本能的に身を丸め、硬くしていた。これでは衝撃は受け流せない。柔らかく、体を流す。


「いいですね!」


 トーカが喜びの声を上げる。

 どうやら、少しコツを掴めたようだ。


「それでは、ギアを上げていきますよ!」

「まだ小手調べだったのか……」


 トーカがこちらへ迫る。

 しかし、先ほどまでの焦燥や緊張はなかった。一度、少しだけだが受身の感覚を掴んだことで、自信が出てきた。考え方や体の動かし方が分かった気がする。


「しゃっ!」

「っと」

「はああっ!」

「右、左、足下」


 鋭く突き出され、薙ぎ払われる鞘付きの剣。落ち着いてみれば、大きい分だけ動きも分かりやすい。一気に避けられるようになった。


「レッジさん、今まで手加減してました?」

「まさか」


 トーカが熾烈な攻撃の最中に怪訝な顔をする。俺が大きく首を振って否定すると、彼女は眉間に皺を寄せた。


「動きが急によくなりすぎですよ」

「トーカの教え方が上手いんだ」


 なるほど、今なら彼女が言っていたことが分かる。

 剣を見ていると追いつかなくても、トーカの目を見れば動きが予測できる。そもそも、避ける必要もないのだ。

 攻撃に合わせ、体を動かす。こちらとあちらの境界を無くし、それぞれを馴染ませる。一体化するように動くことで、触れても衝撃が伝わらない。


「特殊部隊所属の人でも、ここまですぐには上達しませんよ」

「現実と仮想現実は違うだろ」

「スキルもシステムも使ってないので、ほとんど同じ条件なんですが……」


 不可解な表情で首を傾げるトーカだが、攻撃の手は一切緩んでいない。

 俺は体を動かすことに集中していた思考を、少しずつ剥がしていくことにした。


「ッ! まさか、もうそんな段階に……!?」


 トーカが眉を動かす。

 迫り来るものを直感的に受け止め、思考を挟まずに受け止める。体の動かし方は体が一番よく知っている。脊髄反射の域に到達すれば、俺自身は別のことを考えることができる。

 剣を避け、踏み込む。トーカの整った顔が間近に迫る。彼女の黒い瞳が丸く開かれるのを見ながら、胸元に拳を叩き込む。


「くっ!」

「流石に効かないか」


 トーカは後方に吹き飛ぶが、当たった感触はない。彼女がこの程度でやられるはずもないか。

 しかし、油断なく剣を構えた姿はどう見ても臨戦体勢だ。


「レッジさん、本当に何者ですか」

「どこにでもいる、ただのおっさんだよ」


 硬い声が問うてくる。しかし、俺が答えられるのは、これだけだ。


_/_/_/_/_/


◇ななしの調査隊員

ハイパージャンプのやり方全然分からん。

靴底を床にめり込ませるってどういうことだよ


◇ななしの調査隊員

あたり判定を重ねる感じ。俺できないけど。


◇ななしの調査隊員

できないのに言うなよ!


◇ななしの調査隊員

なんか闘技場賑わってると思ったら、おっさんとだんちょがなんかやってたのか


◇ななしの調査隊員

おっさんスレ見てきたら大体分かるよ。映像もあるし。あれのおかげで対人勢が燃えてるみたい。


◇ななしの調査隊員

おっさん今なにやってんの?


◇ななしの調査隊員

もう闘技場にはいないよ


◇ななしの調査隊員

霧森でサムライちゃんと激戦してるよ


◇ななしの調査隊員

なんで同士討ちしてるんだよ


◇ななしの調査隊員

なんでフィールドで戦ってんだよ


◇ななしの調査隊員

これもうどっちか原生生物だろ


◇ななしの調査隊員

おっさんの方やろなあ


◇ななしの調査隊員

戦ってるってか、模擬戦っぽい?

久々にバリテン倒そうと思って行ったら、巣の横で二人がビュンビュン飛び回ってた


◇ななしの調査隊員

どういうことだってばよ


◇ななしの調査隊員

おっさんも忍者だったの?


◇ななしの調査隊員

赤ウサちゃんと盾姐さんもいるけど、二人は平和そうにしてるな。やっぱりなんか試合みたい。


◇ななしの調査隊員

殺試合かな


◇ななしの調査隊員

うわぁ、ほんとにやってるじゃん


◇ななしの調査隊員

おっさん最近荒ぶってるなぁ


◇ななしの調査隊員

静まり給え、静まり給え


◇ななしの調査隊員

おお、おっさんがサムライちゃん投げた


◇ななしの調査隊員

おっさんって格闘か投擲持ってたっけ?


◇ななしの調査隊員

格闘は盾姐さん。投擲は忍者君が持ってたかな。


◇ななしの調査隊員

つまりおっさん、素の動きで投げてるって事?

ほんまに人間か?


◇ななしの調査隊員

JUDOかカラテだろ


◇ななしの調査隊員

なあ、これ俺も参加できると思う?


◇ななしの調査隊員

やめとけやめとけ

死にたくないだろ


◇ななしの調査隊員

フィールドだとLP削れないんじゃなったっけ


◇ななしの調査隊員

そういう意味じゃない。

たぶん何も分からず瞬殺されるだけだから。


◇ななしの調査隊員

俺はあそこに入る勇気はねぇよ

赤ウサちゃんも手え出してないんだよ


◇ななしの調査隊員

そう聞くとやばいな


◇ななしの調査隊員

冷静に考えて、なんでおっさんは刀に対して素手なんだよ。せめて槍使えよ。


◇ななしの調査隊員

なんか修練してるな。

また新しい攻略始めるのかな。


◇ななしの調査隊員

おっさんは攻略組じゃない定期


◇ななしの調査隊員

寝言は寝て言え


_/_/_/_/_/


 戦いの中でしか生まれない、熱い高揚感。

 肌を焼くその感覚に身を任せ、私はひたすらに剣を振る。鞘に収まっているはずだが、もはや真剣を握っているつもりだった。

 相手をするのはレッジさん。

 今までは武術的なことを一切知らなかったはずなのに、今では熟達の武道家のような気迫に満ちている。動きに迷いはなく、ノータイムで対応してくる。もう無我の境地に至っているとは、俄には信じがたい。

 父さんに伝えたら、狂喜乱舞することだろう。これほどの逸材は――例え仮想現実であったとしても――なかなか居ない。


「はぁっ!」


 大振りな斬撃。それは避けられることを前提にしたブラフ。その動きの裏で身を翻し、一気に近づく。そうして、レッジさんの足先を踏み抜き――。


「全部、見えてる」

「ッ!」


 一瞬、レッジさんの体がぶれる。

 次の瞬間には、私は空を飛んでいた。

 木の幹に触れて受身を取り、勢いを利用して再び戻る。


「これは……」


 強いなんてものじゃない。

 もはや、師範代であるという優位は崩れ去っていた。レッジさんに受身を教えるという目的は掻き消え、ただ純粋な闘争だけが残った。

 物心ついた時から武の道を歩き、自分よりも遙かに年上の門下生たちを相手にしてきた私だからこそ分かる。レッジさんは、異常だ。

 乾ききったスポンジのように、私の動きを吸収していく。ただトレースするのではなく、理論を、技術を、要素を取り込んでいく。それを瞬時に理解し、自分へと反映させる。

 10分前のレッジさんと、今のレッジさんは別人だ。


「レッジさん、空眼流に入りませんか?」

「はい?」


 レティたちには聞こえないくらいの声量で、レッジさんに話しかける。その間にも攻防は続いているけれど、少しだけ休憩時間だ。


「ド田舎の地味な家でやっている流派ですが、歴史と逸話だけは立派です。きっと、レッジさんは強くなれますよ」

「申し訳ないが、あんまり興味ないなぁ」

「それは残念。――ぜひ、父と会って欲しいのですが」

「ごはっ!?」


 ぼそりと呟いた途端、如実にレッジさんの動きが乱れる。思わずその隙に剣を突き込んでしまったけれど、それは難なく避けられた。ぐぬぬ。


「トーカの親父さんが師範ってことだよな。びっくりしたぞ」

「それはそうですが。……そういう意味でもいいですよ?」

「あんまりおっさんをからかわないでくれ」


 レッジさんは困ったように眉を寄せる。

 あながち冗談でもないのだけれど、遠くで聞こえていないはずのレティがぴくりと耳を動かしているのが見えたから、このあたりで話はやめる。


「まあでも、トーカと戦うのは楽しいよ」

「そ、そうですか。それは良かった」


 思わぬ反撃を受け、少し動きが鈍る。

 しまったと思うよりも早く、レッジさんが私の手首を掴んだ。

 視界がぐるりとまわり、背中から落ちる。受身を取ろうとする。しかし――。


「おかげで、受身の弱点も見えてきた」

「きゃあっ!?」


 突然、予期しない方向から衝撃がくる。脇腹を蹴られたと気付いたのは、それから一瞬遅れてのことだった。


「相手が受け身の体勢を取ったあとに別方向の攻撃をすれば、多少は通るな」

「……私も、まだまだ修練が足りないみたいですね」


 まさか反撃を受けるとは。信じられないが、事実だ。

 本当にレッジさんはすごい。ぜひ、ウチに来て欲しい。きっと、良い武道家になる。


「――とりあえず、剣術以外の鍛錬も増やそうかな」


 まだまだ負けるわけにはいかない。

 私の中で燻っていたものが、再び燃え上がる。ログアウトしたら、とりあえず父さんと話そう。

 そう決意しながら、私はそっと両手を上げた。


_/_/_/_/_/

Tips

◇“大太刀・妖冥華”

 深みのある赤い刀身の美しい大太刀。白鉄鋼を主材とした刀身は軽く鋭い。

 妖しく光る太刀筋は、黄泉の国への血塗られた道を指し示す。咲き乱れる赤き華は、新たな門出を祝う。


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