第674話「流れに任せて」

 トーカが討伐した“饑渇のヴァーリテイン”を解体しつつ、ここへ来た理由を告げる。


「なるほど、受身ですか。任せて下さい、こう見えて私は師範代なんですよ」


 急な頼みで申し訳なかったが、トーカは快く引き受けてくれた。

 師範代というのはリアルでの話だろうか。彼女はたしか、由緒正しい武道家の家系だったはずだ。


「でも、トーカって〈受身〉スキル持ってませんでした? ほんとに教えられるんですか?」


 張り切るトーカだが、そこにレティが訝しげな視線を向ける。

 トーカは〈歩行〉スキルをはじめとして、行動系のスキルをいくつか鍛えている。〈受身〉スキルもレベル80になっているようだ。


「大丈夫ですよ。基本的な動きは変わりませんから」


 そんなレティの指摘も強気に一蹴し、トーカは俺の方へと向き直る。


「ひとまず理論というか、考え方を教えますね。一番意識しなければいけないのは、受身は回避ではないということです」


 初めは座学から、ということでトーカの受身講座が始まる。レティとエイミーも俺の隣に並び、一緒に耳を傾けていた。


「回避というのは、敵からの攻撃を受けないこと。受身は攻撃を受けた後の動きです。力をどう避けるかではなく、力をどう捌くかが重要です」

「なるほど?」


 流石師範代というべきか、トーカの説明は分かりやすい。

 回避行動に関して言えば〈白鹿庵〉の中ではシフォンが一番上手いが、受身はトーカに軍配が上がる。ちなみに、ミカゲは回避型で、エイミーは防御型。レティは捨て身特攻型だ。


「そうですね。レッジさん、私を殴って下さい」

「ええ……」


 唐突にトーカが胸を張り、俺の前に立つ。

 しかし対人戦エリアではないとはいえ、仲間を殴るのは気が引ける。


「分かりました。思い切りいきますよ」

「ちょ、レティには言ってないのですが――」


 戸惑う俺に変わって、レティが活き活きとした表情で拳を作る。トーカが驚きの表情を浮かべる間に、彼女は躊躇無く拳を叩き込んだ。


「うおおお!」

「――ほっ」

「おおおわああっ!?」


 鋭く迫るレティの拳は、そのままトーカの胸に突き刺さる。だが、予想していた打音は聞こえず、レティが驚愕の声を上げながらトーカと共に倒れ込む。

 更にトーカは背中から倒れた勢いを殺さず、後方へ回転し、袴を揺らして立ち上がる。あとに残ったのは地面に伏せたレティだけだ。


「とまあ、このような感じですね」

「な、なるほど?」


 対人戦エリアではないため、ダメージは発生しない。とはいえ、レティの腕力で殴れば相応のノックバックが発生するはずだ。

 しかし現実にはそうならず、むしろレティが窮地に立たされている。


「レッジさん、今なにをしたか分かりますか?」

「レティの拳を受け流した。……いや、受け止めたな。受け止めた上で、受け流した?」


 なにせ一瞬のことだったため、あまり自信が無い。しかしトーカは十分だと言うような顔で頷いた。


「だいたいあたりですね。さっき私はレティの拳を受け止めつつ、その衝撃だけを逃しました。ついでに彼女の体勢を崩し、その力を借りて自分は逃げました」

「なるほど……?」


 よろよろと立ち上がったレティの手を掴み、トーカは先ほどの一連の動作をスローで再現してくれる。

 レティの拳が飛び、トーカはそれを胸の中央で受け止める。その時、たしかにダメージ――今回はノックバック――が発生していたはずだ。


「大事なのは、衝撃に身を任せることです。衝撃の伝達する速度と同じ速度で同じ方向に向かえば、相対的には位置が変わらず、衝突は起きません。つまり、ダメージは発生しません」

「ははぁ。なんとなく分かってきたぞ」


 トーカはレティの拳を受け止めつつ、そこから発せられるダメージだけを自ら後方へ動くことで緩衝した。捉えるべき対象がなくなったレティは勢いのまま体勢を崩し、あとはトーカのなすがままだったというわけだ。


「受身の基本はこれです。衝撃に身を任せるのではなく、衝撃と共に動くことを意識すると理解しやすいと思います」

「ふむふむ……。よし、エイミー、ちょっと殴ってくれ」


 トーカ先生の説明は分かりやすい。

 俺は教わったばかりの理論を頭に、エイミーに向き直る。


「いいの?」

「どんとこい!」

「それじゃ――」


 ブォン、と風を切る音。それと同時に白く先鋭形の拳が迫る。

 ――あれ、これはちょっとマズいのでは?

 そう思考が巡るよりも早く、エイミーの超速の打撃が腹部に叩き込まれる。


「がはっ!?」


 ズドンと腹の底に響く重い打撃だ。肺が潰れ、空気が全て吐き出されたような気がする。

 視界がぐるりと回転し、俺は後方の木の幹に激突した。


「レッジさん!?」


 慌ててレティが駆け寄ってきて、手を伸ばす。俺はそれに縋り付き、よろよろと立ち上がりながら己の短慮を呪った。

 何も〈白鹿庵〉で一番の拳を持つエイミーに頼まなくても良かった。どう考えても受身の初心者が受けていい攻撃じゃない。


「あはは。まずは“暴食蛇グラットンスネーク”の攻撃から受けてみるといいですよ。それになれてきたら、“貪食のレヴァーレン”、最後に“饑渇のヴァーリテイン”を目指す感じで」

「暴食蛇もなかなかだと思うけどなぁ」


 トーカの提案した練習相手は、〈奇竜の霧森〉に生息する原生生物たちだ。ついでに言えば三種とも同じ種族であり、幼体、成体、老体と成長を重ねていった姿だ。


「まあ、レッジさんならすぐに上達しますよ。テントを建てておけば安全に練習できますし」

「とりあえず練習あるのみってことか」


 先生の指示には素直に従い、俺はヴァーリテインの巣から少し離れた場所にテントを建てる。

 ヴァーリテインはボスなので当然一体のみ、レヴァーレンは三体のみが同時に存在している。しかし暴食蛇なら適当に歩くだけで見つけることができる。

 黒いモサモサとした毛の生えた、蛇というよりでかい毛虫のような外見の原生生物だ。


「よぅし、ドンとこい!」


 テントの範囲内で暴食蛇と対峙する。

 武器は持たず、防具も重りになるだけなので外した。代わりに着ているのは初期装備の白い服だ。

 俺が両手を広げて構えると、凶暴な蛇が勢いよく突っ込んでくる。

 なるほど、分かりやすい動きだ。


「よっ、と」


 素直に俺の胸に飛び込んでくる暴食蛇を受け止め、そのまま後ろへ倒れ込む。しかし、蛇の突進の方が速く、ダメージを受けてしまった。


「おしいですね。〈受身〉スキルが10もあれば十分ノーダメージの範囲内でした」

「結構シビアだなぁ」

「相手の動きを見てから動くのではなく、見ながら動くんです。それと倒れ込む時は躊躇しないでください。どうせ地形ダメージは受けないので」

「分かった。次だ」


 側に立つトーカからアドバイスを受けつつ、暴食蛇との格闘を続ける。

 もともと好戦的アクティブな気性の暴食蛇は、俺が一切攻撃をしなくても懸命に襲い掛かってくれる。多少ダメージを受けてもテントがすぐに回復してくれるため、危険はない。

 熱心に付き合ってくれる理想的なパートナーのおかげで、衝撃を逃しながら受身を取ることはすぐにできるようになった。


「ほっ!」


 暴食蛇の突進を受けながら後ろに倒れ、衝撃を逃す。有り余った勢いを発散できず、暴食蛇があらぬ方向へと飛んでいく。


「良い感じですね。随分安定してきました」

「いやぁ、教え方が上手いからだな」


 そう言うとトーカは少し照れた顔ではにかむが、すぐに当然ですと頷いた。彼女も日頃から師範代として生徒たちに教えている以上、一定の自負があるのだろう。


「むぅ、なんだか不穏な雰囲気ですね……」

「レティも混ざればいいじゃない」

「それはその、レティは戦いながら難しいこと考えられないので」


 テントの方では、エイミーとレティが俺たちを見物しながら何事か話している。二人ともトーカの話こそ興味深そうに聞いていたが、自分の戦闘スタイルに取り込むつもりはないようだ。

 そもそもエイミーは受けた衝撃をそのまま相手に返す〈鏡威流〉の開祖であるし、レティもどちらかと言えば回避型だからだろう。


「ま、レッジさんの練習相手はあくまで原生生物みたいですからね。そう変なことにはならないでしょう」

「そうかしらねぇ」


 二人が話している様子をぼんやり見ていると、トーカが突然刀を振って今まで練習相手を務めてくれた暴食蛇を倒した。


「蛇!?」

「では、レッジさん。……今から組み手をやりましょう」


 全く前触れのない蛇の退場に愕然としていると、刀を鞘に納めたトーカが目の前に立つ。彼女は両手を突き出して、臨戦態勢だ。


「暴食蛇のような単調で読みやすい攻撃というのは、なかなかありません。レヴァーレンはもっと厄介ですからね。その前に組み手をして様々な方向からの様々な攻撃に慣れて下さい」

「お、おう?」


 トーカはわきわきと指を動かしながら早口で捲し立てる。彼女の言葉を全て理解したわけではないが、他ならぬ彼女が言うのだから、必要な訓練なのだろう。


「これはあくまで組み手であって、それ以外の何ものでもないですからね。そ、それでは――」


 トーカが言葉を区切った次の瞬間、彼女の姿が掻き消えた。


「何っ!?」


 驚くのも束の間、下方から強い突き上げを喰らう。

 吹き飛びながら見えたのは、満面の笑みを浮かべたトーカだった。一瞬で身を沈め、視界から抜け出したのだ。そのまま一気に距離を詰め、勢いのまま肩を入れた。たったその衝撃だけで、俺の体が浮き上がったのだ。


「油断している暇はありませんよ。空中でも受身を取って下さい」

「はあ?」


 たんっ、と軽やかに木の幹を蹴り、トーカが飛ぶ。袴を翻し、彼女は俺の胸を軽く叩いた。


「ごはっ!?」


 たったそれだけでまるで重力が数倍に増えたかのような錯覚を覚える。一瞬で地面に突き落とされ、背中をしたたかに打ち付ける。柔らかい腐葉土がコンクリートのようだ。


「すみません、あまり体術は得意ではなくて」

「嘘だろ……」


 よろめきながら立ち上がる。

 トーカは息を少しも乱さず、微笑を浮かべて立っていた。

 彼女は〈格闘〉スキルは習得していないはず。だとすれば、この動きは全て彼女が現実で体得しているものだ。


「トーカは一体どんな武道をやってるんだ?」

「ちょっとした、多少歴史のある古武術ですよ。私が得意なのは剣術ですが、ミカゲの好きな忍術や杖術、短刀術、体術、合気道、柔道、空手道、少林寺拳法、テコンドー、システマ、サバット、ボクシング。あとはまあ、その他もろもろ。あらゆるものを取り込み、武器としています」

「ぜったいヤバい奴じゃないか……」


 せいぜい町の剣道場くらいをイメージしていたのに、その数十倍は本格的というか、物々しい。

 レティたちも突然動きの変わったトーカに驚いたのか、立ち上がってこちらを見ている。


「とりあえず、ハンデとしてこちらは素手の片腕のみでいきましょう」

「さっきそれでヴァーリテイン倒してなかったか?」


 俺の問いに、トーカはにこりと笑うのみだ。

 彼女は右手をこちらに差し向け、指を折る。


「……分かった。お手柔らかに頼むよ」

「門下生を相手にするくらい優しくしますよ」


 LPこそ削れないが、これは真剣勝負だ。そのことを肝に銘じながら、勢いよく駆け出す。

 トーカは笑みを崩さず俺を出迎える。


「ぐわーーっ!」


 そうして、俺は容易く天を舞って地に落ちた。


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Tips

◇“風切り蝶の戦装束”

 風切り蝶の薄翅と鱗粉、白赤82上質精錬鉄鋼を併用し、軽さと防御力を両立させた戦装束。鮮やかな蝶の模様は心身を軽くする。

 風のような速さで空を舞い、絡みつく全てを鋭く斬る。鮮麗かつ鋭利、爛漫かつ怜悧。鮮やかな世界の中心で踊る。その姿は敵すら魅了する。


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