第666話「臆病な子」

 白い石室の中央に据えられた台座。その上で泰然と佇む赤い宝石。通常の源石と色味こそ似ているが、その透明度と輝きは段違いだ。荒削りだった形状は楕円形に整えられ、石の内部には何やら電子回路のような物がうっすらと透けて見える。


「おお、これが次の源石か」

「八尺瓊勾玉機能拡張パーツⅠ-〈杖術〉、長いですし単に“上級源石”でいいですかね。普通のと違って、ガチャをしなくていいのはありがたいです」


 周囲から歓声があがるなか、レティはゆっくりと台座から源石を取る。部屋の白い光を受けて複雑に輝く姿は、まるで大粒の宝石のようだ。

 先ほどのアナウンスの中にも色々と気になる単語が出てきていたが、それは後回しでいいだろう。今は目の前にある上級源石が大事だ。


「そ、それじゃあ使いますよ」


 緊張の面持ちでレティが言う。

 アストラたちが揃って頷き、固唾を飲んでその一挙手一投足を注視した。

 レティは上級源石を握りしめ、使用確認ウィンドウを開く。使用するとアイテムを消費する旨が警告され、彼女はそれを了承する。

 赤い源石が、レティの白い手の中で溶けていく。光の粒子を放ちながら、それは彼女の中へと吸い込まれていった。


「どうですか?」


 心配そうにトーカが様子を伺う。

 レティは何も答えず、素早くステータスウィンドウを開いた。


「……スキルレベル上限が、85になりました!」


 ステータスウィンドウが可視化される。

 それを覗き込めば、確かに彼女が鍛えているスキルのうち、〈杖術〉スキルの上限値を示すバーだけが僅かに伸びていた。それに伴い、現在値との差が生まれ隙間ができている。更なる成長の余白が現れたのだ。


「おおお、こりゃ凄い!」

「やったー! これでもっと強くなれますよ!」


 嬉しさが極まったのか、レティは俺を抱えたままぐるぐると回転する。落とされないか冷や冷やしたが、彼女はむしろ力一杯に俺を締め付ける。


「あとは〈戦闘技能〉と〈歩行〉と〈制御〉と……。上げたいスキルがいっぱいありますね。〈杖術〉もレベル100まではまだ掛かりそうですし」

「俺もはやく色々上限上げたいよ。そうなるとまたスキル構成を見直す必要が出てくるが」


 今の時点でかなりギリギリのスキル構成なので、上限が拡張できるのは悩みの種にもなるが、純粋に強くなるためにはしかたがない。これで思い悩むのも、スキル制というシステムの醍醐味だろう。


「今後は少し忙しくなりそうですね。このことを公表すれば、“隕鉄の欠片”をはじめとした補助素材が高騰するでしょう」

「そもそも、補助素材が一定なのかどうかの検証も必要ですね。源石だけなら備蓄がありますが」


 〈大鷲の騎士団〉の二人は既に今後の事について考え始めている。ここのところ需要が低迷していた源石は、再び活発に取引されることになるだろう。補助素材についても同様だが、こちらは何が必要になるのか検証が足りていない。


「今回の件は、できればすぐに広く公表したいと思っています。隠していても仕方のないことですし、隠すよりも広めた方が、全体の利益になると思うので。皆さんはどうですか?」


 アストラが俺たちを見渡して尋ねる。

 今の時点では、おそらく俺たちしか知らない情報だ。ひっそりとここへ通い、上級源石を独占することもできなくはない。とはいえ――。


「俺は公表に賛成だな。隠し通せるもんでもないだろうし、隠す必要もない」

「ですね。レティだけ強くなっても、攻略が進むわけではないですし」

「独占する旨味よりも、面倒さの方が多そうです」


 〈白鹿庵〉の総意としては、公表に賛成。神凪やルナもそれに続く。独占が悪いこととは言わないし、特に生産系バンドならば独自技術の秘匿などは日常的に行われている。しかし、隠し通すにはそれなりのコストが掛かるのも事実だ。


「では、あとで騎士団の方から公表します。今日の所は撤収しましょう」

「了解です!」


 この中で唯一、というより恐らくゲーム内で唯一スキルキャップを85に解放したレティは、上機嫌に耳を揺らす。


「そういえば、歩廊側ってこっちの壁ですかね?」

「だろうな。これを開ける方法も調べる必要があるか」


 彼女が向き直ったのは、俺たちが入ってきた穴の反対側の壁だ。見た目には左右の壁と何も変わらないが、方向的にここが開いて〈白き深淵の神殿〉の歩廊に続いているはずだ。


「むっふふ。スキルレベル上限の拡張された今のレティならぶち壊せますかね」


 継ぎ目の見当たらない滑らかな壁面を睨み、レティは不敵な笑みを浮かべる。


「やめろやめろ。ていうか、上限が拡張されただけで、レベル自体は変わってないだろ」


 それに、俺を抱えた状態でハンマーを振り回さないで欲しい。ただでさえ、自分の意思に関係なく視界が動くというのは慣れない感覚なのだ。


「分かってますよぅ。それに、今までいろんな人が試してきたのに開かなかった扉ですからね。そうやすやすとは――」


 そう言って、レティが壁を撫でる。その時だった。


「あれ?」


 スゥゥ、と音もなく白い壁が二分され、左右に滑る。

 何の抵抗もなく開かれた扉の向こうには広い廊下が広がっている。そこにいるのは、大勢のプレイヤーたちだ。

 俺たちと、彼ら。双方がぽかんとして視線を交叉させる。互いに突然の事態に理解が追いつかない。


「し、失礼しましたぁ……」


 レティが再び扉を閉める。しかし、それで事態が落ち着くはずもない。


「アストラ、こういう時どうしたらいいと思う?」

「諦めましょう」


 爽やかな笑顔で断言される。

 こんなはずではなかったのに。


「恨むぞ、レティ」

「ひぃん……」


 涙目になりながら、レティが再び扉を開く。


「うおおおおおおっ!」

「なんだこれは! なんだこれは!」

「詳しく聞かせて貰おうか!」

「ていうかおっさん何がどうなってそうなってんの!?」


 途端になだれ込んでくる攻略組のプレイヤーたち。人の濁流に押し流されながら、俺はこの後に待ち受ける質問責めを考えて気が遠くなった。



 結論から言えば、騒動は割合素早く沈静化した。こういうことに慣れているアストラとアイがすぐに場を仕切ってくれたおかげだ。ほとんどの質問や追及を、彼らが代わりに受け止めてくれた。

 俺が答えたのは、部屋の外に居た大ダコのことくらいだ。倒した方法や換装パーツについて、あとは現在の状態について。

 ともかく、思わぬ事態だったが、上級源石についての公表がなされた。今後は本格的な検証が行われるはずだ。


「ふぅ。やっぱり手足があるっていいな」


 謝罪会見ばりにカメラのフラッシュや質問を浴びせられたあと、俺は〈白き深淵の神殿〉に居た野良の技師に頼んで手足を付けて貰った。ノーマルパーツなので、あとでネヴァの所へ行く必要はあるが、ひとまずレティに抱えられたままという状況は脱することができた。


「むぅ。レティならずっと抱えてあげたんですけど」

「俺が居心地悪いんだよ。レティにも負担だろうし」

「むしろご褒美なんじゃないのー?」


 何故か俺の復活を喜んでくれないレティに首を傾げる。ラクトがにやにやと笑って、レティに小突かれていた。


「さて。……ちょっとドトウとハトウの様子を見てくる。そこで待っててくれ」


 俺はじゃれ合っているレティたちに言ってその場を離れる。手足があれば、一人でも動けるのだ。

 早速熱心な検証が始まっている部屋――“研磨部屋”と名付けられた――を抜けて、穴から出る。そこに破損した“驟雨”と自己修復に努めているドトウとハトウが並んでいた。


「ルナ」


 機獣たちの影に向かって声をかける。返事はないが、しばらく待っていると、ゆっくりと頭が出てきた。


「……どうして分かったの?」


 驚いたような顔で笑いながら、ルナは金髪を揺らす。彼女の足下には、マフも立っている。


「犯人は現場に戻る、ってわけじゃないけどな」

「犯人か……。よく分かったね」


 苦笑して、ルナはオレンジ色の瞳をこちらに向ける。

 今回の騒動の発端――場末の検証系スレッドに暗号を書きこんだ彼女は、俺に説明を求めていた。


「色々あるけど、やっぱり〈白き深淵の神殿〉で四人全員が偶然揃ったのが一番だったかな」

「その段階で分かってたのかぁ」


 暗号を解読し、俺たちはここへやってきた。そして偶然にも、アストラ、タルト、ルナの三人が揃った。あり得ないことではないが、偶然にしては出来過ぎている。俺とアストラはともかく、タルトやルナとは普段のプレイスタイルが違いすぎるのだ。


「タルトたちは普段からここにも良く来てるらしいけどな。アストラは俺の気配を感じたとか、訳の分からんことを言ってたし」


 恐らく、俺たちがここに来たのに合わせて情報を流したのだろう。


「それと、ルナは壁の中の空間についても知ってたからな」


 〈ワダツミ海底洞窟〉の壁は、その一部が破壊可能になっている。その事実はあまり知られていない。シンゴとイサミが発見した情報は、すぐに騎士団によって買い取られ、一般には公表されていないのだ。

 しかし、ルナはそのことを知っていた。そのあたりで、疑念は確信に変わってきた。


「あと、そこの通路に入るのも初めてじゃないんだろ。〈採掘〉スキルも持ってるはずだ」

「全部知られてるなぁ。結構隠せてたはずなんだけど……」


 ルナは反論せず、ただ笑う。

 一度破壊した壁も、一定時間が経過すると再び覆われる。破壊された採集オブジェクトが再び復活するようなものだ。

 彼女は通路の中にある鉱脈についてよく知っていた。初めて入るはずなのに、今居る場所より奥にしかない鉱脈についても言及していた。


「銃は弾丸に金が掛かるからな。自給自足ってほどじゃないかもしれないが、弾の材料になる鉱石は自分で集めてたんじゃないか?」


 銃は弓より金が掛かる。弾が金属製で、特に機術封入弾などは一点物だからだ。その嵩むコストを少しでも軽減しようと、ツルハシを持つ銃士は珍しくない。


「ここを見つけたのも、鉄鉱石を集めてる最中だったんじゃないか? 隠しエリアを見つけて、進んでいると、ここでタコに遭った」

「よく分かるね。まるで見られてたみたいだよ」

「全部推測だよ」


 別に俺が名探偵というわけではなく、彼女の言葉や行動に違和感を覚えたからだ。暗号文の発信者について、ずっと考えていたというのもある。


「あのタコは潜伏が上手い。俺たちの誰も気付かなかった奇襲に気付いたのは、ルナだけだ。前もってそこにタコが居ると分かっているみたいだった」

「ははは……」


 ここまでの俺の推測は外れていないらしい。ルナは乾いた笑い声を上げ、こちらに歩み寄ってくる。


「はじめは一人で攻略しようと思ったんだけどね、無理だったよ。だから今度は、あのタコを避けて壁の穴に行こうと思ったんだ」


 彼女も最初はあの黒タコを一人で倒そうとしたようだ。しかし、黒神獣は手強かった。ルナは方針を変え、戦いを避けるように行動した。

 彼女はソロでフィールドを歩くスタイルのプレイヤーだ。迷彩柄の装備は飾りではなく、隠密行動を取ることもよくあるのだろう。


「あそこの穴から、こっちの穴まで。三日かかったよ」


 ルナは上方に空いた通路に続く穴を指差し、次に研磨部屋の穴を指さす。普通に泳げば30秒も掛からないほどの距離だ。


「隠密用装備で固めて、煙幕を張って移動してね。それでも大きく動いたらやられちゃうから、ゆっくりゆっくり、蛞蝓みたいに」


 大変だったよ、とルナは語る。

 壁に張り付き、1時間に数センチという僅かな距離を詰めていく。常に気を張っている大ダコの目を掻い潜るのは想像を絶するほど難しかっただろう。

 ルナの忍耐に改めて驚いてしまう。


「それで、小部屋の中に?」

「いいや。あたしは入れなかったよ。頭はともかく、胸がつかえちゃって」


 ルナはそう言って、自分の胸を持ち上げる。

 たしかにまあ、胸当てで締め付けられているとはいえ一般的なヒューマノイドと比べれば大きいが、俺にそれを言わないでくれ。


「だから、マフだけ行ってもらったんだよ」

「マフに?」

「そ、カメラを持たせてね」


 そう言って、ルナは足下の仔虎を持ち上げる。彼は首輪を装着しており、そこに小型のカメラが取り付けられていた。


「それで内部探索してたら台座があったの。何に使うものか分かんなかったけど、台座の穴に源石がぴったり嵌まりそうだったから」

「はぁ……。つまり、源石かどうか確証は」

「なかったね」


 ルナはからからと笑う。

 結果として彼女の予想通り源石に関する部屋だったわけだが、徒労に終わっていた可能性もあったらしい。


「しかし、そこまでしておいて、なんで正体を隠したまま俺たちを集めたんだ?」


 一つ分からないことがある。

 ルナが自分のことを隠して、俺たちを呼び寄せたことだ。一応〈翼の盟約〉というもので繋がっているのだから、回りくどいことをしなくてもいいはずだ。

 その疑問を投げつけると、これまで堂々としていたルナは突然弱る。


「そ、それは……」

「うん?」


 今までの調子をなくして口籠もるルナに首を傾げる。何か困らせるようなことを言っただろうか。


「その、あたしっていっつも一人で遊んでるからさ……」

「うん」


 ルナはソロプレイを基本としている。マフがいるといえばそうだが、他のプレイヤーと行動することは殆どないらしい。一人でフィールドを歩き、一人で原生生物と戦う。

 わざわざ〈採掘〉スキルを使って鉱石を掘るのは、節約と同時に他のプレイヤーとの関わりを極力減らすことも目的にしているらしい。


「その、どうやって誘えばいいか分かんなくて」

「ええ……」


 人差し指を突き合わせながら、頬を赤くしてルナが言う。予想外な言葉に思わず声が漏れた。


「だっ! だって、みんないっつも忙しそうだし、あたしが誘ってもいいかなんて分かんないから。嫌がられたら悲しいもん!」

「そうかなぁ」


 たしかにアストラなんかは普段から忙しくしているかもしれないが、それでもFPOというゲームを遊んでいるプレイヤーに変わりはない。面白そうなことがあればすぐに飛んでくるだろう。

 タルトもそうだし、俺もそうだ。ルナに誘われて、泣く泣く断ることはあるかもしれないが、嫌がることはない。


「だからその、偶然出会ったメンバーで謎を追いかける形式にしたくて……」

「そんな手の込んだことをしなくても」

「うぅ……」


 困惑していると、ルナは突然泣き出してしまう。乙女心は難しすぎる。

 俺は彼女の側に寄り、肩を叩いてやる。姪が泣いてた時は、これでなんとかなったのだが。


「ほら、別に怒ってないから」

「……ほんと?」

「ほんとほんと。おじさん嘘つかない」


 ぐすぐすと鼻を鳴らしながら、ルナは上目遣いにおれを見る。普段は活発な彼女だが、こういう一面もあるのか、と少し驚く。


「また何かあったら、いつでも言ってくれよ。だいたい、俺はいつでも暇だからな」

「そうなの?」

「ほんとほんと。何か稼ぎになりそうなことがあったら是非誘ってくれよ」


 最近、何故か金がどんどん減っていって困っているのだ。なぜ金は使うと無くなってしまうのか。


「俺で良ければ付き合うからな」

「……うん、ありがとう!」


 ルナはぱっと笑みを浮かべる。

 涙も収まり、気持ちも戻ってきたようだ。ほっと胸を撫で下ろしたその時、背後から気配がする。


「――レッジさん?」

「うおわっ!? なんだ、レティじゃないか」


 待ってろと言っていたのに、こっちまで来たらしい。レティの後ろにはラクトやトーカも揃っている。

 何故か、彼女たちは一様に穏やかな笑みを浮かべていた。


「あの、レティ? ……レティさん?」


 そこから不穏な空気を感じ取り、困惑する。何か怒らせるような事を言っただろうか。


「レティというものがありながら、ルナさんと付き合うってどういうことですか!」

「は、え? 違う違う、そういう意味じゃない!」


 ぷっくりと頬を膨らませるレティ。彼女の口から飛び出た言葉に驚愕する。どこをどう聞いて……いや、最初の方を聞いていないのか。

 俺は誤解を解こうと慌てて口を開く。その瞬間、ルナの腕が首元に滑り込んできた。


「レッジがいつでも遊んでやるよだって!」

「ちょ、ルナさん!?」


 驚いて振り向くと、彼女はぺろりと舌を出す。

 俺が何か言うよりも早く、周囲をレティたちに囲まれてしまった。


「違うんだ……」

「詳しく聞かせて貰いましょうか」


 凄味のある笑みが全方位から向けられる。これから逃れるのは絶望的だ。

 俺はただ兎のように震えて、会見を開くしかなかった。


_/_/_/_/_/

Tips

◇首輪型カメラ

 ペットや機獣に装着できる小型のカメラ。映像は遠隔で受信可能。探索や潜入のお供に。


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