第665話「備えあれば」
足下の水が嵩を増していく中、粛々と事後処理を終えていく。アストラから借りていた潜水服は弁償、アイたちの破損していた潜水服についても修理費用を〈白鹿庵〉の共有口座から出すことになった。出した分は今後、俺が少しずつ返していくことになる。
ここ最近は借金もなく綺麗な体だったはずなのだが、気付いたらT-1もびっくりの債務者になってしまった。
「俺は別に構わないんですけどね。予備もありますし……」
「そういうわけにはいきませんよ。今回の件は全面的にレッジさんが悪いですし」
動けない俺を抱えたまま、レティが答える。アストラは困った顔で頬を掻き、そこまでいうならと渋々納得した。
まあ、今回ばかりは俺も反省している。別に“蟒蛇蕺”を使わずとも、なんとかなったかもしれないのだ。というか別の歯に仕込んでいた“蛇頭葛”とか使えば――。
「それとレッジさん、換装パーツについて色々聞きたいことがあります。あとでネヴァさんも交えて詳しく教えて貰いますから」
「あっはい」
じろりとレティに見下ろされる。
なかなか経験したことのないアングルだが、それだけに迫力も倍増だ。しかも手足がないので逃げることも抗うこともできない。俺はなんと弱い存在なのだろうか。
「あの、レッジさんはこのあとどうするんですか? 動けないんですよね」
諸々の弁償について話が纏まったあと、アイがおずおずと口を開く。
「動けないことは動けないが、元から仕込んでた分離自爆機能だったからな。傷はないしLPの減少もない。移動はできないから、ここに置いといてみんなは先に行ってくれ」
幸か不幸か、蟒蛇蕺の圧迫で〈白き深淵の神殿〉の外壁にもダメージが入っている。見つけていた小さな穴も、エイミーが軽々くぐり抜けられるくらいに拡大していた。
「レッジ?」
「な、なんだ?」
ちらりとエイミーの方に視線を向けると、妙に圧迫感のある笑みとかち合った。本能的な恐怖からそれ以上の思考を止める。
「何言ってるんですか、レッジさんも行きますよ」
「ええっ?」
どこに置いて貰えれば安定するだろうかと周囲を見渡していると、レティがきょとんとした顔で見下ろしてくる。
「レティがどこまでも責任を持って運んであげますからね。任せて下さい」
そう言って、彼女は俺を抱えた腕にぎゅっと力をこめる。普通に考えればハラスメントの六文字が頭を過るのだが、システム様は何とか許してくれているようだ。
「まあ、レティがそれでいいなら……。戦闘になったら遠慮なく投げ捨ててくれて良いからな」
「そんなことしませんよ! レティもそこまで薄情じゃないですから」
頬を膨らせてご立腹のレティを見て、思わず笑う。
そこまで言うのなら、ぜひ頼らせて貰おう。
「ふふふ……。今のレッジさんならどこにも逃げられませんからね。いつまでもレティと一緒ですよ」
「レティさん?」
頭上から何やら黒い気配を感じて顔を上に上げるが、レティの眩しい笑みが見えるだけだ。なのに背中がぞわぞわとするのは何故だろう。
「穴の中に入る前に、あのタコの解体をしないといけないのよね。レッジがこんな状態だけど、どうする?」
エイミーが後ろを振り返りながら言う。
瓦礫に押し潰され、ぺちゃんと形を崩した黒いタコは、HPバーも全て削りきられていた。いつもなら俺が解体をするのだが、こんな状態ではそうもいかない。
「黒神獣なら、ドロップアイテムというものもないはずですが……。ずっと消えずに残っているのは妙ですね」
アストラが訝しみながらタコへ近づく。
そういえば、黒神獣は討伐すると何も残さず消えてしまう。今回こうして残っている方が異常といえば異常だった。
「まだ生きてるのかも」
「どうでしょうね? 討伐ログは出てましたし」
トーカたちが一応武器を構えるなか、アストラはタコの前に立つ。『素材取得』を使用したのか、ウィンドウを開いて笑みを浮かべた。
「なるほど、そういうことか。……大丈夫ですよ」
なにか納得した様子で彼は戻ってくる。そして見せてくれたのは、直径15センチほどの黒く染まった水晶玉だった。
「これって、神核実体ってやつですか?」
レティが耳を立てて驚きの声を上げる。
色こそ黒くなっているが、形状はそれによく似ている。とはいえ以前〈白き深淵の神殿〉に持ち込んだコノハナサクヤの神核実体と比べると随分小ぶりだ。
「暴走した花猿ほどの強さはありませんでしたし、調査開拓用有機外装? というヤツではないでしょうか」
トーカが記憶を手繰り寄せながら言う。俺もそれに頷いた。
神核実体は、第一期調査開拓団でいう管理者クラスの調査開拓員が保有しているものらしいからな。この大タコは俺たちと同じ一般調査開拓員だったのだろう。
仮にこの宝玉を神殿の浄化装置に持ち込んでも、コノハナサクヤのようなNPCになるわけではないはずだ。
「これは監獄闘技場に持ち込めばいいんでしょうかね」
「そうなるか。新しい囚人の登場だな」
監獄闘技場が開放されてまだ日も浅いが、早速の新規ボス追加だ。闘技場の挑戦者たちには触手で苦労して貰おう。
「では、タコの宝玉は監獄闘技場に持っていくとして……」
「早く穴の中に行こう!」
アストラの声に被せるように、今までずっとうずうずとしていたルナが手を上げる。彼女の言葉に反対する者もおらず、俺たちは満を持して穴の中へと足を踏み入れることになった。
ま、俺はいま足がないんだけどな。
「穴の中に入るのは、俺たちが初めてかな」
「元々開いてた穴も結構小さかったもんね。エイミーじゃなくても厳しかったんじゃない?」
「どーせ、タイプ-ゴーレムはぽちゃぽちゃですよーだ」
肩を竦めるラクトの言葉に、エイミーがわざとらしく唇を尖らせる。エイミー、というかタイプ-ゴーレムも別に太っているわけじゃないんだけどな。女性型で180cm以上、男性型だと200cmを超える長身と幅の広い体格が悪いのだ。盾役などでは逆にその大きさが状況に利したりするのだが。
ちなみに機体の体型、太っているか痩せているかというものはアップデートセンターである程度自由に変えられる。筋肉ムキムキマッチョマンから、ぷにぷにマシュマロ体型まで変幻自在だ。
「この中に源石の上位版がねぇ」
「あったらビッグニュースですよ」
ルナとタルトが仲良く胸躍らせている。カグヤと睦月は、それよりも崩れた外壁の方に興味があるようだ。
「如月はこういうの、あんまり興味ないのか?」
神凪のメンバーの中でただ一人、如月だけが冷静な顔をしていた。気になって尋ねてみると、赤髪のくノ一は八重歯を覗かせて笑った。
「あたしは姉ちゃんたちと違って、戦ってる方が好きだからね。またあのタコみたないのが出てこないか見張ってるんだ」
「なるほど。如月も頼りになるな」
「へへへ。そうでしょ?」
とはいえ、外壁の向こうはすぐに小部屋に繋がっていたらしい。レティたちの順番が来て、一緒に穴の中へ潜り込むと、殺風景な白い石室に何事もなく辿り着いた。
多少は風化の痕跡はあるものの、原生生物が潜んでいる雰囲気もない。そもそも水が抜けているため、居たとしても吐き出されているだろう。
「ふむ。小部屋だな」
「小部屋ですねぇ」
花猿の神核実体を持ち込んだ部屋と同じサイズ、同じ内装――つまりは中央に一つだけ台座がある――立方体の部屋だ。白い壁に囲まれた部屋は、俺たち全員が入るとかなり窮屈だ。
「どうしたらいいんでしょう?」
「コノハナサクヤの時は、この台座に神核実体を置いたんだが……」
「それなら、ここに源石を置いてみますか。こんなこともあろうかと用意してますよ」
レティは意気揚々とインベントリから源石を取り出す。赤色のそれはすでに鑑定済みの〈杖術〉の源石だ。
周囲に見守られながら、レティは片腕で俺を抱えたまま台座に近づく。そうして、赤い源石を台座に置いた。
すると、突然部屋中に機械的なアナウンスが鳴り響いた。
『破損した八尺瓊勾玉の一部を確認しました』
『〈トヨタマ〉プロトコルを実行する場合は、補助素材を用意してください』
その言葉と共に、台座周辺の床が持ち上がる。
新たに現れたのは三つの小ぶりな台座だ。それと同時にウィンドウも展開される。
「なんて書いてある?」
「ちょっと待って下さいね……」
驚きつつも、レティがウィンドウを可視化してくれる。
どうやら、源石を上位の物に変換するためには〈トヨタマ〉プロトコルとやらを実行する必要があり、そのためには特定の補助素材を追加で投入しなければならないらしい。
レティに提示された補助素材は三種類。“隕鉄の欠片”が五つ、“豪熊の黒鋭刃爪”が三つ、“クラスⅧ自己修復ナノマシンジェル”が一つだ。
「えええ。追加で素材が必要なんですか……」
「“隕鉄の欠片”に“豪熊の黒鋭刃爪”、“クラスⅧ自己修復ナノマシンジェル”ねぇ」
ウィンドウに表示されたアイテムの名前に思わず唸る。“隕鉄の欠片”は産出量が極端に少ない上、性質上重量級の武器にしか使えない鉱石系素材だ。“豪熊の黒鋭刃爪”は〈猛獣の森〉のボスである“豪腕のカイザー”のレアドロップアイテム。“クラスⅧ自己修復ナノマシンジェル”は現時点では最高ランクの精密機械部品系アイテムだ。
「そんなもの、すぐには用意できませんよ……」
ここまで来て壁にぶち当たった。レティは不満げに耳を揺らす。
その時、ふと思いつく。
「全部揃うかもしれないぞ」
「はい?」
俺が言うと、レティはきょとんとして見下ろしてくる。いつもより顔が近くてたじろいでしまうが、今はそんな状況ではない。
「レティ、外にいるドトウの所へ連れてってくれ」
「わ、分かりました!」
レティに運ばれ、部屋を出る。
浅い水に浸かりながらじっとしている機械鮫に近付き、謝りながらコンソールを開く。
「ほい、“クラスⅧ自己修復ナノマシンジェル”だ」
「ええ……。レッジさん、ドトウとハトウにこんな高価なアイテム積んでたんですか?」
レティに呆れられるが、胸を張って頷く。できるなら、その時点での最高品質を追い求めるというのが俺とネヴァとの間にある共通理念だ。そのせいで資金が吹き飛んでいくのだが、今は横に置いておく。
それはそれとして、俺は残りのアイテムを集めるためレティに頼む。
「レティ、金貸してくれ」
「は?」
一瞬で彼女の顔が般若になる。震え上がりそうになるが、逃げることはできない。
「〈取引〉スキルでストレージにアクセスしたいんだ。そのために3,000ビットが必要になる」
「また随分と多いですね……?」
すっとレティが目を細める。ダラダラと脂汗が吹き出てくるが、仕方ないのだ。
「中央制御塔のコンソールからアクセスできるストレージなら300ビットでいいんだけどな、別荘にあるストレージだと割高なんだ」
「なるほど。……まあ分かりました、必要経費ですからね」
そう言って、レティは3,000ビット貸してくれる。戦闘に出る時は重量を減らすためゼロビットで出掛ける奴――例えば俺とか――も居るのだが、レティは常にある程度財布に入れておくタイプらしい。
彼女から受け取った3,000ビットを使い、テクニックを発動する。
「『外部ストレージアクセス』」
FPOでは珍しいテクニックの一つだ。ウィンドウを操作して希望のアイテムを引き出すと、3分くらいでどこからともなく小さな箱を抱えたドローンが飛んでくる。深海だろうと洞窟の奥だろうと、どこでも無事に飛んでくる。
もうこれに調査開拓を任せればいいのでは、と思わなくもないが、そうも行かないらしい。
ともかく、高性能な小型ドローンがアイテムを配達してくれた。
中に入っていたのは“隕鉄の欠片”と“豪熊の黒鋭刃爪”だ。
「よくそんなの持ってましたね」
「前にカミルとT-1に頼んで、〈ウェイド〉の倉庫から〈別荘〉の倉庫に移して貰ってたんだ。隕鉄の方がネヴァに持ち込んで何か作って貰うつもりで、爪は肥料になるかと思ってな」
「レッジさんの収集癖がこんな所で活きてくるとは。びっくりですよ」
「そりゃよかった」
ともかく、これで補助素材は全て揃った。
石室の中に戻ると、シフォンたちが待ちわびた様子で立っていた。
「アイテム、揃ったの?」
「なんとかな。色々幸運だった」
レティが再び源石を台座にセットし、現れた三つの小台座に補助素材を乗せていく。すると、唐突に台座全体が白く輝きだした。
『条件が全て満たされました』
『〈トヨタマ〉プロトコルを実行します』
補助素材が光の粒子となって消え、赤い源石が輝き始める。天井や周囲の壁から長いマシンアームが何本も飛び出してくる。
「はええっ!?」
シフォンたちが驚きながらも難なく避けていく。
派手なエフェクトと共に火花が弾けるような音と何かを磨く音が聞こえた。
台座の前にはプログレスバーの表示されたウィンドウが浮かんでおり、徐々に青く染まっていく。
その推移を、俺たちは固唾を呑んで見守っていた。
『――〈トヨタマ〉プロトコルが完了しました』
『八尺瓊勾玉機能拡張パーツⅠ-〈杖術〉が完成しました』
光が落ち着き、音がとまる。
するすると壁の中に戻っていくアームたちを見送り、中央の台座に目を戻す。
そこに鎮座していたのは、歪な形状が綺麗に整えられた赤い宝石だった。
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Tips
◇『外部ストレージアクセス』
〈取引〉スキルレベル80のテクニック。中央制御塔管理下の個人ストレージ以外の、事前に登録されたストレージにアクセスする。希望のアイテムを物品運搬用超高速小型ドローンによってフィールド現地まで配達することができる。
使用には3,000ビットを消費し、ドローンが到着するまでは3分の時間がかかる。
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