第671話「移動の極意」

 〈アマツマラ地下闘技場〉は、地下資源採集拠点シード01-アマツマラの地下に広がる巨大な対人戦PVP専用エリアだ。一番の目玉はなんと言っても、巨大な大アリーナ。ここでは毎週末公式のトーナメントが開かれている他、対人戦をこよなく愛するプレイヤーたちによる調査開拓員企画も頻繁に催されている。

 だが、久しぶりにやってきた〈アマツマラ地下闘技場〉には、それ以外の施設も多く揃っていた。プレイヤーから寄せられた要望に応えるうちに増えていったようだ。

 大型のプールが整備された水中アリーナ、無数の構造物が乱立するアスレチックアリーナ、人工物が多く視界の悪い市街地アリーナ、入り組んだ通路で構成された迷宮アリーナ。大アリーナほどの広さはないが、趣向を凝らした様々なアリーナが取り揃えられている。

 中には機獣やペットの戦いに主軸を置き、プレイヤーはそれを高台から指揮するという、ペットアリーナもあるようだ。


「――とまあ、色々とありますよ」

「へぇ。しばらく来ないうちに随分とバラエティ豊かになったもんだ」

「遊技区画に監獄闘技場。他の都市にも色々施設ができましたからね。収益を上げるために投資も必要ということでしょう」

「世知辛いなぁ」


 そんな風に都市運営の厳しい部分を説明してくれるのは、金髪に青い瞳、笑顔の爽やかな長身の青年、〈大鷲の騎士団〉のアストラだ。

 俺はこの日、アストラと共にこの闘技場を訪れていた。もちろん、わざわざ多忙を極める騎士団長にガイドを頼んだわけではない。今回は彼に修行をつけてもらうためだ。


「しかし悪いな。忙しいだろうに」

「いいんですよ。他ならぬレッジさんの頼みなら。何事も投資は大事ですからね」


 ははは、と彼は軽やかに笑う。あとで何を要求されるのか少し不安だが、今回ばかりは仕方がない。


「〈歩行〉スキルなしで、機動力を獲得する方法ですか。レッジさんは機獣や換装パーツを使えばスキルが無くても素早く動けると思いますが」


 アリーナの扉が並ぶ廊下を歩きながら、アストラが首を傾げる。

 今回、俺がアストラに依頼したのは〈歩行〉スキルに依存しない動き方、戦い方の修練だ。

 彼は誰もが知るようにFPOのトッププレイヤー、最強の一人として惑星開拓を強力に牽引している。当然、その戦闘能力は凄まじく、レティやトーカすら遙かに凌駕する。俺が過去の戦いで勝てたのは、あくまで様々な条件が有利に整っていたからにすぎない。

 そんな無類の強さを誇るアストラだが、驚くことに彼は行動系のスキルを一切持っていない。〈歩行〉〈跳躍〉〈登攀〉〈水泳〉など、機体の運動性能を向上させるパッシブスキルだ。通常、それら――特に〈歩行〉スキルが無ければ地上での激しい戦闘は行えない。近接戦闘職には必須級のスキルである。


「そもそもアストラはなんで行動系を取らないんだ?」

「必要性を感じていないからですね。今のままでも十分戦えていますし」

「そっかぁ」


 シンプルだが強い理由だ。即答されても返しに困る。


「俺は〈剣術〉〈戦闘技能〉〈鑑定〉〈武装〉の四種がメインスキルなんです。今回の件で、恐らく〈切断〉〈破壊〉〈貫通〉の三スキルも入ると思いますが」


 アストラは俺とは対照的に、シンプルなスキルビルドだ。今後レベル100に鍛えることを加味して、余分なスキルは取らないと決めている。

 物質系スキルと呼ばれる三種の新スキルに関しては、彼も取るようだが。


「あれ、アストラは剣だけだろ? 〈破壊〉と〈貫通〉も取るのか」

「〈剣術〉スキルのテクニックは切断属性が主軸ですが、他の属性もないわけじゃないですからね。俺は火力の底上げを追究しているので、取りますよ」

「なるほどなぁ」


 彼のスキルの判断基準は簡単だった。攻撃力に寄与するかどうか。それだけを基準に選んでいる。


「さて、ここなら練習できるでしょう」


 話していたら、アストラが急に立ち止まる。彼が案内してくれたドアの前には、“ウェブロープアリーナ”と書かれたプレートが付いていた。

 彼がドアを開き、内部が露わになる。


「おお……。おお……?」


 そこは四角いフィールド内に無数の太い柱が立てられた闘技場だった。柱からは様々な方向に横枝が伸び、太いロープが繋がっている。

 なるほど、まるで蜘蛛の巣のようにロープが張り巡らされたアリーナということか。


「団員に教える時は、アスレチックアリーナから始めるんですけどね」

「なら俺もそっちから段階を踏むべきでは?」

「ははは!」


 指摘は爽やかな笑声に流される。

 もしかして、コーチを間違えたかもしれない。


「それじゃ、まずはレッジさんの今の実力が見たいので、色々試していいですか?」

「よしきた。お手柔らかに頼むよ」


 アリーナ内の柱には、足場らしい短い枝も付いている。アストラはそれを使って登り、柱の中程にある小さなステージに立った。


「ここからあそこまで、ロープを伝って走って下さい」

「なるほど。分かった」


 ステージからは別の柱から突き出したステージまでロープが渡っている。太くて丈夫そうなもので、固く張っているため、足を乗せてもしっかりと受け止めてくれる。


「こんな感じか?」

「流石ですね」


 これくらいならなんとかなる。

 小走りで渡って振り返ると、アストラが手を叩いて褒めてくれた。うーむ、なかなか嬉しいな。


「これが渡れるなら、勝ったも同然です。そこの細いロープを渡って下さい」

「はいよ」


 次は少し細いロープだ。

 とはいえ、怖がらず重心を安定させていれば、多少駆け足でも問題はない。


「いいですね。やはりレッジさんは最高だ!」

「ははは、そんなに褒めるなよ」


 その後も基礎的な訓練と確認が繰り返される。

 弛んだロープ、極細のワイヤー、有刺鉄線、潤滑油の塗布されたロープなどなど。実に様々なものが取り揃えられている。


「基本的には、足の指を上手く使うことが大事です。地面を掴んで走れば、柔軟に動くことができます」

「なるほどなるほど」

「レッジさんはすでに、それはできていますね。やはり、普段の戦闘でかなり慣れてる様子です」


 アストラから示された課題は、問題なくクリアできた。普段〈歩行〉スキルの恩恵に与っていたから分からなかったが、俺も随分あるけるらしい。


「それじゃあ、次は空中を歩いてみましょうか」

「は?」


 いきなり課題の難易度が爆上がりした。

 耳を疑い聞き返すが、同じ言葉が返ってくる。


「つまり、どういうことでしょうか……?」


 調査開拓員の機体は重い鋼鉄製だ。そう易々と浮くこともできない。


「別に、本当に空中を歩くわけじゃないですよ。それこそ〈歩行〉スキルがないとできませんからね」


 そう言って笑うアストラに、俺もほっと胸を撫で下ろす。どうやら、ちょっとしたジョークだったらしい。


「そこのロープを揺らさずに歩いて下さい」


 示されたのはゆったりと弛んだロープだ。少し触れるだけでもぶらぶらと揺れる。


「はい?」

「踏む力がロープに伝わらないように歩くんです。〈忍術〉スキルと〈歩行〉スキルがあればシステムアシストが利きますが、やってやれないこともないですから」

「ええ……」


 俺が怪訝な顔をしていたからだろう。アストラは自ら実践してくれる。


「こんな感じです」


 彼は重い鎧を着たまま駆け出す。ロープに足を付け、そして離す。小走りだったが、その間にロープは一切揺れなかった。


「いや、そうはならないだろ」

「やればできますって。そっと羽のように軽いイメージで足裏とロープの間の空気を踏むイメージです」

「はぁ……」


 よく分からないが、目の前で実践されては敵わない。俺は弛んだロープに足を付ける。


「揺れるなぁ」

「あまりロープは意識しないでください。ゴールを見て、そこに続く透明な道を想像して」

「言われてできれば苦労しないんだが」


 アストラもリアルでこんな曲芸ができるわけじゃないだろう。おそらく、仮想現実内だからこその芸当だ。

 FPOの世界は現実とほとんど変わらない精度のリアリティを持っているが、それでもアナログとデジタルの差異は存在する。流動的に連続的に動く世界と、0と1によって構成された世界。そこには0.5の差異がある。

 彼が歩いているのは、その若干の差異、ポリゴンの角、はみ出したあたり判定――。


「ほっ!」

「おお、行けましたね!」


 不思議な感触が足に伝わる。

 まるで雲の上を歩いているかのような、不確かで柔らかな感触だ。だというのにしっかりと体重を預け、体を移動させることができた。


「これができれば、かなりの成長ですよ。上手く使えば、水上でも100メートルくらいは走れます」

「そこまで使いこなすのは大変そうだなぁ……」


 アストラが海上で花猿を迎え撃った時のことを思い出す。あの時は他のプレイヤーも居たため、メルたち機術師が海を凍結させたが、彼一人ならその必要もなかったのかもしれない。


「一度コツを掴めば簡単ですよ。あとは、自分の体は流体であることを意識してください」

「うん? つまりは猫ってことか?」


 首を傾げると、彼が笑う。


「それもいいですね。ともかく、衝撃は全て受け流し、反発しない。反発、つまり衝突は、一瞬とはいえ動きが止まりますからね」


 そう言って、アストラは空中に足を踏み出す。驚いて手を伸ばすが、彼はそのまま重力に従って落ちていく。


「アストラ!?」

「見てて下さい」


 そう言って、彼は落ちながら近くにあったロープに指先を触れる。途端に、それを支点に彼はぐるりと回転し、上方へ跳び上がる。

 その後も滑らかな身のこなしでロープの間を飛び、それらの一本も揺らすことなく機敏に移動する。


「とまあ、こんな感じです」

「ミカゲより忍者っぽいのを見たのは初めてかもしれないな……」


 一切息を乱した様子もなく、アストラが言う。

 しかも、俺が分かりやすいようにわざとゆっくり動いてくれたのだろう。そのおかげで何をやっているのかは理解できた。理解できたからといって、できるとは限らないが。


「とりあえず、動き続けることが肝です。足で体を支えるのではなく、足で体を動かすんです。歩く時に足音がするのは、足で地面を叩いているからです。

 骨はないものだと思って下さい。難しければ、まずは一本あたりを五分割ほどするイメージで。軟体動物、タコでもネコでもいいですけど。

 受けた衝撃は全て流し、時には推進力に転化してください。そうすれば、相手より速く動けますから」


 訓練をしながら、アストラから考え方や動き方を吸収していく。彼はとても、人に教えるのが上手い。感覚的なことを言葉にして伝えてくれる。それができるかどうかは、俺次第だ。

 ネコのように、タコのように、水のように。ロープとロープの間を飛んでいく。衝撃をぶつけるのではなく、上手く取り込んで次の推進力に変える。


「速度が足りない時は重力を取り込んで下さい。常に掛かっているエネルギーを上手く扱えば、いくらでも速くなれます」

「お、おう!」


 物理法則に反しているような気もするが、彼が言うならできるのだろう。というか、意識しながら練習を繰り返していると、実際できた。

 ぐんぐんと加速していく中では、状況の判断が非常に難しくなる。思考の猶予がなくなるのだ。


「くっ!」


 俺は思考を分割する。

 体を動かすことと、エネルギーを把握すること、それぞれを並行して考える。DAFシステムの運用と同じようなものだ。

 俺という個ではなく、俺という群だ。それぞれのパーツが互いに動き、互いを支える。細かな粒子が集まり、柔軟に任務を遂行する。


「……すごいな。まさかこんなに飲み込みが早いとは」


 アストラが俺を見ているようだ。

 彼は普段の爽やかな表情を消し、獰猛な笑みを浮かべていた。


「じゃあ、レッジさん。――戦いましょうか」

「お手柔らかに頼むよ」

「加減してたら負けますよ!」


 アストラがノーモーションで直上へ跳び上がる。俺の移動を予測した、激突路線だ。

 しかし衝突してはいけない。反発は悪手だ。

 相手が飛んできたのなら――それを流す。


「ッ!」

「ふはっ! いいですね!」


 一瞬だけアストラに触れ、即座に離れる。

 互いにかなりの速度でぶつかったはずだが、ほとんど音が発せられない。恐ろしいほど静かに、突然の対戦が始まった。


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Tips

◇ウェブロープアリーナ

 〈アマツマラ地下闘技場〉に存在する特殊環境アリーナの一つ。太い柱が立ち、無数のロープが張り巡らされている。

 足場の劣悪な環境での三次元的な戦闘を想定しており、ロープの種類はオプションで様々なものへ変更可能。

“管理人の評価”

『蜘蛛の巣みてェな環境のアリーナだ。動くだけでもままならねェが、それは相手も同じだからな。上手く体を動かす方法を見つけるのが、勝利の近道ってェわけだ』


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